第2話


「最初から女王の配下でした。僕は彼女の命令に従っただけです」

「それを裏切りというのよ」

「さて、どうでしょう」


 この期に及んではぐらかすつもりかしら。いいわ。この件に関しては一切触れない。彼に関しても、最初からいなかった体(てい)で話を進めるわね。


「さて、問題はここからだろう。貴様はなにをしに私の前に姿を現した。言ってみるがいい」

「いろいろあるけれど、一番は、世界の真実に関して教えてほしいといったところかしら」


 うつむいて、やや遠慮がちに、口に出してみる。


「この世界は歪よ。特に私のいたところなんて、ただ呼吸をしているだけでいいという有り様だったわ。さらにいうと、女王さまは人間をゼロから生み出す能力を持っているのでしょう? それはどういう仕組みなのか、知りたいの。ほかにもきっと、いくらでも謎は見つかるわ。それを解決するヒントを、そちらなら持っているのではないかと、思ったの。協力してくれるかしら」


 顔を上げた。

 女王のターコイズブルーの瞳と目を合わせる。


「外の世界へ繋がる鍵を、持っているのでしょう? 女王は、この世界を作った神に等しい存在なのだから」


 さて、結果はどうなる?

 独特の緊張感があたりを包む。

 一方的に話す形になったけれど、うまくいったのか不安で仕方がない。粗相(そそう)をおかしていたらどうしようという案件である。もっとも、私は敬語を使うのを忘れていたため、その時点でアウトという気がしなくもないが。


「なるほど、貴様の意思は理解した」


 彼女は口元に薄い笑みを浮かべた。


「失格だ。貴様には手など貸さぬ」

「な――それは。それは、いったい?」

「分からぬか。そのままの意味に決まっておろう。なんせ、貴様はいままでなにもしてこなかった。努力を放棄し、怠けているだけではないか。それは構わぬのだが、そのような者が私に対等に要求を突きつける資格はあると思うか?」


 確かに言えている。

 いままで努力をしてこなかったのは事実だ。世界の謎にすら目を伏せて、引きこもってもいた。


「でも、そちらだって、私のなにを知っているの? 勝手に決めつけてバカにするだなんて、器が小さいんじゃないの?」

「なにを言うか。別に構わぬと言っただろう? なんせ、この世界は自由だ。生きるも死ぬも、努力するも怠けるも。ゆえに私は全てを許容する。貴様の存在もふくめてな」


 彼女は堂々と胸を張って語る。

 自分の意見を押しつけるようではなく、ありとあらゆるものを受け入れる体勢で。


「でも、私のことを知らないのは事実でしょう」

「さて、それはどうだろうか。貴様は私だ。この容姿を見れば分かるだろう?」

「それは……」


 気になる要素の一つではあるわ。

 バリアを張るしか能のない少女と、世界を作り出した神に等しい存在――

 同じ顔の人間であるはずなのに、なぜ差がついてしまうのだろうか。

 なにもかもが理解できない。いったい私は、なにをすればよかったの?


「知りたいか。私は上を目指した。貴様は目指さなかった。それだけの違いだ」


 やけに冷めた、だけどハッキリとした声が耳に染み込む。

 途端に核心を突かれたような気がして、愕然(がくぜん)とする。

 そうだわ。私は現状維持を続けようとしていた。世界に関する謎だって、自分の足で解き明かさずに他人を頼ろうとしている。

 いままでの問題にしても一人では解決できなかった。所詮(しょせん)は傍観者だ。勇者や村人たちが奮闘する中、私はただ見ていることしかできなかった。

 それでも、本体の世界に突入してからは違うわ。少なくとも、頑張ってはきたのよ。魔法だって、潜在能力を生かすために特訓したの。おかげでバリアが漆黒に輝いて禍々しくなったけれど、修行の成果ではあるわ。

 今は違うと思いたかった。そうでなければ、城の最上階までたどり着いた意味がなくなる。さらには、ここまでやってきた私の価値すら著(いちじる)しく損なわれてしまう。

 まだ、信じたくはない。自分と同じ容姿をした女王の戯言(ざれごと)に、耳を貸している場合でもなかった。

 私は、私は……成すべきことをしなければならない。


「女王であろうとがなんであろうが、倒す。倒してでも、目的を、なんとしてでも達成しなければ」

「できるのか、貴様に?」


 ため息をつく側近のかたわらで、彼女は目を細める。

 その鋭いターコイズブルーの瞳で見られると、なにも言えなくなってしまう。

 反論をする権利すらないと告げられているような気がして、閉口した。


「女王にはいかなる強者とて逆らえませんよ。当然、勇者であろうとも」


 淡々と、少年は語る。

 ええ、そうね。私は詰んでいる。

 この世界に入った時点で、彼と出会ってしまった時点で。

 なにも得られないことは確定したし、このまま情けなく終わりを迎えるだけだ。


「努力が足りなかった? ここに来るのは早すぎた? そんな、そんなはずは……」


 頭を抱えたくなる。

 うつむいて、なにも言えなくなる。

 女王は仕掛けてこない。強者に気圧されるだけの無防備な敵ならば、あっさりと倒すことは可能であろうに。

 私は命を奪う価値すらないというのだろうか。

 舐められている。完全に、舐められている。敵とすら思われていない。

 こんな取るに足らない存在にも関わらず、なぜ私は、最上階まで足を運んでしまったのかしら。

 なぜ、誘導されてまで女王との面会を許可されているのだろうか。


「本命は貴様ではない。勇者だ」


 え……?

 急にあたりの空気が冷えたような気がした。


『勇者』


 女王の口から、ルーク・アジュールを示す単語が飛び出したとき、私の心に確かな戦慄せんりつが走った。

 頭には、妄想にも似た懸念が超高速で流れ出す。



 それは、あってはならない。


 絶対に避けなければならない。


 ビジョンが、目をそらしたくなるほど残酷な未来が、頭に浮かぶ。

 いやだ。いくらなんでも、そんなことは……。

 だけど、現実はゆるやかに加速して、私の目の前で繰り広げられることになる。

 背後で扉が開く。

 振り向くまでもなく、気配で分かった。

 鉄靴の足音が響く。同時に背後で、やけにまぶしい光を感じた気がした。



「どうやら、まずいタイミングで来たみてぇだな」

「まったくよ。間が悪いにもほどがあるわ」


 振り向かずとも、声と雰囲気で分かるわ。今、扉を開けてやってきたのは、先ほど女王が話題に出した勇者本人よね。

 ああ、もう、よりにもよってこのタイミングで来るなんて、どうかしているわ。

 私は髪を両手で思いっきりかき乱した。


「ようやく現れたか。だが少し、遅かったな」


 前方にいる女王が悠々とこちらを見澄まし、口角をつり上げる。


「貴様は勇者であろう。どうだ? この娘を救うかわりに、私の元へこないか? なに、安心しろ。私は貴様自身に用があるだけだ。戦闘などする気はない。だが、もしも要求を呑まぬというのなら……分かっているであろうな?」


 本気だ。口調こそ穏やかではあるものの、眼光は鋭く、有無を言わさない響きを持っていた。

 下手に断ったら、勇者本人も殺されるんじゃない?

 脳裏に浮かんだのは、能無しの少女を救うために、血の海に沈む青年の姿だ。

 私のために彼が犠牲になるなんて、絶対にあってはならない。

 自分でも分かるくらい血の気が引いて、握りしめた拳が震え出す。

 いかにすれば最悪の事態を回避できるのか、頭をひたすらに回転させる。

 心拍数が高まって、比較的涼しい室内にいるにも関わらず、肌を透明な玉が流れていく。

 神経をすり減らして、目つきさえ変えて、脳内で策を練る。

 気持ちは高ぶって、いてもたってもいられない。

 早くなんとかしなければと焦(あせ)る心とは裏腹に、私はなんの行動にも移せずにいる。

 ダメだ。私では不可能だわ。

 いくらあがいたところで、女王には敵わない。弱者は強者に大切なものを奪われる運命にある。全て、女王の思い通りに事を運ばせてしまうのだわ。


「ああ、なるほど。そういうことだったんだな」


 青年の落ち着いた声を聞いた瞬間、一気に体の中にある芯が崩れそうになる。

 張り詰めていたものが切れて、全身から力が抜けた。

 拳を開いて、腕をだらりと下げる。

 窓が一時的に曇った空を映す。影に沈んだ部屋の中で、私は全てが終わったのだと察した。

 あたりは静寂に包まれている。側近であるイリュジオンは仕掛けてこない。余計なマネをしないとばかりに、女王の横でたたずんでいる。

 ほどなくして、勇者は口を開いた。


「いいよ。要求なら、呑んでやる」


 ああ……。彼は結局、女王の元へ行くという選択をしたのね。

 知っていたわよ、ルークが相手の要求を蹴るような人間ではないと。彼はいままでも、私を見捨ててはくれなかった。そればかりか、『必要だ』なんて嘘をついて、逃げようとする私を引き止めたのよ。なんの役に立たない無能ですら側に置き続けた人だもの。今ごろになって逃げるはずもなかった。

 勇者としては当然の選択だったのでしょう。おかげで私も助かった。

 客観的に――第三者の視点からすれば、誰の命も犠牲にならないよい展開だ。

 さりとて私の本能は、気に食わないと叫んでいた。

 このような結末はいけないと、現実から目をそらしたくなる。

 私は彼を失いたくなかった。

 中途半端に開いた唇が震える。

 胸の底で渦を巻く想いを吐き出してくて、たまらなくなる。

 心は次第に追い詰められていく。

 確実に包囲網が狭まった――もしくはもう、手遅れだ。

 顔を覆ってしまいたくなる。

 本当に、どうしてよ? なんで、私が彼と別れなければならないのよ?

 私は運命に愛想を尽かされている。

 もっと幸福な結末を用意されてもよかったのに、現実はひどく冷たい。

 どうしようもないほどまでに残酷で、私に希望を見せつけては、その光を奪っていく。

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