11. 長谷川きらりの休息
「ウミトさん、大丈夫でしたか?」
「はい、平気です」
「テオ・カルメン様が押し入ろうとしていたと伺いまして」
「ちょ、どこからそんな」
まさか自己申告したんじゃないだろうな、あの男。
なんか有りえない話じゃない気がして顔が引きつっていたら、正解を聞いてさらに顔が強張った。
こちらは恐怖である。
「ア・ランフェンより様子をお聞きいたしました。申し訳ありません、もうしばらくご一緒しておくべきでした。私の失態です」
ラン隊長がメルエッタさんを叱責したらしい。なんてこったい。
「ち、違いますよ。だって私が悪いって、私のせいでメルエッタさんが困った立場になるかもしれないって、ラン隊長はそれを言いたかったんだと思うので、私が悪いんです、すみませんメルエッタさん、私のせいでホントすみません」
「それは違いますよ、ウミトさん」
「でもラン隊長に怒られたんですよね?」
「ああ、そんな風に誤解されたんですね」
涙目の私にメルエッタさんは合点したといった風に笑った。
「違いますよ。その現場に立ち会ったので、状況を報告してくれた。それだけです」
「そ……うなんですか?」
「そうです。ウミトさんが心配してくださるようなことはありません」
「ならいいんですけど……」
「本当にウミトさんは心配性ですね」
「小心者なだけですよ」
時刻はいつの間にやら、お昼時。何もしていないに等しいので正直空腹は感じていないのだけど、配膳の関係で時間は決められている。メルエッタさんは一度下がり、昼食を持って再びやってきた。給仕の合間に話を聞く限り、守護騎士達は三階エリアには現れてはいないものの、どこに居るのかも明確ではない状態らしい。
彼らは王宮付きの騎士ではあるが、近衛のように警備を担当しているわけではないので、基本的にどこで何をしていても構わない。なんとも自由な身の上である。
そう考えると、近衛騎士の一部が反感を持つのも頷ける。遊んでいるように思えて腹立たしいのだろう。
だが、外から見た印象と実際の仕事がイコールで結ばれるとは限らない。守護騎士には守護騎士にしかわからない葛藤も過分にあるに違いない。隣の芝生は青いのだ。
そんなフリーダムな彼らと遭遇しないようにすると考えると、敵の場所が感知できるマップ画面でもないかぎり難しいのではなかろうか。
長谷川きらりにとっては恋愛シミュレーションゲームだったかもしれないが、私にとってこれはRPGだ。敵とエンカウントして、逃げようとしたら回り込まれて逃げられないような、そんな戦闘をしなければならない。
なにはともあれ、今日は休みだ。英気を養うためにも引き籠ろう、明日の為に。
後ろ向きな決意をした私は、昼食後に衣裳部屋に入り魔法陣の前に座る。いつもの体勢ではあるが、今は通信時間外。相手には繋がらない時間帯だが、その間に確認したいことがあったのだ。
文字がそこそこ読めるようになった今、この魔法陣が果たして何かの記号なのか、それとも明確な言葉が刻まれているのか。その辺りのことをじっくりと見てみたかったのである。
今は発動していない状態なので、光っていない。ここに触れ、魔力を流すことによって術式が発動する仕組みになっている、らしい。
魔法陣というと円形だったり五芒星だったりするイメージだが、こちらの魔法陣は必ずしも円形ではない。丸で囲まなくとも、四角で三角でも五角でも、まあなんでもいいようだ。大事なのは編み込まれる言葉なんだとか。
魔法に関する話は、ルメール氏から教わったことだ。
聖女の力というのは魔法陣とはあまり関係なく、キラリ様自身もそれを自ら扱ったことはないという。だが、かつての能力を失った今のキラリ様が魔法を発動させようと思えば、魔法陣を使うのが一番であると、そう言われ説明してくれた事を思い出しながら、私はヴランさんの魔法陣を調べ始めた。
独自の魔法陣に記す文字は、直接的な言葉として書かれることはないという。安易に読み取れてしまうと、すぐに模倣されてしまうからだ。
その為、飾り文字とか逆さ文字とか、人によってやり方は様々だが、言葉を刻んで陣を組む。
要するに「暗号」だ。
わかる人にはわかる言葉を使い、その術が使えるものと認められれば魔法管理局の下で一般的な陣として作り直され、広まっていく。こちらは「権利を売る」ようなものだと解釈した。
ヴランさんの魔法陣はお試し版だと言っていたので、たぶん独自の言葉で書かれているだろう。
初心者である私に果たして魔法陣が読み解けるのか。
そう簡単に分かるとは思っていないが、せっかくのお休みだ。じっくり眺めて解析するのもいいじゃないかと思っている。
頭が痛くなってきた……。
目もクラクラする。
ヴランさんの魔法陣はところどころが反転している方式で書かれていた。そのうえさらに意味のない言葉も盛り込まれているようで、脈絡のない言葉の羅列となっている。
私は途中で諦めた。
そもそもどこが出発点なのかもわからないのだ。適当なところから一文字一文字追いはじめたけど、わけがわからない。
やっぱ無謀だったか。私は魔法陣に触れる。
すると、呼応するように光りはじめて目を見張る。
『フミノか?』
「あれなんで?」
『何故と問いたいのはこちらも同じなんだが』
「本日休暇を頂いておりまして……」
『それは奇遇だな、私も休暇中だ』
「…………」
『…………』
互いに間が空く。予想外の通信に私は言葉が出ない。時間帯を決めて話し始めることと、唐突に始まることは心構えが変わってくる。
私の戸惑いが伝わったのか、ヴランさんの方から、いつもの優しい声で問いかけられた。
『何をしていたんだ?』
「魔法陣のお勉強、です」
『魔法陣?』
「近くに魔法に詳しい人が居て、魔法陣の書き方は人によって癖があるって話を聞いて。私の身近な魔法陣ってヴランさんのこれだから、何が書かれているのか私にわかるかなーって、ちょっとした好奇心で眺めてました」
『何かわかったか?』
「いえ、全然読めませんでした」
『知りたいならば教えてやろうか?』
「でもこういうのって秘密にしておくものじゃないんですかね?」
模倣されない為に暗号化するぐらいなのに。
『全てを話すわけにはいかないが、この魔法陣についてなら説明しよう。現物を見た方が理解もしやすいんじゃないか?』
「私は嬉しいけど、本当にいいんですか?」
『前にも言ったろう? これは簡易版だ。これがそのまま運用されるわけじゃない』
「わかりました。じゃあお言葉に甘えて、ヴランさんにとって問題のない範囲で教えてください」
『心得た』
自分が開発したものについて説明をする。そういうのって自尊心をくすぐるんだろうか。
ヴランさんの声はいつもより心なしか嬉しそうに感じる。魔法管理局の人じゃないって言ってたけど、こうやって開発するぐらいだから、魔法陣を新しく作ったりすることが好きなんだろうな。
説明の中でわかったことがある。それは、どこが出発点かわからないのは仕様だということだ。そうすれば、解読が難しくなる。自分でもわからなくなるんじゃないかと思うが、それを防ぐ為にこっそりと
ヴランさんの声を聞きながら魔法陣を見つめる。最近理解しはじめたこちらの世界の文字、そしてその文字が逆さになった物が所々に入っている。紙に書き出して考えれば法則性がわかるかもしれないけど、今の段階ではなんともいえない。
『余白を設けておくことも大事だ。全て埋め尽くしてしまえば、後から付け足すことは出来ないからな』
「なるほど。不具合があれば追記して修正。調整可能なんですね」
『でなければ、また最初からやり直しだ』
「あー、それはかなり面倒やなぁ」
完璧に仕上げた後にミスに気づいて、この暗号文をまた最初から書かなければならない時の絶望感は半端ない。
そう思いながら見ると、確かに空白が配置されている。
「この魔法陣にも、何か追加事項があるんですか?」
改良の為に協力している身としては、その辺り少し気になるところだ。
最初の頃は通話テスト的な意味合いがあったが、繋がり具合が安定していくうちに話題が逸れはじめ、最近はほぼ魔法陣から逸脱した内容ばかりとなっている。ただの雑談と化している為、軌道修正が必要かもしれない。
『何を今更言ってるんだ』
「はい?」
『右下。君の名前だ』
その声はいつも通り頭の中に響く。
だけど今日に限ってその囁きは思いのほか心に響いて大きく胸を跳ねさせる。
覚えたての異世界文字で、そこには「フミノ」と書かれていた。
そのことになんだか無意味に動転してしまった私だが、その後すぐにヴランさんの向こうで誰かの声が聞こえ、来客を窺わせる気配がしたことで我に返った。
一旦場を離れたヴランさんがすぐに戻ってきて、呼出を受けたと告げた。休日に呼出がくるような仕事らしい。
「それはまた、お疲れさまです」
『悪いな、話の途中なのに』
「いや、それは別に。そもそも今日のこれはイレギュラーなわけで」
『いれぎゅらー?』
日常に溶け込んだ英語を日本語に置き換えるのって本当難しい。
なんだろう。いつもとは違うこと、特別な出来事?
(特別? なにそれ大袈裟な。特別とかいうとなんか意味合いちゃうやんっ)
『……フミノ?』
「ひゃい!」
変な声が出た。なんかもう色々と恥ずかしく情けない。
「ごめんなさい、なんか驚いた」
『いや、別に。……大丈夫か?』
「うん平気平気。えと、イレギュラー。イレギュラーの意味ね。えーとね、予想外の事態が起きた時とか想定外だった時とか、そういう出来事に対して使う言葉かな」
『なるほど。つまり俺の呼出もいれぎゅらーってやつか』
「あー、そうですね。、そういう時にも使うかも」
その時、呼出相手がまた何かを言ったのだろう。ヴランさんが大きく舌打ちをした。
意外だった。この穏やかな人がそんな盛大な舌打ちをするとは思わなかった。
(怒ることもあるんやなぁ、ヴランさんでも)
『俺はそんな聖人君子じゃないぞ。普段はどちらかというと恐がられる対象だ』
「それはわざとそう振る舞ってるってことですか? ヴランさんが怒る役目で、宥める役の人も居るとか」
『――君はすごいな』
「あ、ひょっとして当たりました?」
飴と鞭は、この世界にもあるようだ。ヴランさんの容姿はわからないけれど、ひょっとしたら
中身はそうでもないのに
「役割分担かもしれないですけど、たまには褒めてあげたらいいんじゃないかと思いますよ。普段褒めない人から褒められると、すっごい嬉しいし。まあ、わかってる人はわかってるんから、それでいいってタイプの人もいますけど」
それでも、悪意はないのに人に恐怖を与えていると自覚している場合、それはとても気の毒だと思うから。
「こうして話してるとヴランさん優しいのわかるし。まあ、怒るべきところは怒らなくちゃいけないだろうけど――」
『――もういい、わかった』
「あ、呼出ですよね。すぐに行ってください」
『ああ。それで今日の夜だが――』
「気にしないでいいですよ。お仕事の方が大事だし」
『悪いな』
「悪いもなにも、別に絶対って決まりがあるわけじゃないし」
なんとなく続けているに過ぎない定例通信だ。ヴランさんの都合で行わない日だって当然ある。ほぼ、等間隔で通信をしない日があるから、夜勤のある仕事なんだろう。
『そうだな。でも俺としてはもう日課のようなものになっていて、あるはずのものが無くなるのは残念に思う』
不意打ちで何を言い出すのか、この人は。
返答に
光の消えた魔法陣の前で私は動けない。
駄目だ。
長谷川きらりの日記にあてられたせいで、彼女の恋愛思考が浸食している。
実在しない幻ような誰かの声に翻弄されるとか、どこの少女漫画だよ。そんな甘っちょろい思考に捕われている時じゃない。
頬を叩き気合いを入れると私は立ち上がり、衣裳部屋を後にする。
窓を開けて部屋の空気を入れ替えよう。冷たくなり始めた外気に晒されて、溶けた脳みそを凍らせよう。
けれど、そんな必要はなかった。
メルエッタさんを伴って久しぶりに部屋へ訪れたテオルドさんから告げられた衝撃の一言で、私の身体は硬直したのだ。
「ハセガワキラリ様と思われる女性が他国で発見されました」
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