第8話 空に賭けた望み


 ひとまず、情報を整理するわよ。

 第一に、ルーク・アジュールが勇者であることに間違いはない。

 でもね、いまいちピンとこない自分がいるの。

 勇者とは所詮しょせんは物語の登場人物よ。ルークが外の世界からやってきた可能性に行き着いているのならともかくとして、『勇者』という単語一つで全てを信じ込む村人たちって、どうなのよ。


「彼は女王の使いだ。我らが神が、我々の窮地きゅうちを知って、勇者を使いになられたのだ。ならば、よろしい。あなたに全てを丸投げしよう」


 ああ、ロマンチックな解釈ね。本当にロマンチック? まあ、いいや。

 壇上に立つリーダーは両手を広げて、高らかに叫んでいる。いかにも強者に頼る気満々といった印象ね。実際に彼らの選択は正しい。勇者に頼ったほうが効率がいいし、楽なのでしょう。

 だけど、解せない。仮にも自分たちの村なのに、見ず知らずの相手に全てをゆだねるだなんて、無責任だわ。なにより、ヒーローならば弱者を見捨てないと信じ込んでいるのも、都合がよすぎる。

 文句を言いたい気持ちは山々だけど、私が口を挟む資格はないわよね。黙っておく。かわりに大きなため息をついた。

 途端に周囲から視線が集まる。なによ。急にどうしたの? 戸惑う私に対して、周りの視線は冷たい。女性も男性も全員、ゴミを見るような目をしている。


「彼女、どうしてここにいるの?」


 さげすむような低い声が鼓膜こまくを揺らす。


「金魚のフンです。勝手についてきたのですよ。自分も必要とされると勘違いしたバカな娘です」


 軽蔑けいべつの意を示されて、縮こまってしまう。

 確かに、私はついてこいだなんて言われていない。不良たちから子どもを助けたのは勇者で、頼りにされているのも勇者一人だ。

 誰にも見られていなかったのに、自分は誰かに必要とされていると勘違いして、会議に参加してしまった。

 恥ずかしさと自己嫌悪が胸の内側で混ざり合う。陰鬱いんうつな感情に体がひたされて、うつむいたままなにも言えなくなる。


「さあ、行った行った。所詮しょせんあなたは役に立たない。どうせ、我々を助けようとすら思っていなかったのでしょうからね」


 図星を突かれて、閉口する。

 村人たちの視線が痛い。

 泣きたくなって、逃げるように建物を飛び出した。


 会議場を飛び出してから、何時間が経過したのだろう。

 私は会場の北西にある丘の上にやってきた。

 外は相変わらず暗い。

 今なら涙と流したところで気づかれないのに、不思議と感情は表に出なかった。いつものような無表情で空を見上げるだけだ。

 想像よりも、夜空はきれいではない。星の輝きに照らされて明るく見えるだけで、大量の雲の隙間すきまから覗く空は、鈍色によどんでいる。

 妄想をしていたところに現実を突きつけられたような感覚がした。


 下を向こうとしたとき、ちょうど後ろのほうから足音が近づいてくる。

 誰かしら。殺し屋か始末屋か……意味は似たようなものね。いずれにしても、興味がないわ。煮るなり焼くなり好きにすればいいのよ。

 自ら殺されにいくつもりで肩から力を抜いて、振り向く。

 足音の正体が目の前で立ち止まる。

 私も相手がなかば予想していた存在であったため、ため息をつく。

 はー、彼か。

 目に飛び込んだのは金色に輝く髪と、瑠璃色の瞳だった。

 今の曖昧あいまいに濁った夜空の前では、彼の存在は嫌味にしか見えないわ。


「どうして来たの?」

「いや、普通心配だろ。夜にこうしてブラブラ。なにかよからぬことにでも巻き込まれてんじゃねぇかって」

「あら、そんなに私のことを気にしてくれているの? バカね。そんなことをしたって、無駄でしかないのに」


 ツンと顔をそらして、言い放つ。


「私、なんのためについてきたのか分からなくなってしまったの」


 夜風が肌にしみる。

 夏なのに、なぜだか体が冷え込む。

 心の中はすでに渇ききっていていた。


「もう、いいんじゃない? 私を捨てて、一人になっても。そのほうが、楽でしょう。私だって、勇者さまと行動をともにするのは疲れるの。どうせなら、ただぶらぶらと歩いていたい」


 純白の騎士は無言のままで、表情すら変えてくれない。

 本当にいいの? ずっと黙り込んだままでいたら、私から別れを切り出すわよ。

 なにか言ったら? ねえ? なにか……。

 目の前にいる青年がなんの反応もしてくれないから、気持ちがかき乱されていく。

 私はなにを伝えたらいい? きちんと別れるために、彼との関係を解消するために、いったいなにが必要なの?

 胸の中に嵐のような感情が流れ込む。下手に全ての思いを表に出してしまったら、自分の中にあるなにかが崩壊してしまいそうで、口を開けない。

 重々しい空気と緊張感に気圧されるように、深く息を吸い込んだ。


「白い騎士は勇者だったのでしょう? どうしてそんな人が私なんかを選んだのよ」


 怖かった。知るのが怖かった。

 隠しているのなら、言って。いやな思いをしているのなら、言って。私と一緒にいて、なにも得られないというのなら、いっそ離れてよ。

 こちらのことなんて気にしなくたっていい。私は薄情者だ。盾にすらなれない者に、構う必要なんてないでしょう。


「仲間なら村からもたくさん選べるでしょう? 私はもう必要ない。だったら……」


 言葉にならない。

 胸からあふれ出す感情に、声が震える。

 私はなにを思っているの? なにがしたくて、どうなりたかったの?

 くすんだ夜空の下に建つ丘の上で、うつむいたまま立ちすくんでしまう。


「きっと、世界を救えるような、ありとあらゆる人間を幸せにできるようなやつを相棒に得られたとしても、きっと俺は君を選んだよ」


 ゆるやかな風が流れたあと、ゆっくりと青年は口を開く。

 その声音は優しくて、温かくて、冷え切った心に染み渡っていくようだった。


「俺には君が必要だった。君がいないと本当の目的は果たせないって、思ったんだ」


 こんな役立たずが、あなたのとなりにいてもいいなんて、そんなこと……。

 ごまかしだって分かっている。私をなぐさめるためについた優しい嘘だと。

 だけど、否定してほしくなかった。本心じゃないって決めつけているのに、信じたい気持ちが強まる。そんな自分が訳が分からなくて、頭を抱えたくなった。


「全部、君のためなんだよ」


 ややあって、低い声が鼓膜こまくを揺らす。

 彼の感情は読み取れない。ルークはただただ真剣だった。その意味が分からなくて、彼を信じられなくて、逃げ出したくて仕方がない。それでも一歩、後退あとずさることすらできなくて。

 ああ、いやだ。いやなのに。こんなまぶしい彼が視界に入っているだけで、頭が痛くなる。自分との差を思い知らされて、自分がいかにみにくい存在なのかを突きつけられるよな気がして、心が曇っていく。それなのに、突き放したくなくて。そんな彼を否定する言葉すら出ない。


「私、人として最低なのよ。誰かが困っていても、見て見ぬ振り。余裕で人の命だって奪えるはずなの。その気になれば、それが必要だとしたら、きっと」


 夜の闇が深くなっていく。

 雲の隙間すきまからのぞく空も、暗い色に染まっていると錯覚する。

 風になびく漆黒しっこくの髪は闇にとけ込むどころか、むしろ浮いてしまう。それほどまでに、背中まで伸びた長い髪は黒い。私自身もどうしようもないほどまでに黒く、にごっていた。


「よかったわね、私が無能で。もしも、大きな力を手に入れてしまっていたら、とんでもないことになったわ。世界だって滅ぼしてしまったかもしれないもの」


 冗談を口にした。

 笑えないとばかりに青年は口をつぐむ。

 彼の反応がやけに真剣で真面目くさっていて、おかしな気持ちになる。


「それでも君は、本当は愛情深い人間だよ」

「なによ。どうして、知ってるの?」


 本当はなにも知らないでしょう? 彼の言葉は気休めにもならないわ。


「お前だって、この村に関して思うところはあるんじゃねぇか?」

「ええ、そうね」


 盗賊の被害を受けて強者に支配されっぱなし。そんな村人はかわいそうだと、素直に思うの。

 だけど、それだけよ。行動に移さなければなんの意味もないと思わない? 見て見ぬふりなんて最低で、なにも生み出さない。

 他人の役に立てないのなら、いっそ死んでしまえばいいのに。

 誰かのかわりに死ねたらよかったのに。

 口の中でつぶやいた。

 遠くを見つめる私に呼びかけるように、青年は叫ぶ。


「始まりは違ったはずだ。最初のころはもっと、君だって!」

「違うの。私は、違うの」


 私の中身は空っぽだ。なにもない。

 本当は事情があったからだなんて、言わないで。自分でも分からないのに、他人から全てを分かったような口で言われても、困るのよ。

 もう、いっそ、離れたい。私のほうから全てを投げ出してしまいたかった。


「私は……他人のことなんてどうでもよかったの。そう思えてしまったの」

「違うだろ。心の中では、違っただろう? ただ、行動に移せなかっただけで」


 どうして、そう言えるの? 私の心がそうだと、迷いもなく断言できるの? あなたは私を知っているのに。いままでの私の行動を見ているのに。

 それなのにどうして私を離してくれないの? 全てを否定してくれないの?

 ダメな人間なんだって、ここにいるべき人じゃないって、私の考えを肯定してよ。

 逃げ出したくて、でも動けなくて。行動に移せなくて。

 固まってしまった。いっそ、動かなくてもいいかと思った。

 すると、今度は本当に動けなくなった。上から抱きしめられて、動きを封じられて、私はただ目を丸くしたまま突っ立ってしまう。


「見捨てない。だから、居てくれ……俺のそばに」


 懇願こんがんだった。

 なぐさめの言葉ではない。ましてや誰かのために発せられた祈りでもない。ただ、自分のために。一人の勇者がただ一人のためにこぼした、望みだった。


 彼が勇者が私を必要としているはずがないって、知っている。

 まだ、なにも言ってほしくない。否定してほしくない。嘘だとバラされたくない。


 ルーク・アジュールとは決して交わることはない。

 本当の意味で彼と分かり会えることは決してない。

 それだけど、それなのに、私は、私の心は、まだここにいたいと言っていた。

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