トラップと屋上会議
靴紐を結び直し始めた少女を眺める。俺からボールを取り返したら練習を再開するつもりらしい。まぁ
熱心なのは良いことだ。
「そうだな……」
どう思った、という問いは、別に彼女たちの印象を聞いているわけではなく、選手としてのプレーについての意見を欲しているのだろう。五人の少女たちのプレーをそれぞれゆっくりと思い返す。だが、今ここにいない少女たちの話をしても仕方がない。鷹娘のプレーを見て俺が言えること、言っても良いことを取捨選択する。
「ま、君のトラップは酷かったな。素人に毛が生えたレベルだ」
「……知ってるわ。だから練習してるの」
「でもその練習じゃ、多分あんまり意味ないぞ」
俺は尻を叩きながら立ち上がると、鷹娘に向けてボールを投げた。三メートルほどの高さまで上がったハイボールだ。それを鷹娘は足裏で止めた。
「トラップの下手な奴は、大体トラップした後のことを何も考えてない。君はその典型だ」
鷹娘が、やっと俺の目を見るようになった。
「トラップってのは本来、次のプレーにスムーズに移行するための技術だ。だから究極的な話、別にトラップなんて必要はない。全部ダイレクトプレーをすればいいんだから」
だが、それだと選手としてどころか、試合そのものが成り立たない。何故なら、ボールを止めることがゴールへの最適解になるシチュエーションがプレーのほとんどを占めるからだ。
その時々に最も適した効果的なプレーを選択し、遂行するための緩衝材。それがトラップの本質だ。
「パスをするのか。ドリブルをするのか。シュートをするのか。『次』のプレーのためにトラップがある。だが、君は『トラップをすること』が目的になっている。足元に止めることだけ。その弊害で次のプレーへの移行が遅れ、結果的に『トラップミス』として扱われ、君もそう認識する」
そして、自分は「止めること」が下手なんだと誤認識してしまう。いつまでもいつまでも「止めること」だけを意識し、その練習ばかりに躍起になる。例えそれで「止めること」が上手くなっても、試合では大して役に立たないだろう。「次のプレーにスムーズに移行する」というトラップの本質の練習ができておらず、一切成長していないのだから当然だ。
「多少『止めること』が下手でも、やりたいこと、やるべきことを明確に目指していたなら、次のタッチで素早く軌道修正するか、第二選択肢に変更できる。逆にそこを目指していなければ、もう一度足元に留めることにやっきになる。それが終わった時にはもう、相手のディフェンスに抑え込まれている」
目新しいことを言っているのではない。サッカー選手全員が無意識的に理解していることをただ言葉にしただけ。だが、煮詰まった人間というのは案外初歩的なことを見失う。
「それに実は、君は今日最高のトラップを一度している」
「え?」
気がつきもしなかった、という顔だ。なんだ、険しい顔以外もできるじゃないか。
「二点目のシーンだ。丹頂鶴娘のパスが見事だったのも事実だが、あのトラップはそこそこ難易度が高かったぞ」
あの時、鷹娘は真後ろからきたボールを前向きにトラップした。しかも全力疾走の状態で、だ。あのプレーだけを見れば、誰も彼女をトラップが下手だとは思わない。
「あ、あれは次やることが決まってたから……」
「だからそれをするためにトラップがあるって言ってるだろ。その後もキーパーとディフェンスの位置を冷静に見て、コーギー娘にバックパスした。おかげでコーギー娘はトラップの必要もなくイージーなシュートを打てた。君のあの一連のプレーは十分ファインプレーだ」
シュートをするかバックパスをするか、それとも逆サイドのタヌキ娘に横パスを出すか。あの時の鷹娘は、これら三つの選択肢の全てに対応できる位置にボールをコントロールしてみせたのだ。
「ま、これも俺みたいな奴の言うことだからな。本気にしてもしょうがないさ。適当に聞き流しときゃ良い」
考え方や意見なんてものは、それこそ星の数ほどある。その中のどれを選び取るかは本人の自由だ。その良し悪しだって後になってみないとわからない。だから、人の意見はできるだけ好きな人や親しい人から聞くべきだ。その方が勝手な安心感があるし、悪い結果になっても言い訳し辛い。
「じゃあな。人数集め頑張れよ」
正直、話をしている途中から気分が悪くなっていた。自分は何を賢しげに語っているのだろう。こんな歳下の少女を前にしているせいで、心が浮かれているのかもしれない。
ついさっきワクワク公園で味わったのと同じ嫌悪感がわきあがってきて、オレは少女に背を向けた。
「……ありがとう。参考にするわ」
逃げようとしていた俺の背中に、少女の呟きが追いかけてきた。俺を嫌っている少女は、素直な礼を口にした。その清廉さに、やはり俺は彼女たちに関わってはいけないと強く思う。懸命に好きなことと向き合う少女たちは、俺には鈍い毒だった。振り返ることなく土手に上がり、橋を渡り始める。すると、またボールの音が足元から聞こえてきた。ボールが壁に当たる間隔が少し伸びている。
ーー俺も昔はよくやったな。
大昔の自分を思い出してみると、あの少女より小学生の頃の俺の方がずっと上手かった。そしてそのことがとても強く俺を虚しくさせた。昔は俺も上手かったんだぜ、なんて、意味がないにもほどがある。
家に帰ると体は疲れ果てていて、そのまま沈むようにベッドで眠った。
「あーあ、コウちゃん昨日、なんで急に帰っちゃったんだろ……」
「女子高生を言いなりにできる快感に性的興奮を催した線が濃厚ですね」
「ちょっとカロ黙ってて」
「寝言は寝て言ってください〜」
「……」
記念すべき初勝利を挙げた翌日、六人は今日も屋上に集まって弁当を広げていた。小西は早弁したせいで空っぽの弁当箱を寂しげに眺め、時折メンバーの弁当を物欲しそうに見ている。全員その視線に気がついているが、一度小西に分けると自分の分が残らないため、目をそらしてぐっと堪えていた。
「メールしたんだよね。返信は?」
「ない。見てるかどうかも怪しい」
「そうなんだ……」
遠藤ががっかりした様子で肩を落としている。公太郎がいなくなったことに一番狼狽えていたのは、何故か遠藤だった。そのせいか彼女らしくないパスミスが何本も見受けられた。
「まぁ、あの人のおかげで勝てたとこもないわけやないしな。一言お礼くらいは言わせてくれてもよかったんちゃうやろか?」
「流石はゆり。微妙に上からだね」
「あんなにボール触ったのは久しぶりだったから、わたしも楽しかったです」
「私も〜。あんなに気持ちよくドリブルできたのは初めてかもしれません〜。やはり目的とタイミングは重要ですね〜」
四人とも昨日の昼よりは公太郎の評価を上げてくれていた。
「コウちゃん、周りを活かすの上手だもんね……」
昨日公太郎が提示した戦術は、全て彼女たちの得意分野を織り込んだものだった。選手としても昔からそういうプレースタイルだったが、外で指示を出す立場になってもそれは変わらなかった。一人一人がやりたいこと、得意なことをやって、良い結果が生まれた。部として窮地に立たされている彼女たちにとって、これほど嬉しいことはない。彼女たちと接して三十分足らずでそれだけのことを見抜いた公太郎は、やはり優秀だった。選手の良いところを素早く把握し、最大限に活かす。これができるから、八尾は公太郎にコーチになって欲しかった。公太郎なら、この微妙にちぐはぐな選手たちを上手くまとめてくれるのではないかと期待して。
「ここは押し時です」
「え?」
八尾の弁当箱を凝視しながら小西が言うものだから、とうとう無理やりおかずを奪いにきたのかと一瞬身構えた。
「良太郎さんのことですよ」
「公太郎、ね」
「そう。コータローさんは、意思が弱いタイプと見ました。少々嫌がっていたとしても、こっちがゴリ押ししていればなし崩し的に何とかなります。具体的に言えば、私たちの誰かがハニートラップを仕掛ければ……」
「部員のこともあるしなぁ。何とかあと一人集めないと」
「そうですね〜」
その後も熱く語り続ける小西を置いて、部員集めの方策を議論する。遠藤が困った顔をしながらも小西の話を聞いてくれていた。
「そうでした〜!」
何を話し合っても良い具体案が見つからず、全員が頭を抱えていた時、仲村が大きな声を出した。
「ど、どうしたの?」
清楚なお嬢様を演じている仲村が大声を出すのは余程のことがある時である。それをわかっているから、まだ語り続けていた小西すら黙った。
仲村が内緒話をするかのように声を潜めた。全員の顔が自然と近くなる。
「実は、今日バスケ部の子から聞いた話なんですけど〜」
「うん」
「どうも、バスケ部の部長さんがリュウさんとカロさん、あと望さんを狙っているらしいんです〜」
「え? なんで? 綾じゃないの?」
「私ですか。それに……」
「あ、あの。なんで私?」
久保と小西はわかる。久保はこの前のスポーツテストで五十メートル走で五秒台を叩き出したし、小西は実は総合点が学年一位だった。実際、久保は当然陸上部から、小西はバレー部、テニス部、ソフト部から勧誘を受けている。だが、何故八尾がそこに加わるのか。
「私、スポーツテスト受けてないよ?」
記録が悪かったのではなく、そもそも受けていない。八尾はずっと体育教師の隣で測定の手伝いをしていた。
「いや、これは選手として狙っているのではなく〜。どうやら、性的、肉体的に狙っているらしいんです〜」
「ひッ!?」
久保が小さな悲鳴をあげて自分を抱き締める。
「あ、あぁ〜。その噂、本当だったんやな」
「う、噂?」
中沢がにやにやする。
「バスケ部の部長って、そっち系の人らしいんです〜。何でも、気に入った女子生徒を食いまくってるとか何とか〜。性的に〜」
「ウルフの名を持つプレイボーイ、いや、プレイガールらしいで」
「そ、そんなのに私とカロと望が……?」
サッカーばかりで色恋に興味のない久保は、こう言った話に耐性がない。だが、どうも本人に思い当たる節があるようで、本気で顔を青くしている。
「テニス部の部長と副部長が付き合ってるってのも聞いたし、そういうの本当にあるんだね」
小中と高身長を理由にバスケとバレーからしつこく勧誘を受け、嫌気がさしていた遠藤は、高校生になって初めて開放感を味わっている。おかげで仲間の窮地にも表情穏やかだ。
「わたしはそっちの気はないのですが、求められていると聞けば悪い気はしませんね。今度会ってみましょう」
「それはやめときや」
「この話を聞いて何でそういう結論が出るのよ……。あと、それと私たちの部員集めに何の関係があるの?」
「いえ〜? 特にないですが〜?」
「ないんかーい」
中沢が嬉しそうにツッコミを入れる。彼女はボケるよりツッコミの方が好きらしい。
「あ、それと〜。小鳥遊さんも狙われてるらしいです〜。彼女が本命みたいですね〜」
「あ、あぁ、小鳥遊さん。すっごい美人だもんね」
八尾が何故か楽しそうな声で言った。小鳥遊は八尾のクラスメイトで、隣の席だった。
「そう言えば私、まだ小鳥遊さんに勧誘してないや」
「してもしょうがないと思うけどね」
遠藤のみならず全員が何とも言えない顔で頷く。小鳥遊霧子は、新入生で、いや、学校で一番美人だと言われている生徒だった。絹のような黒髪に、キリッとした正統派の美しい顔立ち。北欧の血が混ざっている小西に負けず劣らずのスタイル。どんなに自信家の女子でも、小鳥遊霧子には勝てないと納得してしまうほどの美少女だった。
「だってあの子、全然周りとコミュニケーション取らないんでしょ?」
「う、うん。そうなんだよね」
久保の問いに八尾は苦笑いで返す。そうなのだ。小鳥遊霧子は、非常に無口な少女だった。と言うより、どうも周囲にあまり興味がないらしい。いつも空を眺めているか、机に突っ伏して眠っているかだ。剣呑な空気を放っているわけではないが、ちょっと異次元の容姿も相まって、非常に接し辛い存在だった。勇気を持って話しかければ普通に受け答えはしてくれるが、歓談をしているところは誰も見たことがない。集団スポーツができるようなタイプではなかった。
「それに小鳥遊さん、学校終わるとすぐ帰っちゃうんだ」
そして極めつけ。小鳥遊霧子は何か用事でもあるのか、いつもいの一番に教室を出る。おかげで彼女と関わりを持てる時間は短く、そのせいでどんどんクラスで浮いた存在になっている。それもここ数日で全学年に知れ渡った。
「要するに、勧誘してもしゃーないってことやろ。他を探そや」
「まぁ、ね」
中沢があいまいに締めたところで、昼休み終了のチャイムが鳴った。話に夢中で弁当を食べきっていなかった彼女たちは、乙女を捨てて一気に昼食をかっこんだ。女子高に入ると周りに男子がいないため、女子は女子であることの意識が薄れていく。
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