第9話

高城と水樹のマンションに行ったのは、明日現場に行くという日を選んだ。

高城と何かあったとしても、翌日には違う土地に逃げられると踏んでの事だった。


「久しぶりだね」


「正月には会ったでしょう?」


今年の正月は、運悪く二人が実家に、年頭の挨拶に来た日に遭遇してしまった。

運が良ければ、年頭に顔を合わせる不運も無いのだが。


「相変わらず忙しいみたいだね」


通いのお手伝いさんの、野村が作った夕食を一緒に食べる。

この野村も、高城が水樹を養子に迎えた時に、年の割に細すぎる水樹の身体を心配して、料理上手なお手伝いさんを選んだ。

高城が仕事に追われても、水樹が一人で寂しく食べる事のない様に、家庭教師だった松長が一緒に食べたりしていた事は聞いている。


「野村さんの料理は美味いだろう?」


水樹が、高城と克樹で一本空けた、酒の代わりを持って来て言った。


「そうだな」


「おばあちゃんの料理は、本当に美味しかったね。最近おばさんが同じ味を出していて、懐かしくなってよく食べに行ってる」


「へぇ?そうか?」


「そうだよ。克樹が帰って来なさ過ぎなんだよ」


水樹は、笑顔を見せて克樹に言った。


「ちょくちょく、藤木に帰っているのか?」


「ええ、伯母が克樹がなかなか帰らないから、寂しいだろうと思って、仕事の合間を見ては食事をご馳走になってます」


水樹は悪びれる様子もなく、ケロリと言った。


「寂しいんだからね。もうちょっと帰って来なよ」


水樹は再びニコニコと笑った。

ここの所、疎遠だった従兄弟と会っているから上機嫌だ。


「そういや。小見の引き出物、彼処に置きっぱでいいのか?」


「うん。食える物は翌日食ったから、グラスとかだろ?お前ん所で使う」


「そんなに要らない」


「木本とか呼んで今度飲もう」


「冗談じゃない」


「あれだけ何も無い部屋は珍しい。皆んなにも見せてやりたい」


「いい加減にしろ!」


そう言うものの、悪い感じを受けた様子もなく笑った。


「ところで克樹君」


今まで黙って聞いていた高城が、二人の会話に入ってきて言った。


「香里さんが君との復縁を、望んでいるのは知っているね?」


克樹は水樹との楽しい会話を切られ、一瞬不機嫌な表情を作った。


「馬鹿馬鹿しい」


「しかし向こうは、至極真面目に考えている様だよ」


「宗方さんに失礼でしょう?」


「離婚話しを進めている様だよ」


「うん。僕のところにも相談に見えた」


「冗談じゃない。相変わらず勝手し放題だな、あの女」


克樹が煙草の箱を、握り潰して一喝した。


「全く俺にその気がない事を、ちゃんと伝えとけ」


「まぁ、香里さんはともかくとして、君も又新しい幸せを、考えてもいいんじゃないの?」


「……………」


「君はまだ若いんだから。一回失敗したからと言って、臆病になる事はない。大勢候補者はいるみたいじゃないか?」


高城が、落ち着いた様子で言った。


「その言葉、そのままあんたに返すよ。俺には水鈴がいるが、あんたにはいない。年の事を考えれば、あんたの方が適切な台詞だ」


「うーん。確かに……忠告として受けておくよ」


「そうしてください」


克樹は水樹が、表情を曇らせたのを素早く見て取って、言った言葉に後悔を持った。


「すまなかった」


エレベーターまで送って来た、水樹に言った。


「僕の方こそごめんね」


互いに、何に詫びを入れているのだろう。


「香里には全くその気が無い事を伝えて、万が一にでも宗方さんと別れる事の無い様に頼むよ」


「うん。できるだけそうする」


「水鈴の為にも頼むよ。俺はもう結婚はしない。高城さんにはああ言ったが、お互い結婚には向いてないんだ」


「うん……」


水樹の神妙な表情が、心に棘を刺す。

その表情が如実に水樹の立場を、見せつけられた様で堪らなくなる。

こんな表情を作ってでも高城と一緒に居たいのかと、直ぐにでも責め立てたい気持ちに駆られ苦しい。


「たまには帰って来いよ」


水樹の言葉に、顔を歪めて笑んだ。

ちゃんと笑顔になっているのか解らない、ただ口元が歪んだ事だけは解った。


「ああ……」


エレベーターのドアが閉まる間際に、克樹は手を動かして振った。

水樹を連れて行きたい衝動に駆られ、直ぐさまその気持ちを抑え込んだ。

手慣れた事だと抑え込んだ。


愛おしくて堪らない……。

そう自覚した時からずっと苦しい。

決して叶う事のない思いだ……。

子供の時のあれも、そうだったのか?

貧弱で小さな水樹が愛おしく感じた、子供心にも守ってやりたいと、一人っ子の自分が初めて抱いた感情……。

それからは、水樹の事を大事に思い続けてきたのは、兄弟の様な感情なのだと、お互いにそう理解し合ってきた。

その感情のバランスを、自分から壊すのは恐ろしい。

だけど今のままでは苦しくて、息もできなくなってしまいそうだ。

では、どうすればいいのだろう?どうする事もできない。

何故なら、この気持ちを余所に向ける事は叶わない。

どんなに複数の女性に救いを求めても、再び香里に行った過ちを繰り返すだけだ。

苦しみもがくこの現状から逃れようとする行為は、ただ自分の思いの深さを思い知らせるだけだ。

誰かに逃げる行為は、水樹の呪縛から逃れられない己を知らされるだけだ。


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