第8話

「あそこからだと、8時過ぎまで寝てられる」


「ま、まぁ、朝の一時間は大きいが……着替えは?」


「ちゃんと用意して来た」


「何持ち歩いてるかと思ったら……」


克樹は呆れ顔で、水樹を覗き込んだ。


「父親に叱られるぜ」


「今夜は言って来てるよ」


「あっそ」


克樹は、不機嫌を隠さずに吐き捨てた。


三野や木本や大森とは、食事したり飲む事が多い。

まだ独身貴族を謳歌するつもりの仲間とは、遊び歩く事が楽しくて仕方ない。

そんな気心の知れた連中と連んでいる水樹は、多少なりとも感化されている。

今だに実家に住む皆んなと別れて、水樹は克樹のマンションに行くべく地下鉄の駅に向かって歩く。


「明日は克樹が食べてた、あれが食いたい」


「はぁ?お前その為に泊まんの?……っていうか、そんなに遅くて大丈夫なのか?」


「へへへ……。実は半休取った……っていうか、そういう仕事を作った」


「はあ?」


「この間は克樹が泥酔してたから、話しもできなかっただろ?」


「高城の所は、ほんとにお前に甘いよなぁ……」


「松長さんはお前の事には特別さ」


克樹は、神妙な表情を作って黙った。


克樹が薬物に依存していた頃、芋づる式に名が割れた時、克樹は水樹の元に連絡を入れた。

両親を信じられなくなっていた克樹には、水樹しか信じられる人間がいなかったからだ。

その時二人に、マンションを提供してくれたのが松長だった。

高城の親類である松長は、克樹にとって敵の仲間の様な思いがあったが、水樹は松長を無条件に信頼していた。

だから克樹の事を相談し、そして松長は知人の所に泊まりに行って、二人で話し合う機会を与えてくれた。

克樹は水樹が祖母の遺言書がある事も承知で、母美奈子がそれを隠して家を売った事も納得し、それを克樹に納得させ、そして言ったのだ。


「警察に全てを任せたら更生しよう。おばあちゃんが望んでいた様に、一緒に住んでやり直そう……」


克樹は、水樹の言葉に従って警察に出頭した。

高城の元で更生の道を歩み、水樹とアパートで数ヶ月を一緒に過ごし、そして克樹は香里と母親の元に逃げた。

あんなに水樹を思って荒れて手を上げた、その母の元に水樹を捨てて逃げたのだ。


「今夜は沢山話そう」


「話す事なんかねぇよ」


「僕は有んだよ」


「嘘こけ」


水樹は吹き出す様に笑った。


「なんだ?」


「克樹の口癖」


「そっか?」


「それも……。あっそ……も、これ言う時って、凄く機嫌悪そうにするよね?」


「あっそ」


「ほら」


克樹は、分が悪そうな顔を作った。


「離婚の時も、話しできなかっただろ?」


「いちいち話す事じゃねぇだろ?」


「それでも……僕は克樹の支えになりたかったよ」


「そうくると思った」


「へっ?」


「そんで風呂に入って、頭洗うんだべ?」


「お約束」


異口同音で口にして、見つめ合って吹き出した。


「そうだよ。あれをして


「だから逃げたんだ」


克樹は無愛想に、言い捨てる様に言った。


「逃げたのか?」


「お前に捕まらない様に、こうして逃げ歩いてる」


「はぁ?マジか?」


水樹は物凄い剣幕で、克樹の頭を叩いた。


「だったら、意地でも今夜洗ってやるからな」


「そんな事したら、マジで帰って来ねぇからな!」


水樹は克樹をマジで睨め付けた。


「ちぇ。脅しかけやがって」


舌を鳴らして、それは残念そうな表情を作ったが、その表情で本気だった事が解る。


小見の引き出物がかさばった。

最近は手軽な物に変わりつつあるものだが、小見は昔ながらのかさばる大きな袋に入れた。

それをなんの因果か、水樹の物まで持たされる克樹は腹立たしい。

勝手に主人たる克樹に了承も得ずに、止まる事を決め着替えを持参して、かさばる方の荷物を持たせるとは何事か……。

そう思いながらも、傍に水樹の気配があるのは嬉しい。


「そういえば行く前に高城さんが、久しぶりに会いたいって」


「なんで会わなきゃいけない?」


「そうだけど、高城さんも克樹の心配してるよ」


「あっそ」


本当に不機嫌そうに呟いた。

克樹は本気で、高城の事を嫌ってはいなかった。

以前水樹を盗られた様で反抗した時期もあったが、祖母と関係が深かった高城には、小さい時から可愛がってもらった。

水樹が養子になったといっても、そんなに年をとっている訳ではないから、ちょっとカッコいいお兄さん的存在で、克樹の憧れでもあった。水樹においても、良くも悪くも本心から水樹の事を、思ってくれている事は解っていたから、あの結婚式の日までは、心を再び開きかけていたのに。

あの日高城への感情は、ただの憎悪と化してしまった。

高城のする事全てが、悪意に思える。

だが何を思ったのか克樹は


「解った」


と言って、地下鉄の暗い窓に目を向けて言った。

それとは対照的に車内は、眩しい程に明るかった。

もしも顔を近づけて唇を寄せる素振りを見せれば、水樹はどんな態度を取るだろう?

克樹はそんな衝動に駆られて水樹を見れば、水樹は目を閉じて眠っていた。


「ちぇ」


なんとも克樹の気持ちなど解ろうともせずに、おめでたい奴だ。

こんなに傍に居て、心を高ぶらせている自分が馬鹿に思えてくる。

だから……。だから自分は逃げ歩いてるいる。

水樹に言った事は本当の事だ……。

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