たった五人の選手たち
時刻は夕方の六時半である。門限のある学生ならばとっくにお家に帰っている時間だ。それなのに、望が所属する廃部寸前のサッカー部の部員達は、今も練習をしているらしい。それも贅沢なことに、人工芝のグラウンドを使っていると言う。
「県立病院の裏手にワクワク公園ってあるの知ってる?」
知らん。
「そこにフットサルコートが二つあるんだよ。市に申請すれば安く借りられるんだ」
これには素直に驚かされた。寂れた田舎にそんな施設があるとは思わなかったし、それもフットサルコートが二面分である。一面ならわからないでもないが、二面分となると話は変わってくる。一体どこの誰が作ったのか。しかも誰でも格安で使えるなんて、重ねて言うが贅沢な話だ。また、それならもうフットサル部で良いじゃんと強く思う。人数ぴったり。十分な環境もある。言うことなしではないか。というようなことを何度も上申させていただいたが、望は聞く耳を持ってくれない。まだ晩飯も食べていない俺を無理やり引っ張り出し、そのワクワク公園とやらに連れて行こうとするのだ。
必死の抵抗を試みた俺だったが、あいつの存在をチラつかせられたことで無残に敗北。十分後には図ったのかと思えるほどタイミング良くやってきた県立病院行きのバスに乗せられてしまった。県立病院という非常に交通網が整備された場所の近くにワクワク公園とやらが設立されているのも、俺に不利な方向に働いた。
「そういえば、お前どこの高校なんだ?」
今更ながらの質問だろう。だが、従姉妹がお世話になっている高校を是非とも知っておきたい。こんな強引な手法を覚えるに至る教育をしている現場をとっちめてやりたかった。
「む? 桜峰おうほうだよ。制服でわからなかった?」
「うげ。女子校かよ……」
私立桜峰女子高等学校。この辺では偏差値の高い女子校だ。従姉妹の成績が良いことは喜ばしいが、それが女子校で育まれているとなると嫌な気分になってしまう。
「何? 女子校嫌いなの?」
「……昔ちょっとな」
俺の青春の至る所に刻み込まれた黒点を思い出し、げっぷが出そうになる。公共機関の中でそんな下品なことをする俺ではないが、おかげで酔いそうになった。
「ほら、もうすぐ着くよ」
「あ、小銭無い。払ってくれ」
「貸してくれ、じゃないんだね……。お札もないの?」
「諭吉も一葉も英世も俺の財布が嫌いらしくてな。いつも居ないんだよ」
「さいてー」
貧乏であることを詰られてしまった。未来ある若者の認識がこれでは、格差がなくなることはないだろう。バスの運賃から社会問題の行く末を案じられる俺の何たる頭脳派なことか。
望に二人分の運賃を払わせて、県立病院前のバス停に降り立った。国道沿いの白い建物は元気良く患者の世話をしているらしく、全ての窓から健康的な光が溢れている。
「こっちだよ」
先導されても付いていきたくはないのだが、ここで望の言うことを聞いておかないと帰りの運賃を払ってもらえない。仕方ないから、ちらっと見て帰ろう。五秒くらい見て。
県立病院の正面入り口からぐるっと裏手に回り込み、大きな駐車場を通り過ぎる。そうすると今度は黄色い照明の光が見えてきた。
「結構でかい公園なんだな」
「ワクワクする?」
「十五年前なら」
到着したワクワク公園は、非常によく整備された公園だった。たくさんの遊具があり、お年寄りが使いそうな運動補助器具があり、周囲にはぐるっとランニングコースが敷かれている。少年野球くらいならできそうな大きな広場もあった。そしてその奥に、
「あ、丁度試合してるみたいだよ」
高いフェンスに囲まれた濃い緑色の人工芝コートがあった。コートの脇には屋根付きのベンチまであり、至れり尽くせりだ。そして、手前のコートでは今まさに試合が行われていた。
「ふむ」
四十代くらいのおじさんチームと、若々しい女子高生チームの試合だ。サッカーボールより一回り小さく軽いフットサルボールが、選手のプレーに合わせて楽しげに転げ回っている。
おじさんチームは二・二の基本的な陣形フォーメーション。女子高生チームは一・二・一の陣形。ボールを所持しているのは女子高生チームだ。
最後尾の4番のビブスを着た選手から、二列目の7番のビブスを着た選手へパスが繋がる。7番は柔らかいトラップで前を向くが、相手のディフェンスにパスコースを塞がれた。軽くボールをキープしながらコースを作ろうとするが、結局攻め所は見えずに4番に戻した。今度は素早いダイレクトパスで同じく二列目の8番の選手にボールが行く。8番は足裏でトラップ。ピッチが狭くボールを足元でプレーすることの多いフットサルではよく使われるトラップだ。その時。
「……!」
8番が右足のアウトサイドでボールをタッチしドリブルした瞬間、即座にインサイドタッチで進路を切り替えた。エラシコという高度なドリブル技術。ボールの振れ幅は大きく、体重移動もスムーズ、身体の振りも見事。完璧に決まったドリブルはおじさんを置き去りにする。ゴール前で三対二の状況が生まれた。
8番は並走する7番にパスし、ボールを預けることでディフェンダーを振り切る。一瞬で三対一というビッグチャンスを作り出してみせた。
ボールを受けた7番は8番とワンツーパスをする。と見せかけてアウトサイドパスで最前線にいた9番の選手にラストパスを出した。自陣に残って最後の砦となっていたディフェンダーの裏をかくパス。トラップからパスまでの流れが早いからできたプレーだ。これで9番は完全フリーでキーパーと一対一になる。
「あっ!」
だが、9番はここでトラップをミスした。足元に止めようとしたのだろうが、膝下に固さが残り、ボールが足元から離れる。そこをプレーエリアぎりぎりまで飛び出してきたキーパーにキャッチされた。一気にカウンターくらう。人数をかけて攻め込んでいた女子高生チームは自陣に戻りきることができず、おじさんチームに得点を許した。
「あぁ……チャンスだったのに、残念」
望が肩を落とす。俺はポケットに手を入れて試合を眺めていた。
草サッカーのおじさんチームというのは、案外侮れない。サッカーが好きで集まっている人達だし、若い選手にはない経験という武器を駆使して、勝負どころを的確に突いてくる。体力の衰えは否めないが、それでも結構強い。実際、おじさんチームは得点を皮切りに主導権を握り、女子高生チームをいいように振り回していた。正確なパス回しと、無理をしないプレー。そしてここぞという時の一瞬のペースアップ。息のあった連携に女子高生チームはことごとく陣形を崩されている。4番が上手く周囲をカバーしているが、一人で完璧に守り切ることなどできやしない。結局、俺が観戦した十分程度の間で三点を決めれてしまった。審判のいない試合は、ベンチに座っていた控え選手が笛を鳴らしてタイムアップを知らせる。プレーが上手くいったおじさんチームは爽やかな笑顔で帰ってくきている。悔しげに下を向く女子高生チームとはえらく対照的だ。だが、それこそが勝負の世界だろう。それはまた、女子高生達が練習試合であっても本気だったということだ。
「どう!? どう!? 皆んな上手いでしょ!?」
望がキラキラした目で俺を見つめてくる。好意的な感想を求めているのはよくわかる。
「そうだな。少し驚いてる」
言わされたわけではない率直な感想を述べた。
「ちゃんとサッカーしてる」
弱小ですらない女子サッカー部の一年生だ。サッカーとは名ばかりのママゴトみたいな、いいとこ小学生の体育レベルのことをやってると思っていた。だが、目にした女子高生達の動きは「プレー」であり、上手い下手の判断ができるくらいしっかりしたものだった。
「でしょでしょ!? やる気出してくれる?」
「どうだろうな」
はっきり言って、俺はコーチも女子高生も頭の中になかった。あるのは自分のなだらかな感情に対する拍子抜け感だけだった。
ーー意外と何も思わないもんなんだな。
もっと暗い感情が生まれるものだと思っていた。言葉にできない靄のような感覚に襲われる気がしていた。ピッチを見れば、ゴールを見れば、ボールを見れば。
ーーきっと何かあると、そう思っていたのに。
「コウちゃん?」
「ん。あ、悪い。聞いてなかった」
感傷に浸ることすらできない現実は頭の中だけで、望の声で本物に引き戻された。
「ほら! 皆んな来てくれたよ! 紹介するからね!」
知らぬ間に俺の前には五人の女子高生が並んでいた。タオルで汗を拭う者、ボトルの水を飲む者。めいめいが試合の疲れを取りながら、困ったような表情をしていた。だが一人、他のメンバーとは一線を画す目つきをしている少女がいることに気づいた。
「まず、遠藤綾ちゃん! 百七十六センチの長身だよ!」
7番のビブスを着た少女が小さく頭を下げる。俺よりも背が高い。ふんわりショートレイヤーの髪は汗で崩れていたが、それが中性的な顔つきによく似合っている。均整のとれた体型は丹頂鶴のようだと思った。
「……どうも」
声もいい感じにハスキーだ。異性よりも同性に人気がありそうな雰囲気をしている。
「次は仲村あん子ちゃん。和菓子屋さんの一人娘だよ」
「よろしくお願いします〜」
さっき見事なエラシコを決めていた子だ。実戦レベルでエラシコをしているアマチュア選手を見たのは初めてで、それが女子選手だという衝撃がまだ残っている。長い黒髪をお団子にしてまとめている少女は、育ちの良さがうかがえる丁寧なお辞儀と笑顔だった。この子は人懐っこいコーギーに似てる。
「で、この子は小西カロリーナちゃん。フィンランドと日本のハーフなんだって」
三人目は滑らかなブロンズヘアの少女だった。涼しげな目元が印象的な儚げな顔立ちで、スタイルが良い。フラミンゴに似ている。
「えぇと、ゴールキーパー?」
「そうだよ。あと日本語ペラペラだから、私に話しかけなくていいよ」
俺が聞き返したのは望だった。見るからに外国人な容姿に思わずビビってしまった。
「カロリーナです。みんなには親愛を込めてカロ子と呼ばれています。
「「え?」」
周りの女子高生全員がギョッとしたように彼女の顔を見た。どうやらそうは呼んでなかったらしい。
「え、えっと。こっちは中沢百合子ちゃん」
「よろしく!」
4番のビブスを着ていた子だ。元気良く握手を求められ、俺も手を握り返そうとしたが、かなり前屈みになってしまった。身長が低いのだ。百四十センチにも届いていない。健康的な小麦色の肌にグリグリとしたでっかい黒目のおかげもあって、望と負けず劣らず幼く見える。どことなくタヌキっぽい。
「百合子ちゃんは関西出身だよ」
「あ、やけどボケられてもツッコまんからな」
「はぁ」
何と返せば良いのだろう。わからないから適当に流した。そして、
「最後は久保竜子ちゃん。暫定キャプテンで、五十メートル走は五秒八の俊足なんだよ!」
なら陸上やれよと思ったが、口にはできなかった。先程ゴール前でトラップミスをしたその子は、燃えるような目で俺を睨んでいたからだ。気の強そうなツリ目の美人だから、二割り増しで迫力がある。短めのポニーテールをくくり直しており、鋭い鷹のような印象を受ける。ギラギラした視線の理由はまるでわからないが、あまり目を合わせてはいけないと判断した。
「ボランチが一人、サイドハーフが一人、キーパーが一人、フォワードが一人……」
一人一人を確認し直していく。自分で言ってて何か違和感があったが、すぐにその正体に気がついた。二人以上必要なポジションが全て一人しかいないのだ。何故だか丹頂鶴娘が驚いた顔をしているのも見えて、俺は二重に困惑する。
「で、君がセンターバック?」
そして最大の違和感。俺が尋ねたのは、最も身長の低いタヌキ娘だった。
「へぇ! 兄ちゃんよぅわかったな!」
「まぁ、何となくな……」
ボールの受け方、持ち方、運び方。全て自分より前にボールを供給することを目的としたプレーだった。もちろんそれは基本的なことだが、タヌキ娘にはセンターバックの「匂い」があった。カンではあるが。
ちぐはぐなメンバーにそれ以上のことを言えないでいると、フラミンゴ娘が目を細めながら聞いてきた。
「……質問です。あなたは本当にサッカー関係者なんですか? どう見ても一般ピーポーですが」
これに遠慮することなくタヌキ娘も続いた。
「確かに……。頭ボサボサやし服ヨレヨレやし。真人間には見えんのやけど。しかも眼鏡やし。ほんまにサッカーしたことあるんか」
「眼鏡は関係ないだろ。ダーヴィッツとか知らない?」
俺はオランダのレジェンドを例に出してみた。だが、望を含めた全員が小首を傾げた。マジかよ。今の子はダイナモにして狂犬にしてゴーグルなあのミッドフィルダーを知らないのか。こんなところにも世代の違いがあった。すると、
「行きましょ。次の試合が始まるわ」
鷹娘が呟くように言った。他の女子高生たちは消化不良な顔をしながらも、俺に軽く頭を下げてコートに戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます