番外編

ドン・カレルの思惑

「フミノ!」

 ア・ランフェンが女性の名を呼んでいる。

 聖女・ハセガワキラリの歪んだ思想に巻き込まれてこの世界へとやって来て、そして今帰ろうとしている女性の名前を、悲痛な声色で叫んでいる。

 彼の拳は見えない障壁を叩くけれど、そこには何の効果も感じられない。

 聖女の作った何らかの結界は、私達では破ることなど不可能だろう。もしも影響を及ぼすことが出来るのならば、それは聖女自身か『神』しか居ない。

 ついに魔力を込めて障壁を叩こうとしたランフェンを、カレルは慌てて引き止めた。

「ランフェン、危険だ」

「それがどうした」

「君だけの問題じゃない。この障壁が壊れた時に、周囲にどんな影響が出るかわからないんだ。それに、中に居る彼女だって例外じゃないだろう」

 そう告げると、振り上げた拳を握り締め、ゆっくりと下におろした。カレルは、申し訳ない気持ちになりつつも、障壁の内側にいる女性――コバヤシフミノに声をかける。残された時間は恐らく少なくて、だから彼は友人にそれを譲った。最後の別れは、彼と彼女で行うべきだろう。

 そうして部屋から二人の異界人が姿を消した。

 守護騎士に囲まれていた聖女が先だったのか、はたまた同時に世界を去ったのか。

 神の弁を聞くかぎり、等しくハセガワキラリを排したのだろうから、おそらく同時なのだろう。

 聖女を囲んでいた騎士達は膝をつき、または天を仰ぎ、姿を消した彼女に思いを馳せている。

 部屋で警備に当たっていた近衛が彼らに歩み寄り、声をかけている。ヘンドリックが近づいて指示を始めたので、こちらは彼に任せておけば大丈夫だろう。

 カレルはもう一人の騎士に目を向けた。

 聖女に付き添っていたのは総勢七名だったけれど、こちらは一人だ。自分とヘンドリックを合わせても三人だが、こうなることを承知していた自分達は数に含めてはいけないだろう。

 コバヤシフミノの騎士は、ア・ランフェンただ一人だ。

 見えざる結界のおかげで、触れることの出来なくなった女性が、目の前で消えた。

 世界を超え、彼女が本来居るべき場所へと帰っていった。

 騎士はその場から動かず、手を差し出したままの状態で立ち尽くしている。

 もともと孤立しがちだったけれど、隊長職に就いてからは少しずつ変わってきていた。それを嬉しく思っていたのは、他でもないカレルだ。自分と関わるせいで、他者から遠巻きにされていることをずっと憂いていたのだ。

 今のランフェンは、昔の姿を彷彿とさせる。心を許せる者が居なくて、様々な重責に一人で耐えていた頃の姿によく似ている気がした。

 ランフェンにとって、彼女がそこまで大きな存在になっていたとは思ってもみなかった。

 彼にしては珍しく気さくに接しているし、好意はあるのだろうとは思っていたけれど、ここまでの喪失感を抱えるほどだとは想像していなかったのだ。

「ランフェン……」

「カレル、これからどうする。考えてあるんだろう」

「そうだね。ひとまずの方針はヘンドリックと決めてあるよ。――ランフェン」

「なんだ」

「――ごめん」

「何を謝る必要があるんだ。フミノも承知していたことなんだろう? ならば、何も言うことはない」

 そう言ってうっすらとした笑みを浮かべた。

 何も聞く気はないし、聞きたくもない。全てを諦めて、あるがままを受け入れる――、そんな顔をしている。

 ランフェンはカレルから顔を背け、ヘンドリックの下へと向かっていく。

 その姿を見送りながら、カレルは嘆息した。



 広間に居た数名の近衛騎士には他言無用を敷いて、用意した筋書きを説明する。

 偽聖女とは和解したこと、話し合いの際に神が降臨されたこと。聖女が撒き散らした流言は全て封印し、ハセガワキラリが未来を我々に託して帰還したという形にして、聖女の名誉は守っておく。どんな人物であれ、彼女が平和に貢献したことは事実であり、未来を見据える指針であることも確かなのだから。

 けれどそこに「偽聖女」の姿はない。

 だが、彼女を貶めたままにする気はなかったので、事実に少し嘘を織り交ぜた形で公表することとなった。

 偽聖女と言われた女性の正体は、聖女に頼り、聖女のみを崇める今の風潮を改革する為に、聖女自身が用意した「偽者役」というわけだ。概ね肯定的に受け入れられているようだし、問題はないだろう。問題があるとすれば、ランフェンのことだ。

 あれから数日が経ち、聖女の騒動も落ち着いたが、ランフェン自身の心はまだ彷徨っている。鉄仮面と称される表情のせいか、近衛騎士達は気づいていないようだが、付き合いの長いカレルからすれば、その違いは明らかだった。

 少しも笑わない。心ごと全て置き去りにしてしまっている。

 ヘンドリックに相談しても、しばらく放っておけというだけだが、カレルとしては放置できない。子供の頃からずっと共に居た友人――、兄のような人物だ。

 フミノのことは、今となってはどうにもならない。同じことを繰り返さない為に、ハセガワキラリが二度と世界を越えられないようにする為に、フミノは己も同等の扱いになることを了承した。神の力に抗うことは、難しいだろう。

 それらのことを事前に説明しないまま、ランフェンにとっては、半ば騙し討ちのような形で実行してしまった。反対されたところで他に手立てはなかったけれど、何も知らせないまま、あんな風に引き裂くつもりではなかったのだ。

 何を言っても、もはや言い訳にしかならないことはわかっていても、それでも伝えておきたいと思った。

 伝えておかなければいけないと思い、カレルはその日の晩、ランフェンを部屋へと引き入れたのだ。



「まだ勤務中なんだが」

「第二師団の隊長には伝えてある。平気だよ」

 まだ不満そうな顔をしているが、敢えて無視して椅子に座らせた。用意してあった茶を入れて出すと、「王子がそういうことはするな」と苦言が出た。けれど、それに関しては否定したい。国王の一番の側近として、内密の会談をする際の給仕を行うのは、補佐である王子の役割。要するに仕事の一環なのだ。

「ちゃんと話しておこうと思ってさ」

「何をだ」

「フミノさんのことだよ」

 名前を出すと、目に動揺が浮かぶ。逃げ道を防ぐ為に、カレルは言葉を続けた。

「ハセガワキラリという存在を、この世界から排斥する。それを最初に思いついたのは、フミノさんだ」

「……フミノが?」

「直接会って話し合いをするべきだって言い出した時のこと、覚えてるだろ」

「そうだな。相変わらず危機感がないと、呆れた」

 呆れたと言いながらも、ランフェンの瞳は優しい。彼女の事を語る時、いつもそんな表情をする。

「その時にさ、もう一度契約の間に行きたいって言って、連れて行ったんだ」

「ああ」

「そこで神に会って、確認したんだってさ。ハセガワキラリを弾き出す事が可能かどうかを。その結果、たぶんハセガワキラリを名乗っている自分も同じ扱いになるはずだって、それが分かっていて、フミノさんは選んだんだよ」

「……彼女は帰りたがっていたしな」

「違うよ。たしかに帰ることを望んではいたけれど、この世界にやって来たこと自体を否定したがっていたわけじゃないんだ」

 彼女はただ、自分の意思に関係なく引きずり込まれた状態に、困っていただけだ。

 ここで過ごした日々を嫌悪していたわけでは決してない。

「ねえランフェン。彼女はさ――、フミノさんは選択したかったんだよ」

「選択?」

「召喚されて、役割を決められて、記憶喪失の振りをさせられて。自分の意思では何も出来なかった。仕方がないことだし、何の主張もせず受け入れた自分の責任だから文句は言えないけれど、それでも自分の考えや気持ちを誰も気にしていないように思えて、それが一番苦痛だったって、そう言ってた」

 発端となったのは国の方針で、彼女に聖女の振りを強いた場に自分も立ち会っているカレルは、改めて頭を下げたのだ。

 その後、二人で話をした時に聞いたフミノの気持ち。

 ランフェンにはそれをちゃんと知っておいて欲しい。



 別にカレル様を責めるわけじゃないですし、テオルドさんにしたってそうなんですけど、偉い人には立場に見合った責任があるわけで。だから、従うことに依存はないんですよ。さらりーまん――あ、えっと、お給金を貰って働く人のことなんですけど、私もそういう働き手の立場なので、組織の方針に沿って動くことに異存はないんです。

 なんで私がーって気持ちもあったりはしたんですけど、振り返ってみると、私は随分と守られていたんだなーっていうのがわかって、逆に申し訳ない気持ちになりました。私一人で大変な思いをしてると思ってたけど、危害が加えられないように見ててくれた人が沢山いたんですよね。

 だから私も、ちゃんと役に立ちたいんです。貰った恩は返さないといけないんです。

 みんないい人ですよね。ヘンドリックさんにも随分よくしてもらいました。まあ、負い目があるのかもしれないですけど。メルエッタさんも、なんかお母さんみたいな雰囲気だったし、ランフェンさんも――、すごく優しい人です。

 魔法陣のこともあって、私がめそめそしてるのとか全部ばれちゃって、たぶん、だからなんだと思うんですけど、もうすっごい気使ってくれて、申し訳ないぐらいで。すごい嬉しかったんです。

 だからランフェンさんも、ちゃんと笑っててほしいなーって思うんですよ。気を使わせてばっかりだから。

 あの人、意外と笑い上戸ですよね。笑いのツボは未だにわかんないんですけど、私よっぽど突飛なこと言ってるのか、よく笑われました。楽しんでくれるならそれに越したことはないんですけど、笑われてばっかりだと、私どんだけ変人なんだよって、ちょっと落ち込みました。

 ここでの生活、やっていけるのかなって不安だった時、魔法陣の先にランフェンさんが居たからなんとかなったんです。色々ぴんちもあったんですけど、そういう時に最初に気づいて真っ先に助けてくれたのもランフェンさんで。

 嬉しかったことや、楽しかったことは、全部ランフェンさんのおかげです。

 だから、会えなくなるのは哀しいですけど、私の立場じゃどこまでいってもお荷物にしかならないので、それを外して、職務に邁進して頂ければと思ってます。

 剣も魔法もできる、おーるまいてぃな――えっとつまり、色んな事が全部出来る、そういう人に、ランフェンさんならなれると思うので、私は私の世界で応援します。そんでもって、私もちゃんと前向きに頑張ります。ちっともすごくはないですけど、ちょっとでも前進できるように頑張って生きてみます。

 ああ! 勿論、カレル様のことも、ティアドールのことも。ますますのご発展をお祈りいたしております。




「ランフェンが彼女と楽しそうに話してるの、わかった気がする。たしかに面白いね、フミノさん」

 あと、可愛い。

 そう付け加えると、顔をしかめた。本当に面白い。

 ランフェンのことを「笑い上戸」だと彼女は言った。

 そんな風に評する人間に、カレルは今までに会ったことがない。

 機嫌を損ねてしまったのかと縮こまったり、冷徹な雰囲気がさらに素敵と称賛する人は多数存在するけれど、「優しい人」だと称する人は珍しいだろう。

 つまりそれだけコバヤシフミノに対して心を許しているのだ。

 鎧を纏わずに接することが出来る女性。

 考えてみれば、名前を許すぐらいだ。並大抵じゃないだろう。

 ただ、失うことでここまで駄目になるとは思っていなかっただけで――。


 ティアドールはこれから転換期に入ることになる。

 不審者を王宮へ引き入れ、コバヤシフミノを襲わせたという騎士が第二師団の副隊長だったというのは、近衛騎士達に衝撃を与えた。その他にも聖女にたぶらかされた数名の騎士は解任された為、体制も大幅に変わっている。ランフェン自身も第二師団へと移り、副隊長の任に就いているのだから、このまま腑抜けてもらってはカレルとしても困るのである。

 フミノの弁ではないけれど、頑張って順調に出世して、いずれは第一師団の隊長に昇格してもらわなければならない。幼少時の約束を違えるつもりはないとは思うが、今はどこまで認識しているか危うげだ。



「フミノさんはハセガワキラリじゃなくて、コバヤシフミノだ」

「それがどうした」

「神はハセガワキラリを排したのであって、コバヤシフミノのことには言及していないはずだ」

「だが、結局フミノは排除された。全てではないにしろ、ハセガワキラリと認識されていることは覆らない」

「だったら塗り換えなよ」

「塗り換えだと?」

「そうだ。ハセガワキラリとしてじゃなく、コバヤシフミノとしての存在を高めていけば、いずれ彼女はハセガワキラリではなくなるだろう」

「そう簡単に――」

「フミノさん曰く、屁理屈上等、らしいよ。自分をハセガワキラリとして神に認めさせたのも、言いがかりみたいなもんだったって言ってたよ」

 考え込むランフェンに、カレルは言う。

「通信魔法陣だって、フミノさんってのものだろう? あれが普及すればするほど、フミノさんの価値は高まるだろう」

 ヘンドリックも言ってた。フミノのおかげで、書類が探しやすくなったし、色んな手間が省けるようになった、と。カイゼンテイアンと言っていたか、個々の人間が、己の作業の改善を考える仕組みがあるらしい。

 メルエッタも彼女のおかげで新しい事を学べたと喜んでいたし、テオルドは、彼女が部屋に置き忘れていたという、小さな機械の解析に余念がない。時を刻む装置らしく、フミノはそれを手首に巻きつけており、鐘の音よりもむしろ、そちらの方で時刻の確認をしていたのだそうだ。

「皆それぞれ、コバヤシフミノの功績を高めようと考えている。これはハセガワキラリとは関係ない、彼女自身から生まれた出来事だ。ランフェン、君は何をしてるんだい? 考えてばかりいないで実行に移しなよ。思い悩むのなら、彼女の存在を高める方向にするべきだ」

 ランフェンの瞳が変わる。沈んだ暗い色に、光が戻ってくる。駄目押しとばかりに、カレルは告げた。

「うじうじとみっともないよ。呼び出して、ちゃんと言いなよ」

「……何をだ」

「それ、言わせるの? そんな態度だと、テオ・カルメンに先越されるよ」

「うるさい、黙れ」

「クム・ヴァディスとも仲いいよね、フミノさん」

「黙れと言ってるだろう」

「私はランフェンの味方だから、頑張って捕まえてね」

 ティアドールの発展の為に。

 その先に続く言葉は胸の内に潜めて、ティアドールの王太子は微笑んだ。



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