第6話


 本人はごまかしたつもりなのだろうが、周りは大騒ぎだ。


「今の、なんだ? いったい、どんな魔法を使ったんだ?」

「教えて。ねえ、教えて。どうやったら強くなれるの?」

「え、それは……」


 戦闘力を持たない生徒たちが、青年に群がる。

 本人は顔を引きつらせて、後ずさった。

 以降もクラスメイトによる質問責めは続くが、彼ははぐらかすばかりだ。


 真実を伝えたがらない青年の姿は、幽霊におびえて逃げているようでもある。

 余計に少女の不快感を煽っていた。


 周囲はさらに騒がしくなって、収拾がつかない。

 まるで、祭りのようだ。

 その渦には飲み込まれないきょうに距離を取りつつ、少女は先ほどの出来事を脳内で再生する。


――ドラゴンが現れて、彼が倒した。


 一連の流れは体感では長く感じたものの、実際には数分、下手をすれば数十秒の出来事だ。

 思い返せばひどくあっさりとした戦いだった。


「あのドラゴンって、戦士が束にかかっても敵わない相手よね?」

「信じられないわ」


 後方に固まっている女子生徒が畏怖の感情を、声に漏らす。

 なおも喧騒(けんそう)やざわめきが止まぬ中、一人の生徒がルークに近寄った。


「お前はまさか、勇者なのか?」


 彼は目をそらす。

 ひどく言いづらそうな顔をして、それでも否定できないという態度で、うなずいた。



 勇者が現れたことで、世界中の人間たちは騒然とする。

 彼女は知らなかったが、人間たちにとって勇者とはいずれ現れると分かっていた存在だった。

 いわく、彼は未来から来た人間だ。

 勇者の任務は、世界の災厄を取り除くことである。そのために青年は召喚された。


 一方、ドラゴン騒ぎのあとは授業は中止となり、少女はおとなしく帰宅する。


「勇者、勇者……」


 寮の中で、呪文のようにルークの正体を示す単語を繰り返す。


「勇者といえば、私たちの敵じゃない」


 はるか昔、一族を滅ぼす者が現れると、住民たちは言っていた。

 くわしい話を聞いたことはないけれど、決して相いれぬ関係であることは確かだ。

 ひょっとしたら、まずい状況ではないかと危惧しつつも、心の底では楽観していた。

 ルークは絶対に災厄の正体にも、一族の存在にもたどり着けないと、断言できる。

 ところが、彼女の祈りにも似た予想とは裏腹に、事態は驚くべき速度で進行していく。


「数百年前の伝説に、生き物の生命を奪う一族がいると書かれていたよな?」

「まさか、そいつらが?」

「そうに違いない」

「特徴は?」


 町の隅で神妙な顔で話し合う男性たちの姿を、よく目にした。

 少女は寮に閉じこもって、他人から身を隠すようになる。


 幸いにも、一族の特徴は露呈していないようだった。逆にいうと、変身は意味をなさない。いくら外見を形作ろうと少しでも怪しいところがあれば、食いつかれる。下手に容姿を偽れば、疑われる。少女は少しでも自然に見えるように、容姿に手を加えなかった。


 流れが変わったのは、勇者の存在が露呈してから、数ヶ月が経過したころだろうか。


 朝起きてから、不穏な気配を感じていた。

 今にも雷が落ちてくるかのような、胸騒ぎがある。

 根拠はないものの、凄惨せいさんな事件の前触れを、窓から映る漆黒に染まった雲に見出した。


 いてもたってもいられないまま、家を飛び出す。

 町の道路を走り抜けて、広々とした空間に出ると、真っすぐに山奥の村へ向かう。

 暗い緑色をした木々の隙間を縫うようにして、ショートカットをする。

 薄暗い道を、急かされるように進む。


 なぜだか鼓動が激しくなっていた。

 顔には浮かぶ汗を拭う。

 ダークブルーの川が映す自分の顔は、青白かった。


 東の出口である、木製の門に似た二つの柱の間を通って、村に入る。

 乾いた地面に、柘榴の実が落ちていた。

 いな、正確にいうと、それは果実ではない。


 おびただしい量の血痕だった。


 まさか――


 真っ白になった頭で、最悪の事態を想定する。

 別の方角を向けば、かつて白かった壁が蘇芳すおう色に塗られていた。


 いや――


 脳内で浮かんだ色の正体を、首を振って否定する。

 彼女は鈍い赤色の地面を蹴って、奥へと進む。

 近くで、深紅の花が散って、枯れ草色の地面に落ちる。

 一歩足を動かすたびに、鼓動が早くなっていく。

 はやる心と連動するかのように、早歩きになる。


 刹那せつな、頭からノートの中の一ページに似たものが消えた。

 完成していたパズルからピースが欠けるような現象だ。

 心に生じたのは、かすかな違和感。

 なにが起こったのか分からないのに、心が波立っている。

 どんどん、大切なものが抜け落ちていくような感覚があった。


 冷たい風が吹き付ける中、よそ見もせずに口を一文字に引き結んで、足を動かす。

 そして、桑の実の木の前にたどり着いたところで、足を止める。


 奥には、なにかが転がっていた。

 赤い色を帯びた、人の形を留めていない物体を。

 彼女は、知っている。

 前方に転がっている物体の正体は自分の求めていた者ではないと、分かっていた。


 ならば、真に求めていた者はなにだったのか――


 同時に、頭にある疑問が生じる。

 自分はいったいどのようにして生まれ、町へ行くまで、どのようにして暮らしていたのだろうか。




「あ、ああ……ああああああああ」


 檻の中で叫ぶ。

 いままで欠けていたものの正体を目の前に突きつけられて、わけもわからないまま気持ちを表に出す。

 頭を抱えた。もうなにも見たくないと、記憶なんて要らないと、心の中でなにかを否定しようとする。


 だけど、私は覚えていた。

 故郷で、なにもかも忘れて立ち尽くすのみとなった私の前で、なにが行われたのかを。


 純白の刀身は夕日に濡れて、刃の先は地面へ向かって下りている。

 剣の持ち主である純白の鎧に身を包んだ青年は、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 彼の足元には真っ赤に染まった装備を身に着けた、人間が転がっている。


 少女はぼうぜんとしたまま、ゆっくりと相手に視線を合わせる。

 青年は濁った青色の瞳をそらして、背を向けた。

 彼は桑の実の木の枝に飛び乗ると、その勢いで屋根に飛び移って、村の出口へ向かって逃げる。


 残された少女は、汚れた地面にひざをつく。


 周りに転がっている者の正体なんて、気にもとめず、うつむいた状態で固まってしまう。

 なにが起きたのか分からないし、なにを奪われたのかも不明だ。

 それでも、自分の大切なものを奪われたという事実だけは、頭にハッキリと浮かぶ。


 そうだ、奪われたのだ。


 少女は悟った。たった今、自分は一人になって、全世界の唯一にして共通の敵となったのだと。



 これが、私だ。レイラ・レナータだ。


 いままで忘れていた。いや、思い出さないようにしていたのかもしれない。

 その行為に意味はなかった。全てを忘れても、結局は過去にとらわれてしまう。過去の出来事を引きずったまま、ただ孤独に生きていたのだ。 


 ようやく思い出せた、自分にも確かに仲間がいたのだと。同じ一族の人間は確かにいた。だけど、それを奪われたのだと理解しただけでは、救いにもならない。いまだに仲間の顔と名前すらぼやけて鮮明に頭に浮かんでこないのに、純粋に笑うことなんてできなかった。


 果たして、悲劇の始まりはなんだったのか。本当の敵は誰なのか。いかにすれば、最悪の事態を免れたのか――そのようなものに、答えはない。


 あの世界で、私たちだけが悪だった。普通の人間は全て正しくて、肯定される。逆に私たちは一方的に殴られる。とことんまで追い詰めて否定しなくてはならなかったのだ。

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