ア・ランフェンの事情 12

「では、始めよう」

 まず、カレルが口火を切った。

 対する聖女陣営は、スル・ルメールが指揮を執るらしく、取り澄ました顔でフミノの批判を始める。

 フミノも彼らに対し、自分も神に認められた「ハセガワキラリ」であると述べるが、相手は意に介さない。予想通り反撃を喰らう。

 相変わらずハセガワキラリの懐柔具合は恐ろしい。統率というものを通り越し、あれはもはや洗脳だ。心を歪め、本来の思考を奪い去るものだ。取り込まれることで、彼らは己本来の思考すら気づかぬうちに手放してしまっているのだろう。

 その時、フミノから流れる感情が変化した。

 ランフェンがちらりと様子を窺うと、聖女の背後に立つ護衛に視線が向けられており、その瞳は不安に揺れている。膝の上で固く握りしめられた拳は、何かに耐え、必死に我慢している時の彼女の癖だということを、今はもう理解していた。

『あの男を知っているのか?』

『……あの時、牢屋に二人の男を引き入れたの、あの人です。ご丁寧に音が漏れないようにして、好きにしろって感じで。そもそも最初に私を引き倒して捕まえた人ですし、よっぽど聖女様が好きなんでしょうね』

 あの男が、フミノを牢屋へと追いやったのか。

 彼女の腕に残された痣を思い出す。

 母親曰く、背中にもひどい痕が多数残っていたらしい。服の下に隠された痣が消えたのかどうかまで、踏み込んで問うことは出来なかったが、簡単に痛みがなくなるものでもないことは、経験上知っている。騎士の訓練を始めた頃は、打ち身で作った痣がうずく痛みに、随分と悩まされたものだ。

 洞穴のような牢獄の奥深く、悲鳴すら封じられた場所で身の危機に晒され、青白い顔で座り込んでいた姿をランフェンは忘れていない。

 フミノを襲った二人の男は、騎士崩れの傭兵だった。それも悪い方面の仕事を請け負う組織に属する者だ。

 そんな連中と手を組み、手引きをするなど、近衛騎士としての品格に欠けている。懲罰に値する案件だった。

 彼はたしか、偽聖女が逃走したことを最初に発見した男。

 つまり彼は、様子を見に行ったということなのだろう。己が引き入れ、偽聖女を嬲り殺したであろう様を、確認に行ったということだ。

 視線を感じて顔を向けると、ヘンドリックが訝しげな顔で問うていた。ランフェンは魔石を通して伯父を促すと、彼は目配せを返して元の体勢へと戻る。

『どうしたランフェン。隣でお嬢さんが恐がってるぞ』

『聖女に付いている護衛は、フミノを捕え危害を加えた男です』

『それは近衛騎士としての職務の範疇だろう』

『そんなことはわかってる。だけど、あの男は例の不審者を自ら手引きし、フミノの居る牢へ引き入れたんだ』

『――どういうことだ』

 フミノを助け出した時の詳細は、ヘンドリックには伝えてある。男達が何故、偽聖女の居る場所を正確に知っていたのかは、未だ判明していなかった。それが、王宮を警備する近衛騎士の手によるものだと知ったヘンドリックの瞳は、憤りに染まる。

 ランフェンもまた聖女の背後を睨みつけていると、聖女がフミノに何かを言い始めた。それはおそらく、郷里の言葉なのだろう。だが不思議なことに、聖女に返事をするフミノは、こちらの世界の言語だった。

「どういうって?」

「いや、別に攻略とかしてないし」

「いや、愛されてるわけじゃないし」

 フミノの言葉を繋ぎ合わせても、一体何を話しているのかがさっぱりだ。聖女の守護騎士もそれは同様であるらしく、一様に困惑顔をしている。

 ランフェンは魔石でフミノに問いかけた。

『あの女は何をわめき散らしているんだ?』

『自分の思い通りにならないことに憤慨してます』

『それにしては、随分とこちらに対して怒っているようだが』

『……カレル様やランフェンさんが私側に付いているので、そのせいかと』

 その言葉に、ランフェンは納得した。

 たしかに、あの女らしい考えだ。

 聖女とフミノの会話はなおも続き、憤慨していた聖女はやがて顔を輝かせ、早口で話し始める。

「暴力振るうのはちょっと……」

「振りでも嫌です」

「あのさ、私の発言だけを聞いてる人がどう思うか、考えてる?」

 対するフミノが顔をしかめて問うと、聖女は急に態度を変え、こちらの言葉を発した。

「ひどいわ、あたしをおとしめようと、みんなの前でわざとそんな風にしたのね!」

「聖女、急にどうされたのですか? この女性と一体何の会話をなされていたのですか?」

「カレル王子……。偽物があたしを悪人に仕立てあげて、自分こそが正しいと思わせようとしているんです」

「何の話をしているんだ?」

「私は彼女に思い止まってもらうよう説得していたんです。それなのに、言葉を捻じ曲げて、私が悪いことを言っているような事ばかり発言して」

「では貴女は何をおっしゃっていたのですか?」

「皆を騙すのは止めてって」

「騙す、ですか?」

「王子もランも、偽者に騙されてるんです。気づいてないかもしれないけど、そういう魔法なんです」

「彼女は魔法が使えると?」

「はい、真実を歪めて思い通りにしてしまう、闇魔法の使い手なんです!」

 聖女がそう言い切ると、他国の騎士が忌々しそうにこちらを睨む。

「悪魔の化身め」

「なんと禍々しい」

「あたしは貴女を許さない! 神の力を受けた聖女・ハセガワキラリの名において命じるわ! 汝、その身を地に返し、この地より去りなさい!」

 聖女の朗々とした声が響くと同時に、術を発動させた本人と、フミノの足下が不安定に揺れ始めた。

 自信に満ちた聖女の顔に狼狽えが走る中、フミノが小声で何かを呟く。

 すると揺れは収まり、転倒しそうになったのか、フミノが椅子の背もたれにつかまった。

 聖女は驚いているようで、確認するように、再び古の魔法を発動させる。

「ハセガワキラリが命じる! 闇に閉ざされよ」

「ハセガワキラリが命じる! 光を取り戻せ!」

 そのどれもが己自身にも跳ね返ってくることを自覚したのだろう。血の気が引いた顔で震えている聖女に、スル・ルメールが耳元で囁いている。おそらく、フミノもまた同様の能力ちからを操れることを悟ったのだろう。賢者である彼ならば、そのことを推測してもおかしくない。

 スル・ルメールは苦々しい顔となり、こちらを――ランフェンの隣に居るフミノを睨みつけ、罵り始めた。

「我々を操っただけでなく、キラリ様にまで妖しげな術を施すなど、どこまで卑怯な真似をすれば気が済むのか。幾ら操られていたとはいえ、貴様のような者を助け、その身体を癒したことが腹立たしい。貴様に守護の陣を施しておけば、それを反転させ、その身の内から消滅させることも出来たかもしれない。私の手が触れたその身体全て、余すところなく癒した場所に痕跡を残してさえおけば、悪魔に相応しい物に変えてやったものを」

「おまえ、何言ってんだ?」

 テオ・カルメンが問うたスル・ルメールの発言は、おそらくあの時のことだろう。階段から落ちて意識を失ったフミノを連れ去り、守護の陣を施すのだと、寝台で彼女に覆いかぶさっていた、あの忌まわしい出来事だ。

 顔をしかめるランフェンだったが、吐き出し続けるスル・ルメールの言葉に対し、次第に強張り始める。

 男の言葉が耳を通り、脳内に意味を持って到達する度、身体の内側から震えが生まれた。

の者に欺かれ、私は己の手を通じて癒しを施したのです。恐ろしいまやかしです。この手に直接感じた、吸い付くような滑らかな手触りも、柔らかな肌から発する甘い香りも、手触りのいいつややかな髪も、細い首筋も、なまめかしい身体つきも、全て男を誘惑せんとする悪魔の手管てくだ。一時でも私の手と唇をキラリ様以外の者に許したなど、嘆かわしい」

「そこんとこもうちょっと詳しく具体的に聞きたいんだが」

「聞かんでいい!」

 怒りというものは、頂点に達すると、逆に心は凪ぐのだろうか。

 フミノが悲鳴のように叫ぶ中、ランフェンは静かに呟いた。

「――あの汚物を今すぐここから消し去ってもいいか」

「奇遇ですね。私も今同じことを考えてましたよ、ランフェン」

「やはりあの時に殺しておけばよかった」

 立ち上がったランフェンの腕に、フミノがすがりつく。

「何故止める」

「止めますよ」

「庇うのか」

「まさか! あんな変態どうなろうと知ったこっちゃないですよ、むしろ痛い目みりゃーいいって思ってますよっ」

「ならどうして」

「ランフェンさんの手が汚れるでしょーが」

「そうか。なら拳ではなく武器を使うか」

「いや、そういう話じゃなくて――」

 言葉少なく返事をするランフェンを落ち着かせるように、フミノが彼の手を包み込んだ。

「そうじゃなくて! 一時の感情で誰かを害するとか、そんなん後で糾弾されたらどうするんよって話で、身を滅ぼすようなこと安易にしたらあかんやろって話でっ」

「俺のことはどうでもいいと、何度言えばわかるんだ」

「どうでもええわけないでしょうが! 出世に響いたらどうするんって話しとんのに」

 こちらを見上げるフミノの瞳は涙に濡れ、そして自分を案じている。

 スル・ルメールに対する憎悪で埋め尽くされた心が、彼女の持つ柔らかい気で塗り潰されていく。

 あの男より自分を優先してくれている。

 こんな時だというのに、その事実が温かく心を満たす。

 だが、どうして許せるだろう。

 先ほどの弁を信じるのであれば、傷を癒す為に直接肌に触れたのだ。

 全身くまなく、あの男の手がフミノの身体を撫でた。

 柔らかい黒髪、丸みを帯びた頬、薬を塗る時に見た細い腕、魔石が大きく見えるぐらい小さな手。

 奴はその身体に触れ、そして口づけた。

 どこに、などとは聞きたくもない。知ってしまえば、たぶん本当に奴を殺しかねない。

 カレルに促されて向けた視線の先では、聖女が顔を歪めてこちらを見つめていた。

 フミノが身体を震わせたことが、己の手を包んでいる手から伝わった。

 ランフェンはフミノの手をほどき、逆に彼女の小さな手を包み込む。

 フミノがランフェンを仰ぎ見て、そんな彼女に頷き返した。

「なにそれ! やっぱりたらし込んでんじゃん!」

 聖女が喚く。

「ずるいずるい自分ばっかりいい思いして、ここはあたしの国なのに、あんたは偽者であたしが本物なのに、おかしいじゃん!」

 泣き喚くハセガワキラリを見ても、ランフェンはもう何とも思わなかった。

 聖女のことなど、どうでもいいとさえ思った。

 今一番大切なのは、この手の先にいる女性ただ一人だった。


「許せないわ、偽キラリ! もう容赦しないんだから」

 聖女が立ち上がり、その周囲で術式が発動した。

 術者を中心に風が起こる。膨らむ術の威力は大きく、増幅を続けている。広間など簡単に噴き飛び、このままでは王宮そのものにも影響を及ぼしかねない。

 ランフェンを含め、部屋の近衛騎士達は体勢を整えた。

 聖女の魔法を完全に消し去るなど、到底出来ることではない。

 だが、被害を最小限に抑える為に尽力しなければならないだろう。

「下がっていろ」

 ランフェンはフミノの手を解き、後ろへ下がらせる。

 ハセガワキラリの悪意は、フミノに向けられているのは明白だ。背に庇い、その存在を確かめるように回した手は、何かに阻まれる。

 魔力による結界。

 ランフェンの胸に焦燥感が生まれた時、眼前で聖女が笑った。

「これで貴女は籠の鳥も同然。逃れることは不可能よ」




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