ア・ランフェンの事情 3

 その日、来客対応の現場に出くわしたランフェンは、取り次ぎ役をかってでた。王宮の警邏に向かうところだった為、たいした手間ではなかったからだ。

 呼び出された相手はクム・ヴァディス。聖女の守護騎士の一人である。

 守護騎士が詰める部屋を確認すると、今日は彼が聖女と共に行動をしているという。

 ということはつまり、彼に会う為には聖女と対面するということになる。苦々しい気持ちになりつつクム・ヴァディスを探していると、渡り廊下の中央付近で立ち話をしている姿が目に入り、ランフェンは彼らに近づいた。

 すると、二人がこちらに顔を向ける。ランフェンが何かを言う前に、聖女の方がこちらに問いかけた。

「何か御用でしたでしょうか」

 男が近くに寄れば、自分に用事があると思い込むのは昔と同じだ。

 甘ったれた口調で見上げてくる様を思い出し、返事のかわりに睨み付ける。すると、おどおどと視線を泳がせた。

 どう思われようと構わない為、聖女のことは無視し、ランフェンは傍らに立つ男の方に声をかけた。

「ヴァディス殿、客人が来ている。正門へ向かってほしい」

「承知した」

 正門方向へ向かうクム・ヴァディスに対して聖女は手を振り、そうして「図書室にいます」と告げる。「では、私はこれで」と立ち去ろうとするのを止めて、問いただした。 

「待て。図書室へ行くと言ったな」

「はい、そうですが」

「何をしに行く」

「何って言われましても、特にこれといった明確な目的があるわけじゃないんですが……」

「ならば、部屋にでも戻っていればいいだろう」

 図書室には今、新人教育の為に若い騎士が集まっている。どこから聞きつけたのか知らないが、大方それが目的だろう。

 ランフェンは言葉を選ばず、聖女に告げた。

「おまえは警護対象だ。何かあれば責任はこちらにも来る。迷惑だ。守護騎士を連れて歩き回るのは勝手だが、昔のように余計な手出しはしないでもらえるとありがたいな」

 男漁りは余所でやれ。

 言外にそう匂わせて告げる。

 とはいえ、この程度の嫌味など、どうせ彼女は意に介さないだろう。

 何をいっても好意的に解釈し、嬉しそうに笑う。まったく意味がわからないのがハセガワキラリという少女だった。

 ところが聖女は、返す言葉に迷った末に俯いたのである。

 これではまるで俺が悪いみたいじゃないか――。

 ランフェンは舌打ちをする。

 すると聖女は淡々と言葉を綴った。

 クム・ヴァディスに伝えてしまったので、図書室へ向かうこと、他の部屋に出入りはしないことを約束し、図書室では勉強をするのだという。

 かつて教育の一環として聖女に歴史背景を説いた時は、ひどく面倒そうな顔をし、隙あらば逃げ出していたように記憶している。そんな女が自ら勉強をするというのは、にわかには信じがたい。

 さらに、文字が読めないと言い始める始末だ。以前は呪文の書き付けを手にしながら魔法を発動させていたはずだが、五年の間に忘れたとでもいうのだろうか。

「き、記憶喪失と関係があるのかもしれません。テオルドさんに訊いてみたんですが、よくわからなくて」

「ヴ・テオルド殿にも不明なことがあると? あの人は魔法管理局の長だぞ」

「え!?」

 父の名を出すと、聖女は目を丸くして驚いた。

 記憶喪失という話は聞いていたが、その状態はこちらが思っている以上に深刻らしい。

 何も覚えていない今と、五年前。まるで人が変わったような印象を受けるが、これはわざと「いい人」を演じているのだろうか。

 単に大人になって落ち着いたのかもしれないが、人間の本質などそう簡単には変わるまい。

「おまえは――」

「キラリ!」

「キラリ様」

 自分でもわからないまま何かを問いかけようとしたランフェンの声に、別の声が重なった。守護騎士が走り寄り、聖女を背に庇う。

 前面に立つのは魔法の使い手でもあるスル・ルメール。その後ろでマルカ・テリアが聖女に囁き、笑顔を返しているのを見て、すっと心が冷めた。

 どこも変わってなどいないじゃないか。

「何かしてたらキラリがなんて言おうとアイツのこと許さないけどね」

「頼まれても御免だな。貴殿達と一緒にしないでくれ」

 苛立ちのままに返答し、ランフェンはきびすを返した。

 そのまま二階へと上がり見回りをしていると、己を呼ぶ声が耳に入る。その方向へ目をやると、廊下の片隅に佇む女性の姿があった。

「ランフェン、ちょっといいかしら」

「どうかしたのか?」

 そこに居たのは、城共通のお仕着せ姿の女性。ランフェンの母親であるヴ・メルエッタだ。女性使用人の中では地位も高く、要人の傍仕えによく任用される母は、現在聖女の世話係をしている。

 基本的に公私はきちんと分ける人である為、こんな場所で声をかけるとは珍しい。そうしなければならないような緊急の用事でもあるのだろうか。

 話があると連れていかれ、重々しい顔で告げられたのは、驚くべき内容だった。

 再召喚された聖女は、ハセガワキラリではないというのだ。

 守護騎士にだけは真実を明かす予定だったが、彼らのうち誰かが「ハセガワキラリは五年前の記憶を失っているのではないか」と言い、いつの間にかそれが彼らの間で共通の真実となり、結果、彼女は「聖女の振り」をしているのだという。

 聖女が別人であることを知っているのは、召喚の責任者である父と、国王。そして伯父の三人。おそらく、カレルも知っていることだろう。父は母に事情を話し、聖女の世話係に据えたのだという。

 五年前は同年代の方がいいだろうということで、若い少女が付き従っていたが、今回母が手配された理由はそれだったのかと合点がいき、そうして今日感じた聖女への違和感に思いあたった。

 思えば、再召喚された聖女と対面し、直接会話をしたのは今日が初めてだった。その際、どうにも雰囲気が違うような気がしてならなかったが、それは当然だ。何の関わりもない、ただの一般女性だったのだから。

「今日貴方に話した理由はね、エルダに聖女が現れたって噂が出てきたからなのよ」

「なんだって?」

「まだウミトさんには話していないんだけど、テオルドの元に伝達が来たそうよ。本物であるかどうかわからないけれど、どちらにしてもウミトさんの立場は危ういわ」

 本物の聖女が戻ってきたとしたら、あの女性はどういう立場に置かれるのか。

 指揮を執ったのが召喚の責任者であり、さらに国王の指示の下に行われたことが明確である以上、彼女に一切の責任はない。だが、周囲の目が奇異なものとなることは想像に難くない。

「――心配なのよ。平気そうな振りをしているけど、きっと無理してるわ。いつもね、すみませんって謝るの。悪いのはこちらの方なのに……」

「……そうか」

「それで、ランフェンにお願いしたいの。ウミトさんのこと、気にかけておいてほしいのよ」

 どうして俺に――というのは、愚問だろう。

 この事実は周囲に知られてはならない。だから、息子である自分に話がまわってきた。

 そういうことだ。

「わかった。何かあれば、知らせるようにする」

 そうして母と別れる際、廊下で聖女――いや、聖女の代わりを務めているウミトという女性に会った。母に用があったのだろうが、自分が一緒に居ることに驚いた様子だった。

 事情を知った今、改めて見ると、たしかに聖女ではないように思う。

 すぐに気付かなかったのは、五年前、あまりのしつこさに辟易し、途中からまともに顔を合わさないようにしていた為、印象が薄れているせいもあるかもしれない。年月を経て成長し、顔つきが多少変わったのだろうと思っていたが、そういうわけではなかったのだと今はわかる。

 彼女はいつも守護騎士を伴い、王宮内を見回っている。まったくの別人として扱われ、視線を向けられるのはどれほどの重圧だろうか。

 当初、守護騎士には事情を説明する予定だったという。

 つまり本来であれば、彼らと共に居る時は嘘で飾る必要もなく、彼女自身で居られるはずだったということだ。

(何をやっているんだ、騎士ともあろうものが)

 ウミトの後方にいるジグ・スタンに苛立ち、ランフェンは見えないように拳を握りしめた。




 その晩は、フミノと通信を行う日だった。

 約束の時間に繋ぐと、「こんばんは」と声がある。だが今日の彼女はどこか気落ちしているようで、声に覇気がなかった。

「何かあったのか?」

『なんでもないです。ってかもう、何か何かって今日はそんなことばっかり訊かれて、正直お腹いっぱいです』

 疲れの滲んだ声に対し、今日はもう休んだ方がいいと告げると、気にしないでくれと返答がある。こちらに気を使っているのかもしれないが、沈んだ声は聞きたくない。

「訊かれたくないなら何も言わないでおく。でも、話すことで心が落ち着くなら、言えばいい」

 ランフェンはフミノにそう告げた。

 こうして自分の魔法陣開発を手伝ってくれている彼女に対して、ほんの少しでもいいから、力になりたいと思ったのだ。

『なんか、今日は疲れたんです……』

 しばしの沈黙の後、ぽつりとフミノが呟く。それは、儚く消えてしまいそうな声だった。

 胸の奥を掴まれたような感覚に陥ったランフェンだったが、次に聞こえた声――彼女の心の声に、別の衝動が襲う。

『ほんま、今日のあの人にはめっちゃ癒された気するわ……』

 安堵した声だ。「あの人」とやらに彼女は心を許している。気を使うなと自分のことは拒絶したのに、その男には寄り添い頼っているのか。

 フミノのいう「あの人」が男性であるとは限らないだろう。普通に考えれば、仕事場の同僚女性の可能性の方が高い。

 けれどランフェンは、咄嗟に男であると想像し、自分の知らない昼間の時間を共に過ごしている誰かの存在に、思っていた以上の衝撃を受けたのだ。

 その間にフミノは慌てたように言葉を重ねているが、その動揺ぶりから、言い訳じみていると感じ、そんな風に思う自分に対して複雑な気分になる。

『――読んだことないお話ってテンション上がりますよね!』

「てんしょん、とは」

『えっと、気分が高まるというか。要するに楽しいことを想像してワクワクするなーって感じです』

 フミノが時折漏らす知らない単語を耳に捕えて問い返すと、いつものように言葉を選びながら解説してくれた。試合前に気分が高揚するようなものかと問うと、肯定の返事がある。その際、「むしゃ」という単語について問い返すと、随分と悩みながらあれやこれやと考えはじめた。

 その様子からは、最初の頃にあった陰鬱とした空気は消えており、いつものフミノらしい雰囲気が伝わってくる。それが嬉しくてランフェンの胸は躍った。

「君の言うことはよくわからないことが多いが、どれもこれも楽しいな」

『それはどうもありがとうございます』

 少し不服そうな声色もまた微笑ましく感じる。

 仕事を終え、一日の最後に彼女と言葉を交わすことは、ランフェンにとって大事な時間となっていた。

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