第3話 新たな世界


「違うわ」


 声は想像よりも低く、彼の元へも届いただろう。


「なにが違うんだ」

「勇者さまは持っている。別の武器を」


 勇者では神には――魔王には敵わない? それはどうかしら。

 むしろ、私たちの一族に対する唯一の天敵とも言えるのではないかしら。


「その飾りのような剣、私の記憶の中には確かにあった。だけど、実際に同胞の命を奪ったのは、違う武器だったはず。純白の……夕日に濡れた剣」


 私は奥の手を知っている。


「ずっと、疑問に思っていたわ。どうして、こちらを手にかけないのか、その飾りと化した聖剣を背負っていることも」


 青年はしばらくの間、固まっていた。

 静寂の中、不意に彼は口を動かす。


「そりゃあ、作戦とか練って、とりあえず粘れば、なんとか殺せるよ。でも、本当は、殺す必要なんて、なかったんだよ」


 返ってきたのは、予想通りの答えだった。


 半信半疑だった。いくら昔よりも戦いの中で成長していると予想はしていても、神を討てる確信はなかった。まさか本当に格上の相手を殺せる手段があるなんて。


 でも、殺す必要がないって、どういう意味なの? 彼らにとっての悪ならば討伐してしかるべきじゃないのかしら。


「どうしてお前たちみたいな一族が生まれたのか、知ってるか?」

「いいえ」

「だったら、教えてやる。始まりとなった男ってやつがいて、そいつ、呪われてよ。子孫を残せば呪いも伝播する。周りにもな。そんな感じで広がって、生命力を奪い取る一族が誕生したんだってさ。そいつらは結局、ただ生まれてきただけで罪はなかったんだよ。ましてやあの星に人間たちに危害をくわえる気なんて、全く」


 まるで、創作のような説ね。

 私は真に受けないながらも、バカにするつもりはない。むしろ、ありうるのではないかと心の底では思っていた。


「本当なら全ての始まり――諸悪の根源とも言うべきやつを斬ればいいだけの話だったのに、そういうのをさせてくれなかったんだ」


 本当、神様ってひどい存在だわ。人間と同じ位置に立っていないから当然ではあるけれど、きっと、今も上からほくそ笑んでいるのでしょうね。私たちが悩むさまを。


「概要は理解したわ。でも、よく分からない。諸悪の根源といっても、どうやって斬りにいけっていうのよ。相手が現代まで生き残ってるかどうかも分からないのに」


 口に出しつつ、そもそも彼は遠い未来で魔王と相対しているという事実に気づく。彼は生身だ。長く生きられるはずもない。可能性があるとすれば時間遡行か……。

 思い浮かぶ内容は数あれど、確証は得られない。そんな中、青年はおもむろに口を開く。


「簡単なことさ。俺は魔王との戦いで肉体を失って、魂だけの存在になった。そこを神に見つかって現世に繋ぎ止められたってわけだ」


 彼の口調は他人事のようだった。


「だから俺はどの時代にも出現できる。その特性を利用して魔王の候補を退治しろとまた命令を受けたんだよ。でもあの神様ときたらこれまた面倒なやつでな。指定された場所に強制的に飛ばしやがるんだよ」


 神は全てを知っていた。

 魔王の正体も、全ての根源も。だけどあえて教えない。ただ試練を与えるために勇者を駒として動かしていたようだ。


 その中で気になる部分があることを思い出す。


 肉体を失った。

 魂だけの存在になった。

 現世に繋ぎ止められている。

 概念。

 どの時代にも出現できる。


 どれほど傷を負っても動ける――


「勇者さまは今、概念なのよね。人間としての肉体は失っていて、幽霊のようで、さまようだけの存在と化した。だから、いろいろな時代にさかのぼれるの?」

「ああ、そうだよ」


 なんでもないようにさらっと彼は答えた。

 いささかドキッとする。

 頬を冷たい汗が流れていく。


 ここまではただの確認であり、情報の整理にすぎない。肝心な内容を尋ねてもいないため、衝撃を受けるにはまだ早いだろう。


「もしかして、死ねないの?」


 声に出しつつ、体の中心に戦慄が走った。

 けれども、彼は私の懸念をあっさりと認めてしまう。


「まだ、役目を果たしてないんだとさ。魔王を倒すっていう問題を解決しねぇ限り、俺は一生、このままだよ」


 ああ、やっぱり、そうなんだ。


 顔をおおいたくなる。

 そんなこと、あってはいけないはずだったのに。どうして、神はこんなにも一人の人間に対して試練を与えるのだろうか。


「全ては俺は指輪を手に入れちまったせいさ。ほら、こっちにもあるだろ?」


 懐から取り出した宝石箱を開く。中にはぎっしりとキラキラと輝く装飾品が詰め込まれている。その中で異彩を放つのはシンプルな形をした指輪だ。リングの中央についた控え目な宝石は、今は空色に輝いている。


「もらったんだよ。この宝石、珍しいだろ。昼は空色・夜は瑠璃色ってさ。多分、城下町に情報屋みたいな商人の目に止まったのは、こいつだったと思うよ。ただの、ラピスラズリと思っていたみたいだけどさ」


 宝石箱を閉めて、懐にしまう。


「いちおう、拒否権はあったんだ。『これを指に通したら最後、勇者として旅に進むことになる』ってさ。それでもいいかと言われて、『いい』と口にしたんだ。あとで指輪を外したって遅い。壊したって契約自体が無効になることもねぇんだ」


 じゃあ、彼は一生このままなの? もう二度と、普通の人間として町を出歩くことはできないの?


 同時に気づく。

 そうか、一番いろいろなものにとらわれていたのは、彼だったのね。

 時折見える、乳白色の霧のような気配。灰色に濁る瞳、その正体は彼の境遇にあったのだわ。


 その原因を作ったのは、きっと私だ。遠い未来で魔王として君臨する羽目になったのは、復讐者と化した死神だったのでしょう。最終的に封印されなければ、神よりも恐ろしい存在になっていたのかもしれない。


「勇者さまは、私をどうしたいの?」

「助けるよ。絶対に」


 きっと彼は、ずっと前から私を外に出す方法を探していた。万策尽きて、希望のない状況であったとしても、今もなお、彼は私のことを考えてくれている。


 西の空が陰りだした。かすかに見える空色に朱色がにじむ。じきに黄昏が訪れる。完全に日が沈み切る前になんとかしろと、太陽に急かされているような気がした。


「果てはないのよ。いくら考えたところで、私が外の世界は行く方法なんてないわ」

「でも、だからって……」


 彼の言葉をさえぎるように、私は告げる。


「だからってじゃないの。だからこそ、勇者さまは私を殺さなければならないの」


 私にとっては、もうこれしか思い浮かばない。

 本当に、それ以外の結論はないのよ。


「ふざけてんだろ。んなことしたら、本末転倒じゃねぇか」

「だとしても、それで勇者さまが救われるのなら」


 思えば、簡単なことだった。

 遠い未来で魔王となる存在を殺さなければ救われないというのなら、殺せばいい。これで全てが解決する。


「仮に外の世界に出たとして、どうするつもりだ? 外は戦いばかり。危険なところだって、前にも言ったよな」


 鉛色の空の下、荒れた大地を駆けた記憶がある。


 戦士たちは血を流して、同胞も殺されていく。あちこちから硝煙がただよって、鉄の臭いが充満していた。少なくとも、私の記憶の中ではそうだった。そんな場所に戻りたいかと言われると、答えはノーだ。


「お前だって、本当は争いが嫌いなんだろ? 死神だなんて物騒な呼ばれ方をしていたけど、本当は……」

「ええ、そうよ。争いなんてする必要はないと思っているわ。他人が傷つくことも、誰かを傷つけることも、もう嫌だから」


 彼の言葉は否定しない。それが、私の性格である部分に間違いはないのだから。


「平和だからいい。望みが叶うからいい……。でも、果たしてそれで、本当に……」


 返答は望んでいない。ただの独り言だ。


「今のままじゃなにも変えられない。私が得るものなんて、なにもない。だから、幸福な日常よりも、残酷で殺伐とした非日常へ。それが私の選択よ」


 きっぱりと言い切る。


「私は新たな世界へ進むわ。そして、この目で外の世界を見るの。それが私の目的。だから、邪魔をしないで」


 毅然とした態度で、迷いのない目で訴えた。

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