25. 長谷川きらりの仲間


 この世界に来てから何度思ったことだろう。僅か数ヶ月――日数にしたら地球時間とは開きがあるけど――の間に、何度となく呟いた言葉。メンタルを破壊する破滅の呪文を、私は今日も胸の内で唱える。

 どうしてこうなった。



 鏡に映る私は、新しい私だ。

 装いも新たに生まれた三人目の小林文乃は、赤毛である。カルメン氏のような目の覚める紅ではなく、茶色まじりの赤毛。湿気に晒されて錆びた鉄の色といえば分かり易いだろうか。それでいて手触りはいいので、今度のヅラはわりと気に入っている。

 ――まあ、似合うかどうかは別なんだけど。

 カレル様との偽装交際をスタートさせたのが三日前なので、この赤毛スタイルもまだ見慣れない。それでも金髪よりはマシな気がする。

 ちなみに満場一致でデフォルトカラーの黒髪がいいと言われた。それならどうしてこんなヅラを装備せにゃならんのだと思うんだが、純粋な黒髪は数が少なく目立つらしい。あまり思い出したくもない記憶だけれど、牢屋に押し入ってきた男達が「黒い髪は異界の使者」とかなんとか言ってたな。

「そうですね。ウミトさんのように異なる世界からやって来た方に、黒髪の方は多いですよ。定住される方もいらっしゃいますので、その血を継ぐ者は黒に近い髪色をしております」

「黒じゃないんですか」

「ええ。配偶者の色を帯びた黒髪です。ですが、血が受け継がれるにつれ、黒も薄くなっていきます」

 だから、染めてない黒髪アジア人は、それだけで目立つのだろう。面倒だけど、ヅラを装備するしかないなぁ。

 ウィッグを上手くまとめて、銀細工の髪飾りをつけてくれたメルエッタさんは、満足そうに微笑んだ。準備が出来たところで、カレル様と共に行動開始である。

 エスコートなんて物語の中でしか知らない知識だが、そんな私を不恰好にならないように歩かせるんだから、王子の肩書きは伊達じゃない。ガチガチに緊張する私に微笑みかける様子を、遠巻きに眺める気配がある。事情を知らせていない侍従達に、それっぽく噂を広めてもらう為、一日のうち数時間は、そんなやり取りをチラ見せしてるんだけど、これどこまで効果あるのかな。

「なかなか緊張がほぐれませんね」

「殿上人と接する機会、庶民にはありませんから、緊張もしますよ」

「王族だってただの人間ですよ」

「それはまあ、そうでしょうけど」

 こそこそとそんな話をする様子も、遠目に見ればいちゃついているように見えるって算段だ。なかなかいい感じだったぞ、とヘンドリックさんに褒められた時は、妙に居心地が悪かった。だが、褒められたことに味を占めたカレル様は、それ以降もこうやって内緒話を積極的に仕掛けてくる。穏やかな草食系に見せかけて、意外と策士だなこの人。



『顔面詐欺と言われているな』

 自国の王子をこき下ろしたのはランフェンさんだ。

 契約云々の時からそうだが、随分と扱いがひどい。

 金髪モードで事務員をやっている時にヘンドリックさんが教えてくれたんだが、ヘンドリックさんの亡くなった奥様が王子の乳母をしていた関係で、ランフェンさんとは兄弟よろしく育ったらしい。

 それを聞いて納得し、同時にまた戦々恐々とした。もうやだこの家系、優秀すぎて文乃付いていけない。

『あまり馴れ馴れしいようなら足でも踏んでやればいいんだ』

「いや、さすがにそこまでするのは」

『つけあがるだけだ』

「……なんか怒ってます?」

『――そんなことはない』

 今、間があったよね。仲間外れにされた気がして拗ねてるんだろうか。

 面と向かって決して言えないことを考えつつ、そんな思考が伝わらないように集中する。

 私が今居るのは、例の続き部屋。ランフェンさんから渡されている魔石を手に、定例通信を復活させている。以前とは違い、壁の魔法陣に向かって話さなくていいぶん、寝転がってみたり椅子に座ってみたり歩きながら話してみたり、携帯電話のようなお手軽通信が実現している。

 ランフェンさんはといえば、外の家ではなく宿舎の部屋で、今まで使っていた魔法陣を使用したり、魔石を使ってみたりと日によって違うそうだ。ヘンドリックさん仕様の魔石も持っているし、カレル様にも同様の物をせがまれたというので、石の小型化が次なる目標だと言っていた。

 電話番号とかメールアドレスみたいに、ひとつのデバイスで複数に繋げる方向を模索した方がいいんじゃないかと思うんだけど、通信魔法陣の仕組みがわからない私には、それが実現可能な技術なのかが分からない。長谷川輝光の問題が落ち着いたら、話すだけ話してみようと思っている。

『第三師団の中から、謀反人が出た。聖女盲信組だ。日に日にひどくなっていく、さっさと排除した方がいい』

「そんなにひどいんですか?」

『洗脳というのは、ああいう状態をいうんだろうな』

「例の、人心を操る魔法ってやつかな」

『それしか考えられんだろう』

「その謀反を企てた人は、聖女と接触があったんですかね」

『あの女は今も王宮内を歩き、自らの信者を増やしているからな。直接、訓練場には来ないが、周辺で隊員達に声をかけているのを見かける。話をしているだけでは、こちらから何も言えない』

 実際に事件が起こらなければ動けない警察みたいだな。

 治安維持活動という意味では、近衛騎士は警察という機関に近いかもしれない。

「守護騎士の方はどうですか? 何か変わったことあります?」

『気になるのか?』

「そりゃーまあ、あの人達に罪はないですし」

 約一名を除いては。

『テオ・カルメンからの報告によると、仲間うちで小さな衝突はあるようだな』

「こっちに通じてるのがバレたってことですか?」

『そうじゃない。新しく付き従っている他国の騎士が居るだろう?』

「あー、あの赤マントと青マント」

 そう言うと、頭の中でランフェンさんが噴き出して笑った。

「しゃーないやん、名前知らんし!」

 思わず方言丸出しで返すと、さらに笑いが続く。なんとか言い負かしてやろうと私が考える中、ようやく復活したランフェンさんの声が聞こえた。

『やはり君と話すのは楽しいな』

 ぐっと息がつまる。

 この人はいつも不意打ちで、こういう発言をするから困るんだ。

『ともかく、他国の騎士の話だが――』

 カルメン情報によれば、新規加入の二人と、既存の守護騎士の間に溝があるとのことだ。表面上はともかくとして、聖女の寵愛を得る為に裏での確執がひどいとかなんとか。

 なにそれ、どこの大奥?

 大奥なら正室がトップに君臨するものだけれど、今聖女の寵愛をもっとも受けている特定の騎士はいないらしい。故に争奪戦がひどいのだろうか。

 カルメンの見立てだと、五年前のキラリが一番好意を寄せていたのはスタンだという。だが、今は新しい騎士二人に同時にかしずかれることに喜びを見出しているようだと。

 あー、あれか。サークルの姫となった名残だ。同時に愛されてなんぼ、みたいな方向に突っ走ってるんだろう。

 そう考えると、まがりなりにも一途だった五年前の方がまともだったように思えてくる。ハーレムがどうとか言ってはいたけど、それはそれとして、一対一の恋愛をメインに考えていたはずだからだ。

(なんだってそこまで恋愛にこだわるかね。まだゲームだと思ってんのかな……)

『げーむ?』

「遊戯です。言葉は悪いんですけど、相手を振り向かせる行為自体を楽しむといいますか」

『ああ、確かに聖女はそういったたぐいの人間だな』

 鼻で笑われた。

 長谷川輝光よ、過去この人相手に何をしたんだ。

『次の獲物がカレル王子ということだろう』

「そういえば、赤髪さんに関して、どの程度広まってるんですかね」

『近衛の間ではすでに噂となっているな』

「早いですね」

『王族の傍に見慣れぬ異性が居るとなれば、当然だろう』

 まあ、たしかにね。

 具体的にどんな風な噂になっているのか訊いてみたけど、なんだか言葉を濁された。あれかな、男同士のあけすけな噂話なんて、女性相手に聞かせられるもんじゃないんだろう。主に下ネタ方面とか。


 その噂については、ヘンドリックさんの執務室でお仕事中、直接耳にすることになる。

 曰く、カレル王子のお相手は、小柄な赤髪の美人。陽の光に輝く髪が美しい。仲睦まじいお姿を拝見する。ご成婚も近い。御世継が楽しみだ、等々。

 うん。誰だよそれって気もするけど、概ね高評価といっていいだろう。作戦成功である。

 これを受けて、聖女陣営がどう動くのかが、今後のポイントになるんだけど、それについての話し合いは守護騎士二人を交えて行うことになっている。二人が同時に動くと妖しさ倍増なので、時間をずらして執務室まで来てもらうことにしてあり、先にやって来たのはカルメンだった。

「やあ、噂の美人令嬢。あちらの姿でご一緒できないのは残念でならないよ」

「あの赤髪は作り物ですよ。天然の髪には適いません」

「それは俺の髪を褒めてくれてるって思っていいのかな」

「まあ、貶してはないですけど……」

「君も、元の黒髪が一番似合ってるよ。柔らかくていい匂いがする」

 息を吐くように口説き文句を言うって、こういうことなんだろう。その技を私相手にも発動させるとは、逆に感心してしまう。

 聞き流しているのがわかったのか、カルメンが少し不機嫌そうに口を尖らせた。そういう顔をすると、ちょっと印象が変わるなぁ。可愛いというと失礼なんだろうけど。

「余裕ぶって、俺のことからかってる?」

「からかってるのはどっちですか。それに、別に余裕ぶってなんていませんよ。褒め言葉はありがたく受け取っているだけです、大人ですから」

「そうやって大人ぶるところもまた可愛いよね」

「そういうの、もっと若くて可愛い子相手に言いなよ……」

 丁寧に返すのも馬鹿らしくなってそう言うと、嬉しそうに笑う。

 マゾかこいつは。

「君より若いって、俺、子供を相手にする気はないんだけど」

「――ひょっとして、私のこと、聖女と同年代だと思ってます? そんなわけないでしょ。三十超えて、二十歳の子の身代わりされられるとか、どんな辱めだって話ですよ」

「なんだ、そうだったのか。どうりでキラリより落ち着いてると思った。ますます気に入った」

「……はい?」

「言っただろ? 俺、年上好みだって」

 ウィンクされて顔が引きつる。

「私の大事な人を口説くのは止めていただけませんか?」

 割り込んだ声は、カレル様だ。ヘンドリックさんも後ろに居る。

「カレル王子のお相手は、赤髪の美人ではありませんでしたか?」

 王子相手にもニヤリと笑って混ぜっ返す度胸はたいしたもんだ。けれど、それに返答したのはヘンドリックさんの方だった。

「そうだな、このお嬢さんは俺の身内だ。守護騎士、俺の許可なく近寄るなっつったの忘れたか?」

 素手で林檎を握り潰しそうな手で、カルメンの頭を掴んでいる。

 彼の顔が引きつっているのは気のせいだろうか。髪はたしかに赤いけど、それ林檎じゃないから、止めたげてヘンドリックさん。

 そうこうしているうちにランフェンさんがやって来て、その少し後でクム・ヴァディスが合流。こちらの陣営が揃ったところで、打ち合わせがスタートした。


 長谷川輝光の方にも、赤髪美人の存在は伝わっているそうだ。王子に近寄る算段をつけていた彼女は、「ライバルキャラ!」と言って、むしろ喜んでいたという。

 彼女の発する言葉の意味に関しては、適時私が補足している。今回のそれは「かたき役」である。

 相変わらず前向きだ。ある意味うらやましい性格をしていると思う。

 長谷川輝光にライバル認定された私――赤髪さんだが、その手合いのキャラクターは自分で手を下さないんじゃないかと思う。直接的ないじめを行うのは取り巻き連中で、親玉は知っていても知らない振りをするのだ。「秘書がやったことですから」みたいな感じで。稀に正々堂々と勝負するタイプの人物もいるけど、長谷川輝光のヒロイン思考から考えると、そういうのは想定しないと思う。

(ヒロインはヒロインでも、悲劇のヒロインが好きそうだしなぁ)

 主に、自分に酔えるからって理由で。

 私の出した「敵役」という表現は、娯楽小説に置き換えるとイメージがしやすかったのか、ヘンドリックさんを除いた男性四人が盛り上がっている。漏れ聞く単語をきくかぎり、なんだか面白そうな内容だ。少年漫画的といいますか。

 そわそわする私に気づいたのか、ヴァディスさんが「今度持ってくる」と約束してくれた。

 ありがとう、私の本友達。

「クム・ヴァディスと仲がいいんだね」

「いえ、そういうわけでは。本をよくお借りしていただけで」

 そしていちいちツボなんだ、彼の持ってくる本は。

 老齢枠のヘンドリックさんが強引に話題を元に戻し、ひとまず今後の方針が決定した。

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