ア・ランフェンの事情 11

 王子が連れている見知らぬ女性の噂は、そこかしこで様々な憶測を呼んでいる。

 近衛騎士の噂話はランフェンの耳に、侍女達の噂話はメルエッタの耳に、侍従や文官達の声はヘンドリックの耳といったように、それぞれの管轄で噂の進行具合が確認できることも、この作戦の利点だった。

 かの女性は、王子の招いた賓客ということで、侍女頭のメルエッタが専属で世話役にあたっている。その為、侍女達の耳には正確な情報は入ってきていない。

 女性の評価は女性がもっとも厳しいであろうに、侍女達からはっきりとした悪評が出てこないことが、その証拠ともいえるだろう。

 ヘンドリックに入る噂も、それと大差ない程度だ。

 ただ、女性陣よりは男性陣の方が王子との距離が近い為、件の女性を見かける機会も多いという、その程度の違いでしかない。

 そういった意味では、一番噂の主から遠く、それ故に口さがのない話に興じるのは、近衛騎士かもしれない。

 ランフェンは耳に入った話し声に、顔をしかめた。隣を歩いていたセド・ルケアが問いかける。

「どうかしたんですか?」

「――いや、別に」

「ああ、カレル殿下のお噂ですか?」

 男が集まって、女性について語る内容といえば、容姿に始まって下世話な方向に展開するのが常だろう。

 小柄で可愛いだとか、随分細いが抱き心地はどうだとか、あれだけ寵愛しているのであれば、よほどいいのだろうだとか、寝所でのやり取りがどうだとか、王子が羨ましいだとか。

 王族に対して大層不敬ではあるのだが、聞かれなければたいして問題はないだろう。

 だが、王子と親しい者にとっては、あまり楽しい話題ではないに違いない。

 ルケアの問いに明確な返事はせず、ランフェンは彼と別れて、カレルの下へ向かった。呼び出した本人はなんとも気楽そうに待ち構えており、ランフェンの機嫌は下降の一途を辿っている。

「わかりやすく機嫌が悪いね」

「いつも通りだ」

「――こんな予定じゃなかったんだよ」

「何の話だ?」

「彼女を賓客扱いにすれば、専属の護衛を付けられる。その役目をランフェンに頼むつもりだったんだ」

 だが、事情を詳細に明かすわけにはいかない為、宰相に了承を取り付けられなかったのだという。

 カレルはそう言うが、もしも自分がフミノ――カレルの客人女性と懇意にしていれば、それはそれで噂が立つだろう。

 自分に対する中傷であれば問題はないが、フミノが「二人の男に手を出す女」という烙印を押されてしまう可能性だってあるのだ。

 大変不本意だが、カレル一人が傍に居た方がいい。

 それは理解しているが、なんとなく――そう、なんとなく面白くないのである。


 フミノが居住を王宮へ移してからは、また魔石を使った通信を再開させている。その為、直接顔を見る機会は少ないが、会話自体は今までと変わらない頻度で行っている。

 彼女の正体を知る前に戻ったようで懐かしくもあるが、それでも以前と明確に違うのは、声の先にいる人の顔をはっきりと思い浮かべられることだった。彼女がどんな顔をして、どんな風に笑い、困惑するのか。今はちゃんと知っている。それだけで、どこか虚ろであやふやだった通信が、現実味を帯びてきた。大きな収穫だった。

 相変わらず彼女の考えることは突飛で、面白い。それを具現化したら今よりも便利になるものばかりだ。

 惜しむらくは、フミノに魔法の知識が欠落していることだろう。理論を知り、考えを構築出来たなら、素晴らしい魔法になるに違いない。

 異世界からの使者は、他国にも何人か存在するという。ランフェン自身は会ったことはない為、異界人が皆フミノのような考えを持っているのか伺い知ることは出来ない。けれど、根本となる考えに対する解は、人によって違うのだ。術の構築方法に正解はない。

 家によって引き継がれている基礎も、勿論存在する。どの系統に始祖を持つ術なのか、はっきりと分かるのだ。それ故に、まったく新しい基礎が生まれない現状があり、今以上の発展を求めるのであれば、既存とは違った歩み寄りによる構築が必要だろう。

 古い人間――こと、魔法の大家と呼ばれる家に生まれた者は、それを拒む傾向が強い。自分達が形作ってきた基礎を崩されることを恐れているのだろうが、諸外国に後れを取らないためにも、そんな考えは捨て去るべきだとランフェンは思う。

 だが、魔法とは違った道を歩む自分が主張したところで、反感を買うだけだろうことも自覚しており、結局彼は、細々と自分なりに新しく何かを生み出せないかと模索しているのだ。

 フミノに魔法陣を教えるか、あるいは自分が彼女の考えを元に術を編むか。

 どちらにせよ、ハセガワキラリの件が落ち着けば、前向きに考えようと思っていた為、彼女の発言には耳を疑った。

 聖女達の会話を、魔法陣を通して聞いた数日後のことだ。

 部屋にこもっていては駄目だというフミノ自身が動こうとするのを、男三人で思い止まってもらおうとしていた際、彼女が言ったのである。


「だってなんとかしないと、私は元の世界に帰れないじゃないですか」

 異界人は落とし人とも言われ、帰る手段を持ちえない為に定住する者が存在する。ハセガワキラリのように、召喚により訪れた者もまた国に留まることを選択する場合が多い。

 それは、召喚術の確実性が明確ではないことが理由のひとつに挙げられるだろう。元の世界に戻れたのか否か、こちらでは正確に把握できているわけではないのだから。

 フミノが聖女として召喚されてから、もう随分と月日が経過していた。彼女がいる生活が当たり前になっており、このままこちらで生活していくのではないかと、なんとなくそう思い込んでいたのだと、冷水を浴びせられた気持ちになる。

 愕然としたのはランフェンだけではなかったようで、ヘンドリックもまたフミノに問うた。

「……お嬢さん、帰りたいか?」

「帰らない選択肢があるとは、思ってなかったです。普通なんの前触れもなく異国に連れて行かれて、そのまま住み続ける人は居ないんじゃないですかね?」

 不思議そうにフミノはそう言った。

 もしもこちらに定住することを選択するとしても、元の世界で処理すべきことがあるはずだと、そう続ける。例えばそれは住居や家財、従事している仕事の引継。放り出すのは不義理であること。そうして、こちらに住まいを移したとしても、何を持って生活していくのか。

「生きていくにはお金がいるじゃないですか。働かざる者食うべからずって言葉があるんですが、自分の食い扶持は自分で稼がないと。第一、働くっていっても、そもそも私に何が出来るだろうって話ですよ。魔法とか全然わかりませんし、そもそも前提となる常識が違いすぎて、日常生活すら危ういです。赤ん坊同然です。っていうか、まず住まいですよね……」

 あくまで誰も頼らないつもりなのか、そんなことを言うフミノに、ランフェンは何も言えなくなった。

 彼女がこちらの世界を選択したとすれば、手を差し伸べる人はここにいる。聖女の問題が解決したからといって、フミノを放り出すような真似をするわけがないのに、どうして「一人」を前提に考えるのだろう。

 フミノが再び契約の間へ赴き、ヘンドリックと共に部屋を辞す。誘われるがままに伯父の執務室へ入り、出された茶を飲んでいると、大きな溜息がひとつ聞こえた。顔を上げたランフェンが視線を向けると、ヘンドリックは苦笑いを浮かべている。

「あのお嬢さんはとことん変わってるな。住む場所がない、なんて言い出すとは思わんかったぞ」

「彼女は我々すらも信用していないということでしょうか」

「信用するしないの問題じゃないんだろう。強いて言えば、重荷になりたくないってところか」

「重荷ですか?」

「面倒を見てやることが、その人の為になるわけじゃないだろう。頼ることを覚えれば、自身で何かをする気力もなくなっていく。そうなった時に突き放されてみろ、動けなくなっておしまいだ。お嬢さんはそれを避けたいんだろうよ」

 まあ、爵位持ちの御令嬢にはない考えだな――と、笑った。

 ヘンドリックにしてみれば、むしろ印象は悪くない。妹のメルエッタも独立心の旺盛な気質であるし、亡き妻もまた「女性だからといって後ろにいる必要はない」と言い切る性格だった。夫婦は互いに高め合う存在である、という妻の考えには、ヘンドリックも同意していた。

 だが、彼の甥は「頼られなかった」ことが不満なのだろう。

 ランフェンとフミノ。

 微妙にかみ合っていない二人だが、果たしてランフェンは彼女をどう思っているのか。その好意がどの程度のものであるのか、おそらく本人も把握していないであろう感情を、ヘンドリックは後押ししかねていたが、今回のことで決意したことがある。

 もしも彼女がこの世界を選ぶのだとしたら、自分が引き続き後見人になってやろう。

 住む場所は自分の家でいいし、メルエッタとテオルドの邸でもいいだろう。あの性格からすると、それすらも拒みかねないので、治安のいい場所を探して住まわせてやってもいい。

 何を考えているのか随分と楽しそうな伯父に、ランフェンは眉を寄せる。そんな彼を見やり、ヘンドリックは己の大きな手を甥の頭に乗せて、ぐるぐるとかき回した。

「――子供じゃないんだから、止めてくれ」

「俺にとっちゃ、まだまだ青臭いガキだよ」




 ハセガワキラリと直接対決する前に、聖女の偽者が捕えられたという情報を流しておく必要があった。

 それらは、ヘンドリック主導で行われたおかげで、ランフェンがこの事件に関わっていることは知られずに済んでいる。彼が偽聖女の付き添いとして選ばれたのは、ヘンドリックとカレルの指示ということになっており、彼の出自から考えてもそれは断れない案件であり、妥当な采配であると判断されたようだ。

 またしても「迷惑じゃないですか」とフミノは心配をする。拘束具を付けた方がいいのではないかと言い出した時には、ランフェンもつい声を強くしたものである。

「俺の事はどうでもいい。君は自分のことだけを考えておけばそれでいい」

「そういうわけにも……」

「これはあの聖女を召喚した我らが決着を付けなければならないことだ」

 そう言うと納得したのか、それ以上は何も言わなくなった。

 会談が行われるということで、使用人も含めて誰も近寄らないよう、通達されている。その為、広間までの道程は二人だけだ。

 いつになく静かな廊下を並んで歩くのはとても新鮮で、ランフェンは不思議な気分になった。

 彼女が王宮で働く只人であれば、こんな風に共に歩くこともあったのかもしれない。

 広間の入口には、見張りとして二人の騎士が立てられている。そのうちの一人は、副隊長のルケアである。歩いてきたランフェンを認め、その隣にいるフミノを見やり、笑顔を向けた。

「ランフェン隊長、そしてもう一人の聖女様。皆が中でお待ちです」

「ご苦労」

「ご武運を」

「わかっている」

「聖女様もお気をつけて」

 近衛騎士が自分に友好的に声をかけたことが意外だったのだろう。フミノは瞳を大きく見開いて、ルケアを見つめていた。そんな彼女の手にいつものように魔石を押し付けて、ランフェンは声をかける。

『フミノ』

『……大丈夫です』

 彼女の大丈夫は当てにならない。

 けれど、だからこそ、自分が彼女を守り、助けたいと思うのだ。

 部屋にはすでに関係者が揃っている。

 用意された席に座り、聖女との戦いの幕が上がった。


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