13. 長谷川きらりの危機

 さて、どんなもんだろうか。

 私は紙に書き写した魔法陣を壁のソレと照合する。

 光っている状態で紙を置いてトレスしたので、大筋では間違っていないはずである。ヴランさんとの通話テストも一応クリアしているけど、一応の最終チェックだ。

 ヴランさんが昨晩試したのは、魔法陣を魔石に埋め込んだ物らしい。製法を説明してくれたけど、いまいち理解できなかった。魔力を注いで云々言われても、魔力なんてものをこの世界で初めて知った私には扱い方法が微妙なのだ。

 その為、私でも出来そうな方法として教えられたのが魔法陣を魔石に転写する方法だった。

 紙に書いた魔法陣の上に魔石を置いて放置する。それだけである。ほら簡単。

 石を紙で包めば時間は速いが、練度が下がるという。質を求めるならば時間をかけよ――ということなんだろう。理屈は分かるが、簡易版として早く完成させたい気持ちが大きい私は、包む方向で行くことにしている。そして持ち歩く。卵を孵す鳥の気分だ。

 完成すれば、衣裳部屋から離れたとしても、ヴランさんへの連絡手段が確保できる。

 長谷川きらりが本当に居て、ティアドールへやって来たとしても、急に音信不通になる事態が避けられるだろう。そんな不義理はしたくない。

 そしていつか元の世界に戻る時が来たとしても、別れの挨拶ぐらいはしておきたい。故郷に帰ることになった、と。

 別れの理由として、おかしなことではないだろう。事実だし。

 ただ、故郷がこの世界にはないだけで――。



 王宮の一階エリアを歩いている時、侍女達がざわざわ騒いでいるところを見かけた。固まって騒いでいるとは、なんともかしましい。

 女三人寄ればという通り、女という字を三つ書くのだから、日本語というか、漢字は面白い。

 さて、そんな騒ぎの種は何なのかと見れば、彼女達の視線の先に居たのはテリア少年だ。彼もまた近衛騎士に混じり、臨時警備に当たっているはず。

 渡り廊下に一人佇む。

 降り注ぐ陽の光を浴びて金髪がキラキラと輝いている。

 聖堂か、ここは。つくづく美少年だな、あの子。

 彼は十代の少女には絶大な人気を誇っているのだろう。それがガチの気持ちなのか、単にアイドルに騒ぐ女子の気分なのかはわからないけど。

 今の状況でテリア少年に見つかり、あの輝く笑顔で「キラリ!」などと呼ばれてみろ。私はたちまち侍女達の視線で殺されるに違いない。ああ、恐ろしや。

 見つからないように退散し、反対方向へ進んでいると、今度はスタンさんと出くわした。相変わらずの遭遇率である。


「キラリ、ちょうど良かった」

「何か用事でしたか?」

「話があるんだ。一緒に来てくれないか?」

「はあ……」

 いつも生真面目だけど、今日の彼はどこか違う。何かを決意したような、緊張を孕んだ空気をまとっている。

 なんだろう? 何か大変なことでも起こったのだろうか。

 でも、だとしたら、それは私ではなく近衛騎士団の隊長達に告げるべきだろう。私は何かを決定できる立場にはないのだから。

 手を引かれ、王宮の外に出る。歩いたことのない道を通り、どんどんと裏手の方へ回っていく。木々が増え、森林と呼べるべきエリアへと足を進めていく。

 敷地内にこんな場所があったとは知らなかった。随分歩いた気がする。さすが王宮。敷地面積が膨大である。

 ぎゅっと握られた手首が段々痛くなってきた頃、前方が開けて明るくなった。眩しく感じたのは水面に反射する陽光。

 大きな湖がそこに広がっていた。

 湖?

 何かが頭に引っかかる。

 森の中にある湖、最近どこかでそんな場所を見聞きしたような……。ヴァディスさんに借りた例の騎士物語に、そんな場所が出てきたんだっけ?

 景色は綺麗だから、細かいことはまあいいか。

 しかし美しい景色に佇むイケメンは絵になる。

 テリア少年の宗教画めいた雰囲気とはまた違った美しさがそこにある。沈黙すら美に変化させるジグ・スタンは、寂しげな笑みを浮かべて言った。

「キラリ、この場所に、見覚えはあるか?」

「えっと……」

「……そうか」

 吐き出した息は苦しそうで、見ているこちらの罪悪感を煽る。きっとここは、長谷川きらりとの思い出の場所なんだろう。

 思い出の、場所?

 そして私は思い出した。そうだ。例の日記に、湖の傍で告白がどうのと書いてあったではないか。

 ――妄想じゃなかったのか。

 そんな事を考えていると、スタンさんは悩ましげに唇を噛み、そして私を見据えた。

「――キラリ」

 一歩、近づく。

 思わず下がりかけた私の腕を掴み、挑むように真っ直ぐな眼差しを向ける。はしばみ色の瞳に黒髪の私が映っていて息を呑んだ。

 考えてみれば彼はいつも真面目だった。常に真剣に向き合い、キラリを想い、キラリのことを考えていた。小林文乃ではない、ハセガワキラリのことを。

 まずった。これはもう限界だろう。この真摯な人を、これ以上騙していいわけがない。

「俺の気持ちは五年前と変わってない。それだけ覚えていてほしい」

 直接的な言葉は避けたスタンさんは「呼び出してすまなかった」とび、きびすを返す。哀愁漂う背中を追い、けれど横には並ばずに、私は彼の後ろをゆっくり歩く。

 ごめんね。だけどもうすぐ決着がつくから。

 だから、それまで、もう少しだけ待っててよ。



 もやもやとした気持ちを抱えたまま王宮内を歩いていると、今度こそテリア少年に見つかってしまい、輝く笑顔を向けられた。逃げるわけにもいかず、立ち止まって私は待つ。

 頬を染めた笑顔が眩しい。彼は本当に十七歳なんだろうか。高校生男子にはとても思えない。私にショタ属性はまったくないが、その筋のお姉さんにめちゃくちゃにされそうで心配になる。

 いつもならば我が道を行く勢いでまとわりついてくる少年が、今日は開口一番、問いかけてきた。

「ねえキラリ、スタンと何かあったの?」

「え?」

「スタンに何か言われた?」

「えっと……」

 澄んだ瞳が私を射抜く。その色はさっき見た空を映した湖のようで、私の心を冷たい水で満たしていく。いつもの小型犬じみた雰囲気はなりを潜め、知らない何かが牙を剥いて襲いかかろうとしている。

「約束したよね。大人になったらって。僕、大人になったよ。あの頃より大きくなった。もう背伸びしなくたってちゃんと届くんだ、キスだって簡単に出来る。他の奴等になんか負けない。僕がキラリを守るから、だから僕を選んで。ずっとずっと待ってたんだ。キラリの為に強くなったし、キラリが望むこと何だって叶えるよ」

「ちょ、待って。落ち着こうテリア君」

「ねえキラリ。僕はもう十七になったんだ。去年成人したし、昇級もした。頑張ればそのうち二文字にだってなれるよ。僕もっともっと頑張るから」

「どうどう、落ち着こう。わかったらから落ち着こうよ、ね?」

 迫りくる身体をとどめる為に腕を掴み、これ以上近づかないように停止させる。

 思いつめたように言葉を吐き出したせいで息を荒くしているマルカ・テリアは、私をじっと見つめたまま黙り込む。やおら手を伸ばすとぐっと私を抱き寄せ拘束する。

 そして耳元で聞こえない何かを囁く。かかる吐息が熱い。

 問い返す間もなく、少年は身体を放して去っていった。哀しげな瞳だけが私に残る。僅か数秒にも満たない抱擁に茫然とするしかない。

 長谷川きらりよ。幼気いたいけな子供に何を言ったんだ。

 当時の彼は十二歳だったはずだ。

 そんな年齢の子が居なくなった聖女を五年も想い続けているのは、純愛といえば純愛といえなくもないが、あまり美談に見えないのは何故だろう。

 純粋に技を磨いて強さを求めたというより、何か別の感情に追い詰められているように思える。強迫観念だ。男女交際のもつれで殺傷沙汰を起こす高校生のニュースがたまにあるが、それに近いものを感じる。

 この調子でいくと、カルメン氏辺りからも接触がありそうで恐ろしい。

 部屋に戻ろう。引き籠り万歳。自宅ならぬ自室警備員になろう。


 頭のどこかが麻痺したような感覚で歩き三階へ向かう途中、暇つぶし用に図書室へ寄ることを思い立つ。せっかく上がった階段だったが、回れ右で階下へ向かう。迅速行動だ。

 誰かが清掃中なのか、用具が壁に立てかけてあるが人の気配はない。用事で場を離れるのは別にいいけど、邪魔にならない場所に寄せておくべきだろう。誰かがうっかり引っ掛けて躓いたらどうするんだ。社会人のくせに危機管理がなっていない。

 なんとなく見過ごせなくて、踊り場の壁際にまとめてから、再び階段を降りはじめる。

 三階へ向かう階段は貴人客室用ということもあって、豪華そうな絨毯仕様だが、一階と二階を繋ぐ階段は絨毯張りにはなっていない。水拭きなのか、それともワックスのような加工術があるのか、いずれにしても床同様に綺麗に磨かれている。

 聖女の身代わりが終わってすることがなくなったら、掃除婦として雇ってもらおうかなぁ。メルエッタさんの下で働くのも悪くなさそうだ――。

 そう思った時、背を押された気がした。

 事故に合った時、周囲の景色がスローモーションで見えるというが、それは本当だろうか?

 そんな事を考えるより前に、足がくうを踏み、息を呑んだ時には身体は前へと投げ出され、何を聞くでも何を見るでもなく、私の意識は暗転した。




 目が覚めると広いベッドに寝ていた。

 前にも同じことがあった気がする。

 そう、この世界に初めてやって来た時だ。

 これは異世界召喚の上にループものだったのか――。

 一瞬そんな考えが浮かんだが、あの時とは見上げる景色が違っている。

 この部屋は薄暗く、ベッドにもカーテンは掛けられていない。シーツの肌触りはいいけれど、造りとしては質素な部類だ。あまり女性的ではない。

 つまり要するに、ここは私が寝泊まりしている部屋ではないということだ。


(誰の部屋……?)

 身体がだるい。起こそうとしても力が入らない。けれど、痛みは感じない。怪我をして動けないというよりは、麻酔を受けた後のしびれのような感覚だ。

 何があった?

 少しずつ頭が覚醒してくる。

 そうだ。階段を下りていた時に足を踏み外したんだ。そして下まで落ちた……?

 誰かが見つけて運んでくれたってことだろうか。じゃあここは医務室? 王宮にもそういう場所はあるだろう。今までお世話になったことはないけれど。

 医務室にしてはベッドが広い。

 身体がうまく動かせないから見えないけど、部屋の雰囲気もちょっとおかしい。あまり医療施設って感じがしない。具体的にいえば、病院の臭いがしない。異世界の基準がわからないから、なんともいえないけど。

 腕を横に下ろした状態で私はベッドに寝ている。「気をつけ」の状態だ。上がらない腕を諦めて、指先に神経を尖らせる。

 動け。

 動け。

 全身麻痺、そんな恐ろしい言葉が頭を占める。

 お願い、動いて。ほんの少しでいいから動いて、私の身体。

 足掻いていると誰かの気配がした。頭の位置が動かせない為、確認が出来ない。

 ベッド脇の灯りがつき、オレンジ色の光を浴びて浮かび上がった人物は、ルメールさんだった。


「お目覚めですか、キラリ様」

「…………」

「何があったか、覚えておられますか?」

「…………」

 私の口は動かない。動かせない。

 そのことをわかっているのか、ルメールさんは笑みを浮かべ、私の頬を撫でる。

「大丈夫です。いずれ動かせるようになります。身体を癒す為に術を施しました。痺れたような感覚があるかと思われますが、今しばらく御辛抱ください」

 なるほど。階段から落ちた私の治療に際して麻酔をかけた、と。そういうことらしい。

 麻酔をかけるほどの治療って、どんな怪我をしたんだろう。

 私の目線で言いたいことを悟ったのか、ルメールさんはベッドの端に腰かけ、説明を始めた。

「キラリ様。貴女は階段から突き落とされたのです。実際に行動を起こした人物は一人ですが、別の手段で貴女に危害を加えようとしていた人物も居ます。皆、貴女に対して負の感情を抱いていた。今回、事を起こした侍女はテリアに懸想した少女です。貴女がテリアと抱き合っている姿を目撃し、嫉妬したようです」

 なんたること。ピンポイントでそんな場面を目撃しなくても。

「彼女のした行動は到底許されることではありません。貴女の美しい身体に傷をつけるだなんて」

 苦しげに眉を潜めてそう言うと、私の顔を覗きこむ。

「大丈夫です。貴女の傷は全て私がこの手で癒しました」

 スル・ルメール氏の手が動かない私の右腕を取り、私に見えるように掲げた。腕を取られた場所がほんの少しくすぐったい。

 感覚がある。

 そのことに安堵した私だが、彼の次の行動に思考が凍る。

 右腕を撫でていたかと思うと手首を握る。そうして顔を近づけると唇を寄せたのだ。

 僅か、何かが触れたような感触がある。

 唇はそのまま這うように指先へと渡り、一本一本丁寧に口付けていく。そのまま左腕も取り上げられ、同じように唇を寄せていく。

 何をしてるんだこの人は。

 身体だけではなく脳みそまで痺れたように麻痺していく。

 その後、両手首を頭上に移動させ、今の私は万歳の姿勢だ。心はまったくそんな気分じゃない。万歳三唱は叫べない。

「指先から足先まで全て。私のこの手で貴女を癒しました」

 陶酔するように呟きながら、二の腕を男の右手が這っていく。髪を撫で、耳を伝って頬を覆い、ゆっくりと首に添って鎖骨を辿り、服の上から身体のラインを手が這っていく。

 左手は物言わぬ私の唇に触れ、紅を差すようにゆっくり輪郭をなぞる。

「美しい貴女に傷つける者は誰であろうと排除しなければならない。貴女に近づく不埒な男も同様です。貴女は優しいから、ジグ・スタンの誠実さに罪悪感を覚えていた。マルカ・テリアの幼さ故の行動にも慈愛の心を持った。テオ・カルメンにも。あのクム・ヴァディスの心すら貴女は掴み取った。そして、近衛騎士も貴女に心を寄せ始めた」

 どこか虚ろな瞳が私を見ている。

 私の身体は動かない。

「あれほど貴女を拒絶していたはずのア・ランフェンすら、最近は貴女の姿を追うようになっている。誰も貴女に近づかないように、まるで見張るように貴女の周囲に気を配り見つめていることに、気づいているのですか?」

 何の話をしているのか。

 ラン隊長がストーカーになった?

 そんなこと、あるわけないだろう。確かに最近話す機会が増えたが、どこまでも事務的な関係でしかない。

「私は焦りました。この世界に戻ってきた貴女を今度こそ愛そう、もう二度と傍を離れない。そう思っているのに周囲がそれを許さない。四人は守護騎士です、多少のことには目をつぶらざるを得ませんでしたが、それ以外の人間の扱いは目に余ります」

 憂いのある溜息を漏らす。

「ここ数日は加速度を増してひどくなっております。王の不在により貴女の周囲から人が減ったことが原因です。食事を運ぶ侍女が薬を盛ろうとしているのを幾度目撃したことでしょう。ああ、ご安心ください。全て未然に防いでおります。行動を起こした者は排除済です」


 薬、だと……?

 感覚のない身体がさらに冷えたような気がする。給仕係が日替わりだったのは、それが理由だったというのか。

「キラリ様は以前から、侍女に疎まれていると感じられていたようですが、まだそんな不届き者がいようとは。申し訳ありません、貴女を守るのが私の使命だというのに……」

 日記にも書いてあったな、そういえば。メイドの態度がどうのこうの、と。

 あまり偏見は持ちたくないんだけど、ゲーム感覚で複数人の男に声をかけまくっていたら、そりゃー女受けは悪いだろう。

 スル・ルメールの言葉はどんどん不穏になってくる。

 私が気づかなかっただけで、キラリ様の周囲は敵だらけだったようだ。守護騎士が必ず付いていたのも、メルエッタさん一人がずっと付いていてくれたのも、全て私を守る為だったらしい。

 平和ボケした日本人の私は恥じ入るしかない。ちゃんとお礼を言わないといけない。

「哀しまないで下さい。貴女は笑顔でいてくださればいいのです。笑顔を私に向けてくだされば、それが何よりのほまれです。哀しい顔は似合わない。昔のように、涙を流す姿は見たくはない」

 考えました――。

 彼はそう呟いて、虚空を見上げた。

 そして笑みを作り、私を見つめる。

 女性的な微笑みだと思っていたけれど、今のそれはさらに妖艶で、ぞくりとする。ベッドが軋み、私の身体を跨ぐような体勢で見下ろしてくる。


「常に貴女を見ていたつもりでした。ですが今回、手薄となってしまったせいで、こんな事態を引き起こした。臣下として王宮を守らねばならないことはわかっておりますが、それでも私は己が情けなくて仕方がありませんでした。どうすれば貴女をずっと守ることが出来るのか、私は考えました。夜も昼もずっとお傍にはべることが叶わない今、どうすれば良いのかを」


 手が再び髪を触る。

 私の黒髪を取り、遊ぶように指を絡ませる。

 肩から滑り落ちたルメール氏の薄桃色の髪が私の黒髪に触れている光景は、なんだか異質だ。絡め取られた髪が指先からするりと抜ける様子を眺める間も、言葉は続いている。

 それは最早、私に言い聞かせるというよりも独白に近い状態だ。


「傍にいられない間、貴女を守護する陣を刻めば良い。そう思いました。守護の力を貴女の身体に施せば、身を守る術となることでしょう。ですがそれを見通されてしまえば、守護の陣ごと消し去るような力で攻撃をされてしまえば、意味のないことになってしまいます」

 防御していることを悟られてしまえば、危険度が増してしまうから。

 髪に唇を一度押し当ててから放す。今度は前髪をさらい、額にそっと触れる。指で軽く押した後、端正な顔が近づいてくる。目を見開いて驚くことしか出来ない私をくすりと笑い、額に口付けを落とす。

「そしてわかったのです。貴女の内側から守ればいいのだと」

 ゆっくりと持ち上がる口角。

 笑みを作ったまま、嬉しそうに言葉を繋ぐ。

「貴女の身体の内側に、私の守護を注ぎ込むのです。そうすれば、術を消されることもなく、どんな相手からも貴女を守ることができる。貴女の身体は私以外の誰も受け付けなくなる。私だけが貴女に触れられる。貴女の内側に、私だけが到達することができるのです。私だけが」

 口元は笑みを保っているけれど、目は少しも笑っていない。

 さんざん他の男が不埒だなんだと言いながら、本人が一番卑猥な事を口にしていることにこの人は気づいているのだろうか。

 いや、そういうつもりじゃないのかもしれないが、そういう風にしか聞こえない。

 やばいなんてもんじゃない。変態だ。超弩級の変態がここにいる。


 スル・ルメールはあでやかな笑みのまま、その長い手を胸の前で組む。まるで神へ祈るような仕草をしたと思ったら、握りこんだ手の中から光が漏れ始めた。

 下から放たれる真っ白な光源のせいで、顔がさらに不気味に見える。懐中電灯を顔の下で光らせる時と同じだ。完全にホラーである。

「私は貴女のしもべ。永遠の守護を貴女に捧げます」

 謳うように、祈るように。それは聖女への讃歌なのかもしれないが、私にとっては地獄への鎮魂歌レクイエムだ。

 どうしてまだ私の身体は動かないのだ。体勢の通り「お手上げ」だ。笑うしかない。ちっとも笑えないけれど、私に出来るのは泣き笑いだけだ。

 浮かんだ涙をぬぐうことすら出来ない状態で、唯一動く瞼を固く閉じる。

「大丈夫です。痛みは感じないようにしてありますから」

 耳元で囁く声。

「キラリ、今こそ貴女を私の物に――」


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