第22話

女将に送ってもらった家は、そんなに大きな家ではなかった。

葵は鍵を開けながら


「大樹さんの為に建てた家じゃけん。こじんまりしとるじゃろう?」


水樹と克樹を見て言った。


「ここで短い命を、ゆったりと生きている様じゃったよ。何をするにもサマになってのぉ、誰でも目に留めずにはいられなかったと思うよ。僕は市街地の大きな家よか、此処の方が合っとるし、伯父さんも年老いてからここに住んでるんは、大樹さんを偲んでおるからじゃろうね」


「水樹、の事はどうでもよかったって事っすか?」


「あの人には……そうかもしれんね。大樹さんしか、おらんかったのかもしれないね……。自分に反抗して大樹さんを傷つけて、家を汚してナツさんと出て行った茂樹さんは、どうしても許せんかったじゃろね。ナツさんを恨む事でしか伯父さんの気持ちの行き場が、なかったんじゃろう……」


「僕は父に疎まれて育ちました。母はきっと優しかったけど、だけど何処かで疎んじていたんだと思ってた……母は父に自分が思うだけの思いを期待して、そして得られなかったんですね……」


「うん……」


葵は居間の電気をつけた。

こじんまりした佇まいだが、使ってある木材や置かれている家具は、古い物だが贅沢な程に良質の物ばかりだ。


「今風呂を入れるから入って……ああ……あと隣の部屋に布団敷いてあるから。今荷物持って来る」


「僕も手伝います」


「いいよぉ。大丈夫」


葵は笑って部屋を出て行った。


「水樹……」


克樹がいつもの様に心配する。


「僕がいなければ、お父さんはお母さんと、結婚していなかったんだね?お母さんはお父さんが凄く好きだったけど、お父さんはどうだったのかなぁ?」


「葵さんはああ言ったけど、好きじゃなきゃ、結婚して子供は産ませられないよ」


「…………」


「俺だってマジで香里が好きだったから、水鈴を産んでもらって嬉しかった。叔父さんだって暫くは三人で暮らしてたんだし……だけど、女の人には解ってしまうんだろうな、相手の心に誰かが居るって事はさ……めちゃくちゃ許せないんだろうな」


話していて自分の事を言った。

伯父の所業は克樹の所業そのものだ。

一番大事で一番近いもの……

それは逃げて初めて〝手放してはいけない物だ〟と理解するが、逃げてみない事には、自分の一番だとは理解できないのだ。

手放して初めて後悔するのだ……。


「水樹のお母さんは、自分だけを思ってくれる相手を求めてお前捨てたけど、その相手は本当にお母さんが全てだったろうか?人間なんて誰しも、一人や二人は思いが届かない相手が居るもんだ。それをその都度引きずってたって、どうにもならん。だろ?」


克樹は己に戒める様に言って、ニコニコ笑って水樹の肩を叩いた。


「今夜久しぶりに一緒に風呂に入るか?」


「何言ってんだよ?もう大人だし一緒に入りたくなかったって言って、離婚の時逃げたの誰だよ?」


「はは……そんな事根に持ってた?」


「……ったりめぇだろうが?」


水樹は軽く克樹の尻に蹴りを入れる。


「……あん時は、凄く疎外感だったんだからな……地方に行ったきり帰らないわ」


克樹を覗き込んで頭を叩く。


「……ってだろう」


頭を抱えて克樹が言った。


「マジむかついてきた!」


「はあ?」


「マジむかついた。ぜってー入らない!」


「…………」


「克樹と風呂なんて金輪際入らないからな」


「ああ……」


笑って許しを請う。


あの時はとにかく苦しかった。高城との仲を知らされ、嫉妬する自分が厭だった。

自分が手放したのだから自業自得だから、水樹の顔を見れなかった。

水樹の父親の様に、己の全てを恥じたのだ。

固定観念に縛られて、違う形の何かに恐れを抱いて逃げた自身が許せない。

他に寄るを求めても、それは寄るとされた者を傷つけてしまう。

そんな当たり前な事を理解するには、それをしなくては解らない。

傷つけ傷ついて初めて悟るのだ。

ただ愚かだったと……。 恐れも恐怖も、手放した後の苦渋には匹敵しないのに……。

そんな克樹とは反対に、大きなリスクを物ともせずに水樹を手に入れた、高城のその意思の強さに嫉妬する。

克樹は高城を狭量と言って馬鹿にするが、その度量の深さに感服させられる。

何ものをも恐れない、その行動に嫉みすら覚える。

そしてそんな自分が悔しくていじましい。

こうして水樹が自分を必要としてくれると、嬉しくて有頂天になり高揚するが、だからといって、高城の様に踏み込む事もできずに、ただウダウダと繰り言を繰り返す。

浅ましい己の思いを捨てきれずに、尚もグジグジと高城を羨んで生きていく事しかできない自分が、歯がゆくて疎ましい。



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