第6話 空《から》の女王

 青年は自信のなさそうに、どこか思いつめた表情をする。


「責務を果たせなかったことに、悩んではいたんだ。勇者たるもの、困難から試練から――逃げるわけにはいかねぇって」

「だから今もこうして、果たせなかったものを遂行しようとしている……」


 一生、勇者に縛られて生きていくことになる青年の姿は、とても哀れだった。


「勇者は外に世界に出ない限り、救われないわ」


 核心を突いたつもりだった。

 いつかは自分の言葉に耳を傾けてくれるのではないかと感じている。


「それじゃ、お前が救われねぇじゃねぇか……」


 苦悶の表情で、彼はつぶやく。


「救われるわ。裁かれでもすれば、きっと私は」

「そうじゃない。だって俺の剣は、俺自身から生み出される剣は……そいつを歴史上から消す力を持っているからだ」


 途端に、頭から冷水をかけられたような衝撃が走る。

 それは完全に失念していた内容でもあった。


 でも、確かに私は同胞のことを忘れたことがある。

 ほかに仲間がいたという事実だけを覚えていて、全てを奪われたのだと理解した。私を孤独の道へと誘い込んだのは純白の刃が原因だと感じて、持ち主を殺そうとまで思った。

 彼の持っている刃で貫かれたら、私自身が消える。最初からいなかったことになる。それこそが、神の――勇者の目的だったのかもしれない。



「お前は、いいのかよ。自分が消えても。世界中の全てから忘れられても」


 困らないといえば嘘になる。たとえ悪としてであったとしても、誰かに私のことは覚えていてほしかった。

 なにより、存在自体が消えるということは、私と彼は出会わなかったことになる。

 ルークと出会ったことによって得た希望も、かけられた言葉も、なにもかも。

 なかったことになってしまう。


 でも、結局のところ、私の出した結論は変わらないのよ。

 なにせ、もう失うものがないのだから。

 大切なものは一つだけ。勇者――ルーク・アジュールだけよ。

 そのただ一人のために、私は全てを投げ出したって構わない。彼が報われるのなら、少しでも救いを得られるのなら、もうなにも要らないの。


「お前はまだ、なにも得ていない。まだ、これからだろ。希望ならある。一度大きなことを成せばお前だって、報われる。満たされる」


 彼は必死になってこちらを説得しようとしている。息は荒く、意地でも自分の意思は曲げないつもりらしい。

 だけど、残念だわ。私は彼を否定しなければならない。


「満たされないわ」

「んなわけねぇだろ。人が一人で使うには広い世界だ。この全てを手に入れてみろ。お前だって……」


 鬼気迫る青年の表情とは裏腹に、私の心は非常に落ち着いている。


 雲がゆっくりと引いていく。いまだに停止しているはずの太陽は、ゆっくりと動き出す。空はまだ赤く、鮮やかな色をしていた。


「断言できる。私たちは満たされない」


 表情を消して、小さな唇を動かす。


「なぜなら、彼女わたしは独りだった」


 直後、ルークの表情は凍りついた。

 受け入れたくなかった事実を聞かされたように、硬直している。

 もしくは気づいていながら、ずっと見てみぬ振りをしてきたといったところか。


「全てを手に入れて頂点に立ったはずの女王は、それでも満たされないと口にした。むなしくて仕方がないと。だから助けを求めた。そして、勇者をここに呼んだの」


 大きく口を開いて、叫んだ。


「お願い。最後の責務を果たして。私だけじゃない、彼女のためにも。その望みを叶えてあげて。勇者でしょう? ヒーローになりたかったんしょう? そのために生きたいなら、勇者として生きるのなら、どうか……!」


 声が震えた。

 心の底から透明な思いがあふれてくる。


 彼女のことは私にとっても無念だった。女王がたった一人で抱えていたものを解決できないまま終わってしまう。それがしてはいけない。どうせなら、彼女が私の中にいるうちに。早く。


 視界はやけにクリアで、なにもかもが澄んで見える。

 太陽は同じ位置にとどまったまま動かない。

 反対に私は歩み寄る。


「終わりにしましょう。私たちの手で」


 ルークは後ずさる。


 私も無理に結論を早めさせる気はなかった。ゆっくりと彼が気が済むまで待ってから、尋ねたってよかったのかもしれない。

 だけど現実はゆっくりと、だけど確かに迫ってくる。

 空に出現したヒビは着実に広がっている。彼方を向けば一部の地形は削れていた。崩壊は間近であり、あと数時間もすれば大地は――世界は虚空に消えるだろう。


 要するに時間がないのだ。


「俺はまだ、可能性を捨てきれずにいるんだ。別の方法を――見えない選択肢を探そうとしている」


 青年は深く沈んだような面持ちで、自分の感情を吐露する。


いやになるんだよ、時々。もっと、かっこいい人間になりたかった。勇敢で優しくて、物語の主人公みたいな感じでさ」


 昔話を語るように、彼は遠くを見つめていた。

 鮮やかな夕焼けの下、青年はたそがれたように、声のトーンを落としていく。


「ニセモノなんだよ。俺は本物の勇者にはなれなかった。みんなが俺に惹かれるのはそういうスキルを持ってるからだ。でも誰も、本当の俺を見てくれなかった」


 唇を噛み締めて、また苦痛でも感じているかのように顔を歪める。


「でも、お前は引っかからなかったな」

「耐性があったのでしょうね。英雄なんて本当は存在しないと、知っているから」

「でも、お前は俺を信じると言ってくれた」

「その良心と、言葉だけはね」


 思い返せば、常に青年は注目の的だった。学校にいるときも人気者で、女子には何度も告白を受けていたわね。だけど本命はほかにいると告げて、全員を振った。


 バカみたい。つきあってあげていれば、彼だって幸せになれた可能性はあったのに。


「君は、違った」


 追想にひたる脳内に、青年の声が入り込む。


「ほかの人とはないオーラがあったんだ。目立ってたよ、少なくとも、俺からしてみれば」

「それ、異端なだけっていうか、浮いているだけだわ」


 そういうのを悪目立ちというのよ。


「ちゃんと褒めてるよ。だからこそ、俺は君に惹かれたんだ」


 その言葉の意味を知っている。

 過去に聞いたことのある内容が頭をかすめた。

 だけど、私にはどうしても受け取ることのできない内容でもある。


「実際は学校じゃ人気あったって、知ってたか?」

「え? そんなの、ありえないじゃない。私なんかが?」

「そうだよ。マドンナって言われてた。結構、有名人らしいね」

「はぁ……」


 青天の霹靂へきれきだわ。

 たいして美人でもないでしょう、私って。それなのに、マドンナだなんて、ほかに言うべき人がいるんじゃないかしら。私よりも美人な娘ならほかにも数人はいたわよ。


「口には出さなかったけど、密かに想いを抱いていたやつはいるみたいだよ」

「私、結構孤立してたんだけど」

「そりゃあ、そうだよ。友達を作る気がなさそうだったしな。こういうのは積極的に動かねぇとダメなんだよ。ほら、そっちのほうから攻めねぇとな」

「できるわけないわ。そんなこと」


 彼と話を進めていると次第に雰囲気が明るくなっていく。先ほどまで周りにただよっていた重たい雰囲気が消えている。


「正直にいうと、情が移ったんだよ。境遇とかなまじ知ってるから、攻められなかった。情けをかけたって罰は当たらねぇだろうって。でも、それじゃあ、死んでいった戦士たちが報われねぇって思ってな」


 だから封印したと。おかげで世界は平和になった。めでたしめでたしというわけね。


 でも、納得がいかない部分が一つある。


「不平等。いいえ、不公平だわ」


 脳裏をよぎったのは、勇者によって殺された同胞たちだった。


「彼らは死んだのに私は生かされている。それはどう考えているのかしら?」

「それは……」


 言いづらそうに、口をつぐむ。


「私だからなの? ほかの誰かが同じ境遇であったとしても、構わず殺した?」

「違う。俺は、そういうんじゃない」


 必死になって否定するけれど、透けて見えているわ。


「ねえ、どうして? どうして、私にこだわるの? 自分の人生を捨ててでも、救われない道を選んだとしても、こちらを生かそうとする理由はなに?」


 その答えを知っているのに、もう二度と聞けないと分かっているのに、尋ねざるをえなかった。


 青年は口を割らない。

 あきれたように、困ったように首を横に振るだけだった。


「俺の口からは言えねぇ。答えはあのとき、ハッキリと言ったはずだ」


 もう、なにも告げる気はないと。

 自分が救われる気はないとばかりに、青年は言う。


 ああ、やっぱり……。

 急に顔をおおいたくなった。

 私は確かに知っていた。彼の口からその告白を聞いていたのだ。

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