第12話 伽藍堂

 強さを目指す・高みを目指す――全ての願いは、私から生まれたものだ。

 死神ではなにも得られなかった。

 全世界の人間を敵にまわして、世界中の悪と化した。そんな人生は無価値でしかない。

 ゆえに私は嘆いて、後の願いを彼女に託したのではないのか。


 それなのに、なぜ、女王本人が執着しているの? 


「いったい、なんのために、誰のために……その願いを遂行しているの?」


 こんなことを尋ねても、彼女の態度は変わらないだろう。女王の意思は固く、説得に応じてくれそうにない。


「本当は、望みなんて持っていないんじゃない?」


 この言葉は、女王にとっては図星だったのかもしれない。

 途端に彼女の表情が変わる。

 いまにも怒りだしそうだったところに拍車をかけたかと思いきや、急にしおらしくなった。


所詮しょせん、私は空っぽだ」


 小さな唇から、ポツリと言葉が漏れる。


「ここまでやった。さらに高みを目指すために、ありとあらゆる手を尽くした。手段など選ばず、味方側の犠牲も出した。そうしてたどり着いた。だが、なにも満たされない。なにかを得たという実感が、私にはなかった」


 彼女の心は乾ききっている。

 砂漠のように、あるいは日照り続きの荒野のように。


 窓から差し込む太陽がやけにまぶしく感じられて、目を細める。同時に視界に飛び込んだ青い空は雲ひとつなくて澄み切っている。あまりにも突き抜けた青色をしているその空は、そこになにもないことを強く印象づけているようでもあった。



「認めよう。この願いに意味はない。時間がないというのも、正しい」


 低めの声が鼓膜こまくを揺らす。

 女王は立ち上がると、段差の上に立つ。


「貴様も見ただろう、住民たちが影になる瞬間を」


 私の脳内には、広々とした屋敷の中でテーブルを囲う村人の姿が、蜃気楼のように揺れる瞬間が蘇る。


「ええ、確かに」


 うなずく。

 女王は腕を組んでこちらを見下ろしながら、淡々と唇を動かす。


「彼らを生み出したのは私だ。大地や建物もゼロから作成した。私が消えた後、世界は崩壊する。跡形もなく、元の真っ白な空間に戻るはずだ」

「女王は、それを望んでるの? 違うでしょう? だったら――」

「知ったことか。私はただ、成すべきことをするだけだ」


 その『成すべきこと』とはいったい、なんなのよ。

 どうにもすっきりとしなくて、眉をひそめる。

 いずれにせよ、彼女にこちらの思いは届かないか。


 相手の頭に『保身』の二文字がないことくらい、私でも分かるわ。

 高みを目指す、ただそれだけのために生きてきたミシェルは、果たして幸せだったのだろうか。


「自由に生きると誓ったんでしょう? それなのに夢にとらわれているだなんて、おかしいわ」

「だが、これでいい。方法ならほかにいくらでもあるのは事実だが、歩みを止めるわけにはいくまい。なぜなら、これが正しい選択だからだ」

「違うわ。そんなのありえない」


 主張の途中で割り込むような形で女王が口を挟んできたため、こちらも間髪を入れずに否定する。


 本音を言えば、即座に『彼女は正しくない』と断言をしたかった。

 けれども、怠けてばかりいた自分よりも、相手のほうが立派であることは明白だ。

 だから言葉は飲み込み、拳を握りしめる。


「私は模造品でしかない。曖昧あいまいで不確かな存在。いわば、貴様の願いが形となった存在か。だから、このような生き方しかできないのだ」


 皮肉げに、小さな唇で笑みを作る。


「誰かを思い出さぬか? この言葉で」

「ええ、該当する人といえば、イリュジオンね」

「そうだ。やつも私と同質の存在。幻であり、嘘で、偽物でもあるのでな」


 私が彼の名前を出すと、相手は喜々として語りだす。


やつは言っていたな。『所詮しょせん、自分たちは幻でしかない』『幻想は幻想のままでいい。それ以下でもそれ以上にも、なってはならない。間違っても、本物のはなるべきではない』――私も同意見だ。この幻想しかない世界で頂点に立っても、得た功績は、本物とはいえぬ」


 ゆえに女王は今も満たされずにいるのね……。

 彼女の考えを否定することはできなかった。


「貴様はこの選択に、この心境に至った私を責めるか?」


 おもむろに繰り出された問いに、首を横に振って答える。

 否定した理由は、なにもかもが仕方がないといえたからだ。

 彼女が生まれた原因は、自分にある。女王が満たされなかった理由も、同じだ。


 私が全てを歪めた。


 どうして、あんなことを願ってしまったんだろう。


『全てが欲しい。全てを失っても満足ができるくらい、強烈なものが欲しかった』


 結局、思いは満たされなかったわ。

 私の願いは叶ったとしても、意味を成さないものだったのよ。


「もう、これで最後になる」


 感慨深げに、彼女が言う。


「大切に思っている者のことなら、案ずるな。私が追い出しただけだ」

「彼を私から遠ざけたのは……」

「率直に言うと、邪魔だったからだ。貴様にとっても、私にとっても」


 恨んでいる様子ではなく、どちらかというと旧友に関して語るように、ミシェルは口にする。


「貴様の近くに置いておくには危険だと判断した。それだけだ」


 緊張感をはらんだ女王の言葉を聞いて、過去の出来事が脳裏をよぎる。


 勇者と私たちは敵同士だった。悪の敵であるがゆえに、善であることは確定している。ましてや悪役だなんて、ありえない。


 彼に対する熱い想いが表に出ていたのか、ミシェルがくすりと笑う。


 外は穏やかだ。風一つ吹かず、真っ青な空が広がっている。

 ああ――だんだん、終わりに近づいてきているのね。


 元はといえば、真実を知るために女王に会いにきたようなものだったけれど、自然と彼女を説得するほうへ目的がシフトしていた。


「女王は自分を犠牲にして高みを目指そうとしているけれど、本当に欲しかったものは、手に入るの? もう全て、なかったことにしたほうがいいわ」


 無表情ながらも引き締まった顔つきで、相手を見澄ます。


「全てはこちらの責任だもの。その泥は私がかぶる」

「だから和解をしようと? 許し合って、互いに歩み寄るべきだと、貴様は言いたいのだな?」


 彼女はほおの片側だけを動かして、冷笑を浮かべた。


 長らく、無言の交錯が続く。

 ミシェルの意思は変わりそうにない。芯はまっすぐに通っていて、なにものにも屈しない。歩みを止める気も一切なくて、そのための覚悟までそなわっている。


 完璧だ。もはや誰にも止められない。

 そんな彼女はやはり、美しいと思った。たとえ意思や願いはとてもいびつで儚いものであったとしても、あり方自体は透明できれいだ。


「和解は蹴る。私たちは二度と交わることはあるまい。だから、かわりに決着をつけようではないか」


 ミシェルがニヤリと笑う。唇の隙間から白い歯がのぞく。


 互いの意見をぶつかり合っても、決着がつかないのなら、争う意味もない。


 結局、相手の説得はできなかったけれど、これはこれで有りだ。

 私は彼女の心を、在り方を、いたく気に入ってしまったのだから。


 このさい、重いかせも外してしまおう。心ごと体を解き放して、全てをぶつけるべきだわ。

 伽藍堂がらんどうだった彼女の人生に、少しでも華を添えられるのなら、私は……。

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