20. 長谷川きらりの概念
ア・ヘンドリックというのが、その人の名前だ。
きちんと自己紹介もしないまま、身代わり聖女生活の裏事情が明かされたので、紅茶を飲みながら改めて仕切り直しである。
「それで、ヘンドリックさんは何をしに来たんですか?」
「言っただろう? 様子を見に来た。君がここに居ることはメルエッタに聞いたからな」
「それはつまり、私が駄目人間であれば、王宮に連れていくつもりだったってことで、間違いないですか?」
「冷静だな、お嬢さん」
「昔から、自分を外野から客観的に見るタイプでして」
「なるほど、逃避行動か」
「――そうなんでしょうね」
ざっくりえぐってくるなぁ、心を。
「それで、私は合格なんですか?」
「妹と甥が全面的に味方してるんだ。おじさんの完敗だな」
そう言ってヘンドリックさんは笑った。声がでかいなぁ、しかし。
「それで、お嬢さん。これからどうする」
「私は本物が見つかるまでの代理と言われてました。テオルドさんがどう考えていたかによるんですけど、ヘンドリックさんはその辺りの話もご存じなんですよね」
「まあ、そうだな」
単純に「見つかりました、交代します、お疲れさまでした」にはもうならないだろう。あれだけの人数の前で「偽者罰すべし」と宣言しているのだ。その上、捕えた偽者が逃げ出して所在不明。顔写真入りで指名手配されるよね、普通。
考える私をよそに、ヘンドリックさんは現状を説明してくれる。
国王一行は旅先で足止めを喰らい、帰国が遅くなるという連絡があったそうだ。こちらもまたハセガワキラリが現れた事を知らせる使者を送っているが、それに対する返事はまだ戻ってきていない状態。
(あの子が考えた事が全部実現するようになってる? 国の重鎮が居ない時に戻ってくるなんて、ご都合主義にもほどがあるし)
「心当たりがあるのか?」
「どこまで本当なのかわからないんです。でも、長谷川輝光はすごい魔法使いなんですよね。その場に居ない私に、認識阻害の魔法をかけちゃうぐらい」
「そうだな。特に、人心を操る術に長けていると思う。従騎士は、操られているとも思っていないだろう」
「だとしたら、王様達が戻ってこられないのも、彼女の力が発動しているのかもしれません。考えたらその通りになるって、あの子は思ってるし」
「話をしたのか?」
「牢屋に来たんですよ、あの子」
私は、長谷川輝光が語った内容を、若干誤魔化しながら話す。あまりにあけすけで、こちらの世界を二次元的に捉えすぎているので、その辺りのことを脚色して。
「五年前に倒した皇帝は実は死んでなくて、復活してきたところを、今度こそ倒すんだって、そう言ったんです」
「確かに皇帝は消滅しただけで、遺体を誰も見てはいない……」
ぞくりとした。
ラスボスが三段変形とか、ゲームの定番だから深く考えてなかったけど、実は死んでいなかった設定に違和感がないような状況が出来上がっているのだ。
だけど、あの時こうも言っていた。
「あの、でも、彼女曰く、聖女の偽者がティアドールを皇帝に献上しようとしていたところに、自分が戻ってきて阻止するとか言ってたので、少なくとも現時点でそれは破綻してます」
「だが、その考えが根底にあるのであれば、状況を改変して継続することは可能じゃないのか?」
「魔法って、そんな簡単に
「聖女が使う古の魔法は、
「それ、万能っていうか、無茶苦茶ですよねもう」
問いに答えたのは、ランフェンさんだ。
「古の魔法って、他に使える人はいないんですか?」
「あれは本来失われた魔法なんだ。ハセガワキラリがそれを使うことが出来るのは、契約を交わしたからだ」
「契約?」
「詳しくは俺も知らない。だが、名を交わしたから、ハセガワキラリにしか使えないと聞いた」
「名前を交わす。それって誰とですか?」
「悪いが、俺も知らない」
ううむ。選ばれた存在だから難しい魔法も使えてしまうのかと思っていたが、ちゃんと理由があったらしい。
「お嬢さんは古の魔法がそんなに気になるのか?」
「対抗手段になるかと思ったんです。同じようになんでもありな魔法をぶつければ、あの子の考えが
「なるほどな。お嬢さんがかけられていたような魔法は知らないが、戦争中、攻撃をする際にはよく自分の名を口にしていたな。それが発動条件なのかもしれん」
「名前、ですか」
「そうだ。ハセガワキラリが命じると、いつも口にしていた。同じように試してみた者も多いが、発動はしなかったな」
ハセガワキラリが命じる。
いかにもそれっぽい台詞である。ポーズをつけて高らかに告げる姿が目に浮かぶようだ。
例えばどんなことを命じるのだろう。攻撃魔法といえば、炎や雷、氷といった魔法が頭に浮かぶけど、台詞込みで考えると、どちらかという召喚魔法っぽい気もする。
召喚獣? それよりは、精霊を呼び出して、その属性の魔法を展開させるとか、そういう方が私は好きだな。いや、私の好みはどうでもいいんだけど。
「ハセガワキラリが命じる――」
氷系の精霊によって紅茶が凍ったりしたら面白いなぁ。
そう思った時、私の持つカップに霜が付く。指先が冷たくて見下ろすと、まさに紅茶が凍っていた。
えーと、なんで?
紅茶と共に凝固した私の手元を覗きこみ、三人もまた固まる。部屋の空気も固まる。寒さが増した気がする。カチンコチンだ。
「どういうことだ、これ」
「おまえさん、何したんだ」
「何かしたように見えましたか?」
「いや、見えんな」
そう。私は考えただけなのだ。凍ったら面白い、と。
考えたことが実現する。
それはまさに長谷川輝光の魔法じゃないか。
「……ハセガワキラリが命じる。元の、凍る前の状態へ」
ほどよく温かい紅茶を思い浮かべながら呟いてみる。フィルムの早回しのように紅茶は融解し、湯気を上げた。
四人で再び頭を突き合わせて黙り込む。
「私、魔法というものを使ったことないんですけど、これは魔法ですか?」
「――魔法だ。聖女と同じ、古の魔法だよ」
今の時代、魔法と言うのは術式があった上に成り立っているものが主流だという。魔法陣を埋め込んで、そこに魔力を流すことによって具現化する。
一番身近なのが、照明器具である。
台所で火を使うにしても、何もないところから炎は生まれない。道具があって、そこに術式を埋めることによって、使えるようになるんだそうだ。マッチやライターがなくても炎が出せるようなものと考えれば、その違いは明らかだ。
つまり、無から生み出すことが出来るのが、古の魔法ということか。
今、その魔法を使えなくなっているというのは、道具を使うことに慣れたから。
意識の根底に、術式があって発動するものという考え方があるが故に、魔法の自由度が下がっているんじゃないかと、ふと思った。
人間、楽に慣れちゃ駄目になる。文明が進みすぎると、人類は堕落するのである。
そしてもうひとつ。私がハセガワキラリと同じ魔法が使えた理由。
「私はずっと、キラリ様って呼ばれて生活してきました。ここに来て数ヶ月、私はハセガワキラリっていう人だと認識されていました。だからきっと私は、この世界にとってハセガワキラリなんですよ」
私は、長谷川きらりという意識でここに居た。
長谷川
どんな字を書くのか知らなかったから、勝手にそう定義づけたもう一人の聖女。
長谷川輝光も、長谷川きらりも、等しく「ハセガワキラリ」だ。
これはきっと漢字文化のない人には意味がわからない理屈だ。いや、わかっていても屁理屈だと考えるだろう。
だけど、屁理屈上等。
ここは思考力がものをいう世界だ。
つまり、考えたもん勝ちだ。
「ハセガワキラリの偽者だとしても、私の名前を知らないかぎり、私はハセガワキラリのままのはずです」
「テオルドがお嬢さんの名を偽っていたのは、それを見越していたのか?」
「え、それどういう意味ですか」
そこんとこ詳しく。
「お嬢さんの名前、正しくはフミノというんだろう? だが、テオルドはわざと名を伏せた。名が漏れて、君が誰かに操られる可能性を避けたんだと思っていたんだが」
聞き間違えたわけじゃなかったらしい。耳遠いのか、とか言っててほんとすんませんでした。
確かに、名前が分かっていれば、呪術の対象にもなるだろう。その辺りは日本でも同じだ。魔法のある世界だと、本当に呪われそうで恐い。
「お嬢さんが召喚された原因が、別の誰かの手によるものだとしたら、名前が知れれば存在が露見する。だからテオルドは別の名を与えたそうだ。その辺りの事情はローガンと俺しか知らん。にもかかわらず、何故か知ってる奴もいるようだが。なあ、ランフェン」
ヘンドリックさんがギロリと甥を睨む。
恐い。めっちゃ恐い。
一体何が問題なのかというと、要するに三人しか知らない情報を何故おまえが知っているのか、ということで。その理由はといえば、身バレ防止の為にウミト呼びだったことに考えが及ばず、私が本名を名乗ったことであって、決してランフェンさんが情報を探ったわけではないし、機密漏洩したわけでもない。
「すみません、私が名乗ったんです。そんな理由があるなんて知らなかったから。ですから、ランフェンさんは無実です」
床に座っていたら土下座してる勢いで頭を下げ、私はそう叫んだ。
「あの、なので、悪いのは考えが足りない私であってですね、お叱りもお怒りも私がお受けします」
「初めに名を訊いたのは俺だ。君はそれに答えただけだろ」
「いや、そうはそうなんだけど、もっと違う、適当な名前でっちあげておけば良かったんですよ」
こちらの世界の標準的な名前が分からないから、何も思い浮かばなかった気もするけど。
「二人とも、落ち着きなさいな。兄さんだって本気で怒ってるわけじゃないわよ。ただ、不思議に思ってるだけで」
メルエッタさんが仲裁に入ったおかげで、ひとまず場が落ち着く。そしてヘンドリックさんの無言の圧力を受け、ランフェンさんは溜息を吐いた。握り込んだままの魔石を通し、声が届く。
『事情を話しても構わないか?』
『アレを作ったのはランフェンさんなんだから、私の許可なんていらないですよ』
『だが、君は母にも秘密にしてたんだろう?』
確かにそうだ。私はあの事を話そうとも思わなかった。魔法陣の存在を告げることで、せっかく得られた不思議な交流を絶たれることを恐れたからだ。
『……いいですよ。そこについては、謝ります』
私の了承を得ると、ランフェンさんは小さく息を吐いて、ヘンドリックさんに説明を始めた。
離れた場所に声を届ける手段を新たに模索し、作成した魔法陣がたまたま繋がった先に居たのが私だったこと。魔法陣の通信先を固定させる為、その時に名前を訊ねた。
相手が聖女だとは思わず、魔法陣の機能を確認する作業を続けていたこと。通信相手が私だと知ったのは、この家に連れてきた後であること。
黙って聞いていたヘンドリックさんだったが、名前の件については納得したらしい。それよりも魔法陣の方が気になるらしく、話し合いはそっちの話題へ移行した。
話を聞くかぎり、今まであった手段というのは、そういう小部屋があって、同じ用途の部屋のみとやり取りが出来るような形態らしい。通信室というか、管制室というか。そんな感じだろう。
ランフェンさんが今回作り出したのは、場所を限定しないものだ。魔法陣の展開場所は好きに決められるので、各部屋、もしくは各エリアに配置することで、有事の際には迅速な連絡が可能となる。
王宮警護の責任者であるヘンドリックさんの喰い付きはすごかった。魔法陣の専門的な会話は私にはさっぱりだけど、興奮する理由はなんとなくわかる。
例えるならば、電話かな。
昔、固定電話は限定的な場所にしかなかったけれど、各家庭に置かれるようになった。そして今や、固定電話を置かずに携帯電話だけで済む世の中になっている。ランフェンさんが作った魔石は、そんな変遷を彷彿とさせた。
「ランフェンは、そんな事をしていたのね」
「意外なんですか? もっと色々やってるのかと思ってました」
男二人の会話から外れて、私はメルエッタさんと場所を移動して座ることにした。すでに、私の名前が露見した事は些末な問題となっていて、魔法陣をいかに実用化させるかの方に集中しているからだ。
「最初は魔法管理局の人なのかと思ってたんですけど、テオルドさんの息子ってわかって、納得しました」
「あの子、剣の腕を磨くことの方にばっかり意識が向いてると思ってたわ」
それはあれじゃないだろうか。
反抗期、思春期。素直になれないお年頃。
「でも、そう。知らないところで、魔法の勉強はずっと続けてたのね」
そうやってメルエッタさんは嬉しそうに微笑んだ。
女神すぎて目が眩んだが、思い出して私は謝罪を口にした。
「すみませんでした。魔法陣の事、ずっと黙ってて……」
「謝ってくれなくてもよろしいんですよ、ウミトさん――、じゃなくて、フミノさん、だったかしら」
「――はい。小林文乃です」
「コバヤシフミノさん。ごめんなさいね、ずっと別の名前をお呼びして」
「訂正しなかったのは私ですし、結果的に良かったんだと思います」
私という存在の名前が混在していることで、ハセガワキラリとしても認識されているのだから、結果オーライだろう。
これはある意味、チャンスだ。
「ちゃんす?」
「えーと、好機です。ハセガワキラリが命じた魔法を、もう一人のハセガワキラリである私が打ち消すことも可能かもしれないってことです」
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