第8話 全人類の意思の集合体

 なに? それは?

 その言葉の羅列は?


 目を丸くして、口をポカンと開けたまま、突っ立ってしまう。


『最初に作られた存在』

『人類の雛形』

『全人類の意思の集合体』


 イリュジオンが発した情報を一つ一つ、脳内で繰り返す。

 何度も心の中で言葉を発しなければ、うまく物事を呑み込めず、真実も受け止められなかった。


「この世界の人間が、女王の手によって生み出されたということは、知っていますよね?」


 ルークに宝石と交換で情報を与えて店員が、そのようなことを口にしていたのを、覚えている。


「よりくわしくいうと、彼らは世界を彩るという役割を持っている。いわば、世界を世界として存在させるために必要だったもの……でしょうか」


 なにかを思い出しているかのような目線で、青年は淡々と言葉をつむぐ。


「僕は、新しい人間が増えるたびに、彼らの情報を自分の中に溜め込んでいくのです。だから、自分という存在を構成するのは、彼らの意思といえます。そこに、僕の核は存在しません」


 ガラス玉のような瞳は深く澄んでいる。

 一切の迷いはなく、悩みすらなくて、ひどく達観しているようにも映った。


「この姿も、偽物ですよ。僕は、架空の少年に成りすましてあなた方を城まで案内したのですから」

「じゃあ、やっぱり、やけに家の中の設備が充実していたのは?」

「ええ。身内が死んだというのは、嘘です。実際は家族なんて、最初からいなかったのです」


 なんだか、全てが嘘だったような気がして、肩の力が抜ける。

 結局、私たちは彼の手のひらの上だったのね。


「変幻自在といったところでしょうか。僕の特性です」


 しみじみと彼は語る。


「さて、そろそろ本題といきましょうか」


 青年が鋭い声音に切り替える。

 場の空気が静まり返ったような気がした。


「なぜ、兵士たちが鏡を見た瞬間に消えたのか。分かりますか?」


 答えならあっさりと思い浮かぶ。実際に鏡の中で彼らが消える瞬間を――私以外に人のいない廊下だけが延々と広がる空間を見てしまっていたから。


 しかしながら、私は口をつぐんでしまう。

 なにも言いたくないという気持ちが強かった。正解を口にしてしまえばそれで確定してしまうような気がして、体の芯が震える。


「正解は、彼らが幻だったからです」


 淡々とした声が、耳の奥に染み込む。


 ああ……。


 一気に体から力を抜ける。


 知っていたはずなのに、分かってしまったはずなのに、実際に口に出されるとショックを隠しきれない。

 内心で唇を噛んで、真っ白になった脳内で、それでもまだ抵抗をしたかった。


 ゆっくりと顔を上げてみれば、青年は真顔でこちらを見つめている。


「本当は、あなたが一番それを実感しているはずですよ」


 そう、冷たく言い放つだけだった。


 違う。違うの。

 想像とは異なる真実がほしかっただけなの。


「理解していますよね。だから、彼らは消えたのだと。鏡にはなにも映らなかったのだと」


 まるで幽霊のように、兵士たちの存在は希薄だった。


 この世界は偽物だ。幻想のかたまりだ。脳が叫ぶ。それに心がついていかない。


 だって、この世界にはこんなにも生き物がいるのに。みんな生きるために必死になっているのに。それが意味のない行為だと突きつけられたような気がして。


「住民たちは夢を見ている。なにもかもが満たされないから自分は人間だと嘘をついて、この世界で欲求を満たそうとしている。夢から覚めたらみんなは消える。それはきっと、世界の終わりを示す」


 いつか、寂れた村の屋敷の中で聞いた口調で、青年は声をつむぐ。


 嫌、嫌よ。

 違うと言って。

 嘘だって答えてよ。

 お願い。私に、嘘をつかないで。


 脳内が混乱する。心がかき乱される。


 うつむいて、頭を抱えた。

 なにもかもが信じられなくて、信じたくなくて。

 なおも私を見下ろす青年の瞳は、陽炎かげろうのように揺れていた。


「私は……私はいったい、なんなの? 幻想では、ないの?」

「あなたは違う。本物です」


 イリュジオンの答えを聞いて、少しだけ肩の力が抜けた気がした。

 かといって、自分を肯定されたところで、根本的な解決にはならない。


「どうして、こんなことを……私に? そんなこと、聞かせなくったって、よかったじゃない」


 振り絞るような声で問いかける。

 少年の回答は期待していない。はぐらかされると予想しながらも、自身の気持ちを吐き出さずにはいられなかった。


「あんまりとは思わない? 彼らが偽物だと言われて、幻想だと、実際には存在しないものだと聞かされて、それで、まともに生きていけると思っているの?」

「あなたには関係ないじゃないですか?」


 やけに冷めた声が、脳内をかすめる。


「私は、知っているもの。彼らがどれほど情けなくて弱虫で、自分のことばかり考えていたなかったとしても、生きていたと。確かに、この世界で、生きていたと」


 いままで、たくさんの人と会った。

 彼らは確かに『人』だった。私の目からしてもそれは明らか。ただそれだけだった。


「なら、それで構いません」


 ふと、青年が彼方を向く。

 達観しているかのような曖昧あいまいな表情ながら、ガラス玉の瞳にはほのかに温かな光が宿る。

 私の言葉を聞いて、おかしな感情でも抱いたのかしら。

 問いただしたくなるけれど、先に最も気になっていた内容を尋ねなければならなかった。


「彼女は? 彼女はいったい、何者なの?」


 私が頭に浮かべたのは、空色の髪とターコイズブルーの瞳を持つ、男性的な格好をした少女だ。


「あなた、全ての記憶が戻ったわけではないんですね」


 目を丸くして、まじまじとこちらを見つめてくるので、あわてて目をそらす。


「どういうこと? 私は確かに思い出したわ。昔、外の世界にいた私はありとあらゆる人間に悪だとみなされた。それで、討伐されたという過去を」

「だったら、どうしてあなたは生きているのですか?」

「それは……」


 どうして?


 答えるのは簡単だと告げそうになった口を閉じて、脳内で考え込む。


 全世界の悪は排除される。最大の天敵である勇者も降臨していた。生き残れるはずがない。


 現在の髪の色にも疑問が生じる。いちおう、一族の者は容姿を変更する能力を持っていると聞くけれど、私はバリアを張るしか能がない。


 元は銀色だったはずの髪が黒く染まっている――考えれば考えるほど、奇怪な話よね。


「仕方ありません。記憶の大半は彼女が持っていったようですから」

「彼女って女王よね。関係があるの?」


 にらみつけるつもりで青年を凝視すると、彼は苦笑いをしてから話しはじめる。


「女王はあなたの分身ですよ」


 あっさりとした口調で告げられた言葉が、脳にしみこむ。


 私が……女王の分身?


 目を丸くして、立ち尽くす。

 口元に不自然な笑みが浮かんで、ほおを汗が流れていく。


「嘘でしょ。あんな強くて神のような人が、私と同じ? ありえないわ」


 笑い飛ばしてしまいたいのに、これが現実だと心の奥で声がする。

 女王が自分の分身であるという証拠が、自分自身だとも言えるような気がして、口をつぐんでしまう。


 青年はこちらの気持ちには興味がないとばかりに、冷静に切り出す。


「始まりは外の世界から持ち寄った宝石に触れたことでした。宝石の名はターコイズ。それによって彼女は神へ近づきました。元より死すら超越した一族ですし、不老不死といっても過言ではありません。彼女自身、遠い世界で魔王と呼ばれるはずだった存在です。素でハイスペックだったものですから、こうなるのは必然でしょう」


 一方的に、薄っぺらい唇が動き続ける。

 超高速で、情報が耳から脳へ流れ込む。


「髪と瞳が変色したのは、宝石のせいです。あれは元あった能力を引き出したというより、上書きに近い。いうなれば、上から髪を染色するほどの強さで、変質したともいえます」


 彼の語り口はなめらかだった。

 最初から台本を用意していたかのようだ。


 一方で、こちらは次第に胃が痛くなってきていた。

 ざわざわと胸騒ぎがする。

 心の表面が荒ぶって、落ち着かない。


 ホールには蒸し暑さが充満しているのに、背筋に冷気が迫るような感覚を味わっていた。

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