27. 長谷川きらりの対決

 紙に書いた魔法陣は巻物よろしく紐で結んで、棚に保管してある。今回のこれで、複数端末の稼働が確認できたと、ヘンドリックさんは喜んでいた。

 私達が音声を拾った大きな魔法陣が親機としたら、カルメンが所持し、私がテストした魔法陣は子機といえるだろう。

 親機から特定の子機のみに音声を繋ぐことは出来ないけれど、それぞれの魔法陣から発した連絡を、すべての魔法陣で受け取れることが証明できたのだ。

 要するにトランシーバーだ。

 文明はひとつ進んだらしい。


 長谷川輝光きらりが「あたしがやる」と宣言した後は、各々仕事がある為解散し、暇人な私はしばらく音声を聞いていたんだけど、延々と続くキラリ様崇拝に脳みそが疲れてきたので、通信を切った次第である。

 キラリ様を慕う近衛騎士も含め、王宮内を自主パトロールする数が増えているらしい。おそらく、私を探しているんだろうということで、金髪文乃には休業命令が出た。

 故に、外の様子がわからない。私に付いていたメルエッタさんにも、何か知らないかと話を訊きに来る人が多いらしく、それも非常に心配だった。

 部屋に籠っても仕方ない気がする。この部屋に居て、様子を窺うだけでは、今までと同じだ。長谷川輝光に直接対決をけしかけたのはこちらである。

 ならば、私の方も姿を現すべきなのだ。そうでなければ解決しない。



「却下だ」

「ちょっとは考えましょうよ」

 即座に否定されて、私は不満を漏らす。

「お嬢さんの気持ちはありがたいんだがな、こっちにも準備ってもんがあるんだよ」

「それはたしかに大事ですね。わかりました。では、整い次第ということで」

「やる気ですね」

「これ以上、ご迷惑はかけられませんし」

「別に迷惑などと思っておりませんよ。貴女はこちらの事情に巻き込まれただけの人です。ご不快なこともあったでしょうに、こうして協力してくださっている。感謝しております」

「それ、よく言ってくださるんですけどね。別に私はそんないい人じゃないと思うんですよ。私は私の理由があって協力しているわけですし」

「理由ですか?」

「そうです。だってなんとかしないと、私は元の世界に帰れないじゃないですか」

 私の発言に三人が口をつぐんだ。

「……お嬢さん、帰りたいか?」

「帰らない選択肢があるとは、思ってなかったです」

 定住者がいるって聞いて驚いたぐらいだ。その人達がどういった経緯でこちらに来たのかは知らないけれど、普通なんの前触れもなく異国に連れて行かれて、そのまま住み続ける人は居ないんじゃないだろうか。そこが肌に合った場所だったとしても、一旦戻ることを望むんじゃないかな。部屋が賃貸なら解約しなくちゃだし、電気ガス水道も止めるべきだろう。退職するにしても、明日から来ませんなんて、日雇いの仕事じゃあるまいし、そんなこと普通出来ない。業務の引継もある。

 これは夢物語ではなく、現実なのだ。

 そういうことを無視できない。立つ鳥跡を濁さずだ。

 今いるこの場所のこと、好きか嫌いかと問われれば、好きに分類される。

 だけどそれは、私がお客様だからだ。

 一時的に居場所を提供されているのと、定住するのとではやっぱり違ってくると思う。

 ここで生活するとなれば、生きていくすべを見つけなければならない。

 幼子ならともかく、いい年をした大人だ。おんぶに抱っこというわけにはいかない。

 こちらの常識を知らない私に、どんな仕事が出来るのか。そもそもどんな仕事があるのかもわからないのだ。

 私の発言に、男三人は微妙な顔をしている。何故だ、と考えた時に思い当った。この人達は上流階級の人間だった――と。働かなくては食べていけない庶民の考えとは、ちょっと違うのかもしれないですね、はい。


「まあこれは私個人の考えなので、人によって違うと思いますよ」

 後々やって来るかもしれない異界の人間の為に、注意:個人差があります、という逃げ道を提示しておき、長谷川輝光との対決に向けての打ち合わせを行うことにした。

 私の意見としては、ランフェンさんかヘンドリックさん辺りが私を見つけて捕えたという形で、長谷川輝光陣営と話し合いをするというものだったが、カレル様が難色を示した。

「それだと、貴女は悪人扱いのままです」

「長谷川輝光がそういう認識をしているかぎり、覆らないと思いますよ」

「だからこそ、この国の王族として、貴女を擁護するのです。私までが貴女を否定してはならない」

「では、カレル様は弁護人ということで」

「弁護人ですか?」

「私が国賊扱いなら、捕えられた後に王子に連絡が行くのはおかしなことじゃないですよね。そこで話をして、私が敵じゃないって判断したカレル様が、聖女との話し合いを行う。そういう形でいけば、擁護しても問題ないかと」

「分かりました、そうしましょう。では、聖女への弾圧ですが」

「考えを正そうと話しても、すんなり納得するとは思えませんけど……」

「俺も同意見だ。あれは聞く耳を持っていない」

 ランフェンさんは相変わらず辛辣だ。

「だとしても、聖女が我が国の女王になるなど、到底受け入れられません。あちらの会話で追放という言葉がありましたが、最悪、聖女自身にその言葉を実行していただく他ありませんね」

 聖女の言葉を実行する。

 その言葉に私の胸がざわめいた。

 己の思考を具現させるのが、例の古の魔法である。彼女が願えばそれが現実となりうる可能性があるのだ。

「話し合いの場において、私はハセガワキラリになります」

「……何を言っている?」

「あの子が私の事を騎士達にどう言っているのか知りませんけど、小林文乃の名は知られていないようです」

 カルメンは私の名前を知らなかった。

 つまり長谷川輝光は私の事をあくまでも「ハセガワキラリを騙った人物」として扱っている。

「その場において、私はハセガワキラリと名乗ります。そうすれば、ハセガワキラリの名前を使った魔法は、彼女だけの物ではなくなるはずです」

「魔法を乗っ取るのか」

「乗っ取るというか。私に対して攻撃を加えようと思えば、同じくハセガワキラリである聖女にも攻撃が向かうことになる。うかつに魔法は使えなくなります」

「魔法を封じるということか」

「そうなればいいな、ってことです。あの、カレル様。もう一度、あの神様の部屋へ行くことは出来ますか?」

「契約の間へか?」

「確認したいことがあるんです」

「お連れしましょう」



 今日の私はいつも私だ。

 赤毛でも金髪でもない、黒髪の私。ちらりと覗いた白髪はとりあえず見なかった方向で。

 長谷川輝光との話し合いは、広間で行われるそうだ。しくもそれは、私が最初に守護騎士と話し合いを設けた場所だ。あの時はテオルドさんとメルエッタさんに付き添われての対談だったが、今回はランフェンさん。ヘンドリックさんは立会人のポジションで、カレル様は王族なので別枠扱いだ。

 聖女の陣営はすでに広間に居るという。そこに私が連れて行かれるという形を取っている。

 連行役のランフェンさんは、いつものように気難しい顔をしているが、それは怒っているわけではなく、この状況をよく思っていないだけ。私を罪人として扱うことを良しとしていないだけだと、今ならわかる。

「拘束具とか、付けた方がいいんですかね」

「カレル王子が味方しているんだ。必要ないだろう」

「でも、向こうに見せる印象として、その方がいいんじゃないかとも思うんですが」

 近衛騎士の隊長として、ランフェンさんは不本意な姿勢を見せておいた方がいいと思って提案する。

「俺の事はどうでもいい。君は自分のことだけを考えておけばそれでいい」

「そういうわけにも……」

「これはあの聖女を召喚した我らが決着を付けなければならないことだ」

 まあ、そう言われてみればそうかもしれないな。自分達の問題を他人に解決させるのは、すっきりしないよね、たしかに。

「国王一行は、あと数日もすれば戻ってこられるそうだ。そうすれば、君が元の場所へ帰ることも出来るだろう」

「そうですか。無事に戻ってこられそうで良かったです」

「送別の宴を開きたいと、母が張り切っていた」

「ありがとうございます。嬉しいです」

 広間までの廊下は、人を排しているのだろう。誰ともすれ違わない。歩きながら会話が出来るのはそのせいもある。

 けれど、それももう終わりだ。扉の前には門番よろしく二人の騎士が立っている。こちらに気づいた騎士の片方が、微笑んだ。

「ランフェン隊長、そしてもう一人の聖女様。皆が中でお待ちです」

「ご苦労」

「ご武運を」

「わかっている」

「聖女様もお気をつけて」

 そう言って私にまで微笑みかけた。ここに居るということは、私が捕えられた偽者だと知っているだろうに、何故私を聖女と呼ぶのだろう。

 ああ、名前を知らないからか。

 納得している私の手に、ランフェンさんが何かを押し付けてくる。滑らかな手触りのそれは、すでに私の手にすっかり馴染んでしまった魔石である。握りこんだ私に、視線を合わせないままで男が告げる。

『フミノ』

 ここ最近封印していた名前を久しぶりに呼ばれる。

 名前ひとつで私の心は跳ね上がる。

『大丈夫です』

 心配そうな声に、私はそう返した。

 大丈夫、大丈夫だ。成功だけを信じて、私は扉をくぐった。

 すでに全員が着席した状態で、突き刺さる視線にちょっとだけ逃げたくなる。

 けれど、ここでひよっていては舞台が台無しだ。一体なんの為にこの場を用意したと思っているのだ。全てを無に帰す為だ。

 仮面よ、仮面を被るのよ、文乃。

 己を誤魔化し奮起して、促されるまま与えられた場所に着席する。

 正面に座るのは長谷川輝光だ。久しぶりに顔を見たけど、相変わらず綺麗な巻き毛である。

「では、始めよう」

 カレル様が宣言し、断罪裁判のスタートだ。


「まずお聞かせ願いたい。何故この罪人を王子である貴方が擁護なさるのか」

 あちらの司会は相変わらずスル・ルメールだった。問いかけの言葉の後、こちらに向けた眼差しは、なんというか汚物を見る目。嫌悪を通り越して、存在そのものを否定する、そんな目つきを私は生まれて初めて受けた。

「私は彼女と話をし、そう判断いたしました。それに異を唱えるのであれば、反逆の意ありとみなすが?」

「そのようなこと! 私達は、この国を思いこそすれ、逆らおうなどとは思っておりません」

「では聞くが、何故そなた達はこちらの女性を罪人としたのか」

「この者は聖女を騙ったのですよ? 我ら守護騎士の意識を操り、己の正当性を高めた。悪しき心で持って謀ったのです」

「テオルドから聞いたところによれば、貴殿らは彼女が召喚された場に赴き、ハセガワキラリと認めたと聞いている。己自身の判断を間違っていたと認めるということか?」

「そ、それは、召喚の術者達がキラリ様を呼んだと――」

「ならば彼女はハセガワキラリだろう。貴殿らもそう認め、彼女を守り、付き従っていた。これらの日々は王宮の者皆が知っていることだ」

 カレル様は言い訳を許さず、私がハセガワキラリという存在であることを認めさせていく。この辺りは、私が神様相手に強引に認めさせたのと似たようなことだ。

 言質を取った――押し付けたともいうが、その考えを浸透させたところで、私は口を開く。

 さあ、ここからが勝負だ。

「カレル王子のおっしゃる通り、私はハセガワキラリを召喚するに辺りこちらにやって来た、ハセガワキラリです」

「何言ってるの? あたしが――」

「あたしが、どうかいたしましたか?」

「キラリはちゃんとこの世界に来てたけど、おまえが邪魔したんだろ!」

 言い淀んだ長谷川輝光の代わりにテリア少年が叫ぶ。相変わらずの忠犬ワンコだ。

「先ほど、おっしゃった通り、私はハセガワキラリの召喚術でもって現れたんです。そういった意味でいえば、別の場所に現れたと主張する方が偽者ではありませんか?」

 ざわりと聖女チームが表情を変えた。私と長谷川輝光を見比べているのはスタンさんだ。そんな彼の腕にすがりついて、隣に座っている長谷川輝光は訴える。

「スタン、信じて。あたしがキラリだよ。あんな魔女に騙されちゃ駄目だよ」

「……わかってるよ、キラリ。君は俺のキラリだってわかってる」

「ふざけるなよ、おまえ!」

 憤慨して席を立ったのはテリア少年。そんな彼を諌めているのはカルメンだ。ヴァディスさんはいつもの無表情で座っている。彼ら二人には流れを説明してあるので、状況によっては調整役になるようお願いしている。

 他国からの騎士、たしか名前をオルフィート、ウルフォートといったか。こうして並んでみてわかったんだけど、彼らは双子だ。今日はマントをしていないので、どっちがどっちだか見当がつかない。

「こちらの国で姫がどういう風に思われようと、私は構わない。姫は姫だ」

「姫、私達は何があっても味方です」

「ありがとう、二人とも」

 涙目で返事をしている長谷川輝光に、背後に立っている一人の騎士が熱っぽい視線を向けている。

 聖女崇拝者の筆頭たる人物。単純に私はそいつ以外を知らないのだけれど、なんでこの部屋に居るんだろう。出来れば会いたくないその男は、牢屋に不審者を連れて現れた近衛騎士である。

 視線を感じたのか顔を上げ、うっかり目が合ってしまう。その時の顔たるや。ぎらぎらした目に憎悪を乗せて飛ばしてくる。

 あの時を思い出して寒気がする私を引き戻したのは、熱を帯びた魔石と私を呼ぶ声だ。

『ごめんなさい、大丈夫です』

『君の大丈夫は半分以上あてにならない』

 信用度ゼロだな。

『あの近衛騎士がどうかしたのか』

『それ以前になんで居るんですか?』

『部屋の中にも警護は必要だからな。一応、聖女を擁護する派閥とそうでない派閥の両方から選抜してある』

『あの人、先陣切って志願してそうだもんね……』

『――あの男を知っているのか?』

 言われて逆に驚いた。

 てっきり知っているものだとばかり思っていたが、あの騎士が不審者を引き入れたことは露見していないらしい。

『フミノ』

 答えろ、と言外に匂わせられて、私は伝えた。

『あの時、牢屋に二人の男を引き入れたの、あの人です……。ご丁寧に音が漏れないようにして、好きにしろって感じで。そもそも最初に私を引き倒して捕まえた人ですし、よっぽど聖女様が好きなんでしょうね』

 精一杯あっさり聞こえるように伝えてみたら、隣の男の空気が明らかに変わった。未だ揉めている眼前の聖女チームから目を放し、こっそり隣を見て私は後悔した。

 そっちに視線を向けたこともそうだけど、そもそも正直に伝えたことを後悔した。いや、黙ってても見透かされて心を読まれかねないから、どっちにしろ駄目だったのかもしれないけど。

 キラリ様期間中、何度となく「恐いよ隊長」って思っていたけど、ここまで恐いのは初めてだ。

 恐怖の大魔王が鎮座している。視線だけで人が殺せそうな威圧感。

 どうしよう、助けてヘンドリックさん。

 涙目で訴えると、さすがに様子がおかしいと感じたヘンドリックさんが甥を見やる。視線を受けて、ランフェンさんが何かを訴える。目配せで肯定し、ヘンドリックさんは姿勢を戻した。

 だが、その後で眉を寄せる。なんか徐々に顔が変わっていく。どんどん不穏なオーラが発せられる。そして鬼の形相で、例の騎士を睨んだ。

 ヘンドリックさんは拳を握りこんでいる。ひょっとしたらあの手の中に、ヘンドリックさん仕様の魔石があるのかもしれない。

 つまり、さっきのあれはランフェンさんがヘンドリックさんに伝えたのだろう。

 何をって、あれだ。私がぶっちゃけてしまった、あの騎士の所業。

『この場が終われば、必ずあの男を追い詰めて、殺してやる。安心しろ』

 そんな安心、求めてない。

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