第5話 鍵

 神としての力を手放した影響で、世界が不安定になったような気がする。


 空を見上げると、まだ茜色。太陽も同じ位置に留まっていて、端にはガラスが割れたような亀裂が走っている。後方の山にいたっては、存在自体が歪んでいるわ。


 周りも騒がしい。小動物たちが大地を駆けて、小鳥たちも慌ただしく空を飛ぶ。


「お前、自分の世界を壊す気かよ?」


 声音に確かな怒りをにじませて、ルークは叫ぶ。


「考えてもみろよ。今お前が消えたら、世界は崩壊し、住民たちも全員消えるんだぞ。その意味を理解してんのか?」


 それは絶対に許せないとばかりの剣幕で、彼はこちらに詰め寄る。


 だけど、私の心は決まっていた。


 停滞した世界を破壊するという作戦は、女王と決着をつける前から考えていたことでもある。そのために全人類の意思の塊である青年と話をつけたのだから。


「彼からの同意は得ている。その後、住民たち全員からも」

「お前、最初からこのために……」

「ええ。私たちは夢を見ているだけだもの。これは早く終わらせなければならない」


 淡々と、思ったことをただ口にする。

 だけど、ルークにとっては私の考えは理解できないようで、つかみかかってくる。


「そんなこと、言うんじゃねぇよ。夢だからなんだって言うんだ? つらい現実に戻るくらいなら、一生眠ったままでもいいじゃねぇか。なにより、夢の住民にとってはまぎれもなくここが現実なんだぞ」


「夢ばかり見たって、仕方ないじゃない」


 そろそろ現実に戻る時だって、言ったわよね。少なくとも私はその気でいるのよ。

 目の前に鍵があるのなら、それを利用するまでのこと。


 ほどなくして落ち着きを取り戻したルークは私から離れて、うつむきがちにつぶやく。


「俺は二度と、殺さないと誓ったんだ」

「知ってる」

「ああ、そうだろ? それなのに、お前は俺に……この俺に、殺せと言うのか?」


 目を見開いて、カッとなった顔で、こちらを見る。

 美形だけに迫力は段違いだ。絶対に言い負かす・跳ね返してみせるという意思を感じる。


 彼の拳は震えていた。


「分かってる。でも、あのとき……勇者さまに封印されるとき、私は裁いてほしかった」


 いままで、数えきれないほどの罪を犯してきた。

 もう、人が人と思えないくらいの量を殺してきたのだと思うわ。全ての記憶がよみがえったあと、今こうして話をしているときも、ときどき頭をよぎるのよ。


 下手をすればなにも知らないときも、夢で見た。孤独に戦う少女の姿を客観的に見て、ひどく冷酷だと思った。


 私はひどい人間よ。罪を犯しておきながら、楽になりたいがために裁きを受けようと願うなんて。


「殺されたかったのよ。いままで死んでいった人たちのかわりに。その罪を背負った状態で、死にたかった」

「でも、今のお前は銀髪の彼女じゃない」

「それでも、この私越しに、勇者さまは彼女の姿を見るのでしょう?」


 私は私だ。レイラ・レナータ。無彩色の一族の最後の一人。

 過去は変えられない。犯した罪は、一生心に残り続ける。


「お前は、それでいいのかよ」


 青年が口を開く。

 顔を上げて、彼の表情を目でとらえる。


「本当に殺されても、いいのか。お前は被害者だろうが。世界からうとまれて悪に仕立て上げられて、周りには味方がいない。俺だって、助けてやることはできなかった。神に従うだけの俺じゃ、お前は救えなかったんだ」

「救えていたわ」


 彼の告白に対して、私は淡々と事実を口にする。


「勇者さまは私を許したじゃない」


 脳裏に浮かぶのは、私を封印する少し前に発せられた言葉だ。


『この世界の全てが君の敵になっても、ありとあらゆる者から悪だと認定されていたとしても、僕は君を守りたかった。君の全てを知っているから、君と何度も戦った記憶があるから。だから僕は、君を許すよ。その罪を、行ってきたことを』


 世界中の全てが敵だった中で、彼の存在は私にとっての光だった。闇夜を照らす、星のような存在だった。


「今のお前を作り上げたのは、きっと俺だ。俺が、お前から『信じる心』を奪ったんだよ」


 そうね、今の私は他人を信じることができない。


「俺がお前の心の鍵を閉めたんだ」

「なら、開けるのもあなたになるはず」


 鍵は勇者自身だ。彼の行動によって、見えない扉は開かれる。


「私は信じている。ほかの誰かは信じられなくても、勇者さまだけは」


 真摯な想いを込めた言葉に対して、青年は首を横に振った。


「できないよ。俺には、君を傷つけるなんて、不可能だ」


 彼の表情が歪む。


 前提として勇者に殺意は見られない。かわりに彼は抵抗をしようとしている。

 今からやることは絶対にしたくないと、命を奪うこと並にやりたくはないと。

 とはいえ、避けては通れない。そう考えたのか、次の瞬間には瑠璃色の瞳から迷いは消えていた。


 ルークは背負っていた剣を掴むと、放り投げる。 


 茜色に染まった空気の中、聖剣が舞う。舞いながら無数の粒子と化して、地面に降り注ぐ。それはまるで、星の粒のようで思わず見入ってしまう。


 全ての部位が空気に溶けて消えるまで、私は口を開けなかった。


「お前と同じことをした。お返しだ」

「でも、私と違って、勇者さまの場合だと意味はないわ」

「それも同じだ。お前だって、神の力を手放したからって、人間の属性に変わったわけじゃない。いわば、戦闘力を失くしただけだ。意味なんて、ねぇんだよ」


 互いに勝ったと思っているわけではない。普通の剣では私を殺せないのは確かだし、私も戦闘力と『創造』の能力を失うだけでは、世界を崩壊には導けない。

 

「でも、よくそんなものを手放す気になれたわね」


 顔を上げて反応を示した青年に対して、こちらも少しだけ予想を口にしてみる。


「勇者としての自分に、誇りを持っていたんでしょう?」


 彼が飾りと知っていながら聖剣を捨てなかった理由は、なんとなくつかめる。


「全てを押し付けられたのに、自分という存在を上書きされて、それでも逃げなかったのは、勇者という存在に憧れていたからでしょう。だから勇者さまは飾りとなった聖剣を手放さなかったのよ」


 青年の聖剣に対する愛着は並々ならないものがある。それだけに、聖剣を手放す覚悟というものが、身にしみて分かった。


「俺は、勇者にはなれねぇんだ」

「ええ。だって、勇者さまは悪を滅ぼせなかったのだもの」


 ひたすらにまっすぐに、彼に向かって言って聞かせる。


「私を殺せなかった。止めを刺せなかった」

「それでお前を、永遠の孤独に閉じ込めてしまった」

「それは、勇者さまの甘さがまねいたことよ。それをなんとかするために、この世界にきたんじゃないの?」


 拒否権は、あったのでしょう?


 女王の召喚が神による勇者召喚と似たようなものだったとしたら、後者と同じように無視することも可能だったはずだ。それをしなかったということは、ルーク自身も自分を呼び出した者を助けるつもりだったのだろう。


「知っていたの? 誰に呼び出されたのかは」


 少し間が空く。

 言うか言うまいか迷っているといった様子だ。

 目が左右に泳ぐ。

 けれども、逃げられないと、ごまかせないと踏んだのか、いよいよ堅い口を開く。


「なんとなくつかめた。だから、行ったんだ」

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