ア・ランフェンの事情 13

「彼女に何をしたんですか」

「カレル王子、今の貴方に何を言ってもわからないでしょう。けれど、どうか信じてください。あの偽者は貴方やランの心を操り、この国を乗っ取ろうとしているのです」

 フミノの周囲に結界を張ったハセガワキラリが、カレルに訴えかける。

 あくまでもフミノを悪とし、己の正当性を主張し続ける。

「私は神に選ばれた聖女だもの」

「神と申されましたか」

「ええ、カレル様も知っているでしょう? 私は神と契約を果たした聖女だと。あたしは託されたんです。世界の命運を。あたしがこの世界を救うわ。そこの偽者を排除してね!」

「世界の命運、だと?」

 黙って動向を見守っていたヘンドリックが、初めて口を挟む。

 ハセガワキラリは力強く、それに答えた。

「そうよ、この世界はあたしが守り、あたしがより良く導いてみせる」

「いらん世話だな。この国の秩序を守るのは我々だ。余所者は黙ってろ」

 ハセガワキラリと対峙するにあたり、カレルを筆頭に決めたことがある。

 それは「もう聖女には頼らない」ということだ。

 この国の道筋を決めるのは、我々である。ことわりを無視した無限の能力ちからに頼らず、自分達の力で生きていくべきなのだ、と。

「神様は居ないんじゃなかったの?」

 フミノが問いかけた。

「何言ってるのよ。神様は居らっしゃるに決まっているじゃない。あたしは神に会ってお話をしたんだもの」

「そうだね、目には見えないけど、神様って居るよね。神様が見てるから悪いこと出来ないって昔から言うしね」

「神はきっと今もご覧になっているわ、貴女の振る舞いを」

「己の所業を無視し、よくもそのような戯言を」

 ランフェンがつい口を挟むと、黙って聞き逃してくれと、フミノが魔石越しに制してくる。守護騎士達の前で失態を演じさせ、聖女という仮面を外させるというのだ。

 だが彼らは昔から、あの状態の聖女を信望している。待ったところで今更意味はないだろう。

「神よ! ハセガワキラリの名において命じます。この世界を滅ぼそうとしている者に、聖なる裁きを!」

 聖女が天井を仰いで叫んだが、何の変化ももたらさない為、不審げな顔となり、こちらを睨みつける。そんな彼女に、フミノが言う。

「ハセガワキラリが命じる。この世界の言葉でお願いします」

「だから! ハセガワキラリはあたしなの! あんたは偽者役でしょーが。ちゃんと役割演じてくれないとあたしが困るんだけど!」

 すると聖女の口から発する言葉が変化した。

 フミノの言葉が呪文として発動し、聖女の言葉は全て、郷里の言語ではなくなったのだろう。

 だが本人は気づいていないのか、フミノとの会話を続けている。

「私は役者じゃないし」

「それっぽくやってくれたら、後はあたしがなんとかするから、大丈夫だってば」

「いやいや、悪役なんてとてもとても。どんなことをすればいいか、さっぱりですよ」

「物語に出てくるの真似っこすれば大丈夫だって。この世界自体、あたしの世界なの。ちょっとぐらいの失敗なら許してあげるから」

「あのね、この世界はこの国の人のもんだよ。私達は所詮、違う世界から来た異邦人だよ」

 この世界の事は、この世界に住む者に決定権がある。

 フミノが言っていることに異論はないが、彼女の言う「異邦人」という言葉は、ランフェンの胸を鋭く刺した。急激に距離が生まれたようで、反論したくなる。

「夢がないっていうか、やっぱおばさんは駄目だね。もう最悪」

「それは我々の台詞だ、聖女」

「え?」

 カレルが発言し、ハセガワキラリは不思議そうに声をあげた。にっこりと微笑んだカレルは、笑顔を保ったままで聖女に告げる。

「役割とはどういうことか。貴女が自ら偽者を用意し、己を正当化しようとしたということで、相違ないか」

「それは偽キラリが言った嘘です」

「偽者ではなく、たった今、貴女自身の口からおっしゃったことではありませんか」

「は?」

「俺も聞いたな」

「はっきりと聖女の口から」

「なんで? だってニホンゴで……」

 そこでようやく気付いたのだろう。ハセガワキラリがフミノを見る。

「違うの! みんな、あの偽者のキラリに操られてるの! 全部あの人が悪いの!」

「聖女、貴女は――」

「カレル王子、お願い。あたしを信じて」

「何をもって証明されるおつもりですか?」

「もう! なんでよ! あんた達があたしに助けてくれって言ったんじゃないの! この世界にはあたしが必要だっていうから色々考えたのに、全部めちゃくちゃじゃん!」

「確かに我々の願いによって貴女は召喚され、助力をうた。けれどそれは、貴女の考えを肯定するという意味ではない」

「この世界はあたしが創ったのよ、あたしが居なくなったら、全部消えちゃうんだから!」

「世界を創ったなどと、神のような事をおっしゃる」

「そうだよ、この世界にとって、あたしが神様みたいなもんじゃん」

「何を迷い事を」

 ハセガワキラリの言うことはまるで理解不能だ。背後に居る守護騎士もまた不可解な顔をしているところを見ると、この状態は想定外らしい。

 唯一動いたのは、他国の騎士二人だ。彼らは「貴女自身が神の声を聞く巫女である」と伝え、神をこの場へ降ろすようにと懇願している。

 彼らは神殿騎士なのだろうか。

 ランフェンは今更ながら、あの二人について考えた。

 他国の情報について詳しく知っているわけではないが、神殿にて神の声を聞く巫女姫と、それを支える騎士の存在については、聞いたことがある。

 彼らに言われ、ハセガワキラリは頷き、表情を正す。胸の前で手を組み、祝詞をあげた。

「ハセガワキラリが命じます。神よ、ここに降臨せよ」

 その言葉が発せられた後、部屋の空気が変わった。

 肌が泡立ち、威圧される感覚に支配され、誰もが動けない。


『ハセガワキラリ』


 声が聞こえた。男とも女ともつかない声が耳朶を震わせ、身体が痺れる。

 これが「神」なのか――。

 この国で一番「神」に近いであろうカレルが、震えながら天を仰いだ。

 神を降ろしたハセガワキラリは、「偽者に制裁を」と願うが、神はそれに応えなかった。偽者とは誰のことなのかと問い、フミノもまた「ハセガワキラリ」であると告げたのだ。

 聖女は混乱し、大きく声を張り上げている。

「もう最悪最悪最悪!! こんな世界もういらない! あたし帰る! もっといい世界探すから! ティアドールにはもう来ない。あたしを慕ってくれる人はたくさん居るし、どこに行っても歓迎してくれるんだから平気だし!」

 そうして最後に、見えない神に向かい叫んだのだ。

「消えろ!」

『願いし通り、ハセガワキラリを永遠に世界より排する』

 神は告げた。

 そうして消えたのは、消えろと発した聖女の方だった。

 ハセガワキラリの姿が薄れ、己自身でもそれが認識できるのか、狼狽うろたえはじめた。

 そんな聖女を取り囲み、守護騎士が声をかけているが、本人は聞こえているのかいないのか、会話になっていないようである。

 ハセガワキラリを排すると神が告げ、聖女の姿が消えようとしている。

 神の言う「ハセガワキラリ」とは、果たして聖女のことだけだろうか。

 フミノもまた「ハセガワキラリ」であり、だからこそ同じ能力ちからを行使していたのだ。

 それはつまり――

 ランフェンは総毛立ち、背後を振り返った。

 フミノを取り巻く結界はなお健在で、一層強固な壁となっている。拳を叩きつけるも衝撃は分散されてしまい、一点に力を加えることは出来ない。ならばと魔力を込めて殴りつけても、同じことだった。

「フミノ!」

 ランフェンは声を張り上げ、その名を呼んだ。

「君はフミノだ。ハセガワキラリではない」

「そうですね。でもハセガワキラリでもある以上、やっぱり私も排斥されるべきなんですよ」

 フミノは苦笑する。

 全てはカレルやヘンドリックと決めたことなのだと、そう言って。

 そんな事実は知らない。

 ランフェンはただ、聖女を役目から廃し、自分達で道を作っていくということしか、聞いていなかった。

 その結果、フミノもまた消え去るなど、知っていたらきっと反対していた。他の策を講じろと進言したに違いない。

 つまりだからこそ、彼らは自分に詳細を明かさなかったのだろう。

 神の力に抗うなど、出来るわけもない。この現象は自分程度の力では、覆すことはもう不可能なのだ。

「フミノ……」

「……うん」

 目の前に立つフミノがよろめいた。

 咄嗟に手を伸ばすが、結界に阻まれ、彼女には届かない。守ると誓った彼女の傍に立つことは、もう出来ない。

 彼女は元の世界へ戻ることを願っていた。

 だが、こんな別れ方は想定していなかった。

 あまりにも突然すぎて、頭が付いていかない。

 湧き上がってくるのは、猛烈は後悔だ。

 何もかもが遅すぎた。

 どうして今この時になって気づくのだろう。

 この想いはずっと胸に渦巻いていたというのに。


 フミノが思い出したように、手に持った魔石を見せた。

「そうだ、魔石を――」

「構わない。それは君のものだ」

「でも……」

「君にしか届かない物だ、他の誰の手にあっても、意味がない」

 結界は今やフミノの身体を包むように収束しはじめている。

 差し出された手に直接触れることは出来ないが、それでもランフェンは、フミノの手を自分の手で包んだ。

「持っていてくれ」

「……大事にします」

 フミノがそう囁き、微笑んだ。

 彼女に対する様々な感情が胸を締め上げ、息が詰まる。

 視界が歪むのは彼女が消えるせいなのか、それとも己の身体が現実を受け入れたくないからなのか。

 フミノが苦しげに瞳を閉じた瞬間、彼女の身体がより小さくなる。

 知覚できない魔力の波動が彼女に向かい、一点に収束をはじめた。

「フミノ!」

 彼女はもう答えない。

 聞こえているかいないかもわからない。

 ランフェンは魔石を握りしめ、叫んだ。

「待っててくれ!」

 その言葉と共に、フミノは消えた。



  *



 ハセガワキラリが消失した後、守護騎士はその任を解かれ、各々は別の仕事へ配属された。

 聖女の歪んだ思考の影響を受けていないとも限らない為、簡単に城外へ出すというわけにはいかないからだ。

 聖女が伴って現れた二人の騎士に関しては、祖国へ連絡を入れ、話し合いの結果、不可侵の約束をして帰国することとなった。崇拝していた姫が消えたことで目標を見失ったのか、特に抵抗もせず戻っていった。

 目標を見失ったといえば、守護騎士の最年少であるマルカ・テリカはその筆頭だ。生気を失くし、ヘンドリックに言われるがまま屍のように動いているだけである。

 詳細を知らない侍女達が、彼をたいそう心配しているのだと、ランフェンはメルエッタから聞かされ、なんとも言えない気持ちとなった。

 あの少年は、ある意味被害者だろう。守護騎士として選ばれた時は、まだようやく騎士の資格を得たばかりの子供だったのだ。聖女の持つ気に触れ、心酔し、ずっとそこに囚われている。

 彼の起こした行動を許すわけではないが、それでも立ち直り、何か別の目標を定めて欲しいと、少しばかりは思っている。

 心酔していたといえば、スル・ルメールであろう。

 彼は名のある賢者でもある為、魔法管理局預かりとなっている。王都から離れるよりは、彼の知識を生かした方がいいという判断だった。局長であるヴ・テオルド自らが監視しているというので、問題行動は起こさないだろう。

 クム・ヴァディスは文官職に就き、テオ・カルメンは王宮ではなく、町の警備をする自警団を選んだという。その方が気楽でいい――とは、彼らしい言い分だ。

 聖女に一番近く、最も公正であったジグ・スタンは、近衛騎士として戻ってきた。通常ならば有りえない措置だが、この先「聖女の守護騎士」というものは存在しなくなる。それを踏まえ、特例として国王が認め、本人もそれを望んだこともあり、第四師団へ配属されている。

 それと同じ頃、ランフェンは第二師団へと移り、副隊長を拝命した。

 フミノを窮地に追いやった男こそ、その第二師団副隊長であり、彼が更迭された後を継いだ形となる。

 第二師団は、第一師団の下につき、より王族警護の任に近い部署である。ヘンドリックのように、王族を――カレルを助ける存在になることが目標だったランフェンにとって、それは喜ばしい異動だった。

 通信魔法陣と、それを用いた魔石をさらに改良する為に、ランフェンは管理局の長である父・テオルドに自ら相談に赴き、それを機会に、親子の歩み寄りが行われている。

 魔法陣は進化し、通信先認定に際しては、相手側の魔力での認証が可能となり、魔法陣に直接名前を刻む必要もなくなった。それにより、通信先を複数封じることも可能となり、相手ごとに魔石を所持しなくてもよくなっている。

 これらはきっと、己一人では成し得なかったことで、ランフェンは「やはり父はすごい賢者である」と再認識をした。

 この技術は、一般へ広める前に、試験的に近衛騎士間で運用することとなり、まずは王宮を巡回する者が所持し、その場で詰所へ報告を行う方法を試しているところである。今後の展開としては、王都から離れた場所への通信の確立であろう。

 その魔法陣の考案者であるア・ランフェンは、常にもう一つ別の魔石を所持している。

 普及し始めている物よりも古く、相手も限定的な旧式のそれを、彼はひどく丁寧に扱っていた。

 発端となった最初の物であるから、捨てられずに大事にしているのだと思われていることを、彼は肯定も否定もしなかった。それはある意味正解で、間違っている。

 ランフェンは日々、それに魔力を流し、その先に居る誰かに語りかける。

 遠い世界のどこかに居る大切な人に、話しかける。



 世界は「ハセガワキラリ」を拒絶する。

 けれどランフェンが――、彼の周囲の人々が、彼女が「ハセガワキラリ」ではないことを確かに知っている。

 だからきっと大丈夫だ。

 彼女はハセガワキラリではなく、コバヤシフミノとして世界を渡る可能性を秘めているのだ。

 何の前触れもなく呼び出せば、彼女は怒るだろうか。

 だとしても、諦めるつもりはない。

 待っていてくれ。

 いつか必ず、君を取り戻す。

 もう一度会って、伝えたい想いがあるのだ。


 それこそが、魔石を大切にする、ア・ランフェンの事情。



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