第4話 自由な世界

「あ、あの!」


 場違いな声がして、振り返る。

 無様に破壊された扉を背にして、人質になっていたと思しき少年が、うつむきがちにこちらを見ていた。


「助けてくれて、ありがとうございます」


 彼は勢いよく頭を下げた。


「えーと、僕は。はい。その、ああ、そうだ。僕の名前は、ミラージュといいます」


 突然、思い出したかのように自己紹介をされた。


「俺はルークっていうんだ。名字はアジュール。この世界に突然降ってきたっていうか、なんていうか。それで盗賊とやらに俺の大事なもんを盗まれてな。どうにかしたいと思ってるんだよ」

「私はレイラ。別にそちらを助ける気はないから、困ったら彼に聞いて」


 全くの同時にかつ別々に自己紹介をしたため声が重なり、言っている本人もわけが解らなくなる。


「え、なんと?」


 聞いている側も困惑した様子で、眉をハの字に曲げてしまう。

 はぁ……。

 気を取り直して、私たちは別々に自己紹介をしてから、自分たちの状況を伝える。


「そうですか。そんなことが。大変でしたね」

「他人事だな、おい」

「だって他人ですし」

「この生意気な」


 優しそうな顔で冷たいことを言うのね……。


「ですが、あなたたちは恩人でもあります。だって、一人だったら僕はどうにもならなかったですし」


 なにはともあれ、やわらかな表情を見せる彼には、かわいげがある。少なくとも、いろいろとひねくれてしまった私よりは。


「ところでこいつら、どうする?」


 ルークの足元には、盗賊たちが転がっている。いまのところは気絶しているようだけど、目を覚ますのは時間の問題でしょうね。怪我けがの程度は軽いもの。


「大丈夫なの? 報復されない?」

「強者に弱者が従うのがルールなんじゃねぇの? 俺が強者と認められたら、全部解決するって」

「確かにルールではそうなっています。でも、強者だからといって安心できる制度でもありませんよ」

「と、いうと?」


 首をややかたむけて話を振ると、ミラージュと名乗った少年は視線をそらす。

 気の弱そうな態度がなんともいじらしくて、庇護欲をそそる。 


「その、自由なんです。要はなんでも許される世界。相手が悪であろうがなかろうが、なんでもして構わない。だから弱者であろうと強者に歯向かう権利はある。そして、見事に強者を打倒した弱者は強者へと位が上がる」


 質問と回答の最中、少年はしきりにまばたきを繰り返した。

 緊張しているだけで、嘘をついているわけではなさそうね。


「本当はなにをしたっていい。人を殺したって問題はないんです。だけど、その力がないから僕らは弱者に甘んじてるんです」


 そわそわと、落ち着きなく髪や顔の一部に触れつつも、彼は確かにこちらの目を見て訴えてくれた。

 相手を信じないという選択肢はないわよね。わざわざ説明をしてくれているのだし、疑うほうが失礼よ。

 彼の話は鵜呑うのみにするとして、いったん、情報を整理しましょう。

 ミラージュの言葉を簡単にまとめると、以下のようになる。


・ここはなんでも許される世界である。

・自由であること以外に、ルールはない。

・殺害や誘拐……ありとあらゆる犯罪を許されている。

・結果的に、強者は弱者に対して、優位である。

・ただし、弱者であろうと、強者に歯向かう権利はある。

・下剋上を達成した者は無事、上位へと上がる。


 要するに無法地帯よね。いかに絶海の孤島が恵まれた環境だったのかを理解したわ。


「俺もオチオチしてらんねぇってか」

「なに勝手に自分を強者とランク付けしてるのよ」

「そういうお前はなんなんだ?」

「もちろん、弱者よ」


 胸を張って言ってやった。

 青年はため息をついてから、大破した扉だったものを見つめる。


「とにかく、俺たちは行くからな。ついてこい」

「いいんですか?」

「ん? ああ、別にお供にってわけじゃねぇぞ。お前を元の村に連れていくだけだ」


 ルークが軽いノリで告げると、たちまち少年の目が輝く。


「よかった。僕、一生帰れないかと思って、怖かったんです」


 怖い目に遭っていたようだけど、明るい表情を見られてなによりだわ。


「ところでさ、この村っていったい」

「ああ、盗賊たちの村ですよ」

「とう……ぞく」


 一瞬、言葉の意味を理解できず、固まってしまった。

 ほとんど無意識のうちに繰り出した四文字は小さく、空気に溶けるようにして消えていく。


「ここの村、村人全員が盗賊なんです」


 へー、はー、そうだったんだー。

 なんでもないことのように暴露されたけど、今って実はまずい状況じゃない?


「ふくろだたきにされない?」

「されるかも」

「え? うそ? 冗談よね? 騎士さまなら簡単に追い払えるわよね」

「無茶言うな。でも、いけるよ」


 いけるのかい。少しでも不安に思って損したわ。


「だがな、戦いたくないのも事実だ」

「えー」

「だって疲れるし」

「そりゃあ、そうでしょうけど」


 じとーとにらんでみたものの、なにもしていない者に文句を言う権利はないわね。

 姿勢を正して、いったん窓に映る外の景色を眺める。

 茜色の光があたりを包む中、ポツポツと黄色い明かりが灯り始めていた。

 舗装ほそうのされていない道に沿うようにして、小汚い小屋がいくつも建っている。住民は全員が盗賊だと聞いたけれど、今ごろ彼らはなにをしているのかしら。


「ほかの連中は気づいてないんだろうな?」

「ええ。騒ぎには、確かに」

「どいつもこいつも家でまとまって騒いでると。好都合だ」

「じゃあ、さっさと逃げましょう」


 準備は整った。あとは走るだけだ。

 私たちはすみやかに家から脱出すると、村の端っこを通って、出口を目指す。

 そそくさと人目を避ける泥棒のように走り抜けると、あっという間に盗賊の村を抜けた。


「思ったよりもすんなりいったな。この調子で、会話だけで全部解決しねぇかな」

「それができたら、一番いいのかもしれないけれど」


 枯れ色の村を背にして、私たちは歩く。

 前方には焼きただれたような色をした空が見える。

 力強くて見事な夕焼けではあるものの、なぜだか気分が浮かない。

 沈む夕日が深い緋色をしているからだろうか。


 今も、赤いものを目にすると心がざわめく。

 時折、脳裏をかすめるのは、ただひたすらに赤く染まった大地。


 火の海。


 血の色。


 全て、自分の知らぬ間に記憶のすき間に入れられた、いらないカードだ。

 これはいったい、なんなんだろう。

 なぜ、地獄にも似た恐ろしげなビジョンが頭に浮かぶのだろうか。


 私には過去がないのに。

 血なんて、実際には見たことがないはずなのに。


 気がつくと茜色をした空は深く澄んだ群青色に変わっていた。

 あたりを包んでいるのは、空と同じ青の群れだ。

 普通は心が穏やかになってもおかしくはないのに、脳内に浮かぶ『赤』が消えない。

 真っ暗闇の中に広がっていく色がお前の罪だと突きつけられているようで、気分が悪かった。


 私はいったい、なんなんだ……?


 現在の自分は、見えない糸に操られているかのようで、奇妙な感覚がする。

 地に足がついていないとでもいうのかしら。ふわふわとしていて、雲のように不安定だ。

 ぼんやりと、かすみ色をした影が心に差し込む。


 ほどなくして私たちはミラージュの案内する家にたどり着く。

 夕闇すでに夜の闇に塗り替えられていた。

 先へ突入する少年と青年の背中を追う。

 生あたたかい風が漆黒の髪をなでていく。先ほどまで胸中に湧き上がっていた疑問は、濃紺の闇に吸い込まれていった。

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