第11話
仕事に忙殺される日々を送っていたある日、着信もメールも届いていたが、仕事にかまけていた克樹は、気がつかないままにしていた。
気がついた頃は、陽が落ちかける頃となっていた。
「はあ?」
スマホを片手に声を上げる。
……仕事でこっちに来る事になったので、泊まる……
とメールを寄こしたのは、あの無邪気で天然の水樹だ。
克樹は慌てて連絡を入れるが、忙しいのか出ない。急いで帰りの支度をしていると、折り返し水樹から連絡が入った。
「お前何処に居る?」
「お前の現場近く」
「そっか……今そこに居ないんだ。これから向かうからそこで待ってて」
克樹の魂が高揚する。
水樹の声を聞くと体も熱くなる。
仕事をして来たのか、スーツを着ていて見紛う程に童顔で可愛い。
最近の女性は結構背も高いし、ジムで鍛えて綺麗な体を保つ人が多いから、華奢で筋肉の〝き〟の字も無い様な体格の水樹は、遠目でも近くでも性別が解らないかもしれない。
そんな体質を忌んでいるのは、水樹自身だ。
この体の貧弱さが、彼の生い立ちを忘れさせてくれない。
父に愛情を与えて貰えずに育ったその過去が体に現れ、幸せな今をも縛り付けている事を克樹は知っている。
克樹が恋い焦がれるその身体が、水樹の最も忌む物なのだ。
「こっちに仕事があってさぁ」
水樹は克樹を見つけると、笑顔を向け無邪気に言った。
「そっか」
ちょっと息を切らせて克樹も笑う。
「なんか食いに行くか」
克樹はタクシーを止めて言った。
「ファミレスじゃないの?」
「美味い所に連れて行ってやる」
「おっ!いいね」
久々に心が踊ってタクシーに乗り込んだ。
「暫くこっちに来る事が増えそうだから、悪いけど泊めてよ」
「そりゃいいけど、よく高城が許したな?」
「何言ってんだ?これでも出張くらい慣れてる」
「いや……俺んとこ泊んの」
「はっ」
水樹は鼻で笑って一瞥した。
「お前まだ、中坊の時の事根に持ってんの?」
「はあ?」
「確かにあの頃は、高城さんもお前んち泊めたがらなかったけど、何年前の話しよ?あれから何年経ってると思ってんだ?」
予約の要らない馴染みの店で、神戸牛を食いながら、ちょっとワインを口にしただけで、頬をピンク色に染めて水樹は言った。
「解ったよ、悪かった」
克樹は言い返すのも面倒になって、ふいっと横を向いて言った。
「ここのステーキ美味いね?」
相変わらず頬張って言う。
「お前、マジでその癖直せ。よく高城が注意しないよなぁ」
「僕の食い方を、マジマジ見るのは克樹くらいなもんだよ。誰も気にしてない」
「そう言っちゃ、よく胸につかえんだろーが?だから言ってんだ」
「…………」
そう言っているそばから、水樹は目一杯頬張った飯につかえて、慌ててワインを流し込む。
「ほら見ろ」
鬼の首を取った様に克樹が言った。
水樹は魅了してならない瞳を向けて、睨み付ける素ぶりを作るが、可愛いしかないその素ぶりに効き目がない事を知らない。
美味い夕餉を済ませほろ酔い気分で、ご機嫌でタクシーを降りてマンションの前に立つと、克樹はすっかり忘れていた事に酔いが醒める思いだった。
……ヤバい……
と素直に思った。
クミが来ているだろう。それをすっかり忘れていた。
今更誤魔化したところでしょうがないから、部屋の前に水樹を待たせてクミを帰らせる。
クミは立場をちゃんとわきまえているから、素直に部屋を出た。
「すみません。急に……」
水樹が頭を下げるとクミも頭を下げて、エレベーターへ向かった。
「送って来なよ。勝手にしてるから」
「いいさ。家近いし」
「だったら余計送って来な。そうじゃないとマジおこだぞ」
水樹が真顔で言うから、だから克樹はクミの後を追う。
クミに罪悪感もなければ、申し訳ないという気持ちもない。
生前ばあちゃんが、我儘で思いやりのないところを指摘して心配していたが、
それが克樹の本質だと自覚する。
水樹が側にいれば、優しい気持ちにもなれるし、思いやる気持ちも持てるのだが、こうして一人の生活に慣れると、身勝手で自己中な自分が現れて、これが本当の自分だと自覚する。
それをまるで誇示でもするかの様に、厭な身勝手な自分が今夜は頭をもたげた。
「もう来なくていいから」
クミを送りながら言うと、クミは唖然とした様に克樹を見つめた。
「なんで?」
「今の……あいつ、泊まる事増えるから」
「あの人誰?」
「いとこ」
「えらい綺麗な人やね?」
「だけど男だぜ」
「全然見えへんなぁ」
クミは涙目になりながら言った。
「いつまで?」
「はあ?」
「いつまで待っとったらええの?」
「そうこうしてる内に、別の所に行く」
「せやけど、会う事はでけるやろ?」
「そうだな。連絡はするし会いに行く」
クミは克樹に、その気が無いのを知っている。
初めから解っていた事だ。
解っていたのに、合鍵を渡されて嬉しくて、何も見えなくなってしまった。
解っていた事だ。いずれこの様な仕打ちを、受けるであろう事は覚悟していた。
それでも好きになった。一瞬でも夢を見た。
「必ず連絡してな。捨てんといてな」
クミの言葉に克樹が苦笑する。
罪悪感も持たずに
「ああ……」
と頷く自分に苦笑した。
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