17. 長谷川きらりの微熱

 さあ、いざ反撃開始だ。

 物語ならきっとそうなるんだろうが、現実は世知辛い。助け出された翌日から、私は寝込んでいた。

 身体中、痣だらけだし、あまりに寒すぎたせいなのか数年ぶりに高熱が出た――と思う。

 この世界に体温計なんてないからわからないけど、身体が発光してるんじゃないかと思うこの熱量。頭にやかんを乗せて湯を湧かすギャグが、今なら出来そう。やらないけど。

 他人の家にお邪魔した途端にこのていたらく。なんとも情けない限りだ。

 日中は誰も居ない。

 ラン隊長は仕事だし、メルエッタさんも特定の世話役には就いていないものの仕事がある。侍女達をまとめる侍女頭――メイド長のような立場にあるらしいと聞いて、この家族ぱねぇとひそかに感動してしまった。親子三人とも「長」の付く立場にあるとか、ハイスペックすぎだろ。

 そんなわけで、日本では事務系一般職の小林文乃は、一人侘しくベッドにいるというわけである。



 私にあてがわれたのは、ベッドとタンスで部屋が埋まる三畳程度の部屋。こじんまりとしていて、王宮で過ごした聖女様の私室よりずっと落ち着く。一応窓も付いているが、用心の為にカーテンを引いて目隠しをしている状態だ。

 玄関を含めて出入り口は全て施錠してあり、誰かが訪ねてくることはないだろうというが、家の中をうろつくのも失礼だし、そもそも動けるほどの元気もないので、おとなしく部屋で寝転がっている。うん、自堕落だ。

 起き上がって、本を手に取った。

 メルエッタさんが持ってきてくれた挿絵付きの物語には、小林式文字一覧表が添えられている。部屋を掃除する際に、こっそり持ち出してくれたらしい。

 ありがたい。これがないとまだきちんと読める自信がないのだ。

 長谷川輝光きらりが語ったところによると、文字が読めた方が便利じゃんという気持ちで見れば問題ないようだが、私の意識はすでに「読めない文字」としてインプットされているせいか、変わることはなさそうだった。

 一度そうだと認識したことを改めるのはとても難しい。まあ、気合いが足りないだけかもしれないけど、少しずつ読み解く楽しさを知ったことも大きいのだと、私は思う。

 文字を追おうとしても、単語が意味を持って頭に入ってこない。

 これは駄目だ。ただ文字だけを追っても物語として理解できなければ、楽しめない。読む意味がない。

 手に取ったままの本。なんとなく装丁だけを検分する。そこそこ年代物っぽいので、ひょっとしたらこれも子供時代のラン隊長が読んだ一冊かもしれない。

(しかし、親子とは思わんかったな)

 想定外だった理由として、名字違うじゃんっていうのがあるんだけど、この国の名字は階級によって変化していくのだ。テオルドさんとメルエッタさんが同じだったから、てっきり家族は一緒だと思っていたのだけれど、必ずしもそうとは限らないらしい。

 婚姻によって姓を一方に合わせるも良し、別姓で通すも良し。それは当人同士に任されている。

 別姓を選択した場合、生まれた子供は、両親どちらの元姓を継いでも良いので、かなり自由な環境だ。

 メルエッタさんが結婚した頃は別姓を選択する人も少なく、夫側に合わせるのが一般的。

 だが、彼女自身もめきめきと名を上げて、最終的に夫婦ともに一文字を名乗っている。美人な上にバリキャリとか、カッコいいなぁメルエッタさん。


 アヴナスというのが、テオルドさんの家名だ。

 ラン隊長は、アヴ・ランフェンから名を上げる際に、ヴではなくアを選択し、両親とは名を分けた形になったという。

 アという名前は、メルエッタさんのお兄さんが名乗っているものと同じで、近衛騎士の第一師団隊長を務めた、かなり高名な騎士。最終的には騎士団の団長にまで上りつめたという。

 そんな伯父に憧れていた青年は、騎士としての道を進むことを決めた。

 テオルドさんの家は魔法を扱う名家だったので、一人息子にもその期待は当然かかっていただろう。

 けれど、息子は騎士になった。

 そのことで親子の間がギクシャクしており、母親としては難しい立ち位置にいるようだ。

 テオルドさん自身は息子の選択を決して拒んではいない。むしろ応援している。だが、息子の方には遠慮がみられる。

 だから先日、テオルドさんにもわからないことがあるのかとラン隊長が言っていたことを私から聞いて、すごく嬉しかったらしい。

 なるほど、あの輝く笑顔はそのせいだったのか。

(そういや、守護騎士には敬称をつけるのに、ラン隊長は呼び捨てだったなぁ)

 気づく要素は幾つかあったようだ。

 全然まったく気に留めてなかったけど。




 ガタガタと窓が音を立てる。風が強くなってきたのかもしれない。

 けれど不思議なことに隙間風が入ってくることはなく、部屋は快適温度に保たれている。

 この部屋には暖炉のような設備は存在しないし、勿論エアコンなんて機械もあるはずがない。

 にも関わらず、保温されているこの部屋。この暖気はどこから来てるんだろう?

 暇になってきた私は、小さな部屋を調べてみる。

「暖房魔法みたいなんがあるんかなぁ。外壁にも秘密があったりするんかも。断熱ボードとかあるんかな。あ、床がぬくい。なにこれ、床暖房? 電気やないよね。これも魔力で稼働しとんかな? すごいなぁ、なんでもありやな魔法って。ってことは、どっかに暖房の魔法陣があるってことよね。どこにあるんやろ。読めるかなぁ。どういう風に書けばこういう効果が得られるんか分かれば、日常的な便利魔法とか、わりとやりたい放題し放題っていうか、楽しそうやん」

 例えば、なんだろう。

「あ、通信魔法陣。あれはもう携帯電話的なもんにしてしまえばええんちゃうかな。メールとかさ。ああ、でもあれって頭ん中にダイレクトに聞こえてきたから、文章を送る意味ってあんまりないか。じゃあ、写メ的な感じで映像が送れたら便利になるんやないかな。犯人の映像とかこっそり撮って証拠確保ーみたいなこともできるやん」

 長谷川輝光が映像を投影していたことを考えると、やってやれなくはない技術ではなかろうか。

 夢が広がる。なんだか楽しくなってきた。

 ただの現実逃避な気もするけど、どうせ一人だ。妄想するのは勝手である。

「――君は……」

「はいぃ!?」

 いつの間にか家主がそこに居た。

 まずい。このくだらない独り言、丸聞こえ?

「……あの、いつからここに……」

「暖房の魔法陣がどうのという言葉が聞こえた頃だ」

 わりと最初じゃねえか。

「――声ぐらいかけてくださいよ。馬鹿丸出しで恥ずかしいじゃないですか」

「確かめたいことがあった。だからしばらく君の言葉を聞いていた。盗み聞きのような真似をして悪かった」

「確かめたいこと?」

 問い返すとラン隊長は、言葉を探すように少し沈黙し、迷いながらこちらに問い返した。

「……君は、どこから来た?」

「どこからって……」

「昨日、君が囚われていた牢の床にこれが落ちていた」

 手渡されたのは、紙に包まれた魔石。

 あの時、私に温もりを与えてくれた、ヴランさんとの通信魔石だ。

「中を見て驚いた。だからなんとか時間を作って帰ってきた。そうしたら声が聞こえた。母は王宮だ、家には誰もいるはずがない。部外者が立ち入ればわかるようにしてあるが、用心の為に隠れて近づいた。聞こえる声は大きくなって、内容も聞き取れるようになってくる」

 ラン隊長がこんなに長文を喋るのは初めてだ。

 手の中の魔石が熱を帯びる。

「君の話し方はとても独特で、王都では耳にしない。だが――俺には耳慣れた声だった」

 一拍置いて、慎重に口を開く。

「――フミノ」

 囁くような声に息を呑んだ。

 ぐっと呼吸が詰まって、心臓が縮む。

「君が、フミノなのか?」

「……ヴラン、さん?」

 真剣な眼差しが私を見据える。

 熱い。

 顔に、頭に熱が集中していく。

 フミノという呼び声が頭の中をぐるぐる駆け巡り、私は床にへたりこんだ。

「大丈夫か?」

「あの、はい、いや、なんていうか」

 フミノはこんらんしている。

 そんな言い回しが浮かんできた。よし、大丈夫、私は冷静だ。

 違う。現実逃避だよこれ。

 二人のフミノが脳内で喧嘩する。

「まだ熱があるのだろう。横になっていた方がいい」

「そうですね、なんか熱が上がったような気がします……」

 のろのろと立ち上がり、すぐ近くのベッドに這い上がる。頬を撫でるシーツが少しだけ冷たく感じた。

 ああ、もう動きたくない。

 そうして突っ伏したまま動かない私に声がかかる。

「本来なら医者にせるべきなのだろうが、今の状況で君の存在をさらすわけにはいかない」

「わかってます」

「すまない」

「謝ることじゃないって、昨日から何度も言ったような気がするんですが」

「そうだったか」

「そうですよ。謝らなければならないのは、むしろ私です。迷惑ばっかかけて、なんなんでしょうね私。ほんと、馬鹿みたい」

「母が言っていた。君はいつも他者に対して低姿勢だと」

「そういう性分なんです」

 顔を上げず声だけで会話をしていると、ラン隊長がヴランさんだということが、ゆっくりと心に浸透してくる。

 どうして気づかなかったのか。彼の声はこんなにもあの人そのものだ。

(先入観ってほんと恐い)

 さすがに息苦しくなってきて、私は身体を起こして声の主の顔を見る。

 起き上がった私に、ラン隊長――ヴランさんは、濡れたタオルを差し出した。

 受け取って顔を拭く。冷たくて気持ちいい。おかげで少しだけ思考が落ち着いた。

「フミノ……」

「……はい」

 言葉が続かない。

 こういう時は、心のままに繋がれば楽なのになぁと考えた時、魔法陣の存在を思い出した。

「魔法陣、どこにあるんですか? ひょっとしてこの家にあるんですか?」

「いや、家に居るより宿舎の部屋で寝泊まりする方が多いから、君と話をしていたのは、そこだ」

「宿舎にも寝られる部屋あるんですね」

「近衛騎士は基本あそこで生活している。外に家を下賜されても、宿舎に居た方が仕事上やり易いんだ。独り身だと、こちらの家にわざわざ帰るのも面倒でな」

「近衛騎士って結構人数いますよね。宿舎ってめちゃくちゃ広そう。遠くからしか見たことないんですよね、近づけなかったし」

「五年前の聖女は、よく来ていたぞ」

「あー、あの子。守護騎士を探してたんだっけ」

「知ってるのか?」

「部屋に、あの子が書いた日記があったんですよ、そこに色々書いてあって――」

「日記?」

「あ、内緒。内緒にしといてくださいよ。私メルエッタさんにも言ってないんだから」

「心得た」

 慌てて付け加えると、小さく笑われた。

 ああ、やっぱりこの人はヴランさんだ。

 ヴランさん――と呼びかけようとして、言い留まる。それは結局偽名だったわけで、本名を知っている今、その名を使うのもおかしな話だろう。考えて、ちょっと躊躇ためらったけど、口に出す。

「あの、ランフェンさん」

 驚いた顔で私を見た後、視線を彷徨わせる。動揺させたらしい。

「ヴランって名前で呼ぶのもどうかと思ったんですけど、あの、嫌なら止めますから」

「嫌なわけじゃない。騎士になったのは成人前だか、その頃から同僚達にはランと呼ばれていた」

「ああ、それでラン隊長ってみんな呼ぶんですね」

「ランフェンと呼ぶのは、幼少からの知り合いか、親族ぐらいだ」

 それは確かに気まずいな。

「じゃあ、やっぱり――」

 ラン隊長に戻そうか。

 続けようとした言葉は遮られる。

「構わない。君がフミノと分かった今、隊長と呼ばれるのは居心地が悪い気がする。たぶん俺は、君と話をしている間は、第四師団の隊長ではなく、ただの一人の男だった。なんの肩書きもない一人の人間として、君と話す時間が楽しかった」

「……私もです。あの時だけ、私は文乃に戻れる。こっちの世界に来て、誰も私を知らなくて、聖女だキラリ様だって言われる生活で、自分が誰なのかわかんなくなってて。そんな時、ヴランさんだけが私をフミノって本当の名前で呼んでくれた。だから私は自分を無くさずに済んだんです」

 私にとっては「異世界人」という壁。ヴランさんにとっては「隊長」という役職。

 お互い、偏見のない状態で、対等でいられた時間がり所だった。

「ありがとうございます。私、ずっとずっと感謝してたんです。でも意味なくお礼言うのも変だから言えないし。本物が見つかった話が出てからは、部屋の魔法陣が使えなくなったらどうしようってそればっかり考えて。だからこうして簡易の魔石の作り方を聞いて、良かったって思って。そうしたら、私がこの世界から消えることになっても、最後にお礼が言えるから……」

 言っているうちにまた熱が上がってきたのか、顔が熱くなってくる。

 涙が出るのは何故だろう。

「牢屋に居る時も、助けられたんです、これに。寒くて寒くてどうしようもなかったけど、これすごくあったかかった。カイロみたいだった。あの変な男が寄ってきた時もそうです。幻聴が聞こえたんです。末期症状。駄目なのに、きっとずっと心の中で呼んでて、聞こえるはずないのに呼んでて――」

 流れ出した言葉が止まらない。

 顔を伏せ、呪文のように呟きつづけていると、掛けられた柔らかいシーツによって視界が遮られた。

 身体が引き寄せられ、何かに顔が押し付けられる。

「……フミノ」

 かけられた声は、頭を覆ったシーツの中で反響し、いつも聞いている声と同じように、頭の中に直接響いてくる。ただ違うのは、布越しに伝わる体温と背中に感じる大きな手の感触。

 熱が籠ってさらに顔が熱くなる。

 熱だ。すべて熱のせいだ。

 こんなに心が弱るのも、どうしようもなく力が抜けるのも。

「――……った」

 閉じ込めていた言葉が零れる。

「……怖かった。怖かった怖かった」

 口に出してしまったことで恐怖心が煽られ、震え出した身体を抑えるように、より強く抱き寄せられる。目の前のそこに縋りつくようにシーツを握りしめ、私は言葉を吐き出し続ける。

 熱で飽和した頭は制御を失い、怖い、もう嫌だと、私はみっともなくそれだけを繰り返して、泣き続けた。


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