胡散臭い人
「今日はありがとうございました!」
「いやいや。僕らも楽しかったよ。またやろうね」
「はい、是非!」
どうやらこれが最後の試合だったらしい。女子高生チーム、おじさんチーム、若者チーム。それぞれが爽やかな汗を拭いながら帰り支度を始めている。人工芝のピッチの良いところは、整備をほとんどしなくていいことだ。トンボをかける必要もなく、芝に水をやる必要もない。
望とキャプテンである鷹娘がそれぞれのチームに挨拶に行っている。本来は一チーム数百円程度の使用料を払わなくてはならないそうだが、女子高生たちは免除されていた。子供からお金を取るわけにもいかないということと、あとは単純にジョシコーセーだからだろう。デートの代金を男が支払うようなものだ。だが、
「次回からは私たちもちゃんとお金払いますから」
「いやいや、大丈夫だよ。大した額じゃないから」
「なら、尚のことです」
「いやいや。気にしなくて良いんだよ、ホントに」
「いいえ。払います」
「そ、そうかい……?」
今回の練習会を企画したであろうおじさんが、鷹娘の圧力に押されていた。バーコードみたいな頭を困ったように撫でている。おじさんとおじさんの生え際を追い詰める彼女の姿勢を、可愛くないと受け取るか誠実だと受け取るかは彼次第だろう。
ーータダでいいってんだから大人しく使わせてもらえばいいのにな。
話し合いも終わり、フェンスの扉が閉められた。あと三十分もしたら照明も消えるらしい。
「それでコウちゃん! どうだった!?」
喫煙所はないのに、ワクワク公園には簡単な更衣室があった。女子高生たちはそこで着替えをしている。春先の夜は肌寒い。汗をかいたままうろついていては風邪をひいてしまう。何より汗の匂いをまとって動き回るのはジョシコーセー的にはあり得ないだろう。
「特にないけど」
俺はさっきの川べりでタバコを吸っている。いつもは一日に二、三本なのだが、今日はワクワク公園だけで四本吸っている。咥えタバコからポロリと灰が落ちた。望が近くに寄って来たから、半分残ったタバコをガードレールに押し付けて潰す。
「何それ。これからコーチするんだよ。ちゃんと指導してくれないと困るんだからね」
「指導ってレベルでもねぇだろうに」
「そんなことないもん。皆んな上手だもん」
「上手、ねぇ」
「上手」の定義をどこに置くかは人次第か。文句を言いたげな望を無視していると、帰り支度を済ませた女子高生たちが律儀にやってきた。そのまま帰れば良いのに。俺を関係者くらいには思っているらしい。
「お疲れ様でした」
「はい、お疲れやー」
「疲れましたね〜」
「……あのシュートを止めていれば、私がMVPだったのに」
丹頂鶴娘だけが俺に頭を下げた。他のメンバーも一応は俺を見ている。俺が何か言うのを待っているのだろう。
「お疲れ様でした」
そして遅れていた鷹娘も追いついてきた。俺への視線にはまだ険があり、声も鋭い。スポーツ選手として最低限の礼儀は払う。不本意だけど! といった感じだ。そういう感情をわざと匂わせているフシもある。
「ん、お疲れ様でした」
だから俺も普通に返答した。コーチだからでも歳上だからでもない。ただ単純にスポーツをした後の言うべき言葉を言ったに過ぎない。
女子高生たちはその後の俺の言葉を待っている。俺をコーチとして認めるかどうかは据え置きだが、コーチそのものは必要だと思っているのだ。この空気だと、俺が何か言わなければ終わらない。
「そうだな。知らないようだから一つ良いことを教えてやろう」
女子高生たちがぴくりと反応した。訝しむ色が強かったが、僅かながらも期待が混じっていたように思う。だから俺は、大切なことを言ってあげた。
「サッカーってのは十一人でやるスポーツなんだぜ」
廃部寸前の女子サッカー部のメンバーは、数秒間呆気にとられていたが、最後には悔しげに俯いた。俺もそれ以上言うことはない。コーチとか以前の問題だ。
「望。帰るぞ」
「え、あ! ちょっとコウちゃん!」
さっさと歩き出して、バス停に向かった。問題を先延ばしにしている女子高生たちに、立ち向かうべきものは何なのかを示した。などと言うつもりはない。ただの当てつけで、嫌がらせだった。
ーーもう、ここに来たくない。
それだけだった。
私立桜峰女子高等学校は屋上を開放している。落下防止の冗談みたいに高いフェンスこそあるが、それでも高い空を高い場所から見上げれるのは気持ちが良い。
「お腹空きましたね〜」
「うわ、あんちゃんのお弁当大っきい。そんなに食べられるの?」
「あんのは半分和菓子だから。実家の宣伝かねてクラスメイトに配ってるんだよ」
「い、意外と抜け目ないんだね……」
「そうでしょうか〜」
屋上にいくつも設置されたベンチの一つに、仲村あん子、八尾望、遠藤綾が座っていた。三人とも別々のクラスだが、元々ここで一緒に食べる約束をしていたのだ。
「あれ、カロちゃんは?」
「早弁バレて職員室行ってる」
桜峰は校則が緩い反動か、先生方が妙にマナーに厳しかったりする。小西カロリーナは三時間目の授業中に早弁していたことが見つかり、弁当そのものを没収されてしまった。今は何とか返してもらうべく五体投地の勢いで頭を下げている最中だろう。
「それでどう? 入部してくれそうな人いた?」
「いや、ダメだった」
「私も色々な手で脅迫……勧誘してるんですけどね〜」
中学から一緒の久保竜子や遠藤や中沢百合子は承知しているが、実は仲村はかなり腹黒い。老舗和菓子屋の一人娘ということもあり、清楚な雰囲気をまとってはいるが、それは完全にフェイクだった。小西は気づく素ぶりもないが、八尾は薄々気づき始めている。
屋上でのこの昼食会は、廃部寸前のサッカー部を立て直すべく開かれた会議でもあった。皆んなクラスが分かれているため、朝と昼休みと放課後に集まるしかない。今はまだ到着していないが、中沢と久保もじきにやってくる。そして議題はもちろん、サッカー部を存続させるために必要な部員を集めることだった。
「クラスの子にはもう皆んな聞いちゃったよ」
「私も。あと、二年の先輩もダメっぽい」
「名前だけでも良いからって言ったんですけどね〜。まぁ泥舟みたいなものですから仕方ないのかもしれません〜」
「ど、泥舟はちょっと」
この春に退部してしまった上級生は当然何度も声をかけているが、良い返事はもらえていない。退部してから一週間でまた入り直すという奇行をしてくれるような変人はいないし、もしいるとしたらそもそも退部などしていないだろう。
「おまたせー!」
すると、ご機嫌な笑顔で中沢がやって来た。弁当箱が入っているであろう包みをぐるぐる回している。八尾は弁当の中身を心配しながらも、もしかしたらを思って聞いた。
「機嫌良さそうだね。もしかして」
「せや! 酒井先輩が戻ってくれるかもしれん!」
「え!」
「本当ですか〜!」
「ほんまほんま!」
酒井は二年生の先輩だ。辞めた先輩一人につき一年生一人が交渉に当たっており、酒井は中沢の担当だった。
「あの人なんか気弱そうやから、ゴリ押しで何とかなる思っててん。そしたらどーも満更でも無さそうやで!」
「あー」
「うーん」
だが、中沢の話を聞いた遠藤と仲村が渋い顔をした。
「多分それ困ってただけ。ゆり声大きいから、目立ちたくなかったんだよ」
「私もそんな気がします〜」
「えぇ!? そんなことないやろ!」
「ほらうるさい」
久保、遠藤、中沢、仲村はもうお互いのことを知り尽くしていると言っても過言ではない。遠藤と仲村の反応を見る限り、中沢は盛大に空振りをしたのだろう。八尾はまだ微妙に四人の中に入り込めていないことを寂しく思った。小西は見た目によらず大雑把な性格をしているから、そんなことは考えていないため、八尾だけが少しふわふわした立ち位置だった。
「やっほ」
「リュウ遅い。何してたの」
すると久保も到着した。これで同じ中学出身の四人が揃った。別に仲間外れにされたりしてはいないし、皆んなとても親切にしてくれている。ただ、やはり少しばかりの距離があった。
「さっき南条の人から連絡があったの。今日試合してくれるって」
「おぉ。流石だね」
「うぅん。望がちゃんと話通してくれてたから。私は最後に確認しただけ。望、ありがとう」
「望さん、ありがとうございます〜」
「う、うぅん! 私は好きでやってるから!」
そんな中、久保はこうして積極的に彼女たち四人と八尾や小西の距離を縮めようとしてくれている。サッカーに関しては真面目すぎて融通が効かないところがあるが、普段は気さくでとても仲間想いだった。
そして、そんなキャプテンらしい久保が持ってきてくれた話は、今日の練習相手についてだった。南条大とは、隣の市の私立大学で、「南条GFC」という女子フットサル部がある。強豪というわけではないが、真面目にフットサルをやっている体育会系のチームだった。
昨日試合したおじさんチームはもちろん、若者チームも普段は仕事があるため、毎日のように練習することはできない。だから、ほぼ毎日コンスタントに練習をしてくれる南条GFCは彼女たちにとってありがたい存在なのだ。そして、八尾はマネージャーとして他チームとの交渉を一手に引き受けていた。
「でも南条ですか〜」
仲村が小さく苦笑いをした。
「また使用料賭けたラストゲームするって言ってる?」
「ええ。それが条件ってのは何度も言われたわ」
「ごめんね。そこだけはどうしようもなくて」
今回の練習もワクワク公園で行われる。だが、ワクワク公園が市の施設である以上、どうしても使用料の支払いが必要になる。大した額ではないが、経費が発生するのは事実だった。そして南条GFCは、その使用料をどちらが払うかを賭けた試合をしようと言ってきているのだ。
「別にかまんと言えばかまんけど、あんま気持ちええもんやないよな」
「まぁ、ね」
八尾たちは「サッカー部」である。そして南条GFCは「フットサル部」。競技内容に類似点はあれど、別種のものであるのは事実だ。本格的に練習をしている南条GFCと桜峰サッカー部。どちらが有利なのかは言うまでもない。二十歳を過ぎた大学生たちが、そんな有利な条件で女子高生からお金を巻き上げようというのは、はっきり言って褒められたものではないし、気分も悪い。だが、使用料を賭けたラストゲーム自体はクリーンな普通の試合であるため、八尾たちも強くは言えない。文句があるならラストゲームに勝てば良いのだ。
「六時から一時間半だけ借りてるから、それまで学校で練習して移動しましょ」
「わかった」
「はい〜」
学校のグラウンドは、ソフトボール部と陸上部、サッカー部が折半している。そのせいで使えるスペースは広くなく、さらには練習できる人数は五人だ。できることは非常に限られてくる。
部の存続が危うい状況で、学校にいる間は部員探しに駆けずり回り、大事な練習も満足にできない。これは彼女達にとって大きなストレスだった。だから、そんなストレス、不安や焦りを少しでも紛らわせるために大好きな「試合」をしたい。例えどんな条件だとしても。それが彼女たちの思いだった。
「あ、あとね」
八尾は昨日聞けなかった大切なことをこの場で聞くことにした。
「コーチの件なんだけど……」
その声は弱々しく尻すぼみになっていく。昨日公太郎に彼女たちの練習を見てもらったが、当然のように感触が悪かった。大人しく従っていたのが嘘みたいに、公太郎は不機嫌になり、一方的に話を聞いてくれなくなった。それは知らないにしても、公太郎の態度が頑なだったことは他の部員たちも感じていただろう。コーチ候補として八尾が連れてきた人間は、まるで乗り気ではなく、そしてサッカーをしていたようにも見えない。
「昨日のあれだけやとなぁ……」
「ですね〜。何とも言いようがないと言いますか〜」
二人が言うように、彼女たちが公太郎と直に接した時間は五分程度しかない。あれで判断しろと言われても無理がある。また、きちんとした指導者を求めているというのに、出てきた公太郎はどうにも胡散臭い。
「私、あの人でも良いけど……」
だが、おずおずと手を挙げた者がいた。遠藤だ。
「え、良いの!? なんで!?」
それに一番驚いたのは八尾である。
「な、なんとなく」
遠藤はそっと目をそらしながら言った。遠藤は冷静に物事を判断する少女だ。それがあんな短い接点で、しかもあの見た目の公太郎に好意的な姿勢を示したことが、八尾には信じられなかった。
「ふむ。望には悪いけど、ほんまにあの人サッカー経験あるんか? どうにもそうは見えんかったで」
中沢のこの反応が一般的だろう。公太郎は不潔感のある男ではないが、近眼のせいもあって目つきが悪い。少なくとも初対面の歳下女子に好感を与える人間ではない。そんなことは八尾もよくわかっている。だがそれでも、公太郎ならば、個性的な部員たちをきっとまとめてくれると信じている。三年前の公太郎を思い出す。まだ、今のようになっていなかった従兄弟のことを。
「うーん」
ーーこれは少しばかり強引にいくしかないな。
八尾の瞳が怪しく光った。
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