15. 長谷川きらりの後悔
どうしてこうなった。
壁際に座り込み、私は考える。
考えたところで答えは出ないのだけれど、他にすることがない。
セオリー通りなら、ここは地下室だろうか。じめじめとした澱んだ空気、明るさの欠片もない部屋。私の未来は
聖女を騙ったと罵られた時は「勝手なこと言うなよ、押し付けたのそっちだろ」と、そう思った。
だけど、最終的に受け入れたのは自分だ。本当に嫌だったら断固拒否すれば良かったのだ。国王様とテオルドさんが何と言おうと「そんなの無理です」と言い続ければ良かったのだ。そうすれば、もしかしたら別の手段を講じたかもしれない。
それをしなかったのは私だ。
記憶喪失だという設定にしてもそうだ。
話が違う、ちゃんと説明してくれと言い、守護騎士には最初の時点で全て打ち明けるべきだった。
彼らを落胆させるかもしれない。どうしておまえがここに居るんだと非難されるかもしれない。キラリ様をどこへやったと詰め寄られるかもしれない。
けれど、彼らを騙すことにはならなかったはずだ。彼らの心を傷つけることにはならなかったはずだ。
全て、私の選択が招いた結果だった。
非難されても仕方ない。事なかれ主義の、流されやすい私の駄目な所がこの結果を生んだのだ。
(ほんま、どうしようもないアホや私)
涙が浮かぶが、私に泣く資格なんてない。人を
連れてこられてどれぐらい時間が経っただろうか。腕時計は部屋にあるので、今がいつなのかも不明だ。ここは静かで時の鐘も聞こえない。窓もないので空も見えない。
座り込んでいると床から冷気が伝わって冷えるので、私はひらすら歩き回っている。毛布のひとつでも置いておけよ。それとも、その程度の情けすらかけてもらえないということなのだろうか。
「どうなるんやろ。この国の司法ってどんな感じなんかな。裁判とかするんやろか。あの感じやと死刑とか言いそう、特にあのスルメ」
守護騎士達の冷めた態度を思い出す。
しかしあれは見事な手の平返しだった。華麗なる反転だった。
そういえば、この世界に来たばかりの時、見下ろした手を見つめて同じことを考えたことを思い出す。
「……伏線かいな」
もしくは言霊か。
「あなたも何か伏線張ってたの?」
足音もなく急に声が聞こえて驚いて顔を向けると、鉄格子の向こう側に一人の女の子が立っている。茶髪の巻き髪が背後からの光源に照らされてキラキラ光っている。
「長谷川
「そうだよ」
ここ寒いねーとのんきに辺りを見回しているのは、長谷川輝光だった。
どうして彼女がここにいるんだろう。しかも護衛もなく一人で。
「色々訊いときたいことあるのに連れてっちゃうんだもん、しょーがないからあたしが来たの」
「訊きたいこと?」
「そう。えーと、あなたはどこの誰さん?」
「小林文乃です」
「小林さんね。りょーかい。んでさ、こっち来てからどんな感じだった?」
「どんなって言われても……」
「んー、守護騎士に囲まれてお姫様気分味わえた?」
あれはお姫様気分というのだろうか。過保護すぎてむしろ窮屈だったけど。
「せっかくあたしの守護騎士を貸してあげたのに、勿体ないなぁ。色々してもらえば良かったのに」
「意味なく奉仕されるのもちょっとどうかと。大体私は聖女キラリ様じゃないわけだし」
「でも、ちゃんとキラリ様として過ごせるようにしてあったでしょ?」
してあった?
まるでそう手配したかのような言い方に、私は眉を寄せる。すると、長谷川輝光は笑顔で言った。
「五年前にそういう風にしたの。次に来る時普通に来たんじゃあんま面白くないじゃん? お話の始まり方として、偽者が聖女として暮らしてるっていう風にしたら、盛り上がるかなーって思ったの。本物は違う場所に召喚されちゃって、そこで新しいナイトに守られながらティアドールに戻って、偽物を捕まえるお話。前作のボスだった皇帝が実は死んでなくて、パワーアップして出てくるのを今度こそ倒す。そして、この国で幸せに暮らすの」
語尾にハートマークでも付いていそうな口調だった。
一体何を言っているのだろうか。まるで全て自分で決めたシナリオであるかのようなことを言うが、そんな馬鹿な事があるだろうか。
「あたしは
「……お願いって、一体誰に……」
「さあ、わかんないよそんなの。神様とか?」
「神様……?」
「いるって思えばいることになるんじゃないかなぁ。まーあたしは、聖女様がナンバーワンだと思うから、目に見える神様はいらないけどね。だから、小林さんのお話なら神様のいる世界にしてもいいけど、これはあたしのお話だから駄目だよ。小林さんは悪役なんだから」
「悪役……」
「そう。聖女様の偽者として現れてティアドールを皇帝に献上しようとしてたんだけど、間一髪であたしが戻ってきて駄目になっちゃうの。本当は皇帝に失敗作だって殺される予定だったんだけど、小林さんいい人っぽいし、それはちょっと可哀相かもだから、改心して味方になる展開でもいいよ」
どうしよう。この子、大丈夫なのかな。
彼女の言い分を本気で捉えるならば、私が召喚されたのは間違いではなく、彼女が意図して仕組んだことになる。
この世界は思考力が全てだというのは、さんざん聞かされていたが、だからといってこれは「ない」だろう。
例えば何かを実現させたい時、願いの強さで勝率や確率を上げることはあったとしても、世界そのものを揺るがすような事態にまで発展するだなんて、考えにくい。魔法がどうのという世界においてこういうのはなんだけど、非現実すぎると思う。
「ねー。どうする? あたしとしては、皇帝を復活させて、新しいナイト二人を加えた七人と、あと近衛騎士団も率いて、世界を救った女神として超有名になって、未来までずーっと語り継がれる展開に変更ないから、小林さんの好きな方でいいよ。あ、でも一度聖女様の偽者になってるから信用されるまでは時間かかると思うけど、そこは皆と同じようにキラリ様を崇めて――、そうだ、あたしがさ、王宮の中で攻撃されてさ、それを小林さんが庇うの! で、そこで仲間として認められるっていうの有りじゃない? 守護騎士は最後まで味方にはなんないと思うけど。彼らはあたしが一番だし、一度でも名前を騙ったら絶対許してくれないから」
姫に忠実なの。
ご満悦といった顔で長谷川輝光は笑っている。どこまで本当かはわからないけれど、少なくとも彼女自身はそれが真実であると信じているわけだ。
ならば、聞きだせばいい。
私が知りたいと思うこと全て。彼女はきっと何の疑問も抱かず答えてくれるだろう。
「――色々訊いてもいいかな。わからないことばっかりだから」
「いいよー。あたしの物語だから、語り部はあたしだよね。教えてあげる」
だらだら長くなるので割愛して要約する。
長谷川輝光がこの世界にやってきたのは、高校一年生の夏休みのことだった。
入学した高校生活はあまり順調とはいえず、家でゲームをするオタ生活を送っていた彼女は、コンビニに買い物に出た時に召喚されたという。
テオルドさんから聖女であるという話をされ、守護騎士を認定する辺りの話は、日記に書いてあった通りだ。あの記述よりさらに甘ったるく嬉しそうに話してくれたが、まあ要するに、イケメンに囲まれるハーレム状態のヒロインという立場になったことが、彼女の鬱屈とした精神を浄化したのだろう。
すっかり夢見るメルヘン思考というか、恋愛お花畑思考になった長谷川輝光は、ゲームをプレイする感覚で男達に話しかけ交流を図っていく。ポイントは小首を傾げてじっと見上げることだそうだ。
正直、そんなぶりっ子じみた行為は女子受けは悪いと思うんだけど、この世界の男共は籠絡されたらしい。
日記のラスト以降、旅路における行動もあまり大差はない。
それなりに告白を受けている状態なので、スキンシップ度は上がり、キスやハグは「挨拶みたいなかんじで」行っていたそうだ。恥ずかしいから二人っきりでね、という少女の囁きを丁寧に守った結果、長谷川輝光を巡って五人が争うことはなかったというが、本当だろうか。「あたしは皆の姫ってことで、平等に接してあげるんだけど、影でこっそり特別扱いしたげるのがコツだよ☆」と言われて、私は頭がクラクラした。若い子の思考が理解できない。
まあ、その辺りの甘ったるい話は聞き流して、私が知りたいのは彼女が仕掛けたという設定のことだ。
「よくわかんないんだけど、貴女は
「うん」
「じゃあさ、どうして元の世界に還ったの? その時点で誰かと恋人になって、この世界で暮らす選択もあったのに、どうしてわざわざ五年後に……」
「――だって、皆が言うんだもん」
「なにを?」
「大人になったら、って」
「はい?」
「だからね、カルメンとかルメールとかは特になんだけど、大人になったらって言って、最後までしないんだよ」
「――はぁ」
旅立ちの後、回数を重ねるごとにキスの濃度は上がったけれど、一線を越えることは決してなかったそうで、彼女はそれがとても不満だったんだそうだ。
えーと、十五歳だよね。
もうジェネレーションギャップが激しすぎて、どうしていいかわからない。
「だから大人になってから戻ってこようって思ったの。そしたらもう文句ないでしょ?」
大人。つまり二十歳になってから帰還し、今度こそ結ばれようと思ったんだそうだ。
でも成人年齢って、この世界は十六歳だったような気がする。だから一年待てば良かったんだと思うんだけど、彼女は日本人の感覚として、瞬間的に「二十歳」と思ってしまったんだろう。気持ちはわからなくもない。
「でね、五年の間に素敵なレディになろうって思って、戻ってから頑張ったんだよ。二学期になってから女磨きして、そしたら結構声かけられるようになってさ。でも守護騎士のこと知ってるから、周りの男の子ってすごい子供に見えてさー」
そこから始まったのは、長谷川輝光のモテ自慢というか、男性遍歴というか、まあそんな感じの話である。
曰く、最初の彼氏は街でナンパしてきた大学生で、最初のデートで部屋に連れ込まれて驚いて逃げて別れたらしい。それは付き合ったうちにカウントされるんだろうか。
次の相手もナンパされたことがキッカケで、前回の失敗を生かして部屋には行かず、外でのデートを繰り返したという。ただ、二ヶ月が過ぎてもキスもしない相手に焦れて、自分から別れを切り出したそうだ。ガツガツしててもしてなくても駄目とか、男は大変だな。
二番目の彼氏と並行する形で、三年生の先輩に声をかけられ交際スタート。受験勉強を理由に会ってくれなくなったので、こちらも自然消滅。その頃にはクリスマスシーズンとなり、友達と合コンに参加。なんでも「とりあえずクリスマスの時だけの臨時相手を探す」という目的らしく、男女共にそういう認識の下に開催される会合があるらしい。なにそれ恐い。
段々訊くのも面倒になってきたので飛ばすけど、そんな感じで臨時彼氏とデートしたり、二年生の先輩と付き合いつつ同級生とも仲良くしたりしているうちに進級。三年になると受験でないがしろにされることを学んだので、先輩とは縁を切って同級生と交際。子供っぽいのはヤだからたまには甘えさせて欲しいと思った彼女は、大学生を超えて社会人に食指を伸ばし始める。
そこで念願の「大人」になった時、十六歳だったというから驚きだ。一年でものすごい変わりようである。社会人の男は十六歳相手になにやってんだ。犯罪じゃねーか。
大学生や社会人の集まるサークルに入った彼女は、若さを武器にサークル内の姫の座を獲得し、守護騎士達に対してやっていたことを実践し、複数人の男性を手玉に取る生活を送っていたそうだ。
「彼氏が一人っていうのもいいけど、皆の姫になるのも楽しいよー。ちやほやしてくれるし、愛されてるーって実感はそっちの方が絶対にあるもん。二十歳になったらこっちに戻るの決めてたから、皆に優しくしたげたんだー」
サークルは二十数名ほどの物だったが、姫の扱いに際して意見が割れ、二分化。残った十名で姫を中心に据えた会が独立したという。さもありなん。
数か月遅れで高校デビューを果たした少女が、最終的にオタサーの姫になる。
その背景にあるのが、異世界での聖女生活とは。思春期に必要以上にちやほやされて勘違いしちゃったのは、ある意味可哀相なのかもしれないけれど、二十歳になるまでその思考から脱却できなかったのは、もう自己責任だと思う。
「経緯はわかった。それで、私が選ばれた理由って何?」
「知らなーい。誰でも良かったし」
「……言葉はわかっても文字が読めない理由は?」
「え? 文字読めないの、小林さん」
「長谷川さんはわかるの?」
「だって読めた方が便利じゃん」
「……もしかして、それも気合いでどうにかなる問題だったわけ?」
「さー、わかんないけど。ゲームでも漫画でも、そんな苦労してないじゃん」
目覚めてすぐ、異世界だなんて考えもしない状態だったから、言葉は私の知っている意味として変換された。けれど、ある程度の事情説明がされた後だから、文字は「異世界の文字」という認識の下に見たから、読めなかった。
そういうことなのだろうか。
だとしたら、なんか理不尽だ。深く考えない方が得とか、損した気がする。
いや、損得の問題じゃないんだけど。
「皆と一緒の時、設定に関わる話は日本語でするから、小林さんも日本語で話してね」
「日本語?」
「ほら、今は日本語でしゃべってるでしょ? なんかね、日本語しゃべると通じないみたいだよ」
「――いや、そんなの意識したことないんだけど」
「ぇえー? だってほら、こっちの世界の言葉って意味はわかるけど、ちゃんと違う世界の言葉だってわかるでしょ? 異世界語だーって思って聞いたら、ちゃんと区別できんだってば」
長谷川輝光の考える「設定」とやらでは、そういう風になっているらしい。文字情報に関しても似たような感じで受け取っているんだろうか。だとしたら非常に便利である。
考えといてねーと楽しそうに告げて長谷川輝光が去り、再び静寂に包まれる。冷気が増したように感じられて、ぶるりと身体を震わせた。冷えた指先が暖を求め首に触れると、脈打つ鼓動が頭に響いてくる。ドクンドクンと大きな音を立て、心臓が肥大したかのようだ。
(考えといてって言われても、どっちにしたってあの子にとって私なんて捨て駒やん。自分を良く演出する為の手段)
肩で大きく息をつく。心臓も痛いが胃も重い。ぐっと抑えた服の下で、手が何か固い物に触れる。
取り出したのは、紙に包まれた小さな石――、魔法陣を転写した魔石だ。持ち歩いているのを今の今まで忘れていた。
手の平に乗る程度の大きさで、不思議と軽い。表面がつるりとした、綺麗に研磨された物で、ひんやり冷たい石だったはずだが、紙に包まれたそれはわずかな温かさを持っている。マッチ売りの少女が、瞬間的な温かさのマッチに頼るような、そんな程度の儚い温もりだけど、今の私にはとてもありがたいものだった。
ぎゅっと握り込む。
この魔石が完成していたら、ヴランさんに繋がったかもしれない。
だけど、繋がったところで何になるだろう。助けを求める事が出来るわけでもない。彼は私を「王都に出てきたばかりの小さな島国の人間」だと思っているのだ。おそらく彼も居るであろう王宮の、冷たい牢に投獄されているとは夢にも思うまい。
それに、もしもこの騒ぎを知っているとすれば、私が国家転覆を企む偽聖女という認識になっているはず。誰がそんな人間を助けるというのだ。
それでも、伝わればいいと、たぶん私は願っている。
ただ、あの声が聞こえれば、それだけで私の心は温かくなるに違いない。
なんて弱い心だろう。
それにこれはエゴだ。自分の望みを押しつけて、向こうの都合をまるで考えていない。
遠くから足音と声がする。一人ではない、誰かが会話をする声だ。まさかもう決断を迫りにきたというのだろうか。幾らなんでも早すぎる。
焦る私の前に現れたのは、長谷川輝光でも守護騎士でもなく、私を床に引き倒したあの近衛騎士だった。
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