第四章
第1話
光が差し込む。
まぶしさに目を細める。
明かりのついていない部屋から、日の当たる外へ急に出たような気分だ。
事実、いままで私は薄暗い廊下を通っていた。急に強い照明の光に出迎えられたら、衝撃を受けるのは必然よ。
まったく、昼間くらいは明かりを節約してもいいじゃない。贅沢にもほどがあるわ。文句を言ってやろうかしら。
目に光が慣れたところで、ゆっくりと開眼する。
下を向いていたため、真っ先によく磨かれた
顔を上げると、真ん中から上と下を区切るようにして段差があるのが分かる。前方には巨大な窓も存在して、その側には巨大なテーブルも設置されていた。
そして、部屋――いいえ、城の主である人の影を目にとらえた瞬間、私の唇が震えた。
そんな、まさか……。
大きく開いた窓の前に、一人の少女が立っている。
彼女が着ているのは、男もののフォーマルな衣装だ。物語に登場する、軍服に似ている。
空色の髪の横の長さは、肩につくかつかないかといったところか。後髪はまとめているようで、こちらの角度からではよく確認ができない。
瞳はターコイズブルーで、同じ色をした宝石のついた装飾を、手甲のように巻き付けていた。
問題は顔よ。彼女の姿を目にとらえたとき、心臓が凍りつくような感覚があった。現実を受け入れられずに
少女の顔立ちは私と同じ――まるで瓜二つだ。やや切れ長の目の形も、小さな唇も、なにもかもが一致している。挙句の果てには体格まで。
それなのに、脳が彼女を自分とは別人だと認識している。なんせ、雰囲気が異なるのだ。こちらが闇のように黒く暗いオーラを放つ一方で、相手はいかにも若々しくて爽やかな印象を放つ。男性的な衣装も様になっていて、
顔は同じなのに、ここまで印象が異なるなんて……。自分との違いを鮮明に見せつけられたような気がして、ショックを受ける。
「そろそろいいだろうか。待っていたぞ、貴様を」
声までも自分と一致していながら、相手の声は清々しい響きを持っていた。
「混乱するのは分かる。貴様はなにも知らぬ。いや、全てを忘れているのだからな」
確かに私はなにも覚えていない。気がつくと外界にいて、女王が時々落としてくる本を手にとって、日々を過ごしていただけだ。
逆にいうと昔はなんらかの情報を得ていた可能性がある。失った記憶さえ取り戻せたら、謎が解けるかもしれない。
とはいえ、女王を前にして、秘められた事実を思い出すのを待っている場合ではないわ。悠長なことは言っていられないのよ。
早く真実を知りたい。いいえ、知るべきだわ。もはや、一刻の
「何者なの?」
「はて。それを知るのはまだ早い。なに、安心するがいい。貴様もすぐに知ることになろう」
ニヤリと、端正な唇がつり上がる。
同じ顔をしているにも関わらず、彼女の顔立ちは自分よりもたいへん整っているような錯覚があった。ウジウジとした暗いオーラが吹き飛んだからだろうか。それとも、自信に満ちているからか。もしくは、両方かしら。いずれにせよ、私では敵わないわ。
ターコイズブルーの瞳と、手首と手の甲に見える宝石の光が、やけに目についた。
「そろそろ、いいでしょうか」
聞いたことのある声だ。
聞き間違いかと思った。
顔を上げる。
見覚えのある少年の姿が視界に入って、目を見開く。
いったい、いつから……?
問いは、唇の隙間から飛び出すこともなく、霧散する。
まるで幽霊のようにいつの間にか、少年は青い炎が照らす部屋の中にいた。
うまく目の前の現実を直視できないまま、脳内が空白に染まる。
体が硬直して、身動き一つ取れない。
自分と同じ顔をした人物と対面したこと自体が衝撃なのに、さらなる衝撃が、心を襲う。
彼の姿をあらためて、目でとらえる。
なんてことのない、平凡そうな人間だ。服装は小ぎれいではあるものの、貴族にしては安っぽい。一見すると女王のとなりに立つにはふさわしくないと思える。それなのに、二人の相性は悪くなかった。女王がそばにいることを許容しているような、そんな雰囲気がただよっている。
「ごくろう。よくぞ、ここまで案内をしたな」
「いいえ。直接こちらへ導いたのは、兵士です」
今度こそ聞き取った。
これは確かに、城に突入する前に別れた少年の声だわ。
「僕はあなたの命令なんかに、従いませんから」
いいえ、よく聞くと違う。
以前のオドオドとした印象が消えて、今はただひたすらに冷たい。
いままで私たちに協力してくれた彼からは、出せないであろう声音だわ。
別人なの? そうだと言ってよ。
脳内が混乱していた。ろくな説明もないままに話は進行していて、あやうく置いていかれそうになっている。
「さて、そろそろ真実を伝えるべきではないか?」
「どの真実ですか?」
「貴様に関することだ」
玉座の前で、二人は互いに顔を見合わせないまま、話を進める。仲が悪いというよりは、むしろ目を合わせる必要すらないといったところかしら。
真剣な顔をして相手の様子を観察していると、少年は薄っぺらい唇を動かす。
「まあ、いいじゃないですか。彼女はなにも考える必要はない。余計なことまで教える必要が、どこにあるのですか?」
「貴様は本当に自己評価が低いのだな。自分に関する秘密・事実を余計なことと称すか」
肩をすくめて、女王が薄笑いを浮かべる。
私が気になったのは、彼女の態度ではない。
少年の口調・言葉を、ずっと前に聞いたことがあるような気がした。
それは、私はまだ外の世界を目指して試行錯誤を重ねていた時期のことだ。
――『あなたはなにも考えなくてもいいのですよ。余計なことまで気にする必要がどこにあるのですか?』
何度も脱出を目指して黄金の杖を振り回した私を、彼は淡々と止めたわよね。
脳内で回想した青年の口調と、先ほどの少年の口調が一致する。
つまり、まさか――
全身に鳥肌が立つ。
ミントの香りを嗅いだように、頭が冴えてくる。
「ミラージュ、ではない。彼の、本当の名前は」
確かめるように声に出した。
答えを示すかのように、少年が顔に片腕をかざす。
目の前で、彼という人間の姿を形作っていたものが崩れ始める。
それは、装置によって現実世界に浮かび上がった三次元のイメージが、消失する様に似ていた。
決してグロテスクではなくて、雪が溶けるように幻想的で、ひどく現実離れした光景でもある。
蜃気楼が消える。
一度、完全に無と化した一つの空間に、細かな粒子が漂い、一つの肉体を形作る。
身長は先ほどの青年よりも高いけれど、雰囲気は同じだ。
彼の容姿はそこはかとなく透明で、実際にこの世に存在しているか疑わしいほど、存在感が気迫だった。
相変わらず安っぽい服を着た彼は、冷めた目をして、こちらを向く。
「イリュジオン。そう、あなたは命名しましたよね」
イリュジオンという名の青年が、忘れかけていた現実が、遅れて目の前に現れた。
はっと息を呑んで、閉口する。
確固たる証拠が目の前にあるのに、否定する根拠はないのに、まだ信じたくはないという自分もいる。
彼を、ミラージュという名の少年を信じていたいと、心の底で叫んでいた。
まるで、白昼夢の中に閉じ込められたかのように、現実感が湧かない。
以降もなにも言えないまま黙り込んでいたけれど、やがて私は一つの結論を出すかのように、言葉をつむぐ。
「つまり、裏切られたというわけね」
「人聞きの悪い」
前方で青年は、冷たい笑みを浮かべる。
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