第5話

 彼と別れてから、いったい何分が――何時間が経過したのだろうか。

 自分の部屋にこもって、窓の外を眺め続けている。

 ゆるやかに時は流れているけれど、いまだに純白に輝く青年の姿が頭にこびりついて離れない。

 今のままでは、二度と私たちは再会できないでしょうね。本体の世界へ向かった騎士も、こちらのことなんてすぐに忘れてしまう。

 別に、覚えていてほしいわけではないわ。むしろ、爽やかで澄み切った印象を受ける青年にとっては、暗くてジメジメとした少女は異物でしかないでしょう。いっそ、邪魔者なんて最初からいなかったことになればいいのに。

 私は誰とも会わなかったことにして、以降も一人で生きていくべきなのよ。

 孤独は楽だ。他人と関わる機会さえなければ平穏が永遠に続くし、自由でいられる。騎士と別れて安息の日々を得られるのだから、一生今の状態を続けても構わないのではないかしら。

 すっかり開放された気分だ。心に生じていた雲は晴れて、窓の外にも太陽が激しく輝いている。

 でも――

 なにもかもがクリアで満たされているのに、心の底ではほんの少しほろ苦さが残っていた。

 また、白い歯をした青年の顔が脳内に蘇る。

 物語の主人公のような人だったと、あらためて回想する。純白の騎士は下界であろうと本体の世界であろうと、勝ち組に違いない。

 自分の正しさを貫いて実行に移そうとする彼は、完璧な存在だ。私では一生、同じラインに立てないし、手にも入らないだろう。

 同時に、なんともいえないモヤモヤとした感情を抱くときがある。理由はすでにハッキリとしているわ。なにもかも、完全無欠な騎士さまが悪いと。

 ドロドロとした感情がこみ上げてくる。

 たとえば、『白い騎士が完全なる正義ではないと突きつけたい』とか、『彼の持っている正しさを打ち崩してしまいたい』とかね。

 本当に、ひどい性格ね。

 うつむいて、ため息を漏らす。

 結局のところ、私たちは絶対に分かり合えないのよ。

 それでも、もっと知りたかった。

 神々しくさえある青年の正体を突き止めて、すっきりしたいのよ。

 まだまだ分からない部分は多いし、全体的にぼんやりとしている。

 ああ、きっと私は逃げているのね。大きな謎が残っているのに、分からないことも数えきれないほどあるのに、見てみぬ振りをしようとしている。

 首を突っ込まないのが正しいと決めつけていた。なにも知らないまま、のんびりと暮らしていたかった。

 誰にも迷惑をかからないのなら、現実から目をそらしても問題はないでしょう。

 自分自身に言い聞かせるように心の中でつぶやく。

 沈黙が流れる。

 風の音すら聞こえない静かな部屋の中で、一度だけ首を振った。

 違う。

 私は都合の悪い部分から逃げて、傷つくことを恐れているだけなのだわ。

 いいえ、クドクドとした言葉はいらないの。感情を整理する暇すらもったいない。

 体がうずいて仕方がなかった。

 いてもたってもいられなくて。

 もう、我慢ができないと心が叫んでいた。




 真っ白な光の中を通って、新たな世界へ飛び出す。

 頭上には雲一つない青空が広がって、足元には青々とした草むらが存在する。花々も鮮やかで、物語に登場するきらびやかな世界と似ていた。

 話に聞く限りでは危険なところだと聞いていたため、もっと魔境じみた光景を思い浮かべていた。存外、拍子抜けだ。

 涼風が気持ちいい。

 少しキョロキョロとあたりを見渡す。探し人の居場所は不明のままだ。

 草原を駆け抜けると、小さな民家が視界に飛び込む。そっと中を一軒ずつ確認していく。

 彼はいない。

 もう二度と会えないかもしれない。

 足元で、雑草たちがざわめく。

 純白の騎士自体が幻想で、すぐに消えてしまうような存在だと、誰かに告げられたような気がした。

 うつむきながら、首を横に振る。

『会えない』という現実を否定したいのに、心に生じた波が鎮まらない。脳内に浮かぶ純白の騎士のイメージが、蜃気楼のように揺らいでいた。

 一度の邂逅(かいこう)すら嘘だったかのように、なにもない。求めている人物の気配すら感じることができなくて、立ちすくんでしまう。

 村を流れる風が涼しいだけだ。その風が心を吹き抜けていくようなむなしさを、私が包んでいた。


 不意に、鉄靴の音が迫る。

 真っ暗闇の中にいた心に、かすかに光が差し込む。

 後ろにいる者の正体はなんとなくつかめてはいるものの、実際に確かめるには勇気がいる。

 おそるおそる振り向いた。


「意外と早かったな」


 純白の鎧と金色の髪、深い青色の瞳を視界にとらえて、急に体から力が抜ける。

 実際に豪華な装備を身に着けた騎士の姿を目でとらえると、やはり彼は実在するのだという実感が、山のようにあふれてきた。


「遅れてきたつもりだったんだけど」

「そりゃあ、お前んとこって時が止まってるじゃねぇか。だからだよ」

「つまり、体感では何十時間であろうと、こちらに来れば数分しか経ってないことになるってこと?」

「さあ……」


 あきれたわ。

 根拠のない情報を、さも正解だというように口にしないで。


「とにかく、私はそちらに協力することにした。かわりに、こちらから伝えるべきことがあるの」

「なんだよ、言ってみてくれ」


 本当はなにも伝えたくない。

 目の前にいる青年に対しても、ずっと壁を作ったままでいたかった。

 さりとて、秘密と抱え続ける意味もないでしょう。

 私はゆっくりと唇を開いた。


「私はずっと一人だったわ。親の顔も知らないし、気がついたら一人で生きていたの」


 ただ静かに淡々と、事実だけを語っていく。


「私、ひどい人間よ。騎士さまとは違う。いつも傍観者気取りの薄情者。全てがどうでもよくって、ただひたすらに冷たいのよ。そんな相手は、そちらにとってふさわしくない」


 忠告のつもりだった。

 私を突っぱねるタイミングは、今しかない。

 ねえ、本当に薄情者をパートナーとして選んでもいいの?


「よく分かった。言われなくても短所くれぇ、知ってるよ。でも、君は悪いやつじゃねぇよ。多分俺は、君よりずっと君のことを知ってるんだ。そんな俺が言うんだから、間違いねぇって」


 根拠はあるのかしら。

 白けた目で彼を見澄ます。目の前にいる青年は自信に満ちた表情をしている。

 素であきれたわ。もっというと、笑いたくなってしまうくらい、騎士さまの言葉はわけが分からない。

 いっそ、突き放してしまおうかしら。


「バカみたい」


 視線をそらしたのは、不思議と心が温まっている自分に気づいたからだ。

 彼のような人が最初からそばにいてくれたら、誰だろうと幸福な人生を送れたのでしょうね。


「で、なにをしてほしいんだ? 俺に」

「私は……」


 私は常に危険を避けてきた。安全地帯にこもって、ひたすらに傍観者を続ける主義だったわ。できるのなら、危ないことは避けたいの。逃げるのなら今しかないということも、分かっているわ。

 もっとも、ウジウジと希望を待つ時間は過ぎている。もはや選択肢は残されていない。運命はとうの昔に定まっていた。


「私は、信じている」


 顔を上げて、まっすぐな気持ちを相手にぶつける。


「私を守って。それが条件。そして、連れて行ってよ。真実のその先へ」


 確かに相手には謎が多いし、完全に信用しきっているわけではないわ。

 逆に言うと、戦闘力と意思の強さには期待が持てる。純白の騎士となら、真実を見つけられるのではないかしら。

 もう二度と一人にはなりたくない。

 私は彼だけを、ずっと見つめていたかった。


「よし、分かった。それから、お礼だ。君が自分のことを少しだけ教えてくれた分もかねてな」

「なんなの? そちらになにか与えられるものでもあるっていうの?」


 どうせ、なにも与えられないのでしょう?

 ジトーと目を細めて相手を見澄ます。


「ああ、俺が言うのはただの情報だ。与えたところでなんてことはねぇな。でも、伝えておきてぇんだ。俺は、普通の人間じゃねぇってことをさ」



 一瞬だけ、空気が凍りつく。

 反応に困るわね。

 冗談だと笑い飛ばせたらよかったのだけど、真実でしょうね。青年は顔は真剣だったし、嘘を言うような性格ではないからね。

 一つ、こちらから返す言葉があるとしたら――


「だからなんなの?」


 真顔で青年のほうを向く。

 最初から、相手が普通でないことくらい分かっていたわ。明らかにオーラが違うもの。


「どうでもいいの。興味がないわ。騎士さまの正体がなんであろうと、いまさら気にすることじゃないじゃない」


 至極当たり前のように、吐き捨てるように口にした。

 相手の返事は特にない。

 気まずそうに目をそらして、頬をかくだけだ。

 とにもかくにも、以後、騎士の正体に触れるのはやめておきましょう。


「そういや、さっきの返事。まだ、してなかったな」

「なぁに?」


 ちょっと首をかしげてみると、返事はすぐに返ってくる。


「約束するよ。俺は必ず、君を守ってみせるって」


 まっすぐな言葉に、思わず内心ではにかんだ。


 ☆★☆


 薄暗い室内。部屋の中央に置かれたテーブルの上に、燭台がある。細長い指でそれに触れると、ろうそくに青い炎が灯って、あたりを照らす。


「お持ちしました。料理です」


 冴えない顔立ちをした男が、皿に盛られた青りんごを持ってくる。


「貴様はなぜいちいち仕事が雑なのだ。なにが料理だ? 単なるおやつではないか。手抜きをしよって」


 文句を言いつつ、華美な装飾をほどこされた椅子に座る少女は、未熟なりんごを丸かじりする。

 芳醇な香りがあたりに飛び散る。みずみずしさがあたりに充満していく。


「それで、貴様の仕業だろ?」

「なんのことですか?」

「とぼけても無駄だ」


 端正な顔立ちをした彼女が眉をひそめて、空いた手で相手を指す。


「それから、気持ちの悪い愛想笑いはよせ」

「あれ? おかしいな。僕も演技は得意だと自負していたのですが」

「私の目にはごまかせぬ」


 いつの間にか、青りんごが手のひらから消えている。

 彼女は次のおやつに手を伸ばす。


「本当に誠実さのかけらもない男よ。貴様さえやる気になっていてくれたら、全てが解決したというのに」

「なんの話ですか?」

「こちらの話だ。まあ、無駄だというのは分かっている」


 一瞬の沈黙。

 りんごをかじって咀嚼(そしゃく)する音だけが、やけに響く。


「感謝はしてますよ。なんせ、生みの親ですから」

「嘘だな」

「『嘘』だと断定しておけば正解だと勘違いしてません?」

「事実であろう」


 かしこまったように下手に出ている男に対して、少女は実に堂々としている。


「くだらぬ。形だけの好意はいらぬと言ったであろう」


 彼女の眉間にシワが寄る。明らかに怒っている様子だが、男はなだめようとする気もなければ、フォローすらしなかった。ただ、曖昧な笑みを作るだけだ。


「ところで、来たようですよ」

「貴様のせいでな」


 少女の脳内には漆黒の髪と瞳を持つ少女の顔が浮かんでいるのだろうと、彼は予想する。


「僕はきちんと仕事をしましたよ」

「嘘をつくでない。貴様、あえて隙を作ったな? 外界へ降りられるのは貴様の特権だというのに、わざわざ扉を作りよって」

「でも、これがあなたの望みでもあったのでは?」


 静かな言葉を聞いて、少女の形のよい唇に笑みが浮かぶ。


「ああ、楽しみではある。いかにして、あの顔を吹き飛ばしてやろうか。私はやつを潰す瞬間が楽しみでならぬのだ」


 咆哮のごとき笑い声があたりに響く。

 魔王のような雰囲気すら放つ少女の近くにいる青年は、なんの反応も見せない。

 ただ、脳内で近所迷惑にならないかという点を、強く気にしていた。


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