12. 長谷川きらりの状況

「……は?」

 とりあえず、それだけしか出てこなかったが、テオルドさんは沈痛な面持ちで私に座るように促した。メルエッタさんに目配せをし、それを受けた彼女がお茶を入れ始める。茫然としたままなんとか長椅子に腰を下ろすと、対面に腰かけたテオルドさんがまずひとつ息を吐いた。

「ウミト殿、大丈夫ですか?」

「えっと、すみません。頭が追い付いてないです」

「当然です。私共もまだ混乱の最中さなかでございます」

 まず一報は、国王の下へ届けられた封書だった。

 他国の情勢を窺っている使者が噂を聞き、その話が一人や二人で収まるものではなく、付近の村一帯に広まっていることから危機感を覚え、取り急ぎ一報を――と届けられたそうだ。

 キラリ様が降臨されたと言われているのは、ティアドールより南へ向かった先にある小国・エルダ。

 帝国崩壊後、小領地の幾つかが統合して形成された歴史の浅い国だ。五年前の戦いでは、帝都へ向かう道からは外れていた為、聖女の噂は届いていても姿を見た者は居ないと思われる。

 だが、の地に住む者が戦場に赴き、そこで実際に聖女を見ている可能性はあるかもしれない。

 つまり、確証がないのだ。

 その人物が本当に本物のハセガワキラリなのかどうか。


「知らせて来た者とて、キラリ様と密に関わりを持ったことのある者ではありません。キラリ様の事をよく見知っているわけではない為、本物であると確認するのは難しいでしょう」

「ということは、誰か別の人を向かわせるってことですか?」

「近日、主要国会議があり、国王が出席することになっております。しくもエルダはその通り道。休憩という名目で立ち寄り、私が真偽を確かめようと思っております」

「テオルドさんが?」

「はい」

 大丈夫だろうか。私をキラリ様と言い切ったこの人が「確かめる」と宣言したところで、半信半疑なんだが。

「王宮の者には内密にしております。他に動かせる者は居ないのです」

「守護騎士達にも知らせないってことですよね」

「ウミト殿がキラリ様ということになっておりますからね。エルダにいらっしゃる方が本当にキラリ様であれば、ティアドールへお連れし、改めて説明の場を設けます」

「……それ、いつぐらいになりますか?」

「出立は二日後。会議を終えて帰還するのは、予定では本日より十日後となります」

「予定通りに進めば――ってことですよね」

「おっしゃる通りです」

「…………わかりました」

 結局のところ、私にできることは待つことしかないのだ。

 テオルドさんは慌ただしく去っていった。残された私にメルエッタさんは「お茶にしましょうウミトさん」と微笑み、本日の茶菓子を差し出してくれた。

 本日はアップルパイもどき。まだほんのりと温かく、シナモンの香りが鼻をくすぐる。いつもならば早速フォークを手に頂戴するところだが、今日に限ってはすぐに口を付ける気にはなれなかった。

「何かあったら、すぐに言ってくださいね。事情を明かせない以上、表立って動くことはできませんが、テオルドがきちんと手を回しておくことでしょう」

「そういえば、魔法管理局の長なんですね。そんな偉い人とは知りませんでした」

「わざわざ自分から肩書きを名乗るような人ではありませんからね。スル・ルメール様からですか?」

 魔法関連といえばルメールさんだと思ったんだろう。確かに情報源としては一番可能性の高い人だ。

「いえ、ラン隊長から聞きました。まあ、わざわざ訊ねたわけじゃなく、話の流れで話題が出ただけなんですが」

「ア・ランフェンですか?」

「嫌味を言われたついでというか。私が記憶喪失な理由はテオルドさんもわからないって話をした時に、あの人にもわからないことがあるのか、って」

「まあ、そんなことを」

「ラン隊長でもそう言うぐらいですし、テオルドさんってとても優秀な方なんですね」

 今までこっそりハゲとか言っててごめんなさい。

 褒め言葉が嬉しかったのか、メルエッタさんが微笑む。女神の微笑に私は心から癒されたのは言うまでもない。




 寝つけない夜が明け、新しい朝がやって来た。昨日の衝撃ニュースが嘘のような穏やかな朝が。

 いつもと何も変わらない身支度を終え、今日は部屋を出て守護騎士と過ごすことを私は選択した。

 本物の長谷川きらりが見つかったとしたら、私と彼らの関係性はどう変化するのだろう。気鬱な心とは裏腹に、窓から見える空は快晴だった。

「おはよう、キラリ」

「おはようございます、スタンさん」

 昨日は体調不良で部屋で休んでいたということになっているので、いつも以上に過保護だ。階段を歩く時でさえ手を取られる。私としては「手摺りを持って階段昇降」の精神なので、他人の手より手摺りを握りたいんだけどなぁ。

 手を引かれたまま、導かれるように庭へ出ると、騎士団が訓練中なのか遠くから喧噪が聞こえてくる。声の方向に視線を向けるスタンさんに、私は訊ねた。

「近衛騎士の訓練ってどんなことをするんですか?」

「特別なことはしていない。ただ、王宮の警備という点では、他の騎士と違って妥協は許されない部分は大きいよ」

「やっぱり、王族の警護に付けるって名誉に感じるものですか?」

「それは勿論そうだよ。近衛の中でもさらに精鋭とされる第一師団に選ばれるってことは、強さを認められた証でもあるから」

 長谷川きらりは、近衛騎士だったスタンを守護騎士へと抜擢したというが、それは近衛騎士にとっては出世への道を絶たれたということになるのではないだろうか。

 私が口にしない疑問を読み取ったのか、スタンさんは答える。

「俺はあの日聖女様に出会い、そして守護騎士として望まれたことを名誉に思っている。傍に仕え、名を呼ぶことを許された。それは他のどんなことより幸せなことだよ」

 彼はとても嬉しそうにそう言った。笑顔が胸に痛い。

 ごめんなさい。私は貴方の慕うキラリではないのです。

「……キラリ、やっぱりまだ具合が良くないんじゃないか?」

「大丈夫ですよ」

 心配そうに顔を覗いてくるスタンさんに、私は笑顔を返す。

 うん、大丈夫だからそんなに近づいてこないでほしい。顔近い顔近い。誰かが見てたらまた謂れのない中傷が降り注ぐので止めてほしい。


 どこかへ行くのか近衛騎士二人とすれ違う。スタンさんが立ち止まって頭を下げるが、相手は無視して通り過ぎる。こちらには目もくれない態度だったが、スタンさんは気にした様子はない。

 近衛騎士には二通りのパターンが存在しており、キラリ様にそれなりの対応をしてくれる人と、嫌悪している人がいる。

 これまでは「社会人なら挨拶ぐらいしろよ、礼儀だろ」と思っていたけれど、日記を見てからは認識が変わった。たぶん、守護騎士にする人を探して引き抜きをかけたり、話しかけたりして、辟易されたんだろう。

 その筆頭がラン隊長だ。

 日記を見る限り、かなり一方的に付きまとっていた印象だ。それを集団ではなく一人でやってのける長谷川きらりの乙女パワーはすごいと思う。

 当時のラン隊長は三十歳とあった。自分の半分しか生きていない子供に迫られても困るだろう。それで心が動いたとしたら、ロリコンの変態である。部隊での立場もさぞかし悪かったことだろう。気の毒すぎて涙が出る。

 その為、私は今までのラン隊長の、氷に塩を振りかけたような対応にも納得した。これからは、あまり目に付かないようにしようと思っている。

 思っているんだけど、そういう気持ちはどうしてこう空回りするんだろうか。嫌だと思うことにかぎって当たりを引く、自分の運の悪さが恨めしい。

 私は今、無言のラン隊長と何故か向かい合って座っている。

 どうしてこうなった。


「訊いているかと思うが、しばらく国王が国を離れる。近衛第一師団が護衛につく為、王宮内の警備が薄くなる。聖女の守護騎士の手を借りることになるだろう」

「わかりました。警備の詳細は私にはわかりかねますので、近衛騎士様の裁量にお任せいたします。そちらの都合の良いように取り計らってください」

「そうなると、君の護衛が手薄になりかねないのだが――」

「構いません。私個人より王が不在となった王宮の方が大事でしょうし」

 こういうのは、出払っている時に限って問題が起こるのがお約束だ。それが分かっているからこその申し出だろう。

「私は王宮外に出ることもありませんし、皆さんがお戻りになるまでは部屋で大人しくしていれば済むことです」

「……協力に感謝する」

 大人だなぁ。

 そう思った。好ましく思っていない生意気な小娘にも感謝を口に出来る姿勢は、素晴らしいと思う。

 いや、普通に考えれば当たり前のことなんだけど、ガン無視する近衛騎士が多いから余計にそう思えるのだ。

「彼らには私から説明をしておく」

「よろしくお願いします」

 ラン隊長を見送って、私は読書に戻る。

 今広げているのは周辺諸国を網羅した地図帳のような本。長谷川きらりが現れたというエルダの場所を確認している途中だった。

 会議があるという国は、アザレアという芸術を愛する国だそうだ。戦闘国家ではなく、そういう場所を会場として設定してあるのは、やはり争いを恐れてのことなのだろう。ティアドール同様に穏健派の国で友好国のひとつである。

 エルダはどうかというと親交もない為、情報も少ない。帝国が倒れてまだ五年ということを考えると、国の立ち位置はまだ微妙なところなのだろう。

(ほんまに本物なんかなぁ……。でもそうやったとしたら、なんで別の国に? ってか、じゃあ私が間違われた理由って何なん?)

 考えこむ私の耳に足音が聞こえ、顔を上げるとヴァディスさんが立っている。

「顔色が良くない。部屋で休んだ方がいいんじゃないか?」

「平気ですよ」

「無理はしない方がいい。昨日のこともある」

「そうだ。昨日読みましたよ、借りた本。面白かったです」

「なら良かった。別の本を探しておこう」

「お願いします」

 この調子では残りの三人も出現しそうだ。私は地図を棚に戻し、部屋へ戻ることにする。

 普段ならば運動を兼ねて歩いて戻るところだけど、エンカウントを避けるべく私は移動陣を使うことにした。


 図書室は一階の西棟前方にあるので、西棟手前側の移動陣が一番近い。そそくさと向かうと先客が立っている。騎士服を着ている男性が一名。同じ場所に移動するのでない限り、同じ陣には乗れない。

 まあ、例え同じ場所に向かうとしても近衛騎士と同行するのは避けておきたいけどね、気まずいし。

 別の陣を使おうかと思った時、騎士がこちらを振り向いた。どこかで見たかもしれないけど、顔の判別がつかない。騎士団の服は皆同じなので、よっぽど特徴的でもないかぎり覚えていない。

「ご利用ですか、聖女様?」

「急ぎではありませんので、お先にどうぞ」

「レディが優先ですよ」

 紳士か。

 優しそうな人である。襟元には階級タグが付いているのだが、二文字を記す二本ライン。そしてもう一つ、縫い付けられている物があった。

「副隊長様の方がご多忙でしょうに。私に構わずどうぞ」

 隊長は金、副隊長は銀糸で刺繍された勲章が胸元に飾られていると聞いた。その人には銀糸の勲章が垂れている。どの師団なのかはわからないけれど、近衛騎士団でも優秀な一人だ。

 私が先を譲ったことが意外だったのか、優男風の副隊長は目を瞬かせる。まつ毛が長い。男のくせになんと羨まけしからん人だろう。ってか、この人もイケメンだな。

 危険だ。長谷川きらりの恋愛センサーに引っかかりそうな人がまた出てきた。これ以上、それっぽい人と関わりたくない。

「ご心配いただきありがとうございます。ですが私は宿舎に戻るところだったので、お気づかいは無用です。聖女は自室へお戻りですか? ご一緒いたしましょう」

「いえ、結構です」

 即効否定である。

「ですが、守護騎士もいらっしゃらないようですし」

「たかだか部屋へ戻るだけで、護衛は必要ありませんよ」

「以前は一日中、常にご一緒であったと記憶しておりますが……」

 どんだけはべらせてたんだよ長谷川きらり。ドン引きされてんぞ。

「今は危険もないようですし、近衛騎士の方が王宮内を警備されてますよね。大丈夫ですよ」

 じりじりと副隊長の前を横切り、私は移動陣へ入る。

「お申し出ありがとうございました。失礼いたします」

「聖女――」

 お礼の角度は九十度。腰を折ってお辞儀して、私は足元の陣に魔力を流し北棟三階へ転移した。

 ここに来て出現した新キャラに戦々恐々とし、しばらく部屋に引き籠ることを決意した私である。


 そうして部屋に居る時間を長くしているうちに国王一行はアザレアへ出立し、王宮内の空気が少し変わった。

 王が不在であることに緊張を持つ者もいれば、同行者として出かけた上司を持つ者達は、逆に羽を伸ばしているところもある。

 責任者が不在だとトラブル時の対応に不安があるので、私なんかは緊張感を持つ派だけど、鬼の居ぬ間に――という人たちの気持ちも、わからなくはない。

 私の周囲はといえば、守護騎士にも王宮警備に関わる仕事が振られたようで、エンカウント率が下がっている。会ったとしても仕事中。長話をするほどの時間的余裕はなさそうな感じで、その点において私の心労も減って嬉しいかぎりである。

 メルエッタさんもまた他の仕事に時間を取られているようで、昼食や夕食の給仕係が別のメイドさんと入れ替わっている。

 顔ぶれは日々違っていることから考えて、手が空いている人が担当しているのだろう。当然、午後のティータイムも休止状態。顔を合わせるのは朝だけとなっていて、それはちょっと寂しい。

 寂しいといえばヴランさんだ。こちらも時間が取れる日が減りそうだという。

 今までも、ひょっとしたらと思っていたけれど、これによりほぼ確信する。彼は王宮に勤めている誰かなのだ、と。

 魔法管理局の人ではないというから、文官だろうか?

 そう考えて図書室で働く人たちをなんとなく目で追い、耳を澄ませる。私は彼の顔を知らない。知っているのは声だけだからだ。

 しかし、文官職の人に夜勤はあるのだろうか? 夜間の都合が付かないとなると、騎士団の誰かという可能性もある。

 でも魔法特性のある騎士なんているのか? あ、ルメールさんはそっち方面の人だったな。

 ぐるぐるとそんなことばかり考える私は、心が弱っているのかもしれない。もうすぐ判明するであろう「ハセガワキラリ」のことを考えないようにして、不安を先送りにしようとしている。

 今日はヴランさんの定例通信のない日だ。

 にもかかわらず、こうして魔法陣の前に座ってしまっている自分は何なのだろう。

 これは危険な兆候だ。

 こんなものにすがってはいけない。

 だってもしも長谷川きらりが戻ってくれば、この部屋は彼女の管理となるのだから。この魔法陣に触れることも出来なくなるだろう。

 壁に触れる。

 ひんやりとした指先が僅かに熱を帯びる。

 魔法陣が輝き、聞き慣れてしまった声が頭に響く。


『フミノ?』

「……はい」

『よかった、そこに居てくれて』

「……はい」

『実は、この術を携帯して使えるようにならないかと試作品を作ってみたところだったんだ。今は部屋にいるが、これを持って移動して、同じように使えるのかどうか試してみようと思っているのだが、付き合ってくれるか?』

「……はい」

『じゃあ、俺は部屋を出るから、フミノはそのままそこに居てくれ』

「……はい」

 普段よりもぜわしい口調で話しながら、移動する気配が伝わってくる。

 不思議だ。基本的に声しか聞こえないはずなのに、なんとなく周囲の様子が伝わってくる。

 例えば電話の相手が黙っていたとしても、周囲の喧騒や生活音、呼吸の具合など、気配が受話器超しに伝わってくるのと同じような感覚といえばいいのだろうか。

 相手はそこにいて、そこは何もない世界ではないのだとわかる。

 彼は幻などではなく、生身の人間なのだとわかるのだ。

『フミノ、ちゃんと聞こえてるか?』

「……はい、聞こえてます」

『何かあったのか?』

「……大丈夫です」

『――なら、何故泣いている?』

「泣いて……ないです」

『……そうか』

「はい」

『もどかしいものだな』

「はい?」

『声しか届けられない身では、何も出来ない』

「……そんなことない。だって今」

 十分、私の心は救われている。

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