ア・ランフェンの事情 6
魔石型通信魔法は、意外と利便性が良い。何よりも、使用する場所を限定しないというのが一番の利点だろう。
フミノ自身も興味を示した為、作成方法を説明しておいた。書き写した魔法陣での通信は可能だったので、きちんと転写さえ出来れば発動に問題はないはずだ。
あの後、しばらくして落ち着いたらしい彼女は、涙の理由を結局語ることはしなかったし、ランフェンもまた深くは訊ねなかった。相手を傷つけず、上手く言葉を引き出すという高等技術は使いこなせそうにない。
(カレルなら上手くやれるんだろうな、こういう時は)
優しげな風貌で言いくるめるのが上手い友人を頭に思い浮かべ、頭を振る。
奴にフミノのことは教えたくない。
我ながら奇妙な感情だとランフェンは思う。
侍女達が固まって騒いでいるところに出くわしたのは、そんなことを考えていた時だった。階段付近で寄り集まり、声高に騒いでいる。
「どうした、何かあったのか」
「す、すみません!」
「いや、咎めているわけではない。問題が起こったのであれば、把握しておきたいだけだ」
「えっと、はい。あの、ですね」
「聖女様が階段から落ちて、怪我をされたんです」
「怪我!?」
驚いて声が大きくなったせいか、侍女二人がビクリと身体を震わせた。
おどおどしながらも、説明を続ける。
「ですが、ちょうど守護騎士様が近くにいらっしゃいまして、対応していただきました」
「聖女様は自分が治癒を施すから問題ないって」
「そうか……。それで、聖女は医務室か?」
「おそらくは」
「怪我の程度は」
「気を失っておられましたが、命に別状はないそうです」
困惑気味に顔を突き合わせながらも、二人は答える。
これ以上は聞いても無駄だろう。
医務室へ確認に行く為、
「ところで、対応した守護騎士というのは」
「はい。スル・ルメール様です」
「あの御方は賢者ですから、聖女様はきっとご無事ですわ」
スル・ルメール。彼もまた魔法に長けた一族の一人だ。騎士でありながら、賢者としても名を馳せている。
自分と同じような家に生まれながら、騎士と両立した道を歩む彼の噂は、なんとなく耳に入ってくる。年齢差もあって、直接比べられることはなかったが、もしも同年代に生まれていたら、ランフェンの生き方もまた変わっていたかもしれない。
治癒を施せる男がすぐ近くにいたのは幸運なことだった。発見が早ければ早いほど、後遺症は少なくなる。
けれど何故かランフェンは不安だった。何かが頭に引っかかっている。
スル・ルメールが近くに居たのは果たして偶然だろうか? いや、彼は守護騎士なのだから、聖女の近くに居たとしても不思議はないはずだ。
だが、今は守護騎士にも王宮警護の任が下っている。常に聖女と共にある時間は多くはないはずだ。
そんな時期に、たまたま起きた事故の現場に居合わせるなど、まるで監視していたようじゃないか。
足早に辿り着いた医務室の扉をやや乱暴に開けると、その勢いに驚いた医師がこちらを見つめる。
「ア・ランフェン隊長、何かございましたか?」
「怪我人は?」
「本日はどなたもいらっしゃっておりませんよ」
医師の返事を聞いた瞬間、ランフェンは廊下へ飛び出した。
王宮内にある守護騎士用の部屋へ向かったが、スル・ルメールの姿はなかった。
単純に怪我の治療だけであれば、長椅子のひとつでもあれば事足りる。だが、彼女は気を失っているという。ならば、寝かせられる場所が必要だ。
(――となれば、どこかの客室か)
ランフェンは眉根を寄せる。
広大な王宮にある客室は、大小合わせて何十と存在している。その中からたった一つを探すとなると、どれだけの時間がかかるだろうか。
だが、こればかりは人任せにするわけにはいかない。「守護騎士が聖女の治療を行っている」という言葉だけを聞けば、至極当然のことであり、それがスル・ルメールであれば何が問題なのかと問われるのはランフェンの方だろう。
仕方なく、手当たり次第に捜索を始める。幾つかの部屋を調べたところで、気がついた。
空室であれば、部屋は施錠されていないのだ。つまり、施錠の有無を確認すれば、部屋の中まで改める必要はないということになる。
そうやって扉に手をかけて確認をしていき、主に男性客が配置される部屋のひとつで微かに声が聞こえた時、彼は躊躇わずに扉を開け、中へ飛び込んだ。
昼間にもかかわらず厚いカーテンを閉め、扉から遠い寝台の上に一人の男の姿がある。
横たわった誰かの上に足を広げて膝立ちになっている男が、ゆっくりとその上体を倒す。ランフェンはその場へ走り寄り、振り向いた男が声を発するより前に胸倉を掴み上げ、床の上へとなぎ倒した。抵抗する男を押さえつけ、
明るくなった部屋の中、寝台に居たのはやはり聖女――ウミトだった。
「無事か?」
だが、問いかけに答えたのは、床に座り込んだ男の方だった。
「……ア・ランフェン殿。何故貴方がここに」
「意識のない女性を連れ去るなど、見過ごせるはずがなかろう」
「キラリ様の守護者は私です。彼女を助け彼女を癒すのは私の務め。近衛騎士団の指図はお受けいたしかねます」
「癒し、だと?」
「そうです。今から彼女に守護の陣を施します。私の魔力で彼女を守り続ける為の術を、彼女の身体に、身体の内に注ぎ刻み込むのです」
熱のこもった瞳と声で、スル・ルメールはそんなことを言い始めた。
何を言っているのだ、この男は。守護騎士ともあろう者が、そのような不届きな劣情を主に向けるとは。
自然と
「……もしや動けないのか?」
「…………」
物言わぬ唇が微かに震える。ウミトの視線が「そうだ」と告げており、ランフェンは身体が熱くなるのを感じた。
怒りを殺すように、ギリリと奥歯を噛みしめる。
「
騎士どころではない。男として――、人間としての人格を疑う。四肢の自由を奪い取り、言葉すら発せぬ状況で女性に狼藉を働くなど、あってはならないことだ。
奴の使った物はわからないが、元々は治療目的だったはずだ。となれば、痛みを伴う重篤患者に使用する、神経麻痺の類だろう。騎士ならば、いざという時の為に常備してあってもおかしくない。
もっとも、それをこんな風に使うなど、言語道断なのだが――。
中和薬を鼻から吸い込ませる。苦しげな顔を浮かべているが、これ以外に方法はないのだ。
やがて、しわがれた声が彼女の口から洩れる。シーツの下でゆっくりと身体が動き、それと同時に瞳に涙が滲んだ。
「どこか痛むのか」
「いえ、ずっと身体が、動かせなかった、から、安心、しただけ、です……」
途切れ途切れに言葉を発するのを止め、手を貸して部屋から出る。今にも倒れそうな歩き方が気になり、咄嗟に身体を支えると、ビクリと肩を跳ねさせた。
「――他意はない。それでも耐えられなければそう言え」
「いえ、助かります……」
スル・ルメールと同等に扱われるのが
まったく、こういった時、女性に対してどういう態度を取ればいいのか、さっぱりわからない。
気まずい空気のまま聖女の部屋まで連れていくと、扉を開けたところでお辞儀をされた。
これ以上は入るな――ということだろう。先ほどのことを考えると、部屋の中で男と二人になるなど論外だろうことは、ランフェンでも想像がつく。自分が出来ることは、母を呼ぶことだけだろう。
この時ウミトの傍を離れたことを、ランフェンはこの先ずっと後悔することになる。
母を探す為、まずは侍女達が詰める一階へ足を向けたランフェンだったが、中央広場に何名かの騎士が集まり、上を見上げていることに気づいて、そちらに足を向けた。
ウミトは部屋を施錠しているはずなので、少しの間であれば、問題はないだろうと判断したのだ。
「どうした、何があったんだ」
「ラン隊長! あそこ、見てくださいよ」
彼の指差す方向へ目をやると、時の鐘が配置された通路に人影がある。
城内の時間を計る為の鐘は、限られた人しか立ち入ることはできない場所のはずだ。魔法管理局が封印を施し、近衛騎士といえど中へ入ることは出来ないようになっている。
「誰だ、あれは。どこから入った」
「わかんないんすよ。だから、どうしようって思ってるところに、ちょうどラン隊長が来て助かりました」
「第二師団は今どこにいるんだ?」
「第二の連中は、王子と宰相の所へ向かってます」
「第三師団のデックス隊長は今呼びに行ってます」
「そうか。なら、彼らが来るまでは第四の仕事だな」
ひとまず、管理局の方へ連絡を入れ、鐘の間へ行くための同行を依頼する。次に、万が一の転落に備えて防御膜を展開させ、固定する。使用人達が入ってこないよう、中庭への立ち入りを制限する為、四人の騎士を説明に走らせたところで、デックスが到着した。
彼の指揮の下、第三師団の数名が屋上へと上がっていった。続いて第三と第四の騎士を王宮内に割り振り、見張りを立てていく。
「闇が蠢き、魔に滅ぼされんとする世界に舞い降りた輝く光! ハセガワキラリ、今ここに降臨!」
声が響いたのは、そんな時だ。
王宮中に響き渡るような力強い若い女性の声に、皆の視線が一斉に頭上へと動く。声に合わせるかのように、時の鐘が鳴り響いた。彼女の背後からは光が射し、存在を浮き彫りにする。
ざわり、と周囲がどよめいた。
「……キラリ様」
誰かがぽつりとその名を呟く。
「見知らぬ場所へ飛ばされてしまったけれど、この二人が助けてくれたおかげで、ティアドールに戻ってくることが出来ました。だからもう大丈夫、あたしが戻ってきたからには世界の平穏は保たれるはずよ。時を経て、なお一層あたしが聖女としてみんなを守るからね!」
その瞬間、誰もが理解した。彼女はハセガワキラリだと。疑うことなく、それが真実であると、認識した。
(どういうことだ、何故ここにいる。エルダに居るんじゃなかったのか?)
やがて彼女も元に騎士が近寄る。あれは、守護騎士のジグ・スタンだ。続いて、スル・ルメールが現れ、遅れるように第三師団の騎士が姿を現す。
「わかった。行きましょう」
ハセガワキラリの声が聞こえ、一行は移動を始めた。ほどなく、こちらへ現れることだろう。
騒動を避ける為、ランフェンは周囲の騎士と共に、中庭に居る使用人達を建屋内へと退避させていく。やがて、右側の移動陣が光り、二度に分けて聖女達が降りてきた。
ジグ・スタンが先導し、聖女と、彼女に付き従っている二人の男が中庭へと足を踏み入れる。四阿の前で立ち止まり、ハセガワキラリは両側に見知らぬ男を侍らせた状態で、眼前に揃う自身の守護騎士に目をやった。悠然とした態度で微笑み、声をかける。
「なかなか戻れなくてごめんなさい」
「キラリ、なの?」
「ええそうよ、テリア。とっても素敵になっててビックリしちゃった」
「本当? 嬉しいな。僕、キラリの為に頑張ったんだよ。名前も上がったんだから」
「そうなのね。マルカス・テリアから、なんて名前になったの?」
「マルカ・テリアだよ」
「名前を上げるのって大変なんだよね。あたしの為にありがとう。カルメンやヴァディスは?」
「いや、俺達は二文字のままだよ」
「そうなんだ。さっきスタンにも聞いたの。ジグ・スタンになったんだって」
「スタンもテリアも、五年前の功績が効いてるんだ」
「あの戦いで名を上げた奴、結構いるんだぜ」
「そう。あたし、皆の出世に役立ったんだね!」
ハセガワキラリと守護騎士の会話を聞きながら、ランフェンはどんどん心が
あの少女は五年たっても変わっていない。皆を惹きつける引力を持っていることは確かなのだが、どうにも癇に障るのだ。
ひとしきり会話をした後、ハセガワキラリは元の位置に戻り、
「みんな聞いて! 私がハセガワキラリです。本当の、本物の聖女キラリです。みんな騙されていたんです。今いる聖女は偽物よ。妖しい魔法を使って皆を騙してるの! そうやって守護騎士にも取り入って、この国を滅ぼそうとしている女を成敗するために、あたしはティアドールへ戻ってきた! さあ、聖女を騙った愚かな女、覚悟なさい!」
静寂が訪れた。
まるでウミトが敵であるかのような言い分に、ランフェンは耳を疑う。あんな風に宣言しては、騒ぎを誘発するだけだということに頭が回らないのか、どこまで愚鈍な女なんだ。
デックスが聖女へ近づき、会談場所の提案する。国王が不在ではあるが、ティアドールとして、彼女との話し合いが必要だろう。
「ア・ランフェン、ここの始末を任せていいか」
「承知しました」
一行を見送り、ランフェンはどう収拾をつけるべきか、頭を抱えた。
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