29. 長谷川きらりの世界

 長谷川輝光が泣いている。幸せになりたいだけなのに、と泣いている。

 しかし、これだけ周囲に人間がいる状況でよく泣けるな。私には出来ない所業だ。可愛げがないと言われるのは、そういう部分なのかもしれない。

(これもまた女子力かっ)

 完敗である。

 いや、勝ちたいわけじゃないけど。

 どれぐらい時間が経過したのだろう。半ばうんざりとした空気が漂い始めた中、ようやく長谷川輝光の泣き声が収まりはじめた。ずずっと鼻をすすりあげ、こちらに顔を向けて叫んだ。

「許せないわ、偽キラリ! もう容赦しないんだから」

 途端、長谷川輝光を中心に風が起こった。

 生暖かい空気が顔を撫で、隣でランフェンさんが舌打ちをする。彼だけではなく、部屋に控えている騎士達もまた構えが変わった。

 長谷川輝光が手の平を向け、目を閉じて何かを呟いている。それにつれて彼女の髪が緩やかに浮き上がり、着ている服も見えない振動で震えていく。彼女を中心に、何かが起こりはじめているが、一体何なのかわからない。だけど、騎士連中の気配が変わったということは、あまりよろしくない状況なのだろう。

「下がっていろ」

 ランフェンさんが小声で囁き、私を背に庇う。

 けれどいつの間にか私の周囲には見えない壁が張られていて、十数センチほどではあるが、絶対に近づけない距離が生まれた。

 なんだろう、これは。パントマイムよろしく私は透明な壁をペタペタと触る。幸いにも頭上は突き抜けているようで、ひとまず酸素欠乏は回避出来そうだ。周囲を見回す私を長谷川輝光が笑う。

「これで貴女は籠の鳥も同然。逃れることは不可能よ」

「彼女に何をしたんですか」

「カレル王子、今の貴方に何を言ってもわからないでしょう。けれど、どうか信じてください。あの偽者は貴方やランの心を操り、この国を乗っ取ろうとしているのです。自分がハセガワキラリと名乗り、自らを聖女として認識させることに成功しているのがその証拠」

「それは貴女自身のことではないのですか、聖女よ」

「恐れながら申し上げます。国を救いし聖女に対し、それは侮辱ではないのですか」

「止めて、オルフィート」

「しかし姫――」

「いいの。全ては神様が見ているわ」

「神でございますか」

「そうよ、私は神に選ばれた聖女だもの」

「存じております」

 相手陣営が神様談義を始めたところに、カレル様が水を差す。

「神と申されましたか」

「ええ、カレル様も知っているでしょう? 私は神と契約を果たした聖女だと」

「契約の間の事ですか?」

「そうです。あそこにいる神様にあたしは託されたんです。世界の命運を。あたしがこの世界を救うわ。そこの偽者を排除してね!」

「世界の命運、だと?」

 ずっと黙っていたヘンドリックさんが呟いた。

 それに対して、長谷川輝光が返す。

「そうよ、この世界はあたしが守り、あたしがより良く導いてみせる」

「いらん世話だな。この国の秩序を守るのは我々だ。余所者は黙ってろ」

「神に選ばれし者を必要ないと言うのか」

「他国の騎士が、我が国の事情に口を挟むな」

「無礼な」

「その言葉、そっくり返そう他国の騎士よ」

「止めて。大丈夫、あたしは平気だから……」

 弱々しく笑みを浮かべる長谷川輝光に、双子はかしずいた。いい加減うっとうしいな、あの忠誠劇場。

 なによあのジジイ、うざい。

 そう呟いた言葉に誰も反応しないということは、きっと日本語なんだろう。こっちの言葉だったとしても、あの騎士は同意しそうだけど。


「神様は居ないんじゃなかったの?」

 私はそう問いかけた。

 正確には、居ると思えば居るんじゃないの? だった気もするけど、どちらにせよ彼女自身は積極的に信じてはいなかった。

 だけど、今は状況的に仕方ないのかもしれないけれど、存在を肯定している。

「何言ってるのよ! 神様は居らっしゃるに決まっているじゃない! あたしは神に会ってお話をしたんだもの」

「そうだね、目には見えないけど、神様って居るよね。神様が見てるから悪いこと出来ないって昔から言うしね」

「神はきっと今もご覧になっているわ、貴女の振る舞いを」

「己の所業を無視し、よくもそのような戯言を」

 私の前に立っているランフェンさんが口を挟むのを、私は魔石を通して制した。

『しばらく黙って聞き流しててください』

『あれを見逃せというのか』

『騎士達の前でボロが出るのを待つんですよ、聖女の仮面を剥がさせます』

『十分剥がれているようにも思えるんだが』

『まあ、そうなんですけどね……』

「神よ! ハセガワキラリの名において命じます。この世界を滅ぼそうとしている者に、聖なる裁きを!」

 長谷川輝光が天井を仰いで、そう叫んだ。

 騎士連中は私を見るが、私自身には何の変化もない為、次第に戸惑いの顔になる。

 得意満面の長谷川輝光も、何も起こらないことに不審げな顔となり、私を睨みつける。

「ちょっと、なんで平気そうなのよ。ちゃんとやられなさいよ、悪役らしく!」

「ハセガワキラリが命じる。この世界の言葉でお願いします」

「だから! ハセガワキラリはあたしなの! あんたは偽者役でしょーが。ちゃんと役割演じてくれないとあたしが困るんだけど!」

「そんなこと言われても、私は役者じゃないし」

「それっぽくやってくれたら、後はあたしがなんとかするから、大丈夫だってば」

「いやいや、悪役なんてとてもとても。どんなことをすればいいか、さっぱりですよ」

「物語に出てくるの真似っこすれば大丈夫だって」

「物語ねえ……」

「この世界自体があたしの物語なんだし、言うなれば、あたしの世界なの。ちょっとぐらいの失敗なら許してあげるから」

「あのね、この世界は、この国の人のもんだよ。私達は所詮、違う世界から来た異邦人だよ」

「夢がないっていうか、やっぱおばさんは駄目だね。もうホント最悪」

「それは我々の台詞だ、聖女」

「え?」

 カレル様の言葉に、長谷川輝光が問い返す。にっこりと微笑んだ王子は、素敵な笑顔を保ったまま彼女に告げる。

「役割とはどういうことか。貴女が自ら偽者に用意し、己を正当化しようとしたということで、相違ないか」

「それは偽キラリが言った嘘です」

「偽者ではなく、たった今、貴女自身の口からおっしゃったことではありませんか」

「は?」

「俺も聞いたな」

「はっきりと聖女の口から」

「なんで? だって日本語で……」

 震える声で呟いた後、こちらを見る。だから私は頷くことで応えた。

 聞いていなかったんだろうか。それとも聞こえていても理解していなかったのだろうか。私はハセガワキラリの名前を使って命じたのだ。こちらの言葉で話せ、と。

「違うの! みんな、あの偽者のキラリに操られてるの! 全部あの人が悪いの!」

「聖女、貴女は――」

「カレル王子、お願い。あたしを信じて」

「何をもって証明されるおつもりですか?」

 口を引き結んで、顔を歪める。癇癪を起す一歩手前といった表情。

 なんというか、この子は本当に子供だ。思い通りにならないと文句を言う、ただの子供だ。

「もう! なんでよ! あんた達があたしに助けてくれって言ったんじゃないの! この世界にはあたしが必要だっていうから色々考えたのに、全部めちゃくちゃじゃん!」

「確かに我々の願いによって貴女は召喚され、助力をうた。けれどそれは、貴女の考えを肯定するという意味ではない」

「この世界はあたしが創ったのよ、あたしが居なくなったら、全部消えちゃうんだから!」

「世界を創ったなどと、神のような事をおっしゃる」

「神? そうだよ、この世界にとって、あたしが神様みたいなもんじゃん」

「何を迷い事を。貴女自身が神と会い、契約を交わしたのではありませんか」

「あんなん、物語のお約束じゃん。居るっていう設定だから居るだけでしょ?」

 長谷川輝光はもう隠す気はないのか、カレル様を相手に設定云々の話をぶっちゃけはじめる。聞いている騎士達は呆けた表情で固まっていた。

 まあ、そうだよね。主と崇めていた人がこんな電波人間だったとか、信じたくないよね。わかるよ。私もあの子の思考は未だに理解できない。

 神様が居る居ないという、なんだか宗教めいた話になってきた時、双子の騎士が長谷川輝光に声をかけた。

「姫、何を言っているのですか。神はいらっしゃいます、貴女自身が神の姿を見、声を聞く巫女ではありませんか」

「私達を導いてくださったのは姫です。神を呼び、ここに居る方々にお示しになってください」

 あの二人、どっかの宗教の信者だったのか。

 言われ、長谷川輝光は少しむっとした顔をしたが、考え直したのか頷いて表情を正す。胸の前で手を握り、祈るように口を開いた。

「ハセガワキラリが命じます。神よ、ここに降臨せよ」

 その言葉が発せられた後、部屋の空気が変わった。具体的にどう変わったのか言葉で説明するのは難しいんだけど、それこそ「なんとなく」違う。


『ハセガワキラリ』


 その声は、あの契約の間で聞こえたものだ。部屋に居る人達がどよめいたことから考えて、全員に聞こえているらしい。存在は知っていても相対したことのないカレル様は、驚きの表情で視線を彷徨わせている。

 神をこの場に呼んだ長谷川輝光は、満足そうな顔で神に告げた。

「さあ神よ、この世界を乱すあの偽者に制裁を」

『偽者とは誰ぞ』

「あたしの――、ハセガワキラリの偽者です。魔法で周囲の者を操り、混乱させた悪しき存在をこの世界から排除するのです」

『世界を混乱へ導いた者、ハセガワキラリ』

「違う! あたしじゃなくて、あっちのおばさんの方!」

「おばさんの方のハセガワキラリでーす」

 なんとなく自棄になって私は手を挙げてみた。長谷川輝光は「違う、ハセガワキラリはあたしだし!」と叫んでいるが、私はなおも主張する。

「ねえ、神様。私はハセガワキラリですよね」

『汝、ハセガワキラリ也』

「なんでよ!」

『汝もまた、ハセガワキラリ也』

「はあ!?」

「要するに、ハセガワキラリはもう概念的存在というか、名称ってことだよ」

「何それ、あたしが長谷川輝光なのに!?」

『ハセガワキラリ』

「うるさい! もう最悪最悪最悪!! こんな世界もういらない! あたし帰る!」

「キラリ様っ」

「もっといい世界探すから! ティアドールにはもう来ない。あたしを慕ってくれる人はたくさん居るし、どこに行っても歓迎してくれるんだから平気だし!」

 逆ギレのように叫ぶ長谷川輝光は、見えない神に向かって叫んだ。

「消えろ!」

『願いし通り、ハセガワキラリを永遠に世界より排する』

 神が告げた。

 そうして消えたのは、長谷川輝光の方だった。

 正確には、長谷川輝光の姿が消え始める。姿が薄れ、靄がかかったように視認が難しくなる。

 そうなって初めて動揺したのか、長谷川輝光が狼狽うろたえた。

「なにこれ、あたし消えるの?」

『汝の命じた通り、世界は汝を排しよう』

「だってあたし聖女なのに?」

「聖女。貴女の功績は称えます」

 カレル様が口を挟む。

「聖女の成した事は偉業として語られることでしょう。その後は、我々が考え、我々が歩んでいくことです。貴女はそれに気づかせてくださいました。それについては感謝いたしましょう」


 自分達の事は、自分達でやるべきですね。

 カレル様はそう言って、ティアドールからハセガワキラリを追放することを選び、私もまたそれに協力することにしたのだ。

 長谷川輝光が神様を呼ばなければ、私がこっそり呼び出す予定だったんだけど、思った以上に彼女は暴走してくれた。

 どんな考えがあったとしても、自ら「ハセガワキラリはこの世界から消える」と言い、神がそれを了承した。誓約は成されたのだ。

 視界が霞んでくるのは、長谷川輝光の存在が消えようとしているからだけではきっとないだろう。身体が泡立つような感覚がする。内側から沸騰しているように細胞が蠢いている。

 ハセガワキラリが消えるということは、すなわち、ハセガワキラリである私もまた消えるということだ。

 長谷川輝光を囲み、騎士達が騒いでいる様子がなんとなく見える。よほど取り乱しているのか、部屋の中に居る人達は長谷川輝光を遠巻きに眺めている状態だ。気になるけど近づくのは恐い、ということだろうか。巻き込まれるのも嫌だろうし、それは正しい行動だと思うよ、うん。

 なんだかなぁと眺める私の前に誰かが立った。

 相変わらず壁に阻まれている為、一定距離以上は近づくことは出来ないけれど、それが誰なのかはわかる。その人物は見えない壁を叩き割ろうとするかのように、拳を叩きつけ、別の誰かに止められている。

(意外と熱血だったんだな、ランフェンさんって)

 最後の最後にまた新たな一面を発見し、嬉しいような寂しいような、何もかもが入り混じった複雑な感情が飛来する。この世界で起こった出来事も思い出され、頭を駆け巡る。

 なんだろう、これもまた走馬灯ってやつか。まるで死ぬみたいだな。

「フミノ!」

 ランフェンさんが声を張る。

 私の名前を呼ぶ。

「君はフミノだ。ハセガワキラリではない」

「そうですね。でもハセガワキラリでもある以上、やっぱり私も排斥されるべきなんですよ。この世界の未来は、この世界の人が背負うって、カレル様も言ったじゃないですか」

「カレル!」

「すまない、フミノさん」

「王子様が謝罪しちゃ駄目ですよ」

「ありがとう、感謝する」

「どういたしまして」

「お嬢さん」

「ヘンドリックさんにもお世話になりました。メルエッタさんにもよろしくお伝えください。あと、テオルドさんにも」

「わかった。必ず伝える」

 カレル様とヘンドリックさんが退き、ランフェンさんがその場に残る。

 なんだろう、またいらぬ気を使わせた。本当に最後まで誤解されたままじゃないか。別に色恋めいたやり取りがあるわけじゃないのに、どこをどうしてそんな勘違いが生まれたのか。それもこれもランフェンさんが弁解しないのが悪いと思う。モテない私を勘違いさせるような真似は良くないと思うのだ。

「フミノ……」

「……うん」

 世界の歪みを止めることはもう無理だと納得したのか、ランフェンさんの怒気は収まっている。身体がどこかへ引っ張られるような感覚がしてよろめく私の身体を、ランフェンさんが腕を掴んで留めようとするも、直接触れることは出来ない。

「なんかもう無理っぽい、かな」

 身体が痛いのか心が痛いのか、もしくは両方なのか、涙で滲む視界の先でランフェンさんの青い瞳が、鮮やかな色彩を持って私の脳裏に刻まれる。

 忘れないでおこう。

 夢のような不思議な世界で出会った、恐くて優しいこの人を。

「そうだ、魔石を――」

「構わない。それは君のものだ」

「でも……」

「君にしか届かない物だ、他の誰の手にあっても意味がない」

 差し出した石を受け取ろうとはせず、被膜のような壁を挟んで、ランフェンさんが魔石を持った私の手を握りこむ。

「持っててくれ」

「……大事にします」

 全ての声が遠のいていく。

 私が世界から遠ざかっていく。

 揺れる視界が気持ちわるくて目を閉じた私の耳に、ランフェンさんの声が再び聞こえた。



「――っててくれ」


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