第3話
神がもしも実在するのなら、力を貸してほしいと
でもなあ……。
いまいちど、純白の騎士を見る。
無駄に整った顔立ちをした青年は眉と目の間をくっつけで、ひどく真剣な顔をしていた。
「協力してほしい」
「面倒だわ」
「困ってんだぞ、こっちは」
「うるさいわね。面倒なのものは面倒なのよ」
第一、彼って何者なのかしら。唐突に現れてろくな説明もないまま協力を求められたところで、あっさりと言うことを聞く気にはなれないわ。
「さよなら。もう、関わる気なんてないから」
急に背を向けて、スタスタと歩き出す。
振り返らずにリビングを出て、廊下を一つ挟んだ先にある部屋に逃げ込む。ビシッと扉を閉めて、籠城する気になったところで、念のために青年の様子を確認する。彼は今のところ、追いかけてくるような気配はない。じっと、なにもない空間にたたずんでいるようだ。
いつの間にかイリュジオンの存在が消えている。
本当に神出鬼没ね。ミステリアスな人だけど、彼に対する興味も深く
さあ、夜も遅いしさっさと寝てしまいましょう。
軽く息をついたところで、いままで目に入らなかったものが目に入る。
固そうなベッドの横にある机の上に、一枚の紙切れが置かれていた。シンプルな線に沿うようにして、細かな文字が並んでいる。手紙のようね。内容は――
『拝啓、レイラ・レナータさま。
相も変わらず寂れた土地で、いかがお過ごしでしょうか。灰色にくすんだ空から降り注ぐ雨が、乾ききった大地を潤していましたね。見どころのない場所に住むあなたにとっては、よい気晴らしになったのではないでしょうか。
こちらでは常に真っ青な空が広がり、灼熱の太陽が大地に暮らす人間たちを平等に照らします。苛酷な環境ではあるものの、娯楽は十分に存在します。ここは一つ、私たちの住む世界へ足を踏み入れてはいかがでしょうか。鍵はすでに渡してあります。地下に存在する開かずの扉を開けば、その先は私たちの世界です。
念のために説明しておきますと、私たちのいるところは外の世界ではありません。よりくわしくいうと、あなたのいる世界が外界・外の世界を下界と呼びます。私たちのいる空間が本体で、そちらはただのゴミ捨て場です。早急な脱出をおすすめします。鍵は事前に渡しましたよね。自由にお使いください。推測の通り、地下にある扉に使用できます。
近い内に会う機会があるでしょうが、ゴミ捨て場への介入はここまでとさせていただきます。私たちのいる本体の世界はたいへん危険です。どうぞ、お気をつけて。またお会いできる日を楽しみにしています。
敬具
メルヘンな絵本を同封しました。参考にどうぞ』
手紙を読み終わった直後にポップな爆発音が響く。
ビクッと体を震わして、手紙との距離を取る。爆発物が郵送されたと勘違いして焦ったけれど、今のところは大丈夫そうだ。机の上に出現した厚みのある絵本を視界にとらえて、肩の力を抜く。
なんだ、驚かさないでよ。
高鳴る鼓動を抑えつけながら体勢を立て直して、絵本に近づく。表紙は大きくだまし絵のイラストが載っているだけで、ほかに特徴はない。メルヘンと言われたけれど、怪しさしか感じないわね。カラーリングはピンクと水色でかわいらしくはあるものの、それだけよ。
これって、本当に読んでしまっても大丈夫なのかしら。
空気中をただよう不穏な気配にも気づいて、体が
息苦しさと圧倒的なプレッシャーの中、いよいよ重い表紙をめくる。
刹那、私は戦場に飛んだ。
鉛色の空に雷鳴が
荒れた大地を鎧姿だの男性たちが埋め尽くす。彼らは手に取った武器で相手を斬りつけ、自分も傷つけられては、次々と倒れていく。
血なまぐさい光景だ。
とても残酷で、あきれるほどに意味もない。
だけど、なぜだろう。心がざわめくのは。
大地に咲く真紅の花を見ていると、自分の中に巡る血が騒ぐ。
恐怖とも不安とも違う、奇妙な感覚。
私が抱いた感情は興奮に近い。まるで、心の奥底に潜在能力が覚醒しつつあるような感覚だった。
戦場から脱出して、意識が現実に戻ってくる。
無駄に広々としていた灰色の大地と比べると、現在立っている自分の部屋は狭苦しい。
先ほど見た光景は今も頭に残っていて、露出した肌には鳥肌が立っている。
「なんて趣味が悪いの」
開口一番に叫んで、手に取った絵本を放り投げた。
できるのなら、部屋の中にすら置いておきたくない。視界にとらえているだけで、呪われそうだわ。早く、騎士さまに押しつけてしまいましょう。
それにしても、鍵ね……。
幻術を限られて、自分の体が消える瞬間を見せつけられたときの記憶が蘇る。
「なら、ためしてみます? 本当に外の世界へ出られたら、どうなるのか。さあ、これを使ってください」
青年はポケットから細長い金属の棒を取り出す。彼は胡散臭い微笑みを顔に張りつけて、それをこちらに押し付けてくる。
私は困惑しつつも、鍵を見えない位置に差し込んで、勘を頼りに解錠する。
遅れて、扉が開く音が耳に届いた。
確かに透明な扉は存在したけれど、結果は、言うまでもないわよね。
光の渦に飲み込まれて、体ごと消えたのよ。
だけど次の瞬間には肉体はきちんと大地の上に戻された。実体もきちんとあるし、幽霊になったわけでもない。
それから、いろいろと文句を言ったわ。
勝手によく分からない幻を見せられたこととか、手のひらの上で転がされたこととかね。
だけど、彼はしらけた笑みを顔面に張り付けるだけ。
「もう一度言っておきます。あなたの行動に意味はありませんよ。鍵はお土産として差し上げますので、どうぞあきらめてください」
そのまま、なにを考えているのか分からない表情を浮かべて、消えてしまった。
私は完全な孤独と化す。
壊しかねない勢いで鍵を強く握りしめたことを覚えていた。
それで、次の朝になると寝室の床に扉が設置されていたのよ。
床に扉が設置されていた。
あんなの、最初からあったかしら。
ためしに開けると、広々とした空間につながっていた。頼りがいのある柱に設置された
ふわっと着地して、顔を上げた。
あたりを見渡すと、幻と遭遇したような心持ちになる。
なんと、地下室だ。ロマンの塊が、そこには広がっていた。
無骨で無機質な壁の中央には、鉄の壁まで設置されている。
ああ、なるほど。
その瞬間、全てを理解する。
おおかた、謎の青年が残した置き土産ね。鍵で開けると外の世界につながっていますと言いたいわけ?
しかし、いいのかしら。鍵を消費して外の世界へたどり着いたとして――いいえ。
首を横に振る。
そもそも、本当に外の世界へ進めるのかしら。
実際に鍵を使用した結果、光に飲み込まれて消失した自分の姿が、ふたたび脳内に浮かび上がる。
幻術は幻術よ。気にすることはないわ。
自分にそう言い聞かせても、体の震えが止まらない。
鍵穴に近づいても、実際に鍵を差し込む勇気が出なかった。
その気になれば外の世界へ出られそうな気がするのに、一向に気が進まない。幻術は幻術で、嘘だと分かっているのにも関わらず、恐れてしまう。
ついに肩から力を抜いて、深くため息をつく。
鍵をもう一度軽く握りしめてから、私は扉に背を向ける。
結局、外の世界への一歩は、踏み出せないまま。
やがて私は、この世界の謎に目をつぶって、脱出をあきらめた。
気がつくと、雨がやんでいる。
寝なきゃと言ってから何分くらいが経過したのかしら。いずれにせよ、早く寝てしまうほうがいいわけ。悪夢を見ないか不安ではあるけれど、いつものことだし気にしない。私は覚悟を決めて、布団の中に体を埋めた。
朝になった。
うーん、また
狭苦しい寝室のベッドに寝転がりながら、顔をしかめる。
夢の内容は覚えていないけれど、分かるのよ。なんせ、気分が悪いもの。寝起きのイライラ感がマックスなのは当然として、
窓の外はすでに明るくなっているようで、やわらかな光が部屋の中に差し込む。遠くからさざ波の音がする。どことなく、心地よい。
まだ頭はぼんやりとしているけれど、起きていればスッキリするでしょう。
ひとまず起き上がって身支度を整える。
役に立つかは分からないけれど、なんとなく、用意しておきたいものがあった。
ベッドの近くに隠すように置いたタンスに目を向ける。
その、シンプルな引き出しを開くと、クッションの上に一本の鍵がしまってある。これは、例の青年から受け取ったものだけど、果たして使う日はくるのかしら。
部屋を出て、リビングへ向かう。
柱と床・天井で構成された、シンプルで開放的な空間に入ると、すでに純白の騎士が待機していた。
「帰ってなかったの?」
「無茶言うなよ。出口なんざねぇんだし」
口ぶりからすると、たいへんうんざりしているようね。
「もしかして、騎士さまって外の世界の住民かしら」
「そうだよ。迷い込んじまったみてぇだ」
青年はぶっきらぼうに答えつつ、こちらから視線をそらす。
投げやりな印象を受ける上に、不安そうな目をしているわね。
おそらく、彼も私と同様に、感じ取っているのかしら。嫌な予感とやらを。
「にしてもこの家、本当になにもねぇんだな」
「バカにしてるの?」
「そう、眉をつり上げるな。ただの感想だよ」
青年はごまかすようにはにかんでから、また真剣な顔をする。
「でも、普通じゃねぇってのは事実だよ。普通はキッチンとか風呂場とか、いろんなものがあるんだ。それがねぇってのは、どうなんだ? むしろ、どうやって生活してんだ?」
彼がなにを言っているのかよく分からなくて、キョトンとしてしまう。
「それがなに? 私には必要ないでしょ」
「なに言ってんだ、お前」
当たり前のように答えたのに、相手は驚きと困惑・不安が入り混じったような表情をする。口元はわけが分からないとばかりの、半笑いだ。
なぜ、騎士さまは怖がるのだろうか。
なにか悪いことでも言ったのかしら?
「食事は?」
「たまにはほしい。でも、要らない。食べなくても生きていけるもの」
「入浴」
「なんで? 汚れないでしょう?」
おそるおそる質問をする青年の意図が読めなくて、首をかしげる。
彼の声が震えていたから、こちらまで戸惑ってしまう。
私は普通よね?
「季節は?」
「知らないわ。でも、本にはいろいろな描写があったわ。春夏秋冬……。春は花の香りで満たされるみたい。実物は見たことはないけれど、きっと素敵な光景なのでしょうね」
花畑にいる自分の姿を想像して、うっとりする。
しょせんは物語に登場する要素に過ぎないため、現実ではありえない。たとえ花畑に足を踏み入れたとしても、私なら全てを真っ黒に染めてしまう自信がある。
「いつか、見てみたいわね……」
絶対に叶わないと理解していながら、軽く冗談を口にしてみた。
途端に彼はため息をつく。
青年は、急に何十年分の時を積み重ねたかのような顔をする。
「お前さ、時が止まってるんじゃねぇか?」
一言づつ、言葉を選ぶようにして繰り出された問い。
ト キ ガ ト マ ッ テ イ ル ?
今度は私が絶句するほうだった。
いい夢を見ていたところをたたき起こされたような気分だ。
頭が真っ白になって、うまく思考を結べない。
急に自分一人だけがなにもない空間へと飛ばされて、置いていかれたような感じだ。
情報――いや、文字だけはハッキリと頭に浮かぶのに、うまく受け入れられない自分がいる。
ただ現実だけが私の目の前にぶら下がっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます