19. 長谷川きらりの事情

 姿見がないので背中における怪我の程度がわからない。

 メルエッタさんの顔色から察するに、腕や足と大差ない感じなんだろう。そういえば踏みつけられた記憶もある。足型とかついてたらどうしよう。

 新しい服を手渡され、介助されながら着替えを済ませる。

 男物でごめんなさいねと言われたけれど、普段からスカートをあまり穿かないので、ズボンはむしろ楽だった。

 メルエッタさんが戻ってきたのは、昼食時間になったからだとか。もう貴人でもなんでもないので、お給仕の必要はないと思うんだけど、律儀だなぁと感心する。

 この家は平屋建てだ。階段がないということに、この時ばかりは感謝する。

 壁に手を這わせながら、そろりそろりと歩く私をメルエッタさんが支えてくれ、一番最初に話をしたリビングに辿り着く。すでに着席していたランフェンさんの表情が、私を見て固まった。そのまま視線が横にすべり、母親に何か言いたげな眼差しを向けている。

「仕方ないでしょう。新しく女性の服を用意するのは難しいのよ、今の状況では」

「それはわかっている」

「いいじゃない。有効活用よ」

「何の話ですか?」

 着ている服にまつわる何かだということはわかったけれど、そんないわくつきの服なんだろうか、これ。

「貴女に着てもらったのは、ランフェンが昔着ていた服なのよ」

「そうなんですか。それはまた、なんかすみません」

「君が謝ることはない。母が悪い」

「気にしなくていいんですよ、あれは照れてるだけなんですから」

「いい加減にしてくれないか」

 お母さん。息子さん困ってるんで勘弁してあげてください。

 だけど、こういう姿を見るのはなんだか楽しい。まあ、本人は嬉しくないだろうけど。

 昔読んでいた本を大事に取ってあったり、服だって捨てずに置いていたり。母親の愛を感じて、心がほっこりする。

「ヒラヒラした服よりこっちの方が動きやすいので、私は男物でいいですよ。女物は不審がられるかもしれませんが、男物なら大丈夫ですよね」

 助け舟のつもりで言ってみて、悪くない考えだと思う。

「むしろ男装すればいいんじゃないですかね。少しは捜索の撹乱かくらんになりませんか?」

「何を言っている」

「ずっとこの家に隠れているわけにはいきませんよね。長谷川輝光きらりが何を求めているのか、それによって私への対処も変わってくると思うんです」

 絵空事のような事を語っていた彼女が、今何をしているのか。どんな未来へ向けて行動しようとしているのか。そこに私という「悪」を介入させるつもりがまだあるのか。

 こうして外に保護され、召喚術を行うテオルドさんが味方陣営にいることが確定している今、長谷川輝光が干渉さえしてこなければ、私は無関係といえば無関係だ。

 でも、あの子はドラマチックな展開を求めるあまり、ここに生きている人をないがしろにしている。彼女にとって周囲の人間は「物語の登場人物」なのかもしれないけれど、私にとってはそうじゃない。

 私は、私を助けてくれた、この優しい人たちを助けたいのだ。

「……確かに事態を収めるためには君の協力は不可欠だ」

「当事者ですしね」

「だが、無理はしてほしくない」

「それなら、男装というのは悪くない手かもしれないわね」

 メルエッタさんが呟いた。

「男の子なら、ランフェンが連れて歩いていても、問題ないでしょう?」

「普段ならともかく、今は時期が悪い。部外者の立ち入りが制限されている中、見慣れない者がいるのは目立つだろう」

「侍女に紛れ込ませるとしても、ずっと傍に付いているわけにはいかないもの。そっちはそっちで危険だわ」

「あー、なんか毒仕込まれたとかなんとか言ってたような……」

「毒!?」

 しまった。うっかり口が余計なことを。

「どういうことだ。食事に毒が盛られていたのか」

「そういう報告があったのは確かね」

「何故そんなことが」

「まあ……女の敵は女ってことですよ」

 だからといって、毒を混入するとか、普通やらないけど。

「顔のわりに、大人びたことを言うお嬢さんだな」

 割り込んだ新たな声に、三人揃って顔を向けた。

 入口を塞ぐようにして、年配の男が立っていた。

 限りなく白に近い髪を短く刈り込んでいる、とても大きな人だ。威圧感が半端ない。

「兄さん、どうしてここに」

「様子を見に来たら、随分と厳重な守護を敷いてるじゃないか。気になるだろう」

 メルエッタさんのお兄さん?

 というと、アレか。すごい騎士だったっていう、ランフェンさん憧れの伯父。

 っていうか、ここの家系は「こっそり寄ってきていきなり声をかける」のが得意なのか?

 意表をつかれて茫然としている私をよそに、メルエッタさんが兄を招き入れ、食事の有無を問いかけている。頷き返したことで、中断していた準備が再開された。手伝おうとするも手で制されたので、仕方なく私は着席するが、斜め前に座る大柄な人に威圧されっぱなしである。

 初対面の相手に自己紹介をすべきところだろうが、私の立場はこれ以上ないぐらい微妙だ。自分から発言しない方がいいだろう思って沈黙を保っている間に、テーブルには食事が並べられる。

 食べながらする話題でもないだろうということで、気まずい昼食が済んだ後で、一同はリビングの長椅子へ移動。私の正面側にお兄さんがどっしり腰を下ろし、メルエッタさんが隣に座る。その為、ランフェンさんは私の隣だ。

 緊張のあまり身体が強張る。

 ぎゅっと拳を握っていると、ランフェンさんがこっそりと何かを押しつけてきた。つるりとした触り心地の石――あの通信用魔石だ。

『大丈夫だ』

 石を手にした途端、声が滑り込んでくる。

『あの人は敵にはならない』

『でもあの、めっちゃ恐いんですけど』

『――それは否定しない』

 しないのかよ。

 思わず隣を見てしまう。澄ました顔が恨めしい。

 するとそのタイミングで恐いおじさんが口を開き、彼の澄まし顔は崩れ去った。

「で、もう結婚の証明は出したのか?」

「どこからそういう発想になるんですか」

「だっておまえ、メルエッタが随分馴染んでいるようだし、この時期に家に泊めて大事に護ってる相手といえば、ついに嫁さんが見つかったと思うのが普通だろう」

 メルエッタさんは一瞬驚いたものの、ランフェンさんの態度が面白いのか笑って見守っている。

 お母さん、楽しんでますね。

「あの違うんです、ランフェンさんもメルエッタさんも、単に私を助けてくれただけで――」

 つい口を挟んでしまったけれど、ここで私が「キラリ様を騙ったと言われている人物は私です」と暴露していいんだろうか。罪人を匿っていると盛大に自爆することになってしまうじゃないか。

(ハハハハ、実は私がこの事件の黒幕だ! とかって言って逃げれば、この家の人達も騙されてたーってことで助かるかな。今更罪状が増えたところで誰も気にしないっていうか、きっと誰も疑わない。――うん。やっぱり駄目やと思う。もういっそ捕まって、あの子に会えば、何か別の方法で事を収めるように出来んかな。捕まって……)

 そうしてまた同じようなことが起きたらどうしよう。

(もし、また、あんな風に、人知れず始末されるような、そういう事態になったとしたら)

 思考が勝手に爆走しはじめる。あの時の恐怖がよみがえって身体が震える。だけど、

(この優しい人達まで罪人にしたらあかん――)

「君はどうしてそうなんだ! 勝手に決めるな!」

 ものすごい勢いで怒鳴られて我に返る。全部ダダ漏れで、隣の人に伝わってしまったらしい。

 だが正面の二人にはなんのこっちゃわからないだろう。

 言い訳を考える私に、お兄さんは大きく息をいた。

「わかった。悪かったよ。ちょっと見極めたかっただけで、おまえさんを追い込むつもりはなかったんだ」

「どういう意味ですか?」

「おまえさんが聖女の代役をやってた異界の女の子だろ?」

「――知ってたんですか?」

「兄は王宮警護の責任者なのよ」

「ローガンが隠居させてくれなくてな」

 王宮警護の責任者で、国王を呼び捨てに出来る人。この家系、恐すぎる。

「最初にテオルドから連絡を受けて、ローガンと三人で処遇を決めた。おまえさんは知らないと言っていたようだが、聖女の魔法がかかっていたからな。全くの無関係だとは思えなかったんだ」

「魔法がかかってた?」

「幻術の一種だろうと、テオルドは言っていた。おまえさんの姿を歪ませるというより、見る者の思考を歪ませるんだ」

「貴女の姿はそのままで、聖女として見ている人達には、貴方の姿が聖女に見える。そういうことらしいわね」

 つまり、認識阻害ということか。

 私の見た目が聖女に似ているんじゃない。

 私が聖女だと思って見るから、聖女の姿に見えるだけ。

 変化の術とかじゃなくて、人間の意識に干渉する系だったとは。たしかに危険な魔法である。

「っていうか、最初っから全部わかってて、私は泳がされてたわけですか」

「泳ぐ?」

「泳ぐというか踊るというか。要するに囮です」

「なるほど。異界にもそういうやり方があるんだな。そうだ、間違っていない。聖女が何を仕掛け、何をもたらそうとしているのか。聖女の目的を知る為に、おまえさんには聖女として過ごしてもらった」

 おかげで本物の聖女・ハセガワキラリが出てきた。

 そう結論づけた男に私は脱力する。

 なんだ、それ。なんで説明をしてくれなかったんだ。

「何故それを彼女に告げなかった」

 隣でランフェンさんが唸る。

 ここ最近は聞いていなかった、怒りと嫌悪に満ちた声だ。

「知っていれば行動に表れるだろう。それでは意味がない。それに、己に聖女の魔法がかかり、聖女自身と周囲に認識させることが可能だと知れば、自身の存在を好きに使える。自分が本物として生きることすら可能だろう。そうなる可能性は排除すべきだ。あくまでも自分は身代わりであると自覚しておいてもらわないと困る」

「フミノが立場を悪用するような人間だと思うのか! そのことでどれだけ悩み傷ついたと。何の落ち度もないのに牢に囚われ、暴力を受ける謂れはないはずだ」

「どのような人間かなどと、最初からわかるはずがないだろう。見極めが必要だ」

「だとしても遅すぎる、もっと早く――」

 ヒートアップしていくランフェンさんを諌めたのはメルエッタさんだった。

「少し落ち着きなさい、貴方らしくもない」

「母さんはどこまで知ってたんだ」

「私が知ったのは途中からよ。だから了解を取って、貴方にも話した。ウミトさんのお世話をして、ずっと傍に居たのは私よ? 聖女になりかわろうなんて、そんな風に考える子じゃないのはわかってる。最初から知っていたら、もっと前に本人にも事情を話すべきだと進言したわ」

「言っとくが、テオルドは反対したぞ。アイツは本人にも話しておいた方がいいと言ったが、俺が却下した」

 ランフェンさんが怒ったことで、私の中にあったいきどおりは収まってしまったような気がする。

 客観的に考えると、お兄さんの考えは決して間違いじゃないだろう。上の立場にある人間としては、そう簡単に信用も出来ないんだろうとも思うし。

「悪かったな、お嬢さん」

「いえ。理由がわかって納得しました。ただ、頭ではわかったんですけど、心の底ではきっとちゃんと受け止めてはないと思います。すみません」

「君が謝る必要はない」

「そうだ。あんたは怒っていいんだよ。その権利がある」

「あの、でも、私の代わりにランフェンさんが色々言ってくれたし……」

 私以上に怒っていた気がする。

 ボロボロと弱音を吐いてしまっているので、この人はそれを知っているからこそ怒りを感じているのだろう。

「そうだな。あんな風に怒るのは初めてみたな。おかげでよくわかった」

「何がわかったって?」

「おまえが、このお嬢さんを大事に思ってるってことがだよ」

「あら、やっぱりそうなの?」

「……なんでそうなる」

 完全に遊ばれてるな、これ。

 脱力して頭を抱えたランフェンさんを見ながら、私は傍観者に徹しようと心に決めた。



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