ア・ランフェンの事情 10

 ランフェンの伯父にして、メルエッタの兄であるア・ヘンドリックは、王宮の警備を統括する役職に就いている。

 フミノが王宮へ再び身を置くに辺り、彼の存在は大きな後ろ盾となっている。助力を請う予定ではあったが、なんだか変な方向で認識されてしまっていると、ランフェンは思う。

 フミノのことは確かに大事だった。他とは違う存在であることは確かである。

 けれど、それが世間一般でいうところの恋情を伴うものであるかどうかと問われれば、頭をひねる。

異界から来た為、こちらの常識を把握していない彼女が気掛かりだし、ハセガワキラリだと誤解していたせいで冷たい態度を取っていたことに、後ろめたさもある。また、魔法陣を通して秘密を共有していた仲間意識、数日とはいえ寝食を共にし、母が気安く接しているせいで、身内意識も芽生え始めている。

 フミノが「男兄弟がいない」と言っていたように、ランフェンもまた姉妹がいない。母が「なんだか娘が出来たみたい」と喜んでいるのと同じく、ランフェンもまた「妹というのはこういうものなのか」と思う日々なのだ。

 そんな甥を見つめるア・ヘンドリックの目は、それはそれは生温かいものであった。



 表立った動きはなく、フミノが王宮のヘンドリックの下に通い始めて十数日が過ぎた頃、事態は予想だにしない展開を迎える。

 守護騎士がフミノに接触したのだ。

 襲撃予防にと持たせていた魔石で会話をしていたランフェンは、彼女が放つ負の思念を捕えた。

 その時に彼が居たのは騎士団の訓練場で、フミノが居るであろう西棟二階へすぐに駆けつけることは出来ない距離だった。

 ランフェンはすぐさま、もうひとつの魔石へと魔力を流す。すると数秒と待たずに応答があり、彼は端的に告げた。

『伯父さん、誰かがフミノに接触しました』

『任せろ』

 重々しい力強い一言を受けた後、ランフェンは隊員達に休憩と自主練を言い渡し、西棟へ走った。

 大柄な伯父の姿は遠くからもよくわかる。その彼が対峙しているのが、聖女の守護騎士だとわかった途端、ランフェンはフミノの姿を探した。彼女は、彼らから少し距離を置いた位置に立ち止まり、動向を見守っているようだった。

 やはり彼女は危機感が足りない。あの場所では、守護騎士がその気になれば、簡単に拘束されてしまうだろう。

 ランフェンはさらに速度を上げ、彼らが睨み合いをする場所へと走り込む。そしてフミノの前に立ち、守護騎士の視界から姿を隠した。これで何かあっても、背中に居る彼女が怪我をすることはないだろう。

 眼前では相変わらずテオ・カルメンとヘンドリックがいがみ合っている。だが、そこでクム・ヴァディスが発したのは、こちらにとっても意外な言葉だった。

 彼ら二人は、聖女の陣営から離反したのだという。

 その上で、国王の臣下であるからには、ハセガワキラリの考え――ティアドールの女王となることを阻止したいのだと、そう語る二人の目は、嘘ではないように思えた。

 二人が聖女を切ったからといって、こちら側に完全に引き入れる必要はないだろう。少なくとも、フミノは関わらせたくない。どうしてもという時以外は表に出さないというのは、彼女を王宮に戻すにあたって、ヘンドリックと共に決めた事だった。

 だがここでもまた危機感のない彼女は、やらかしてくれた。ハセガワキラリの下に戻るつもりはない、と言ったテオ・カルメンに、それは駄目だと声を上げたのだ。

 思わずため息をもらすランフェンだったが、フミノ本人もまずいと思ったのか、気まずそうな顔をしている。

けれど、もう仕方がない。ヘンドリックもまた渋面を作りつつも、彼女に発言を促した。

 異なる世界から来たせいでおかしな発言をしがちだが、彼女自身の考え方は消して悪いものではない。基本的な部分では至極真っ当であるし、間違ってもいない。

 魔法陣を介して会話をしていた時から感じていたことだが、フミノは頭の良い女性だ。正しい知識さえあれば、物事の本質をきちんと見抜ける人物であると、ランフェンは思っている。それに関してはヘンドリックも同意しており、だからこそ彼女の発言を許したのだろう。

 結果として、守護騎士二人にはあちらに戻り、間者として動くことになった。その為の証を立てるべく、宣誓を行うことも決まった。

 宣誓を受けるのは本来は国王の役目だが、王太子が代役を務めることは可能である。

 ヘンドリックがカレルを呼びに出て行った後、フミノが守護騎士に謝罪を始めてしまい、ランフェンはまたも頭を抱える羽目になった。

 本当に彼女は、どうしてこうなのだろう。

 罪人扱いされた時、己を助けもしなかった相手に謝罪をするなど、普通はしない。

 それが彼女の長所であり、短所でもあるだろう。そんな風に優しさを向ければ、相手がどう受け取るのかまったく考えていない。

 テオ・カルメンは女性の噂が絶えないような男だ。噂違わず睦言を吐き、あろうことか彼女に名前を訊ねた時、ランフェンはとっさに遮った。

『言うな』

「はい?」

 フミノが声をあげ、誤魔化すように笑った後、魔石を通して答え返ってくる。

『すみません、別のこと考えてました』

『……名前のことだ。簡単に呼ばせるべきじゃない』

『名前って、そんな重要事項なんですか?』

 フミノが不思議そうに問い返す。

 やはりわかっていなかったらしい。

 危ないところだった――と、ランフェンは胸を撫で下ろす。このまま彼女が名を渡そうものなら、あの紅髪の騎士は一気に距離をつめてくるだろう。

 考えるだけで腹が立つ。あの男の唇が、フミノという名を形作ることを想像するだけで虫唾が走る思いだ。

 彼女の住む地では、どんな相手にでも簡単に名を許すのだろうか? ハセガワキラリが簡単に名を呼ばせていたことも、そこに起因していたのかもしれないが、ティアドールの考えが根付いているランフェンにしてみれば、いい気分にはならないのである。

 今後のことを考えて、フミノには「名を渡すこと」の意味をきちんと教えておくべきかもしれない。

 そう考えたが、自分にその行為を行ったのだとフミノが認識し、彼女がそれを後悔する可能性もあるのだと思い直し、ランフェンはなんとなく胃の辺りが重くなるのを感じた。知らず眉間に皺が寄る。

 告げたことで距離感が変わってしまうのは、避けた方がいいだろう。

 そんな風に結論が出た頃に、ヘンドリックがカレルを連れて戻り宣誓が行われた。

 守護騎士がハセガワキラリの下へと戻った後、カレルはフミノへ話しかける。どうやら事前にヘンドリックと打ち合わせをしていたようで、フミノに「神との契約」をさせたいらしい。

 神と名を交わすことで、神の力を行使する。

 それこそが、古の魔法が持つ力の根源だというのである。

 ハセガワキラリが持つ大きな力、人あらざる魔法。

 この世の全てに干渉しうる恐ろしい能力ちからを見て、他国の騎士が神の化身と称したものだが、あながち間違いではなかったということだ。

 フミノがカレルの申し出に了承し、契約の間へ向かう背中を、ランフェンはヘンドリックと共に見送る。

「大丈夫なんでしょうか」

「――こればっかりは俺にもわからん。王族ですら、詳細は知らないらしいからな」

「そんな危険な場所に彼女を連れて行くんですか!」

「必要なことだ」

「ですが――」

「心配か?」

 からかう口調ではなく、静かに、穏やかに問われ、ランフェンはそれまでの勢いを失う。

 唾を呑み、ひとつ大きく呼吸をして、答えた。

「……はい」

「俺も心配だ。お嬢さんは、無理を無理と言わないからな」

 ランフェンが驚きに目を見張ると、伯父は肩を竦めて苦笑してみせた。

「あの子は俺の保護下で過ごしてるんだ。同じ部屋で一緒に仕事してりゃ、そんぐらいわかるさ」

 メルエッタに話も聞いたしな――と言い、二人が消えた扉を見つめ、ランフェンもまた彼女の無事を祈った。

 仕事を放り出してきた状態だった為、伯父と別れて宿舎へ戻る。

 その日の仕事が終了した後で、フミノを迎えにヘンドリックの執務室へと訪れたランフェンは、彼女がまだ戻っていないことを知らされた。

 カレルと通信を介して話したところによると、無事に契約の間へ入った後、何の音沙汰もないのだという。

「どういうことだ」

「神との契約には時間がかかるんだ。聖女の時もそうだった。明日になればきっと出てくるだろうから、連絡するよ」

「――そうか」

「心配?」

 そう問う声はわかりやすく面白がっていて、ランフェンは返事の替わりに通信を切った。



 フミノが戻ったと知らされたのは、それから実に十日が経過した後のことだった。

 彼女がいつ出てくるかわからない為、ランフェンは宿舎の方に泊まっていたし、勤務が終わった後はヘンドリックの執務室に居座り、カレルからの連絡を待っていた。

 カレルの方は、明日にでも戻ってくるだろう――と気軽に考えていたようだったが、三日経ち、四日目に突入した頃には顔色を変え、目に見えて狼狽えはじめた。そんな様子を見せられては、怒ろうにも怒れないだろう。

 ランフェンは逆に彼を慰める羽目になり、しかしそのおかげで平静を保っていられたのかもしれなかった。

 その日、そろそろ就寝しようかという頃にヘンドリックから魔石を通して連絡が入り、ランフェンは宿舎を飛び出して西棟へ向かった。

 王族の部屋へ向かう移動陣は、稼働制限が掛けられている。ランフェン一人では辿り着くことが出来ない為、ヘンドリックは甥を待って、共にカレルの部屋へと急いだ。

 息を乱しながら開け放った扉の向こうには、あの日消えた時の姿でフミノが立っており、こちらを見た途端、カレルの背中に隠れた。その様子は、まるで自分よりもカレルを頼っているように見えて、苛立ちを感じた。

「落ち着きなよ、二人とも。彼女が恐がってる」

「何かあったのか!」

「いや、君たちの形相が恐いんだって……」

 カレルの方は気持ちが少しは落ち着いたのか、こちらをたしなめた後、フミノに向き合う。

「ありがとうございます、王子様」

 助かりました、と頭を下げるフミノに対して告げたカレルの言葉に、ランフェンは今度こそ殴ってやろうと拳を握った。

「私のことは名前で呼んでくれて構いませんよ」

「お名前、ですか。でも、王族の方に対して失礼なのでは……」

「私はまだ国王ではない。勉強中の補佐に過ぎないから、いち国民の一人ですよ」

「――では、カレル様?」

「もっと気安くてもいいんだけど、それは止めておきましょうか。後ろの二人が恐いし」

 王族が簡単に名を渡してどうするんだ、もっとよく考えろ。

 そんな言葉が頭を巡るが、けれど結局のところ、フミノがカレルの名を呼ぶことが嫌なのだとランフェンが自覚する頃、その気持ちを吹き飛ばす衝撃の一言が聞こえた。

「ウミト殿、どうか私と結婚してくれませんか?」

「はい?」

「無論、偽装です。聖女への対抗手段として立てる役割に、無関係の子女を巻き込むわけにはいかないのです」

「その点、おまえさんなら事情も通じているし、なにより聖女に対する抵抗もないだろう」

 ヘンドリックまでもが後押しをする。

 つまりこれもまた、国としての方針であり、逃れることの出来ない決定事項ということなのだ。

 神と名を交わした彼女は、これまで以上に危うい存在となった。身辺警護という意味では、王族の守護を利用できる立場に置き、手出しをすれば罰せられる相手だと知らしめておけば、たしかに安全は確保できるだろう。

 だからといって、何故花嫁なんだ。

 フミノは茫然としているようだった。話を聞いているのかいないのか、視線が定まっていない。

 そんな彼女に断る隙を与えないように、カレルはフミノの手を取ると、安心させるように微笑んだ。ランフェンは、カレルの手を力まかせに振り払い、睨みつけた。

「彼女の意思を無視して、何を勝手に決めつけている」

「まあ落ち着いてよ、ランフェン。悪いことばかりじゃないんだ」

「黙れ」

「おまえが怒るのもわかるが、カレルの言う通りだ。おまえも落ち着いて話をちゃんと聞け」

「俺は冷静ですよ」

 ふと腕を引かれて視線を向けると、困惑顔のフミノが居て、「とりあえず、ちゃんと説明聞きましょうよ」と促された。

 彼女の顔を見たことで、爆発的な怒りは収まり、ランフェンはしぶしぶながらも長椅子へ腰を下ろした。


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