第7話

それなのに、克樹が離婚した時に何の力にもなれなかった。

どころか、仕事に熱中した克樹が、現場に行く事が多くて、話しすらする機会も無くなって、酒が強くなり煙草を覚え、女とのいざこざの噂を聞くと、克樹の辛さを感じて苦しかった。

そんな思いもあって、今夜は克樹とゆっくり話したい、いろんな事を話したい。


シャワーを浴びて部屋に戻ると、克樹は思いの外に泥酔している。

ちょっと懐かしい頬を突いてみるが、全く起きる気配もなく爆睡している。

水樹は克樹が寝ている布団に滑り込んだ。

酒がかなり回っている克樹の体は、かなり温かくて抱きつくと熱いくらいだった。

ふと幼い頃を思い出す。

よくこうして、克樹と一つの布団に寝た事を思い出して懐かしく、克樹の体温が懐かしかった。



「………!」


克樹は朝目覚めて、我が目を疑った。


「水樹……」


鼻筋の通った整った顔を、こちらに向けてうつ伏せで眠る、幼い頃から見慣れた懐かしいその顔に微かに触れた。


「おはよう」


我が娘に面影を残す、黒目がちでつぶらな瞳を、上目使いに向けて言った。


「何でお前が居んの?」


「昨日克樹が泥酔して帰れる状態じゃないから、僕が抱えて連れ帰って来てやったんじゃないか」


水樹はムッとして言った。


「それはどうも。だけど泊まったのはマズイんじゃね?」


「たまにはいいじゃん?全く帰って来ない従兄弟と、久しぶりに会ったんだから」


克樹はじっと見つめてから、視線をテーブルの上の煙草に落としたが、それには手を付けようとなしなかった。


「飯、食いに出るか」


「そうだね。こんなに何も無くて、食事はどうしてんの?やっぱ外食?」


「ああ……。どうせこっちに居るのは、十日くらいだからな。食料買い込んだ所で、処理しきれない。だったらファミレスが近いから、其処で済ませりゃ効率いいし、飽きる間も無く現場に行く事になる……」


克樹は説明しながら、自分のスエットを着用したまま、付いて来ている水樹を見た。


「なんか、デカくね?」


「克樹はデカイからね。じゃ、向こうでどうしてんの?」


克樹はファミレスの前で水樹を直視し


「其処で行きつけの店を作るさ」


そう言って、ドアを押して中に入った。


「はぁん?其処でいろいろ問題の種を作るのか?」


「ばか」


克樹は意味ありげな笑みを浮かべ、店員に促され奥の席に着いた。

ここ数日来ている所為か、喫煙席の克樹が気に入っている奥の席を、店員が心得ているのは〝流石〟と思って感心する。


「そういえば、水鈴ちゃん元気?少しは会わせてもらってる?」


「ああ、お前よか会ってる。とても元気で可愛くなった」


「へぇ、克樹が言うなら、本当可愛いね」


「なに言ってんだか」


克樹が、気のない素振りで言い放つ。


「離婚してから女性の噂が絶えないから、おばさん心配してる」


「また身を固めろって?」


「まぁね」


「もう結婚はしない。水鈴がいるんだ、義務は充分に果たしてる」


克樹は、メニューからモーニングを選んで注文した。


一年前名古屋に行って帰って来た時、現地の大学教授夫人と関係を持ち、家庭を捨てて追いかけてこられ、かなり泥沼化したが、克樹は決して責任を取ろうとはしなく、相手の家庭をも含め、水樹が間に入って片をつけた。

それから伯母の心労は、増して行くばかりだ。


「まっ、一回でも責任を果たしている克樹に、僕が言える立場じゃないからなぁ」


水樹は、無邪気に笑って言った。

この従兄弟はいつも人を惑わすのに、当人は全く自覚がなくて困ってしまう。

この娘を思い浮かべてしまう瞳も、通った鼻筋も薄く形良い唇も……。

全てが克樹を惑わせて苦しめる。

自分の気持ちを知ったあの日から、幼い頃ひたすら愛した従兄弟が苦しめる。

こうやって笑いかけるだけで、息ができない程に胸を締め付ける。


「今回は何時まで居られんの?」


トーストを、口に頬張って水樹は聞いた。

幼い頃から見慣れた、この仕草が可愛くて堪らない。

そんな事など知る由も無い水樹は、大人になっても頬張って食べる癖が直らない。

良家の高城の、養子になっても直らない。


「もう大人なんだから、こんなに口に入れるのやめろ」


何時も言う小言を繰り返す。

可愛いくせに、言わずにはいられない。


「小見の結婚式が済んだら直ぐ行く」


「結婚式は明後日じゃないか?」


「じゃ、その次かその次の日くらいだな」


「直ぐ土日だろう?来週にすれば?」


「用があんだよ」


水樹は珈琲を飲んで、悪戯ぽく見つめた。


「悪い事すんなよ」


「しねぇよ」


「どうだか……」


小見が大安吉日の祝日にこだわり、週半ばの祝日に式を挙げるお陰でいろいろ面倒だ。

つまりできる限り避けてきた、この従兄弟と会う機会が増える事になってしまった。それが克樹には、厄介で仕方ない。



小見の結婚式は、小見の人柄同様明るくアットホームな、心に残るものだった。

神の面前で誓いあった二人を、早々二人だけにしてなるかと、三野達悪戯仲間が二次会を企画し、小見が愛しの緑ちゃんと解放されたのは、かなり遅くなってからで、それから小見を肴に酔い覚ましに喫茶店に入って、明日の仕事を考えてお開きになったのは終電間近だった。

今夜は正体無く酔う事がなかった、克樹の脇に水樹が立った。


「なんだ?」


「今夜もそっちに泊まる」


「はぁ?明日仕事だろう?」


「だから克樹んちの方が近いんだ」


水樹はそう言って、笑って見せた。


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