第3話



「いいだろ、これで。じゃあ、こいつはさっさと解放して――」


 待って。言わせない。

 

「お願い。それだけは、まだ」


 反射的に、彼の腕にしがみついていた。


「私の命なんて、どうだっていい。あなたみたいな人と、こんな無能が釣り合うわけないじゃない。だから、考え直して。いつまでも、他人を優先し続けるようなマネ、しなくていいのよ」


 お願いだから、まだ、ここにいて。誰かのものになんて、ならないで。

 あなたがほしいの。ほかになにも、誰だって要らないのよ。

 そのためなら、なんだってする。

 ほかのありとあらゆるものを犠牲にしてでも、あなたのとなりにいたい。離れたくない。

 その思いだけが真実であり、事実だった。


「悪いな」


 彼は一言、告げるだけ。

 どうして? どういう訳? なぜ、彼は私の気持ちに気づいてくれないの? 気づかなかった振りをして、振り返ってすらくれない。

 私に希望を見せておきながら去るなんて、許さないわ。

 吐き出したい気持ちは山のようにあるのに、唇が固まってしまったかのように動かない。

 青年はもはや覚悟は決まったとばかりに、離れていく。


「俺は勇者だ。勇者でしかないんだよ。俺はきっと、このときのために来た。だから、もう、引き返すなんてできないんだ」


 最後に振り返って、真っすぐな――晴れた空に似た目をして言った。

 納得ができない。

 うつむいて、服のすそをつかんで、引きちぎりそうなくらい力を込める。

 今からでも嫌だと叫びたいのに、プライドとからまった心境がそれを許してくれない。

 胸を満たす感情は、なんともいえなくて、解析できそうになかった。

 ただ、もうなにも失いたくないことだけが事実だ。

 顔を上げた。

 深く息を吸い込む。

 瞳が揺れる。

 遠くなっていく背中に手を伸ばす。伸ばした手が空を切る。あやうく体勢を崩しかけた。

 理由をちょうだい。なにゆえに、私の元からありとあらゆるものが消えてしまうのだろう。


「では、邪魔者は退場していただきましょうか」


 足音が迫る。

 殺される?

 回避されたはずの未来が、目の前に浮かぶ。

 相手は武器を持たず、無表情のまま近づく。

 逃げなきゃ……。

 心が体に向かって命令を下そうとしているのに、下がれない。

 足が張り付いたように動けずにいる。


「貴様もおろかよな。あのような者と関わらなければ、なにもかも、平穏でいられたはずだというのに」


 遠い昔の記憶を探るように、後方にいる彼女は口にする。

 それは自分ではなく、他人の記憶?

 真意は分からない。

 私が口を間抜けに開けたまま固まっていると、目の前で青年が動く。唇が詠唱をつむぐ。聞き取れないほど、高速に。

 刹那(せつな)、足元に陣が出現する。円の中に六芒星が描かれた、複雑な模様が描かれた陣だ。

 頭が高速で動き出す。生き残る術を考えるために、過去の記憶を引っ張り出そうとする。

 圧倒的なまでの情報の渦の中、思考が現実に置いてけぼりにされていた。

 知らぬ間に、足元から光が放たれる。下を向いても、もう遅い。私の姿が虚空に消える。

 最後に聞いたのは、誰の声だったか。もしくは姿だったのか。それすら全く分からないまま、次の瞬間には別の空間に飛ばされていた。


「ここは……」


 無意識のうちに口から声が見れていた。

 尻もちをついて顔を上げる。

 やけにジメジメとした空間だ。照明もなくて、暗い。昼間だというのに、光は一切差し込まない。

 あたりを見渡すと、鉄格子が視界に入る。

 近づいて、指をかけた。ほかにも似たような形をしたものが見える。

 牢獄かしら。さしずめ私は捕まったと見るべきか。

 一方でほかに咎人らしき人間の姿はない。不自然ね。むしろ、私が捕まった理由が分からないくらいだ。

 悶々もんもんとしていると、不意に脳内で電光のようなものがひらめく。


「私は、この場所を知っている?」


 いわゆる、デジャブ――いいえ、違う。

 首を横に振った。

 私は、この場所を知っている。

 正確には見た目が似ているだけの、別の牢獄だったのかもしれない。

 一つ、間違いがないと確信できるのは、自分が昔、牢獄に入っていたことだ。

 もっとも、ゴミ捨て場という名の外界には、人を捕らえる空間なんてなかった。

 では、なぜ私は、自分が檻の中に閉じ込められていたことを否定できないのか。

 疑問に思うと同時に、高速で駆け巡ったのは、とある映像だった。



 人が倒れている。

 血を流して。体内でなにかが爆発したかのような有様で。

 荒れた地面には花が咲く。


 真紅の、ええ、それは……血で描かれたもので。



 あ、ああ……それは、この記憶は……。


 思考が追いつかない。

 食らいつくことすら許さないというように、次から次へとビジョンが脳内に流れ込む。



 長い睫毛まつげに縁取られた切れ長の瞳に、大勢の男性が映り込む。重装備を身に着けた彼らは荒れた大地を埋め尽くして、敵意に満ちた視線を一人の少女へ向けている。彼女は無表情だ。リアクションも特にない。命よりもむしろ、髪のほうが気になるようだ。鉛色の空の下で、風になびく銀色の髪を押さえている。


「貴様こそが、この世界の悪だ」

「今日こそ消えてもらおう」

「覚悟しろ」


 憎悪に満ちた声は、果たして相手に届いているだろうか。相変わらず涼しい顔をしている少女には緊張感がなく、周囲から浮いている。戦士たちとは、文字通り毛色が違う。戦場にふさわしくない容姿はもちろん、存在自体が世界にとっての異物だ。おそらく、彼女はどのような場所でも周囲とは馴染なじめないだろう。いわば、銀髪の少女は世界中の誰よりも目立って、全人類の視線を独占しているともいえた。


 残念ながら全く嬉しくはないとでもいうように、彼女はため息をつく。


 次の瞬間、視界から戦士たちが消える。彼らはそらにいた。跳躍して、上から狙おうとしているのだ。氷のように冷ややかな瞳の中で、戦士が剣を振り下ろしながら襲来する。


 刹那せつな、空に鮮血が舞う。


 地上で構える男性たちが上を向く。途端に体は硬直して、みるみるうちに表情がこわばる。


 彼らが確認したのは、仲間がはじけ飛ぶ瞬間だ。斬られたというより、内部から裂かれたというべきか。肉体はおろか、よろいまであっけなく割られている。ただのオモチャと化した人間たちは、空中で力を失う。数秒前まで生きていたはずのものが、ボトボトと落ちていく。しかばねは一気に積み上がる。やけに鮮やかな赤色の液体が、くすんだ色の地面を塗りつぶしていた。


 攻撃を仕掛けなかったために生き残った者たちは、ぼうぜんと立ち尽くす。おそらく、誰もが現状を把握できていない。頭が真っ白になって、正常な判断がつかなくなっているのだろう。逃げるという選択肢すら浮かんでいない様子で、目を泳がせながら武器を構える。


 彼らも内心では分かっているのだろう、立ち向かえば殺されるのだと。しかれども、たった一人の娘に仲間たちが一瞬で倒されたという事実は、簡単には受け入れられない。なにかの間違いではないかと何度も心の中でつぶやいている様子だ。


 実際に、目の前にいる少女は華奢きゃしゃだ。きたえられていない細腕では剣を持っても、使いこなせるか怪しい。肉体に触れたら、あっさりと折れてしまいそうだ。


 不意に少女が体の向きを変える。なにごともなく、道で会った者にあいさつをするかのように、戦士たちを見つめる。切れ長の瞳には一切の感情はない。ただただ、冷ややかだった。


 途端に、戦士たちは凍りつく。彼女の態度があまりにも自然で、普通だったからだ。なにを考えているのかすらうかがえず、底が見えない。まるで、深淵しんえんのぞいているような気分になる。おかげで誰も、か弱い娘に向かって攻撃を仕掛けられない。


 思考は完全に停止している。もはや、相手が何者なのかすら理解できない。されども、不思議と自身の運命だけはきちんと脳裏をよぎる。


 死。


 たった一文字の単語を頭に思い浮かべて、また誰かの視界が赤く染まる。遅れてなにかがはじけたような音が響いた。


 やがて、誰もいなくなる。荒涼とした大地を空虚な風が吹き抜けていった。


 鉛色の雲が引くより先に日が暮れて、燃え尽きた太陽が西の空に沈んでいく。少女は屍の上を踏み越えるような形で移動を開始する。頭上の雲は少しずつ晴れて、すみれ色がかった空の端が表に出る。されども少し遅かったようだ。あたりはすでに、淡い藍色に包まれている。

 なおも足は止まらない。夜がきてあたりが漆黒しっこくの闇に包まれても、歩き続ける。彼女を照らす月光は、サラサラとした長い銀髪の色によく似ていた。



 これは確かに、私の記憶。いつか夢で見た光景だった。

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