ここから勝ちに行く



 こんな六人しかいないサッカー部が、「勝ちを目指す」だなんて、自分で口に出したとは思えないような夢物語だ。試合すらできないのに、どうやって勝つというのだ。馬鹿馬鹿しい。真っ当な人間が聞けば鼻で笑う。

 俺だってそんなことはわかっている。だが、俺は女子高生たちを嗤うことはできなかった。彼女たちが心の底から勝ちたいと思っているのをわかってしまったから。


 俺はピッチを駆ける選手たちを見つめる。どの選手がどんなプレーが得意なのか、どんなプレーが苦手なのか。選手たちの目を、身体を、脚を、何か一つでもヒントになることはないかと探し回る。


「コウちゃん」


 一人ベンチに残された望は、楽しそうな声で言った。


「皆んな頑張ってるね」


「あぁ」


「勝てるかな」


「あぁ」


 ーーそんなのわかんねぇよ。


 でも、勝ってくれるなら、俺も少しは気分が良いかもしれない、とは思う。


 南条GFCの選手はフラストレーションを溜めまくっている。ここまでガチガチにゴール前を固められちゃ、そうそう点が取れるものではない。それに、ディフェンス能力がピカイチのタヌキ娘がいる。南条GFCはまともなシュート態勢に入ることすらままならない。

 すると、南条の選手がコーギー娘と丹頂鶴娘の間のスペースに強引にドリブルしてきた。半分ヤケを起こしたプレーだったが、それが偶然二人の意表を突いた。周りにフォローもいない。完全に単騎特攻である。ペナルティーエリア内でタヌキ娘と一騎打ちだ。

 状況を素早く把握したタヌキ娘が、スッと腰を落とした。膝を曲げて身体を半身に開き、相手の利き足のコースを塞ぎ、逆足側へと誘導する。ディフェンスの鉄則だ。タヌキ娘がその完璧な態勢を作り出すのに要したのは一瞬。構えにスキは一切ない。相手の二つのキックフェイントも、まるで見透かしたかのように引っかからない。焦ったのは相手の方だった。ちんたらしていたら背後の二人に囲まれる。再び強引に、ディフェンスを振り切っていなくともシュートを打ちに行った。


「っ!?」


 それを、タヌキ娘は完璧にブロックした。左足で打たれたシュートを右足で止め、バウンドしたボールはシュートを打った本人の脚に当たった。するとタヌキ娘は相手との間に素早く身体を滑り込ませると、ゴールラインに切れていくボールを見送った。


「ナイス、ゆり!」


「ごめん、抜かれた」


「すみません〜」


 女子高生たちが声を掛け合う。それにタヌキ娘は片手をあげ、ニカリと笑って応えた。余裕である。その小さな背中には、良いセンターバック特有の「安心感」があった。同年代の女子と比べて頭一つ以上小さいというハンデをまるで感じさせない。

 タヌキ娘のディフェンスは見事としか言いようがなかった。


「望。タヌキ娘はずっとセンターバックだったのか?」


「……? ゆりちゃんのこと? そうらしいよ。サッカー始めた時からずぅっとセンターバック一筋。それ以外のポジションは絶対やらなかったって」


「珍しいタイプだな」


 普通はフォワードをやりたがるものなのだが。それかたくさんボールに触れるミッドフィルダーか。キーパーやバックを自主的にやりたがる初心者なんて見たことがない。身長が百四十センチに満たないセンターバックなら尚のことだ。試合開始の整列の後、彼女がセンターバックのポジションにつくのを見た相手選手はまず呆気にとられるだろう。そして必ずバカにする。あんなちびっこに務まるかよ、と。そして試合が始まってみて思うのだ。あんな風に。


 ーー信じられないって顔してるな。当然と言えば当然だが。


 完璧にシュートブロックされた南条の選手は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。自分があんな小さな選手からゴールを奪うイメージを持てないことに、衝撃を受けているのだろう。直接対峙したからこそわかる凄さというものはある。きっと俺が思っているよりもずっと、タヌキ娘のディフェンスは威圧感がある。


「望、時間は?」


「あと一分だよ」


 前半は無失点で帰ってこれそうだ。そしてまた、無理をしなければ後半も点を取られないことも確定した。

 だが、それでは足りない。今日は引き分けを狙っていない。


 俺は、後半に活躍してもらわなくてはならない三人の様子を最後に観察する。丹頂鶴娘はまだまだ元気だ。パスの精度は落ちていない。コーギー娘は守備ばかりさせられてちょっと不満そうだ。良いだろう。その気持ちが後半に必要になってくる。

 そして、前半フェイクであり続けた鷹娘。めちゃくちゃ走らされて肩で息をしている。だが、瞳に弱気さはカケラもない。


「前半終了です!」


 ホイッスルが鳴った瞬間、力強く俺を睨みつけてきた。


 ーー勝つ気はあるんでしょうね?


 










 前半打たれたシュートは三本。その内二つはタヌキ娘がブロックし、一本は大きく枠を外れた。ほとんどの時間を自陣のコートに押し込まれていたとは思えないほど、失点の匂いがしなかった。


「時間がないからさっさとやるぞ」


 ベンチで女子高生たちが汗を拭っている。俺は彼女たちが上を向かなくて良いように、ホワイトボードを芝生に置いた。後ろから望が覗き込んでくる。


「後半も基本的にやることは変わらない。絶対に失点しないこと。だからフォーメーションはそのままだ。だが、勝つためには点を取らなくちゃならない」


 どんなに攻めようが、良いプレーをしようが、点が取れなくては意味がない。だが、点を取るというのはとても難しいことでもある。


「おそらく、今の君らでは自力で点を取るのは難しい」


 厳しいことを言ったが、女子高生たちは静かに耳を傾けている。ショックを受けている様子はなく、すんなりと受け入れている。


「鷹娘と丹頂鶴娘が、はっきり言ってフットサル向きじゃない」


 五十メートルを五秒台で走るという鷹娘は、広いピッチでこそ真価を発揮する。丹頂鶴娘も同じだ。キックの精度が高い彼女は、長短織り交ぜたパスが武器になってくる。


 だが、フットサルではどちらもなかなか活かしづらい。加えて、二人ともその長所だけでこれまで十分プレーできていたのだろう。鷹娘はボールコントロールが、丹頂鶴娘はドリブルが苦手だ。フットサルのキモとも言えるそれらのプレーを苦手としている選手が二人もいれば、上手くいかなくて当然だ。


「一応言っておくが、別に悪いことじゃない。苦手を消すよりも得意を伸ばす方が戦術は組みやすいし、選手として魅力的だ。もともと君らはサッカー部なんだし」


 だが、今はこのフットサルの試合を勝つことが目的だ。だから今ある武器だけで何とかするしかない。


「そこで、だ。前半の君らのプレーを見た南条が、後半一番マークを軽くするのは誰だ?」


「ゆり」


「うちやな」


 丹頂鶴娘とタヌキ娘が即答してみせた。

 鷹娘が一人、「え」と声を漏らす。どうやらわかっていないらしい。


「前半あれだけディフェンスで存在感を見せつけたからな。向こうは勝手に『タヌキ娘はディフェンス要員だ』と思ってくれてるはずだ」


 タヌキ娘はこちらの要だ。今のポジションをそうそう変えることはできない。普通ならそう思うだろう。


「一つパターンを提示する」


 女子高生たちを模した黄色いマグネットを、四角形に並べる。二・二のフォーメーションだ。


「後ろの丹頂鶴娘、タヌキ娘の二人でボールを回す。前線にはコーギー娘と鷹娘」


 タヌキ娘の前にコーギー娘を、丹頂鶴娘の前に鷹娘を配置する。

 ここまでの試合を見たところ、南条は二・二のシステムをチームコンセプトにしている。こちらのフォーメーション変更に関係なくそのままのフォーメーションでくる。黄色いマグネットの四角形と、黒いマグネットの四角形が重なった。俺は後ろの二人の間でパス交換をさせていく。そして、

 

「タヌキ娘から丹頂鶴娘に横パスが出た瞬間、鷹娘、君が真ん中のスペースに動き出せ」


 相手の四角形の中央に鷹娘を移動させる。


「そしたら間違いなく、ディフェンスは鷹娘に付いてくる。インターセプトを狙ってな」


 鷹娘にクサビのボールを入れるプレーは、女子高生たちのパターンだった。これまで何度もやっている。そして、そのプレーがあまり成功していないことを、南条側は知っている。当然、鷹娘からボールを奪おうとしてくる。


「そうなったらタヌキ娘は、コーギー娘を追い越して走ってしまえ。コーギー娘はポジションそのまま」


 丹頂鶴娘に横パスを出したタヌキ娘が前線に駆け上がっていく。すると、中央にスライドしてきた鷹娘と、ポジションを動かないコーギー娘、そして駆け上がっているタヌキ娘が、丹頂鶴娘から見て斜め一列に重なった。


「これ、どうやってパスすれば良いの?」


 丹頂鶴娘だけではない。全員が困惑している。三人が被っているから、パスコースは実質一つだ。しかも同じ高さにいたタヌキ娘が上がってしまったため、リターンパスも出せない。丹頂鶴娘は孤立無援状態だ。


「ここだ」


 だが、この瞬間、ある場所にスペースができていた。そこに丹頂鶴娘からパスを出させる。


「もともと鷹娘がいたポジションの、更に奥。丹頂鶴娘側のコーナーフラッグ付近には今誰もいない。そこにゴロのボールを放り込め」


 鷹娘が中央にスライドすることで、鷹娘のマークもつられてくる。コーギー娘のマークはそのまま。そして、急にオーバーラップしてきたタヌキ娘に相手は気を取られる。必然的に、丹頂鶴娘の縦のスペースへの意識は薄くなる。


「ボールは鷹娘が全力疾走で追いかけて、追いつけ。君のスライド、停止、反転、ダッシュの動きに、相手は付いてこれない。あとは自慢の足で振り切ってやればいい」


 試合を見ていて確信した。鷹娘は、百メートル走よりも五十メートル走、五十メートル走よりも十メートル走が得意なタイプだ。スタートからトップスピードになるまでがとにかく早い。それでトップスピードも速いのだから、サッカーじゃ無敵だろう。


「丹頂鶴娘は、鷹娘の速度を落とさず、かつ前向きでプレーできるパスを出して欲しい。内回転をかけて、鷹娘が回り込まなくていいように」


「む、難しいな」


「できるさ。ただ、縦パスを狙ってると気取られるなよ。そうなったらおじゃんだ。視線や態勢でフェイントをかけるのを忘れるな」


「な、難易度上がってる」


 丹頂鶴娘の声が固くなったが、目を見ればわかる。ビビってはいない。


「鷹娘にボールが出たら、タヌキ娘はファーサイドに。コーギー娘は鷹娘の斜め後ろ、ゴール正面に走りこめ」


 相手のゴール前で、鷹娘とタヌキ娘、コーギー娘で三角形を作る。


「鷹娘には選択肢が三つある。一つは自分でシュート。もう一つは逆サイドのタヌキ娘へラストパス。最後はフォローに来ているコーギー娘にバックパス。シュートの場合はファーサイドを狙え。タヌキ娘がこぼれ球を詰めやすくなる。それ以外は君の判断に任せる。ただし中途半端はするな」


「わかってる」


「タヌキ娘はこの瞬間はディフェンスを意識しなくていい。得点することだけを考えろ。そしてコーギー娘」


「はい〜」


 ゴール前のペナルティースポット付近にコーギー娘を置く。


「鷹娘からバックパスがきた場合、多分相手と一対一になるはずだ。迷わずドリブルを仕掛けろ。絶対抜けるから」


 コーギー娘は前向きの状態で落ちてきたボールにプレーできる。だが、対峙するディフェンスは一度鷹娘に注意を向けているため、身体を反転させなくてはならない。必ず体重がどちらかに寄っている。そんな相手を突破できないコーギー娘じゃない。


「ぶっつけ本番だが、前半からの仕込みがあり、かつ君らの長所を活用している。自信を持ってやれば必ず成功する」


 最後の仕上げに、女子高生たちを持ち上げてハッパをかけておく。得意なプレーに太鼓判を押されて、気分が高揚しないわけがない。だから指示を出している俺が一番自信満々に言わねばならない。


「ただ、初手ではやるな。一回か二回、普通に鷹娘にクサビを入れるだけのパターンを相手に見せておけ。その方がハマる」


 いきなりやって意表をつくのも手ではあるが、一発勝負だから確実に決めたい。それに、彼女たちならその方が良いだろう。


「仕掛けるタイミングは、ボランチとして丹頂鶴娘が見極めろ」


「……っ! うん、わかった」


 ピッチに立つ四人は小さい頃からずっと同じチームでやってきてらしい。お互いの呼吸やタイミングは熟知している。


「一点取った後は守備固めつつカウンター狙え。後半からは鷹娘以外も攻撃に参加しろ」


 ホワイトボードからマグネットを外して、望に返す。よく考えてみたら、なかなか準備がいい。普通学生がホワイトボードなんか持ってないだろ。しかもフットサル用だ。


「後半始めます!」


 審判が言う。南条の選手たちが先にピッチに出てくる。彼女たち全員の目が燃えていた。ディフェンスに専念されたとは言え、高校一年生相手にここまで抑え込まれたのは屈辱だったのだろう。


「ふぅ。よし。皆んな行こう!」


「よっしゃ!」


「うん」


 鷹娘を先頭に、女子高生たちも立ち上がる。ピッチに一歩踏み出した瞬間、彼女たちは選手へと変貌した。


「頑張って!」


 笑顔で手を叩く望に、五人が微笑んでみせた。

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