0ー0で帰ってこい



 白い縦長のホワイトボードに、黄色いマグネットが五つと、黒いマグネットが五つ。そして赤いマグネットが一つ。それらは選手とボールを模したものだった。


「向こうはフットサルの戦術を学び、練習してきている。この時点で不利なのはわかってるな?」


 選手たちが無言で頷く。きちんと自覚はあるらしい。


「となると、正攻法じゃ勝ち目がない。単純に力比べしたらダメだ。そもそも、見たところ基本的な技術も向こうが上だ」


 高校の新一年生と、大学の二、三回生。五つほどの年齢の開きがある。ハイレベルになってくると年齢なんて関係ないが、彼女たちにとっては大きな差だ。女子高生たちの方が未熟なのは仕方がない。


「だが、いくつかの点においては、君らの方が上だ。そこを突く。まず」


 俺は黄色のマグネットをぱちぱちと置いていく。一つはゴールキーパーとしてゴール前に。三つはキーパーから見て逆三角形を作るように。それもゴールキーパーからうんと近い位置に置いた。


「タヌキ娘。お前がセンターバック。全体のバランスを見ながら両ウイングのカバー。だが、絶対にゴール前から離れるなよ。パスコースとゴール前のスペースを消すことを意識すれば、変に動き回る必要はないはずだ」


 大きなぐりぐり眼に語りかける。


「お前はどうやら勘が良い。一人でも最後列を守れる選手だ」


 小柄なタヌキ娘だが、身体の反転、一歩目からの加速が恐ろしく早い。一対一の勝負に極端に強いタイプだ。おまけにフットサルでは空中戦がほぼ無く、高さのハンデを気にしなくていい。そして、パスコース、シュートコース、危険なスペースを消す技術が抜群に優れている。フットサル選手としてなら相当な評価を受けて良いだろう。田舎の弱小女子サッカー部にいるのが奇跡に近い選手だった。だから、ある程度はタヌキ娘に守備を任せる。


「そして、丹頂鶴娘とコーギー娘でウイング。と言っても外に開きすぎるなよ。基本は中を固めて相手の選手とボールを外に外に追いやっていくこと。シュートを打たせないことだけを意識しろ」


 一番底にタヌキ娘がいるため、かなり安心してプレッシャーをかけられる。あとは簡単にドリブル突破されないことだけを念押しする。


「君ら三人で後ろを固めろ。小さいゾーンを作って、絶対にシュートコースを消し切る」


「ちょ、ちょっと待って」


 すると、ここで望が割り込んできた。


「そんなにラインを下げて、どうやって攻めるの?」


 俺が置いた三つのマグネットは、全て自陣のゴール前に密集している。サッカーではなくフットサルのピッチの広さだ。お互い数歩歩けば手が届く距離だろう。だが、それが狙いだ。


「攻めなくていい」


「はぁ!?」


 六人全員が声を上げた。俺の説明を最初こそ真剣に聞いていたものの、途中からちょっとずつ眉をひそめ始めていた彼女たちだ。俺への疑問がピークに達し、爆発した。


「攻めなくていいって……何考えてるの?」


 そして一番キツく噛み付いてきたのは鷹娘だ。この選手は間違いなくフォワードだ。攻めなくていい、なんて発言は馬鹿にされていると捉えてもおかしくはない。


「ん〜。流石にそれは〜」


 コーギー娘も困ったようにうなる。こっちもドリブル大好きのイケイケ体質。攻撃することをサッカーの主軸においているはずだ。攻めを度外視した戦術を受け入れるのは難しいだろう。だが、タヌキ娘と丹頂鶴娘の二人は黙ってボードを見つめている。丹頂鶴娘が右手でカッコよく口元をおおいながら、静かに聞いてきた。


「じっくり守ってカウンター狙いってことですか?」


「半分正解だ」


 俺は最後に、センターサークル付近にマグネットを置いた。


「三人でゴール前を固めて、鷹娘をここに凧みたいに飛ばしておく。こいつの足の速さはバレてるだろうから、向こうも無視はできない。その分攻撃に出てくる人数も減ってくる」


 フットサルにはオフサイドがないため、相手のフォワードよりも前でディフェンスすることは非常に危険だ。パスが通ってしまえば即失点になる。だから確実に、相手はディフェンスに一人残る。上手くいけば二人残ってくれるかもしれない。


「試合は十分ハーフ。君らがすべきなのは弱者の戦い方だ。ゴール前をとにかく固めて無失点で抑える。凧になった鷹娘はカウンターを狙っているように見せかけるフェイクだ。攻めることは考えなくていい。無失点で前半を終えることだけを考えろ。ボールを奪えたら、無理しない程度にボールを回して、あとはコーナーめがけて鷹娘を走らせておけ。フォローはいかなくていい」


「後半仕掛けるってことかしら?」


 存在がフェイクで、味方のフォローも受けられないという悲しきポジションに指定された鷹娘は、頬を引きつらせながら無理やり笑顔を作ってみせた。怒り心頭の様子だが、反抗してくることはしない。いきなりやって来た怪しい男に好き勝手言われている割には素直だ。こんな消極的で面白味のない作戦だと言うのに。


「それは君らが無失点で帰ってきてからの話だ」


 何もかもはそこから始まる。他のゲームプランが無いわけでもなかったが、俺はまずこの若いチームに押し付けたいことがあった。


「あと、この作戦は君ら二人がいて完成する」


 まだ作戦が理解できず首を捻っているフラミンゴ娘と、いよいよ目に険が宿り始めている鷹娘に向けて、わざと微笑んでやった。












 狭いピッチに作られた小さなゾーンディフェンスは、かなり効果的に機能していた。前半始まって二分。女子高生チームは一本のシュートすら許していない。ここまでは想定通りだが、コーナーキックすら与えていないのは出来すぎと言える。

 たった二分かよ、と思うかもしれないが、フットサルにおける二分というのは実はとても長い。フットサルはバスケットと同じで、ボールがピッチの外に出ると時計が止まる。この二分間は全てインプレーの状態を指し、更に、狭いピッチで少人数がボールの奪い合いをするため、立ち止まっている時間が一切ない。サッカーではボールに関わっていない時間も存在するが、フットサルでそれは絶対にない。つまり、女子高生チームはこの二分間ひたすらディフェンスに走り回っていることになる。


 南条がゆっくりとボールをキープしている。後ろの二人でパスを回しながら、攻撃の機会をうかがっている。そこに鷹娘がプレッシャーにいった。俺の指示通り、というかサッカーの定石として、受け手がリターンパスを出せないようにコースを切りながらのプレスだ。これで受け手は横パスが出せなくなる。仕方ないから縦か斜め前、もしくは先にパスを出した選手が後方に下がって受け直すしかない。だが、女子高生チームはゴール前を固めるゾーンディフェンスだ。縦パスを受けようとする相手選手にはそこまでプレッシャーをかけない。結果、かなり簡単に縦パスが通る。受け手は余裕を持って前向きのプレーが可能になる。本来ならここでウイングのコーギー娘かフラミンゴ娘が遅ればせながらもプレッシャーにいくはずだ。だが、


「っ!」


 彼女たちは絶対にプレッシャーにいかない。ペナルティーエリアから出ていかない。そして、先程まで走り回っていた鷹娘もそこでプレーを止めている。もう完全フリー。好きなことを好きにやってくださいという状況だ。だが、やられた方はこれはこれで結構困るのだ。パスしようにもゴール前にスペースは一切ない。ならばドリブルでディフェンスを崩すしかないが、女子高生チームは相手を外に押しやるばかりで、ボールを奪うディフェンスをしない。そのせいでシュートコースもパスコースも生まれない。南条GFCは、こんな異常なディフェンスをしてくる相手にかなり戸惑っていた。

 コーナー付近までドリブルしてきた南条の選手だが、マークしてくるはずの丹頂鶴娘がほとんど付いてこない。ボールを奪われる心配はないのだが、攻撃的なパスを出せるようなスペースもない。コースがほとんど切られている。そして、


「あっ!」


「やった!」


「リュウ!」


 苦し紛れに中央に入れたパスを、タヌキ娘にカットされた。タヌキ娘はすかさず前線に張り付いている鷹娘へとパスを送る。そして、フォローにいくことなく止まった。コーギー娘も丹頂鶴娘もフォローにはいかない。完全に鷹娘一人に攻撃を任せている。


 ーーここで一人で何とかできれば話は簡単なんだけどな。


 鷹娘はピッチの左側で相手ディフェンスと一対一だ。すぐ後ろにもう一人が迫ってきているが、あと二秒は一対一で勝負ができる。

 鷹娘が左足でシュートフェイントし、中へ切れ込むと見せかけて、再び縦に強引に突破していった。そのまま左足でシュート。できれば良いのだが、ぶっちゃけバレバレだ。しかも右利きの鷹娘、左足のプレーはかなり苦手らしい。ちょっとボールが足から離れると途端にコントロールをなくす。シュートを打てないまま、ズルズルとピッチの隅に追いやられていき、最後には囲まれた。一人を抜けないのに二人を抜けるわけもなく、五秒ももたずにボールを奪い返された。


「コウちゃん」


「ん」


 そんな試合を難しい顔で観ながら、望が声だけを向けてきた。


「この作戦大丈夫なの? ほら、リュウちゃんあんなに息が上がってる」


 チャンスにシュートすらできなかったことに歯ぎしりしている鷹娘を観察する。自分が奪われたボールを奪い返さんと必死にディフェンスに戻っていた。


「どうだろうな。絶対成功する、とは言えない。でも、まぁ何とかなるだろ」


 鷹娘は前線からのプレッシャーとカウンターを全て一人で引き受けている。ほぼ走りっぱなしだ。しかもトップスピードで。めちゃくちゃキツいはずだ。向こうと違い、女子高生チームは交代ができない。前半で走り疲れて後半は動けません、じゃ困る。

 だから、そのためにフラミンゴ娘がいる。


「キーパー!」


 大きく声を出したフラミンゴ娘がペナルティーエリアぎりぎりまで飛び出し、ボールを抱え込んだ。しばらくうずくまった後ゆっくり立ち上がり、近くにいるタヌキ娘へスローイングする。前半五分がすぎたこの試合、まだ一本もシュートを打たれていない。だが、キーパーであるフラミンゴ娘はすでに十回近くボールをキャッチしていた。


「勘が良く、シュートコースを切るのが上手いタヌキ娘と、手足が長く反応が早いフラミンゴ娘。この二人なら、シュートを打たせなくてもキーパーがキャッチングできる状況を作り出せる」


 ペナルティーエリア内に侵入された時、こちらはディフェンスを固めすぎていて、ごちゃごちゃしている。だから、下手に人が入り乱れて「どうなるかわからない」状況にしたくない。それを防ぐために、唯一ボールを手で扱えるフラミンゴ娘には、積極的にキャッチングを狙ってくれと言ってある。これがかなり成功した。フラミンゴ娘は恐れを知らない性格をしているらしく、相手の足が振りかぶられていても平気で顔から突っ込んでいく。それをかわせるほどの技術を持った選手は南条GFCにはいなかった。

 キーパーがボールを持てば、それだけプレーが止まる。もちろん何秒も持っていられるわけではないが、数秒のキープがあるのとないのとではまるで違ってくる。


 前半は徹底的に守りに徹すること。そのために鷹娘をあえて前線に張り付かせ、プレスをさせ、攻撃も一人でさせる。そしてそんな孤軍奮闘の鷹娘のサポートとして、フラミンゴ娘がボールに触れる時間を増やす。俺が女子高生たちに授けた作戦だった。そして、そこには勝つこと以外の狙いがある。


「望。簡単なクイズ。このチームがこれから試合をしていく上で、一番ネックになることはなんだ?」


「え?」


「一番キツいことだよ」


「えっと……」


 望の目が泳ぐ。ピッチの中を色々と見回して答えを探している。


「にん、ずう……だよね?」


「そう」


 あまりに簡単すぎる問題。サッカーは十一人でやるスポーツ。だが、こいつらは五人しか選手がいない。試合を成立させるためには最低でも七人の選手が必要だが、それにすら届いていないのが現状だった。


「お前たちの勧誘活動がどうなってるのかは知らないが、いきなりあと六人、ポンと増えることはないだろ。来年か、下手したら再来年までこのチームは十一人揃わない可能性がある」


 サッカーにおける退場は、間違いなく試合の行方を左右させる。格上のチームが一人減っただけで、格下のチームに逆転されることだってある。だと言うのに、こいつらは一人どころか、三人も四人も少ない状況で試合をしないといけない。


「相手より劣っているチームがまずすべきなのは、『我慢』だ。貝のように引きこもって守りに徹する。失点をしないかぎり、サッカーは負けないからな。そして、このチームにはその我慢が圧倒的に足りない。少しでも勝ちを目指すなら、覚えてもらわなくちゃならないことだ」

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