ア・ランフェンの事情 2
再召喚した聖女は、かつてのように守護騎士を引きつれて城内を歩いている。
ああして、「聖女再来」を知らしめていることはわかっているが、ランフェンはなるべく見ないようにしていた。
関わりたくはないのだが、仕事の関係上どうしても王宮へ上がることは多く、結局どこかで姿をみる羽目になってしまうのだ。
「聖女様は相変わらずですね」
「あの頃と違い、守護騎士を増やすわけではないのだから、こちらに余計な手出しはするまい」
「余計……ですか?」
「仕事の妨げだろう」
「聖女は人気がありますから、お姿を拝見できればむしろ士気はあがるのでは?」
そう言ったのは、第四師団の副隊長であるセド・ルケア。彼の言葉にランフェンの眉間には深い皺が寄り、それに気づいたルケアは苦笑する。五年前のランフェンもまた、いつもこんな風だったことを思い出したからだ。
空気の読める男であるルケアは、さりげなく話題を変える。
「隊長は最近調子がいいですよね。他の奴らもそれぐらいのやる気が欲しいところですよ」
「……調子がいいように見えるのか」
「違いましたか? なんといいますか、ゆとりがあります」
「ゆとり?」
「変な意味じゃないですよ。ラン隊長って気負いすぎなところがありますから、いい意味で余裕があるなって思ったんです」
そう言われて思い当ったのは、先日どこかに繋がった魔法陣のことだった。
騎士に求められる能力は剣技だけではない。魔法が扱えることもまた求められる能力のひとつだ。近衛騎士は貴人の守護が主である為、防御魔法が展開できることが必須といってもよいのである。
そういった基本的なこと以外に興味を持つ近衛騎士はいないが、ア・ランフェンはそうではなかった。戦いに転用できるものだけではなく、生活魔法ともいうべき日常的な魔法を研ぎ澄ませることが好きで、業務外の時間で独自に魔法陣を作成することをずっと続けている。
そんな中、以前から考えていた通信用魔法陣に魔力を流してみたところ、どこかに繋がり、若い女性の声が聞こえてきたのだ。
戸惑いに満ちた女性は通信魔法には慣れていないようで、心の声が漏れている。口に乗せる声と心の声に差がありすぎて、なるほど人間とはこういう風に取り繕うものなのかと感心してしまった。
随分と訛りの強い言葉使いをするので尋ねてみると、辺境の島から王都へ来たばかりだということだ。王都のどの辺りに住んでいるのかわからないけれど、この魔法陣の有効範囲は随分と広いらしい。これならば王宮内だけではなく、
幸いにしてこの女性は魔法に疎く、王都の事情にも通じていない様子。余計な先入観を持たず、通信魔法という見知らぬ技術に新たな視点での意見がもらえるのではないかと期待したランフェンは、通信の継続を求めた。
この画期的な可能性に興奮を覚えていたのは確かだが、だからといっていきなり名を訊ねたのは軽率だったと思っている。
だが、不躾な問いかけにあっさりと名を渡したうえ、こちらにも名を求めたものだからランフェンは言葉に詰まってしまった。
ある程度の年齢となった男女において、直接名前のみで呼び合うことは、好意を表すことだ。己の名を呼ぶことを許すのは、相手の好意を受け入れることに繋がる。周囲にも、親しい間柄であると明言するようなものだ。
名前を許すということは心を許すことであり、状況によっては身体を許すことにも通じる。
その為、知り合って間もない相手の名前を安易に呼ぶのは、思慮が足りない――、奔放な軽い人間だと思われかねない。
辺境の出だと言っていたが、彼女の住む地では、名前に対する敷居が低いのだろうか。地方出身の騎士が、王都の方が風紀が厳しいと言っているのは聞いたことがあるが、だからといって限度があるだろう。
どう返したものかと答えあぐねていると、女性は偽名でも良いのだと言ってきた。呼びかける時に必要なだけで、どんな名前でもよいのだ――と。
そんな風に言われると、虚仮にされたようで少し気分が悪くなるのは、勝手だろうか。
数刻前に知ったばかりの女性になんと思われようと関係ないと思うのだが、「貴方なんてどうでもいい」と言われると腹が立つというものだ。
ならばと己の名を告げようとしたのだが、すんでのところで踏みとどまる。女性がランフェンという名を知り、この魔法陣の相手の身元を知ろうと考えたら、どうなるだろう。
今の自分は第四師団の隊長だ。
顔も知らない民間人女性に簡単に名を明かすなど、大問題だろう。
では偽名をと考えた時に浮かんだのは、両親の顔だった。
一文字に上がる際、結局自分が選んだのは伯父と同じ名だった。
ヴ・ランフェンではなく、ア・ランフェンとなったこと。
魔法の大家とされ、歴代「ヴ」の名を選択してきたアヴナス家に背いたような形だが、伯父も両親もそのことについては何も言わなかった。どう思っているのか、ランフェンは今でも答えを聞けないままだ。
もしも剣の道を選ばなければ。
騎士を選択したとしても、名前だけはアヴナス家の伝統に倣っていれば。
たくさんの「もしも」を抱えたまま、ランフェンは生きている。
後悔なのかすらよくわからない思いを抱えたまま、近衛騎士として生きていると、時折すべてを投げ出してしまいたい気持ちになる。
だが、それは今までを否定することだ。自分勝手に背を向けた両親や、我儘を押し付けた伯父に対してそれは失礼で、だからこそ動けなくなる。
「君の名も仮の名か?」
『それ言っちゃったら面白くなくないですか?』
後ろめたさを隠すように問いかけてみると、澄ました声色で返答がある。その声をきいて、ランフェンは急にすっと心が軽くなった。
面白いか面白くないかで名前を語る相手に、小さく笑いが漏れる。
随分と変わった女だ。
「そうだな。では、ヴランということにしよう」
するりと言葉が流れ出た。
自然に零れた名前に驚き、結局のところ自分はずっとそれを気にしていたのだとわかった。指摘されないことに安堵すると同時に、指摘されないことで突き放されたような気にもなっていたのだ。
その後、明日からについて幾つかの取り決めをした後、通信を終える最後に、女――フミノが言った。
「おやすみなさい、ヴランさん」
先ほど以上の衝撃に心臓が跳ねる。
まるで寝所におけるやり取りのような言葉を、今日話をしたばかりの男に囁くとは、一体何を考えているのか。
フミノの無防備さにランフェンは彼女の今後が心配になりつつ、動揺を隠して返事をしたのである。
それから、数日置きに魔法陣を通して、フミノと会話をするようになった。
魔法陣発動時の外観であったり、声の通り具合。この魔法陣では、声を発せない状況も加味し、思念も拾えるような術になっている。無作為に拾うわけではないはずなのだが、彼女はよほど魔法慣れしていないのだろう。加減がわかっておらず、ちょくちょく思考が漏れ聞こえてくる。
最初の頃は、果たしてそれが口から出た言葉なのか、心の声なのかがわからなかったが、彼女の口調から次第にそれがわかるようになってきた。取り繕っていないであろう思考の声ほど、彼女はよく訛っている。声に出す言葉は丁寧なだけに、その差がなんだか面白く、ランフェンは彼女と言葉を交わすことが、いつしか楽しみになっていた。
王都のどこに住んでいるのか。尋ねれば教えてくれるのだろうが、ランフェンはそれを訊かなかった。訊いたからには己も明かさなければならないだろうが、それをすることは出来ないからだ。
こうして彼女と会話をしている自分は、ア・ランフェンではなく、ヴ・ランフェンなのだ。
自分であって自分でない、もう一人の自分の存在によって、背負っていた重荷が軽減されたと思う。セド・ルケアのいう「ゆとり」というのは、そういう部分だろう。
ルケアと別れてランフェンが向かった先は、王宮にある図書室だった。頼まれた用件を終えた後、彼は国内の地名を記した地図書を手に取る。フミノの出身地がどの辺りなのか、ふと気になったのだ。
彼女の常識は、王都のそれとあまりにもかけ離れている。働きに出ているということは、未成年ではないだろうが、それにしては少々危なっかしい。無防備すぎて心配になる。異性である為、どこまで踏み込んで注意していいものかわからない。
ひとまず、彼女が育った場所がどの辺りなのかを知れば、生活環境もわかるのではないだろうかと考えたのだ。
(フォースカントリー、といったか)
聞き慣れない地名だった。
島といっていたが、どの方角に位置した場所なのかもわからない。自分が詳しく明かせないからという理由もあるが、あまりにも情報不足だ。
考えこんでいると、背後から声がかけられた。
「なにをお探しですかな」
「ある場所を探しているんだが、どう調べればよいものかと。フォースカントリーという名に聞き覚えはあるだろうか」
「フォース、ですか。はて、フォルスという地は南にありますが、それとは別ですかな?」
「……おそらく。フォルスは森深い内陸地でしょう? 島らしいのです」
「島ですか。となれば、西の方でしょうかな」
そう呟いた老齢の男は、ランフェンの持っていた地図書を取り上げて、ページをめくりはじめる。該当箇所を見つけたのか手を止めてしばらく見つめていたが、やがて首を傾げて言葉を漏らした。
「海域の辺りはまだ整備が完全ではありませんので、なんとも言えませんなぁ」
帝国が倒れ、国境線も変わった。地続きではない海ともなれば、領土争いも加わって、未だ落ち着いていない状況だ。小さな集落ともなれば、数か月後には所属する国が変わってしまうという事態も多く、地図書の
「ありがとう、ウォーリス」
「お役に立てませんで申し訳ありません。私でよければ、継続してお調べいたしましょう」
「それには及ばない。個人的なことなんだ」
「おや、お珍しいですな」
ウォーリスと呼ばれた男は、驚きつつも微笑みを浮かべる。彼は、図書室の
「では、必要な時になればお声かけくだされ」
「わかった」
背を向けて去っていく姿を見送りつつ、探している相手が「声しか知らない女性」だといえば、果たして師はどう思っただろうと考え、ランフェンは苦笑を漏らした。
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