21. 長谷川きらりの潜入

 その昔、会社における女性の仕事はお茶汲みとコピー取り、などと称されたものだが、現代でそんなことを言うと、即効セクハラで訴えられるだろう。

 この世界の女性はといえば、魔法が蔓延はびこる世界なだけに、女性の社会進出は浸透しているようである。

 近衛騎士団は男社会だが、女性騎士というのもちゃんと存在していて、警護対象が女性の場合はよく登用されている。お年頃の未婚女性に若い騎士をつけて間違いが起こってはたまらん、というご両親の要望が多いとかなんとか。そこは公私ぐらい分けるだろう、と私なぞは思ってしまうのだが、実際に恋が生まれて最終的に駆け落ちした例があるらしい。

 警護を付けるぐらいだから、何かしら危険があるからそうしているわけで。そんな中、危機的状況におちいったら、気持ちが盛り上がることもあるんじゃないだろうか。要するに、吊り橋効果だ。

 普段と違う状況だから、心が必要以上に揺れ動く。

 そう言うと、なんだか生暖かい目で見られてしまった。

 ヘンドリックさんは絶対に誤解していると思う。このままでは、ランフェンさんが気の毒だ。

(でも、ここで何言ってもさらに誤解を煽るだけやな……)

 そう思ったので、「違いますよ」と一応訂正しておいて、私は仕分け作業に戻った。

 さて私が何をしているのかというと、王宮のヘンドリックさんの執務室で、補佐をしている。

 私が王宮に入るにあたり、どういう立場を取るかを決める際、ヘンドリックさんの所が一番安全だろうと判断され、私は彼の配下になった。

 王宮の警護責任者ということだったが、実際には全ての使用人を統括している、相談役のような立場。近衛騎士団の団長をしていた関係で、警護方面に特化しているというだけで、文官や侍女・侍従達の部署も管理範囲なのである。

 とはいえ、それぞれの部署を管理する長も居るので、報告書を読んだり、国王と使用人の間を調整したりするのが主な仕事。体育会系の彼はデスクワークがひどく苦手らしく、補佐が出来てご満悦らしい。

 事務系仕事人の小林文乃としては、データ整理や書類整理は定常作業。文字の読み方はまだ不安定なので、一覧表を手元に置きつつ眺めていると、なんかもう色んな業種がバラバラに混じっていることがわかったので、整理中というわけだ。

 とりあえず片付けでもしておいてくれ、と放置されたので、平積みになっている紙の束を綺麗に整え、部屋の隅にあった工具箱からきりを見つけたので穴を開け、捨ててあった頑丈そうな細い紐で綴じてみたところ、大仰に感動されたことから、私の書類整理がスタートした次第である。

 白紙を表紙にして、何を綴じているのか書いておけばいいと思いますよと伝えただけで、深く頷いて納得されると、逆にビックリだ。この世界に文書を綴じて保管する文化はないのだろうか?

 いや、たぶんあれだな。ヘンドリックさんに事務方の知識が皆無なだけだな、うん。



 私が王宮に戻ることについて、三人から反対意見は出なかった。問題解決には不可欠であることはわかっているからだろう。ただ、寝泊まりに関しては王宮内に部屋は持たず、この家から通うことを約束させられた。三人のうち誰かしらが送迎するというVIP対応付きで。

 長谷川輝光きらりが私に魔法で施した「聖女の皮」は剥がれ落ちているので、今の私を見ても誰も聖女だとは思わない。問題なのは、聖女の振りをしていた偽者であると覚えられているかどうか、だ。

 私が紅茶を凍らせた例の魔法を使って、私自身を偽装できれば問題ないんだけど、どういう風に見せかけるのか、明確なイメージがないと上手くいかない気がする。そうやって不安になる時点で、きっとこの魔法は失敗するだろう。

 そんなわけで私はかつらを被ることを選択した。

 人生初の金髪である。鏡で見た自分はかなり異質で、漫画でよく見かける「これが私?」と驚く場面を体験した。綺麗になってビックリ展開ではなく、似合わな過ぎて驚愕する方向である。

 金髪を選択した理由は簡単だ。私の触れ込みが、ア・ヘンドリックの縁者というものだから、それに適った色を選択したというだけだ。なので、ここの血筋が緑髪だったなら、私は緑のウィッグを被っていたことになる。そう考えると、まだ無難な色であったことを感謝すべきかもしれない。

 縁戚であることを目に見える形で提示し、そうすることで妹であるメルエッタさんとも縁続きであることがわかるし、その息子であるランフェンさんと一緒に居ても、不審がられることもない。円満解決である。


 かつてキラリ様として歩いていた廊下を、別人の顔をして歩くのは、なんだか不思議な気分だ。いつ指を差されるかと不安になる。

 けれど、長谷川輝光を止める為には王宮内に居た方がいい。恐いなどと言ってる場合じゃないのだ、うん。

 ヘンドリックさんの執務室は西棟の二階にある。

 二間続きになっていて、応接セットのある広めの部屋と、聞かれたくない話をする時の為に、防御性の高い小さめの部屋。

 私は基本的に後者の部屋で、書類整理の仕事をしている。あまり人目につかないようにという配慮だ。ヘンドリックさんを訪ねて、近衛騎士の団長や隊長だけでなく、届け物をする一般騎士もやって来る。キラリ様をやっていた頃、騎士達にも姿を見られている。少しでもバレる率を下げようと考えているのだろう。

(たまーに視線、感じるしなぁ……。キラリ様ん時みたいな嫌悪感丸出しな目じゃーないけど、チラチラ見られてるんは確かやなぁ。やっぱ「誰やねん、あの人」ってことやろなぁ)

 考えながら廊下を歩いていると、噂をすればなんとやら、騎士が一人やって来るのが目に入る。回れ右をすれば「やましいところがあります」と主張しているようなものだろう。なんでもない振りをして歩き続け、すれ違う時に会釈する。相手は特に気にする風でもなく、会釈を返してくれた。良かった、普通の人だった。

(完全に疑心暗鬼や)

『それはどういう意味だ?』

 ビクリと背中が伸びる。不意打ちを喰らって動転する心臓を落ち着けつつ、私は声を返す。

『何もかもを疑ってかかる思考回路のことです。ランフェンさん、今どこですか?』

『宿舎の庭で訓練中だ』

 業務中じゃねえか。

『お仕事してくださいよ』

『してるさ。俺は隊員の様子を監督するのが仕事だ』

『じゃあ、そっちに集中して。ちゃんと訓練を見てあげないと』

『大丈夫だ。時折ちゃんとげきを飛ばしている』

 それ、ちゃんとって言うのかな。

 ランフェンさんからは、例の魔石を持たされている。王宮内ならば有効範囲だろうということで、常に携帯しているように言われているのは、何かあった時にすぐに助けが呼べるようにだろう。私がキラリ様に糾弾され、近衛騎士に捕縛された時のことを、気にしているんだと思う。

 それに加えて、通話テストも兼ねられている。この魔石型にしてから、わりとすぐにあの事件が起こったせいで、性能は未知数だし、不具合もあるかもしれないからだ。

 きちんと機能していないと、意味がない。

 そう言って、ランフェンさんは時折こうして話しかけてくるのである。

 それは別にいいんだけど、急に来ると驚くし、ぬぼーっと考えている思考がうっかり読まれてしまうのかと思うと、うかうか考え事も出来やしない。そこはちょっと困るんだけど。

『――言っておくが、別に所構わず様子を探っているわけじゃないからな』

『いえいえ別にそんなこと言ってないじゃないですか』

 思ったりはしたけども。

『さっきは何か、不安定な気配がした』

『気配?』

『……君は不安を抱えても口にしないだろう?』

『そ、そんなことは――』

『ないとは言わせない。だから負の感情が生まれた時、察知できるようにした。そうすれば、何者かに攫われるようなことがあった時、声が届かずともわかるからな』

『……ちょっと過保護すぎやしませんかね』

『気配を読まれたくないなら、偽りを言わず、素直に口に出すことだな』


 ちょっと偉そうに――上から目線で言われた。

 声に凄みはないけれど、キラリ様として相対していた頃のランフェンさんを思い出し、懐かしい気持ちになる。あれからほんの少ししか経過していないのに、随分と距離感が変わったものだ。

 じんわり温かな気分になった時、前方に立っている人に気づき、私は一気に凍りついた。

 目に痛いほどの鮮やかな真紅の髪と、深い思慮を感じさせる緑色の髪をした男性二人が、そこに居る。

 落ち着け、落ち着け私。

 大丈夫、今の私は、パツキンの女だ。黒髪の偽聖女ではない。メルエッタさんの凄腕化粧術により別人に生まれ変わった、フミノVer2だ。ヘンドリックさんにも「女って恐ぇな……」と言わしめたメイク魔法を、見破られるわけがない。

 守護騎士に対する礼儀として、壁際に寄って頭を下げる。そんな私の前で、二人は立ち止まった。

 なにゆえに。

 下位の方から声をかけるわけにもいかないだろう。私はただ黙って控えるだけである。

 そのまま床を見据えていると、彼らしい軽口が降ってきた。

「君がヘンドリック老の口利きで入ったっていう人?」

「はい」

「ちゃんと顔が見たいなぁ。もっとよく見せてよ――」

 顔を寄せ、声を潜めて言葉を続けた。

「――なあ、キラリ」

 瞬間、肝が冷えた。

 心臓を鷲掴みされたように、苦しくなる。

 ヘンドリックさんの執務室付近に、聖女一行が訪れることはない。彼女に用事がある時は、こちらから相手先に向かうのであって、聖女から出向いていただくことは有りえないことだからだ。

 それ故、私はヘンドリックさん預かりとなっていた。一番リスクの少ない場所だから、こうしてお使い程度の雑用も引き受けている。

 まずい。油断した。っていうか、この姿でどうして私が偽キラリだと分かったんだろう。

「話、しようぜ」

 息のかかる距離でカルメン氏が囁いた。

 顔が見られない。

 どう対処すればいいか、判断がつかない。

 どうしよう。別人の振りをして乗り切ろうか。

 いや、こうして声をかけてきたということは、ある程度の確信を得ているのだろう。テオ・カルメンもクム・ヴァディスも、そこまで愚かではない。

 震える手を握りこんだ時に、保護者が登場した。

「うちの大事なお嬢さんに手を出すのは止めてくれんか」

「ヘンドリック様!」

「お嬢さん、部屋に戻ってろ」

「話のひとつもさせていただけないとは、随分と過保護なことですねぇ」

「嫁入り前の娘に近づけていい人物は、俺が選ぶんだよ、守護騎士」

「俺は貴方の御眼鏡には適わないと?」

「自分の言動を振り返ってみることだな、テオ・カルメン」

 戻っていろと言われたけれど、場の空気が不穏すぎて足が上手く動かない。ヘンドリックさんが私を背で庇っているうちに、この場を離れておくべきだとわかっているけれど、足がもつれて無様に転びそうで仕方ない。

「心外ですよ。俺はきちんと相手を選んでるつもりなんですが」

「じゃあ、うちのお嬢さんは諦めてくれや」

「カルメン、話が逸れている。ヘンドリック老、彼女に危害を加えるつもりはありません。むしろ、貴方にもご同席をお願いします」

 クム・ヴァディスがカルメンの言葉を遮って、ヘンドリックさんに頭を下げた。さすがのヘンドリックさんも驚いたのか、言葉を止める。

「我々は、聖女の行いを止めたいと考えています。ご助力をお願いできませんか」



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