第15話

「最近いい事ありました?」


一緒に働いている野島が聞いた。


「そっか?特にないけどな……」


「いや、なんか毎日楽しそうっすよ」


野島はそう言うと、図面を覗き込んだ。

野島は、克樹が関わる仕事には欠かせない。

まだ若いが、腕の良い大工見習いだ。

もはや数年やっていても見習いだ。

父親がそれは腕の良い大工で、祖父も腕の良い大工の棟梁だった。

実家は工務店を営み克樹の父とは長年の付き合いで、その縁で野島は克樹の仕事を極力引き受けてくれる。

克樹にとっても信頼のおける仲間の一人だが、そんな野島も昔気質の父親からしてみたら、まだまだ未熟で見習いという訳だ。


「それに前みたく、無茶しなくなったし」


野島は笑顔で言ったが、それは酒と女の事を指している。

27歳になる克樹より三つ年下だが、それでも三歳の女児がいて、奥さんのみことちゃんのお腹には二人目の命が宿っている。

やはり早婚だが克樹と違い、きちんとみことちゃんを愛して、家庭を大事にしている。

長い現場生活でも、浮ついた行為など一切しない。

それを知っている克樹は、自分が一緒の時はできるだけ休みを取らせて、自宅に帰らせるように心がけている。

どうせ帰る必要のなかった克樹は、野島のフォローをするだけの時間があった。

それ故にみことちゃんからの信頼は厚く、克樹の居る現場には快く、遠方でも送り出してくれている……のだそうだ。

そんな公私ともに親しい野島は、ヤケを起こしているとしか思えない、痛い様にしか見えなかった今までの克樹が、クミの事以来女っ気を見せず酒に溺れる事もなく、ただ黙々と仕事をこなして規則正しい生活を送っている。そんな様子にちょっと安心するところがあって、声をかけたのだろう。

確かに克樹は水樹が頻繁に来ていた頃から、落ち着きを見せ初めていた。

そしてそれが月に一回になっても変わらない。

いや、月一の水樹との逢瀬は、その為だけに仕事をこなし、その日を心待ちにする励みというものになった。

避けて逃げて一生を送ると思っていた克樹が、久々に水樹との細やか逢瀬に、幸せを感じてそして落ち着きをみせる。

これは至極当たり前の事だ。

克樹は水樹が気にかけてくれさえすれば、そう多くは望まない。


「仕事って何時までなんだ?」


克樹が聞いた。

美味い神戸牛にゾッコンの水樹は、食えるだけ食って寝酒も受け付けない状態で、敷いてある布団に仰向けになって克樹を見た。


「ずっとかも?高城さんのクライアントの依頼なんだけど、高城さんの所じゃ関係ないっていうか……愛人の方の問題だからね。子供が体が弱くて大変なんだ」


「そっか」


「いや。初めは正妻さんに知られないように、片をつけるつもりだったんだけど……」


「水樹がか?片をつけるなんて、お前にできる訳ねぇだろ?」


「うーん。そうなんだけど……」


「なんでそんな仕事引き受けた?」


克樹はそう言って、発した事を後悔した。

もし受けていなければ、水樹はこうして来てくれていない。

来なくなってしまったら、全く諦めていた時と違って、克樹の落胆は想像もつかないものになる。


「克樹がこっちに居たから、まぁいいかな?って……。寝泊まりには困らんじゃん?」


「はぁ?ホテル代わりがあるからか?」


「馬鹿じゃね?克樹に会えるからだろうが」


期待もしなかった最高の言葉に、克樹は我を忘れて見つめた。


「お前は直ぐ居なくなるからさ。こっちから来ないと会えないじゃん?僕の気持ちも解りもしないで……」


水樹は不機嫌を隠さずに噛み付いた。

克樹は思わず抱きしめてしまいそうな自分を、ギリギリのところで押さえた。


「……で、いろいろと正妻さんに、知られないようにして、早く手を切るつもりでいたんだが……子供の状態が良くないと知ったご主人がさ、俄然子供を守る気になっちゃってさ。それで僕が様子を見に来てたんだけどね、先々一緒に暮らすつもりになってさ」


「旦那がか?離婚して?」


「うん。正妻とは子供がいないからね。それでもいいから、一緒に居たいと思っていたのに、僕が余計な事したのかなぁ?子供の為にもきちんとするってさ」


「高城の所じゃ、大企業の社長か?」


「いや、その甥で専務……あーあ。先々正妻さんには、恨まれるだろうなぁ」


水樹は天井を見つめたまま、神妙に呟いた。


「僕はどうしても子供に情が移るからね。子供がいないだけで離婚ってどうよ?」


水樹は言葉を切って、再び吐き出すように言った。


「子供が産めるって強みだよね」


「そっか?子供がいても駄目な時は駄目さ……そうだろ?お前が一番知ってるだろ?子供の病気にそいつは情が出たんだ。俺の金で助かるもんなら……ってさ。だけどそいつは又女を作る。そういう奴はそういう奴さ」


「克樹が言うんじゃ……。克樹もそうなのか?」


「馬鹿。俺は心底惚れた奴ができたら落ち着く。まぁ、そいつもそうだろうが、そんな相手が見つかるのは稀だね」


水樹はジッと黙って聞いている。


「じゃ、克樹はそういう相手が見つかるまで、ずっとこんな風に生きて行くつもり?」


「まあな。皆んなそんなもんさ……結局他に気が行かなくなる、そんな相手を探すのは大変って事。そんな相手ができたら幸せってもんさ」


水樹には、理解できないかもしれない。

一途な方だし両親の事があるから、決して裏切る事はない。

番いの鳥が相手を求めるように、いつも探し求める者の気持ちなど解りようもない。

何故なら、もはや水樹にはそんな相手がいるからで、仮令そうでなくても、一度番いになった相手を裏切る事はないだろう。

そんな術すら水樹は知らない……。

だから、余計に克樹の思いは苦しい。

叶わぬと解っているから、辛く苦しい。

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