ア・ランフェンの事情 4

 翌日は非番だったが、いつも通りに目が覚め、王宮に向かった。ウミトという女性のことが気がかりだったからだ。

 母に言われたからという理由もあるにはあるのだが、今までの非礼が頭をよぎったことが主な理由だ。聖女ハセガワキラリだと思っていたせいで、彼女には随分と冷たい態度を取りすぎた。

(だからといって、朝の食事を終えたばかりの頃合いに部屋を訪ねていくというのは、いささか礼を欠いているか。第一、用事があるというわけでもないしな……)

 三階まで上がったところで、ランフェンはそんなことを思い、立ち止まる。

 そういえば、母は自分のことを彼女に告げたのだろうか? それによって対応が変わってくるだろう。

 完全に足を止め、先に母に確認を取ろうと思った彼の耳に、男女の声が聞こえたのはそんな時だ。

「おまえ、なんか変わったよな。昔よりおとなしくなったっつーかさ」

「そりゃーいつまでも子供じゃないですよ」

「でも俺はそういうのも悪くないと思うよ」

「そういうのってどういうのですか」

 守護騎士の一人、テオ・カルメンとウミトが、部屋の前で押し問答をしている。ランフェンは、母への問いかけを後回しにして、声の方へ足を踏み出した。

「今のキラリは聖女の能力ちからを失っているかもしれない。記憶が戻らなければ、ずっとそのままかもしれない。でも気にすんな。俺は今のキラリ結構好きだぜ!」

「女性にみだりに触れるのは不埒ふらちではないのか?」

 ウミトの頭に手を置いているテオ・カルメンに言葉を放つと、目を見開いてこちらを凝視する。ウミトもまた驚いた顔だ。それでも動揺を見せず、この男らしい軽々しい口調で返事をするのは、たいした度胸である。

「俺は聖女様の守護騎士なんですけどねぇ」

「貴殿の言う守護とは、女性の私室に押し入ることなのか?」

「滅相もない。体調がすぐれないと聞いて、様子を見に来ただけにすぎませんよ」

 それにしては馴れ馴れしく触れていたではないか。

 咄嗟にそう返そうとして、言葉を呑む。

 彼にとってウミトは「ハセガワキラリ」なのだ。五年前は気軽に名を呼び合っていた間柄であり、それを前提として考えれば、余計な口出しをしているのは自分の方だろう。

 だが彼女はハセガワキラリではない。男が部屋に押し掛けてきて、中に入ろうとしているこの状況は喜ばしくないはずだ。

 守護騎士の任については問わず、体調が優れないという女性の前で問答をすることについて言及したところ、意外にも彼はあっさりと引き下がった。「じゃあな、キラリ」という言葉と共に、手を振って去って行く後姿を見送っていると、ウミトが自分に頭を下げた。

「ご迷惑をおかけいたしました」

「……君が謝ることではなかろう」

「ですが、近衛騎士の方に――」

「先ほども言ったが、これは近衛としてではない。私個人として物申したまでのこと」

「個人?」

不埒ふらちな振る舞いを見過ごすわけにはいかん」

 言葉が上滑りしている気がして、ランフェンは視線を逸らす。

 いざとなると、どう接すればいいのかわからない。迷い、自然と言葉使いが鋭くなっていく。

「……部屋へ戻っていろ」

「はい?」

「具合が良くないのだろう? テオ・カルメンの例を見ずとも明らかだが、他の守護騎士が来るのではないのか?」

「そ、そうですね」

「部屋に鍵でも掛けておけ」

「でもそうすると、メルエッタさん――いえ、御付きの方が困るのではないかと」

 この女は何を言っているのだろうか。

 ランフェンは驚く。

 自分の身より、母のことを気にするとは、危機感がまるでない。

 先ほど、部屋に押し入られそうになっていたように、別の男が同じ振る舞いをする可能性に思い当らないのだろうか。今回はたまたま自分が居合わせたけれど、ずっと見張っているわけにはいかない。自衛くらいはしてもらわなければ困る。

「貴殿は馬鹿なのか? それで己の身に何があれば、咎められるのは傍仕えの方だろう」

 母を言い訳に使い、ウミトを部屋の中に押しやった。鍵をかけておくように言うと扉越しに返事があり、錠をかける音を確認してからランフェンはその場を離れた。すぐに母の下へ向かい、テオ・カルメンのことを話しておく。

「……そう。ありがとう、助かったわランフェン」

「彼女は危機感が足りないのではないか?」

「仕方ないわ。ウミトさんはいわゆる平民だもの。誰かが自分を狙ってくる――なんて環境に身を置いたことがないのよ」

 後は私が様子を見にいくわ、という母に別れを告げ、ランフェンは宿舎の自室へ戻ることにした。




 昼食を終えた後、部屋で本を読んでいると、魔法陣が光っていることに気づき、魔力を流す。

『あれなんで?』

「何故と問いたいのはこちらも同じなんだが」

『本日休暇を頂いておりまして……』

「それは奇遇だな、私も休暇中だ」

 昼の時間にフミノの声を聞くのは不思議な気分だった。

 それは向こうも同じだったようで、何を言えばいいか戸惑っている様子が伝わってくる。

(そうか、フミノも同じ気持ちなのか)

 ランフェンは苦笑しながら彼女に問いかけた。

「何をしていたんだ?」

『魔法陣のお勉強、です』

 曰く、魔法陣に詳しい人から作成方法を聞いたので、読み取れないかどうか眺めていたのだという。

 管理局によって整えられた陣はともかく、誰かが独自に作成した魔法陣は術者の個性が強く、素人に解析は難しいだろう。

 教えてやろうかと言うと、声に喜びが混じる。恐縮しながらも、問題のない範囲で教えて欲しいとわれた。頼りにされたような気がして嬉しくなる。

 なんとなくわかりました、と言うフミノが、そういえば――と思い出したように、この魔法陣にも、何か追加事項があるのかを問いかけてきた。

 今更何を言っているのだろう。

 どうにもわかっていないようなので、ランフェンは端的に答える。

「右下。君の名前だ」

 通信が始まったあの日。彼女に問うて名前を得て、自分もまたヴランという、騎士ではないもう一人の自分を見出した。フミノに告げた言葉に、改めて感慨深い気持ちになる。彼女に出会って、自分はたしかに変わったのだ。

 その時、無粋にも自分を呼ぶ声が聞こえ、フミノに断りを入れて中座する。声の主は、第四師団の一人だった。

「お休みのところ申し訳ありません」

「構わん。何があった」

「はい。第三師団の隊長がラン隊長を訪ねてこられまして。来月の警備のことで伝えておきたいことがあるらしいのです」

 明日でもいいじゃないか――と思ったが、第三師団の隊長、ダ・デックスは融通が利かない男だ。思い立ったらすぐに行動に起こさなければ気がすまない性格で、不測の事態に陥った時の処理能力は高いのだが、少々頭が固いところがある。

 大方、すぐに呼んでこいとでも言ったのだろう。もしかしたら、自分が押し掛けてくるつもりだったのかもしれない。

 縮こまっている部下に「すぐに用意する」と告げ、ランフェンは魔法陣の前に戻った。

「すまない。急に仕事が入った」

『それはまた、お疲れさまです』

「悪いな、話の途中なのに」

『いや、それは別に』

 わりとあっさり否定され、少し面白くない気持ちになりつつも、またも聞き慣れない単語の意味について問うていると、扉の向こうが騒がしくなる。迎えにきた騎士の他に、もう一人新たに加わった声は、おそらく第三師団のデックスだ。自分の名を大声で叫んでおり、思わず舌打ちが漏れる。

 すると、魔法陣の向こうでフミノが言った。

『怒ることもあるんやなぁ、ヴランさんでも』

「俺はそんな聖人君子じゃないぞ。普段はどちらかというと恐がられる対象だ」

 出迎えに来たのは、一番下っ端の騎士であるのがその証拠だ。きっと押し付けられたのだろう。

 だが、隊の規律を守るにあたり、それは悪いことではないとランフェンは思っている。

 厳しすぎると陰口を叩かれていることは知っているが、腑抜けてばかりいては困るのだ。そうした中、副隊長のルケアが緩和剤となり、第四師団の統率は取れている。

『それはわざとそう振る舞ってるってことですか? ヴランさんが怒る役目で、宥める役の人も居るとか』

「――君はすごいな」

『あ、ひょっとして当たりました?』

 嬉しそうな声でフミノが言い、普段恐い人から褒められると嬉しいから、たまにはそうするべきだと主張した。訓練に際して厳しい伯父から褒められることは、たしかに嬉しかった。もっと頑張ろうと前向きになれたことを思い出す。

 だが、伯父と自分は違う。人間としての器が違いすぎる。たぶん自分は、単純に恐がられている存在だろう。優しさとは無縁の男なのだ。

 それなのにフミノは言うのである。

『こうして話してるとヴランさん優しいのわかるし。まあ、怒るべきところは怒らなくちゃいけないだろうけど――』

「――もういい、わかった」

 聞いていられなくて言葉を遮った。自責の念にかられる反面、そんな風に思ってくれていることがたまらなく嬉しかった。

『あ、呼出ですよね。すぐに行ってください』

「ああ。それで今日の夜だが――」

『気にしないでいいですよ。お仕事の方が大事だし』

「悪いな」

『悪いもなにも、別に絶対って決まりがあるわけじゃないし』

「そうだな。でも俺としてはもう日課のようなものになっていて、あるはずのものが無くなるのは残念に思う」

 自然と漏れた己の言葉に驚いて、また連絡すると早口で告げて通信を遮断した。

 一体自分は何を口走っているのか。

 悩む間もなく、外から名前を呼ばれ、ランフェンは大きく息を吐いて魔法陣に背を向けた。


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