第6話

 ★☆★


 キャンパスに筆を走らせる。

 真っ白な背景に色がついて、気がつくとのどかな田舎が完成していた。

 延々と草原が広がるだけの空間には、なにもない。ところどころにポツンと家が建つけれど、さみしげな雰囲気を隠せずにいる。逆にいうと、自然が豊かでスローライフが送れそうな環境ともいえるだろう。太陽が降り注ぐ開けた土地は、爽やかさにあふれている。緑に囲まれた空間で生活をしたら、解き放たれた気分になり、リラックスできるはずだ。人がいないのもある意味、メリットといえる。永遠の孤独を得られたのなら、争いは起こらず、人間関係でギスギスすることもないのだから。

 そう考えると、自分がよいことをしているような気がする。

 玉座を連想させるほど豪華な椅子に座る少女は、口元に笑みを浮かべた。

 彼女の背後に存在する大きな窓は青空と一緒に、山の麓(ふもと)に広がる大きな街を映す。

 宿や道具屋――ありとあらゆる店が連なる整備された道路を、清潔感のある格好をした人間たちが行き交う。

 各々が前だけを向いて持ち場に向かう中、一人の女性が足を止めて、北を向く。

 彼女の視線の先には卯の花色の城がそびえ立ち、その古風な塔の先端は、空に届きそうなほど高い。


「早くも街が呼吸をし始めたか。まったく、朝から慌ただしい。そう焦(あせ)ろうが焦(あせ)るまいが、なにも変わらぬだろうに」


 いったん筆を置いて、椅子から立ち上がる。

 彼女は足音も立てずに窓のそばに移動して、やや満足げに笑む。

 間違いなく街で最大の大きさと高さを誇る建物の最上階から、少女は地上を見下ろしていた。


「それで、なにか報告でもあるのか?」


 窓が映す青白磁の空に背を向けて、音もなく現れた自分の側近を見る。


「こちらから話すことはなにも。言葉で説明するより、実際にご覧になったほうが早いかと」


 冷めた目をした青年が、口元に薄笑いを浮かべて、水晶を差し出す。

 深く澄んだ透明の球体には、重苦しい雰囲気を放つ少女の顔が映り込む。漆黒(しっこく)の髪と瞳――目の前にいる青年が鉄の扉から本体の世界に招き入れた客人だ。本来ならゴミ捨て場に閉じ込めておくはずだったというのに、余計なことをしたものだ。

 少女――否(いな)、女王は内心で舌打ちをする。

 彼女がイラ立っているのは、自らの側近の行為に関してだけではない。


「できるのなら会いたくなかったし、視界にも入れたくないとでも、言いたげですね?」


 相手の発言は的を得ていた。

 現に女王は険しい表情をして、眉間にシワを寄せている。

 水晶の中では、青年が盗撮したと思しき映像が流れていた。

 盗賊と戦闘になった少女は漆黒(しっこく)のバリアを展開して、敵を追い払う。素人にしてはよくやったほうではあるものの、戦士としては評価に値しない。もしも戦闘をするのなら、もっと毅然(きぜん)としているべきだ。なによりも彼女は、相手のオドオドとした不安げな態度が気に入らなかった。


「くだらぬ」


 受け取った水晶を払いのけるようにして、放り投げる。

 清掃の行き届いた碧(あお)色の床の上に、粉々に割れた破片が散らばり、それを上からヒールのないブーツが踏みつけた。


「ひどいですね。もう少し、歓迎してあげてもいいのに」

「貴様もだぞ」


 意味のない愛想笑いを貫いている青年へ向かって、厳しい口調で言い放つ。


「貴様は本当にやる気がないのだな。私はあの娘を排除しろと伝えたはずだ。戦闘力を調べろと言った覚えはない」

「あれ、そうでしたっけ?」


 相手は無表情でしらを切る。

 のらりくらりとごまかすつもりだ。


「彼女は結界を張る才能だけはありそうですがね」

「ハ。あのようなヤワな結界では役に立つまい」

「さすがにあなたと戦うとなれば、一瞬で叩き割れるでしょうけど……」

「果たして戦う価値はあるものか」


 彼女は、はぐらかすように笑みを浮かべる。

 それが青年の目には白々しく映った。

 また、女王はいまいましげに遠くを見つめる。


「あーあー、もう少し感謝してくれたっていいのになー」


 途端に、ひどく棒読みの声が耳に届く。


「僕はこれでも頑張っていますよ。必要であれば影武者になってさしあげますので」

「要らぬ。第一、感謝されるのは私のほうだ。社会の最底辺をさまよって涅(くり)色になっていた貴様をこちらまで引き上げたのは、誰だと思っている?」

「さあ? 誰でしたっけ」


 敬意の欠片のない無関心そうな顔をして、青年は首をかしげる。


「私だ。路地裏でくすぶっていた貴様をスカウトしてやったのだ」

「あー、はい。そうですね。ええ、とてもありがたく思っています」

「またか。思ってもないことを口にしよって」

「張りぼての敬意でもいいでしょう。受け取ってくださいよ」


 不真面目そうな態度で頼まれても、受け入れる気にはなれない。

 彼女は椅子に座り直して、側近が持ち込んだ青りんごを手に取る。

 切り分けもせずに大胆にまるかじりすると、瑞々しい果汁が口いっぱいに広がった。


「貴様、わざとやってないか?」

「なにをですか?」

「料理だ。こいつは料理とは言わぬ。何度同じことを繰り返すつもりだ?」

「ああ、それはですね。僕、料理なんて意味が分からないので、できません」


 睨(にら)みを利かせると、青年はヘラヘラと笑いながら頭をかく。


「なに?」


 青りんごを握ったまま硬直して、片眉をひそめて相手を見ると、彼は反省の色の欠片もない顔で言い訳を口にする。


「最近気づいたのです。僕は料理ができません。仕方ありませんよね。所詮は凡人ですから。ねえ、女王。僕にできることって、ほかになにがありましたっけ?」

「最近気づいたということは、わざとということか」


 口の中でブツブツと呟きつつ、考察を練る。

 果てには「まあ、いいか」と全てを放り投げて、ふたたび青りんごにかじりつく。


「大道芸人でもやってみるか? 貴様の能力は便利だ。荒稼ぎできるだろう」

「センス、最悪ですね」

「悪いか」

「はい。僕、基本的に目立たないので、なにもできませんよ。模造品を生み出すことくらいしか、能がありません」


 淡々と、他人の過去でも語るかのように、青年は言葉をつむぐ。


「その模造品を生み出す才能を私のために使うのはどうだ?」

「嫌(いや)です」

「は?」

「あなたの思い通りに事を運ばせたくないので」


 軽い気持ちで提案した結果、即答で拒絶されて、さすがに気持ちが沈む――こともなかった。

 相手が不真面目なのはいつものことだ。忠誠を誓ってすらいないのも、昔からである。今更気にするほうがどうかしているだろう。

 ひとまず気持ちを切り替えるために、次の青りんごに手を伸ばす。

 ほんのりと色づいた果実を片手で弄(もてあそ)びながら、伸びをする。


「ところで、私がくれてやった童話、どこへやった?」

「ああ、それですか」


 さりげなくそちらへ視線を向ける。

 まさかとは思うが――


「捨てましたよ」


 案の定、真顔で答えが返ってくる。

 ためらいも恥じらいも、罪悪感すら顔に浮かべていない。


「捨てたといっても、『ゴミ捨て場』にです。彼女に手紙と一緒に同封して送りました」

「人でなしだな、貴様」

「事実を口にしないでください。煽りにもなっていませんよ」


 口では悪態をつきつつも、内心では絶対に本を読まないという確信があったため、衝撃は皆無だ。元より、彼になにかを期待するほうがおかしい。

 女王は落ち着きはらった態度で、青りんごを咀嚼(そしゃく)し始めた。


「なんで童話なんですか? センス、ひどくありません?」


 珍しく、本気で困惑しているようだ。

 彼は眉をハの字に、口をへの字に曲げている。

 一方で、彼女は平然と言い放つ。


「そうか? 貴様にはピッタリだと思ったがな。なんせ、童顔だ。身長も低いし、精神も子どものまま。これほど合うジャンルもあるまい」

「あれ、どう考えても女性向きでしたよね?」


 確かに。

 脳内で蘇ったのは、ピンクと水色を基調とした絵本の表紙だ。女主人公だし、最後に王子と結ばれるストーリーということもあって、男性に渡す本には見えない。


「細かいことは気にするでない」

「はー、そうですかー」


 気のない返事をしつつ、青年はふたたび真顔に戻ると、一気に話題を切り替えてきた。


「そういえば、初めてでした。他人から僕の容姿を口にされるなんて」

「なにを喜んでいる。褒めたわけではないぞ」

「別に嬉しがっているわけではありませんよ。ただ、意外だったのです。なんといいますか、よく僕の顔を認識できているなと感じまして」

「通常であればな。そのあたりは仕方あるまい。貴様の容姿は印象に残らぬ。わざわざ口にする意味もないのでな」


 女王はテーブルに置いた布巾で手を拭く。

 互いに、いったん口を閉じる。

 会話の流れも停止して、久しぶりに横に長い一室に沈黙が下りる。

 静寂はさほど重苦しいものではなくて、たいへん自然だ。むしろ、心地よいともいえる。

 部屋の中で、テーブルの中央に置かれた燭台(しゃくだい)の青い炎が揺らめいていた。

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