第10話

 平和な街が夕日に照らされて、深い橙(だいだい)色に染まっている。

 気温は下がって、快適だ。

 帰路につく者たちの影が目立つ中、私たちは人気の少ない広場にいた。


「どうするつもり?」

「宿を探す」

「違う。これからについてよ」


 濃い青色のベンチに並んで腰掛けて、作戦会議をする。

 互いの距離はやや離れていた。

 別段、仲が悪いわけではない。近づきすぎると気まずさを覚えてしまうだけよ。

 私にとっては今の距離がちょうどよかった。


「女王に歯向かうかどうかってか」

「ええ。彼女、相当強いんでしょう。勇者さまなら、いけるかもしれないけど」

「さぁ、どうだろう。俺、いちおう制約があってな」


 青年はさりげなく視線をそらすと、自分の耳に触れる。


「神には絶対に勝てねぇって、決まりがあるんだよ」


 まさか……。

 絶句する。

 いままで、勇者とは無敵であるべき存在だと信じていたのに、弱点があるなんて聞いてないわ。


「ちょっと待ってよ。じゃあ、女王に対抗できる相手がいないじゃない」

「カチコミに行く気満々かよ? 俺は最初から穏便に事を運ぶつもりだったんだぜ」


 勇者さまは余裕なのね。

 大変落ち着いている。

 むしろ、楽観しているといってもいいわね。

 絶対にうまくいくという、確固たる自信でもあるのかしら。

 私は訝(いぶ)しむように眉をひそめた。


「冷静に考えろよ。戦う以外の方法とか、いっぱいあるじゃねぇか。たとえば、戦う意志はねぇって伝えたり、自分が強いってことを証明して、強者として認められたり」

「それ、強いなら強いで戦いを申し込まれるフラグじゃない?」


 目を細めて、彼を見つめる。


「大丈夫だって。うまくいくぜ」


 ルークがポジティブシンキングでいるのなら、任せるしかないわね。

 元より、バリアを張るしか能のない娘では、サポートすらできないでしょう。

 基本は勇者さまの後をついていくだけよ。

 積極的に動くことはないけれど、相方の目的が達成されると同時に自分も願いも叶うと、信じているわ。

 すると、気になるのはルークの狙いよね。

 私の目的は『真実の追求』と『外の世界へ行くこと』だけど、彼はなにがしたいのかしら。

 確か、なにをするのかと尋ねたところ、『神に会いにいく』と即答したわよね。

 神さまと女王が同義だとして、問題は面会をしにいく意図よ。

 やはり、青年は重大な事実を胸の内側に秘めている。

 なんとなく確信のようなものをつかめてはいるものの、乳白色の霧を払うには、材料がまだ足りない。


「まあ、いいわ。私はそちらに従うまでなのだし、城に入る以外の選択肢はない。女王に会えたら、疑問だって全て解決するかもしれないし、なにより――」


――旅も終わりを迎える。


 最後まで言いかけようとして、口をつぐんだ。

 せっかく解放されるのに、一人になれるのに、ちっとも嬉しくない。

 胸の底から湧き上がってきた感情を隠すように、上を向く。

 作戦会議をしている間にあたりはすっかり暗くなって、藍色がかった空に灰紫の雲が浮いていた。


「外の世界、知ってるんでしょう?」

「あぁ、俺もそこから来た人間だからな」

「じゃあ、教えて。そこは、いいところだったの?」


 目を合わせずに、気まぐれに問う。

 返ってきたのは沈黙だった。

 彼は髪をかき乱したあと、うーんと腕組みをした。

 乱れた髪がまた元に戻って、涼しい風に吹かれて、サラサラと揺れる。


「とりあえず、広かったよ」

「ようやく出た答えがそれ?」


 肘掛けで頬杖(ほおづえ)をつく。

 ちょうど目の前を住民の影が通過していった。


「この世界の何十倍、何千倍もあるっていったらどうなんだ?」

「数が大きすぎて想像できないわ」


 第一、広いからなんだというの?

 孤島と比べたら、本体の世界も十分に広いわ。

 生活をするだけなら問題はないし、それ以上を望む意味もないでしょう。

 もしかして、面積の分、人口も多いといいたいのかしら。


「技術はどうなのよ。さぞかし、発展しているんでしょうね」

「まあな。中心部は豊かだよ。でも、外側の国はどうだろう。貧富の差も大きいんじゃねぇかな」

「つまり、広いだけで、大半は私たちが今いる土地と変わらないということかしら」

「そうなるな」


 ずいぶんとあっさりと肯定するのね。

 世界に対する評価も客観的で、実に淡々としている。

 問題点を羅列しろと言っているわけではないのだから、もっと、観光意欲が湧く話をしてくれたっていいのよ。

 自分の出身地をアピールしたり、とか。

 私の心の声に答えるように、彼はやや視線を上げてから口を開く。


「自然とか地形は、こっちとは比べ物にならないほどきれいだったような記憶はあるな」

「なんだ、相違点ならあるじゃない」

「いや、こっちの世界が荒れすぎてるだけじゃねぇかな」


 彼の言葉に同意するわ。

 実際にいままで通った道には緑が少なかったわ。大地はひび割れて、乾いた風があたりを吹き抜けていったわよね。

 人は暮らせなくもない環境ではあるものの、植物にとっては大変でしょうね。荒れた土地に適応しなければ、生きていけないもの。

 そうした中、不意に脳内におかしな映像が流れ込む。


 鈍い青色の寒空の下、乾いた大地を進む影がある。

 傷んだローブをまとい、大きな鎌を持った少女だ。

 骨のように白い肌を、月の色に染まった髪が縁取っている。

 眼差しは冷たく、整った顔立ちをしている割に、華がない。

 青黒いローブ姿も相まって、得体の知れない不気味な印象のほうが強かった。

 空は暮れ始めたのか、端っこのほうに柘榴(ざくろ)色が滲(にじ)む。

 同時に、北へ向かって歩く少女に、足跡が迫る。

 その正体を知ったのか、彼女はつまらなさそうな顔をして、おもむろに振り向く。

 太陽はあたりを濁った赤色に染めながら、ゆっくりと沈む。

 逆光の中、鋼鉄の鎧を身に着けた男たちが、突き進んでくる。

 彼らの表情は影となってよく見えないものの、少女に対して敵意があることだけは、ハッキリと伝わってきた。

 戦士たちは武器を構える。

 赤い光を帯びた銀色を目の前でチラつかされても、いまだに彼女は平気な顔で、警戒もせずに突っ立っていた。


 ああ、まただ。

 私がいつか見た、夢の記憶だわ。

 特に言うことはない。衝撃はおろか、感情すら心に発生しなかった。

 これが『夢』だという事実だけを、あっさりと受け入れたつもりだ。

 夢は夢でしかない。

 分かっている。

 それなのに、脳裏では赤い色がちらついて、胸騒ぎがした。


「戦士の種類も豊富だったな……」


 ルークが話を進める。

 彼はいやな思い出でも回想するかのように、遠くを見つめていた。


「争いごとが絶えねぇでさ。そのせいで人間は強くなることを強いられてたんだ。魔法だって当たり前のように飛び交っていたぜ。召喚・転移・魔道具……まあ、なんでもありってもんだ。ああ、そうそう。ギルドってもんもあったな」

「ギルド? ああ、知ってるわ。物語で時々登場するわよね」


 そうか、いままで読んだ創作物は、外の世界をモデルにしていたのね。

 本の作者が女王なら、彼女は外の世界を知っている可能性が高い。

 急に頭を覆っていた濃い霧が張れたような感覚がした。




「ほかはなんともいえねぇな」

「終わり? じゃあ、私たちのいる世界が一方的に劣っているってことになるわね」

「まあな。でも、一つだけ、優れてる部分ならあったな」

「なによ?」


 小首をかしげて、回答を急かす。


「こっちのほうが、自由だったかもしれねぇ」

「自由ねぇ……」


 それはどうかしら。

 なにものにも縛られない生き方なら私もしてみたいけれど、現実は違うのでしょう。

 ルールがないことで得られる自由なんて、強者にしか与えられていないじゃない。

 弱者は強者によって踏みつけにされて、支配されるだけよ。自由なんて得られない。その証拠を、私たちはさんざん目にしてきたわ。


「結局のところ、仮初めの自由よ。こういうのは、平等でなければ意味がないの」

「けどさ。平等なもんって、そんなもん、実現すんのか?」

「努力をすれば、いけるんじゃないの?」


 てきとうに口にしてみたけれど、彼にあっさりと首を横に振る。


「無理だね。絶対に誰かが不満を漏らす。誰もが幸福に、不満なく暮らせる世界なんて、実現しねぇんだよ。ほら、どこにでも火種は転がってんだろ? そいつを全部残らず消すことなんざ、不可能なんだよ」

「でも、減らすことはできるんじゃない? 少しでも困っている人を救えば、問題だって解決できる」

「そいつぁ、気の遠くなるような作業だな」


 彼の言う通り、時間はかかるでしょうね。

 よほどの実力を持つか、強靭な精神力を持つ者でない限りは、人を一人救うわけでも一苦労よ。


「とりあえず、俺たちの意見は同じだよな?」

「ええ。きっと、あなたと同じことを考えているはずよ」


 女王に会う。まずは、それからよ。


 私は外の世界を自分の目で見てみたい。

 ルーク・アジュールが生きた世界を歩いてみたい。

 そのためには、女王の力が必要なのよ。


 確証はないけれど、創造神にひとしい存在なら、外の世界へ通じる鍵を所持しているのではないかしら。


 ただし、今回ばかりはさすがに相手が悪いわね。

 事情を話せば、分かってもらえるかしら。

 下手をすれば不敬罪かなにかで、消し炭にされるわよね。


 うーん、とうなりながら、刻一刻と色を変えていく空を眺めていた。

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