10. 長谷川きらりの感傷
頭がクラクラする。
目がすべる文章を読んでいくうちに途中で適当に飛ばして、守護騎士の名前が出てくる辺りを重点的に読んでみた。抜粋しただけでも疲れるが、その内容はもっと疲れるものだった。頭痛が痛いって感じ。
まず驚いたことは、部長が金髪だったことだろうか。今は見る影もないが、五年前はまだ髪の毛があったらしい。何があったんだ、この期間に。
そんな些細なことに注目したいぐらい、書かれていた内容は日記というかなんというか。
これ、確実に黒歴史だと思う。
平仮名が多用されているが、まあ私も似たような
大人になってから字を書く機会は減ったし、昨今はパソコンで文書を作る。漢字は読めるけど、何も見ずに書けと言われたらはっきりいって自信はない。
まあ、現役の高校生ならもっと頑張れよ――とちょっとだけ思ったけど。
日記の最後は旅立ちで終わっていて、それ以後触った様子がないということは、長谷川
いつどんな風に帰還したのか。そういえば、説明をされていなかったことに今更ながらに気づく。色々と想定外すぎてどうもそこまで気が回ってなかったみたいだ。
途中から彼女は、この世界をゲームと捉えはじめた。ある意味で現実逃避なのかもしれない。
私だって「こんなリアルな夢初めてみたやーアハハー。なにこのファンタジー小説の世界」という感想を抱いたぐらいだ。長谷川きらりにとって一番身近で、置き換え易いものが恋愛シミュレーションゲームだったんだろう。
そう言われてみれば、彼らとの遭遇はどこかゲームじみている。
私は
要するに、出歩いた先にキャラクターが出てきて、勝手に会話して去っていったりするんだろう。先回りで現れるストーカー、みたいな。
そういうジャンルは物語としては嫌いではない。コミカライズやノベライズだと楽しめるんだけど、自分がヒロインの視点でキャラクターの相手をする気はまったくないのだ。私は可愛いヒロインとヒーローのやり取りをニヤニヤしながら眺めたいんであって、己でヒーローを
うん、女子力がないのはその辺りにも表れているかもしれない。
音声もムービーもスキップ。台詞なんてテキストが出てるんだから別にいいだろうと考える私は、サウンドノベルが一番性に合ってるんだと思う。文字を読んでいる方がどう考えても楽しい。
ああ、ヴァディスさんに借りた本読みたいなぁ……と考えたところで、日記のことに思考が戻る。
書かれていることは、一体どこまで本当なんだろう?
妄想である可能性も否定出来ない。守護騎士関連の日記以外に、学校生活の愚痴や呪詛めいた内容も散りばめられていることから考えても、心神喪失状態にあったとも推測される。中二病まっさかりな時期にこんな境遇に置かれて、明後日の方向へ思考がぶっ飛んじゃったとしても仕方ない。
だが、これが妄想ではなく本当にあったことだとしたら――。
胃が重くなってきた。
テリア君がやたら寄ってくるのは、五年経過して成人した自分を認めてほしいというアピールだったのかもしれない。スタンさんの態度にも納得がいく。キラリ様と恋仲だったとすれば、あの恥ずかしいまでの台詞の数々もおかしなことではないだろう。
キラリ様として過ごすということは、彼らと乙女ゲームごっこをしろということになる。
まぢ勘弁。
五年が経過した今、禁付ゲームになりそうで恐ろしいんですけど。
翌朝の目覚めは最悪だった。
長谷川きらりなら「さいやく」と記すのだろうか。一昔前の中高生のブログ文章がそういえばそんな感じだった。
わざとなのか本気なのか。彼女達は学校の作文でもこんな崩壊した、口語とも言えない不思議な文章を記すのだろうか。普通に入力した方がどう考えても早いだろう――と当時激しく疑問だったことを思い出す。
(今は今で、意味もわからん省略言葉使っとるけど。もう三十路には付いていけん世界や……)
いつの世も、若者というのはそんなものだろう。かつて「理解出来ない」と言われた若者も大人になり、そしてまた年下の言葉が理解できなくなるのだ。
諸行無常。
「ウミトさん、今日は元気がないようですが、大丈夫ですか?」
「……あー、ちょっと寝不足です」
「本日はどうされますか?」
「今日って、誰でしたっけ?」
「テオ・カルメン様です」
例の攻略日記とやらの最後で、十五歳の長谷川きらりに夜這い未遂をかける男。
私の脳内ではそうインプットされてしまったが故に、かなり気乗りしない。いつまでも逃げ続けるのは無理だとしても、せめて今日ぐらいは遠慮してもいいだろうか。
「私の方でお断りを入れておきます」
「え? いやでも」
「たまにはゆっくりとお休みください。必ずしも毎日ご一緒しなければならないというわけではございませんよ」
「……そう、なんですか?」
「かつてのキラリ様は、聖女としての任がございましたので、日々魔法の鍛錬にご尽力されておりました。ですが、今は平和の御世。ウミトさんが戦う術を身に付ける必要はありません」
それはそれで居たたまれない気分だが、メルエッタさんに悪気がないことはわかっている。
彼女は「今日は休日」と決めたようで、いつものように気合いの入った化粧は施さず、ナチュラルメイクに仕上げてくれる。朝食を頂いている間にベッドメイクを終了させると、しずしずと部屋から退散した。
いつもならば、一緒に部屋を出て、三階の扉前で待っている「本日の護衛」に引き渡して去っていくのだが、今日の私は部屋で待機である。
(休み、か……。なんか懐かしい響き)
こちらの世界で具体的に仕事をしている感覚はないけど、部屋に籠って何もしないという日は、そういえばない。守護騎士を伴い王宮や敷地内を見てまわる日々を送っている。
たぶん、だけど。思い出の場所巡り的な、そういうことなんだと思う。
漫画の記憶喪失ネタなんかでもよくあるパターンだ。暮らしていた家や思い出の場所を訪れ、「何か思い出さないか?」「ごめんなさい」みたいな、アレである。
現実問題として、いつまで記憶喪失ネタを引っ張るつもりなのか。
私が長谷川きらりでない以上、思い出すということは有りえない。つまりずっと彼らを騙している状態だ。いくらなんでも気の毒ではないか。特に、純粋にキラリ様を好いているであろうスタンさんは、やりきれないのではなかろうか。
(その辺、テオルドさんにちゃんと訊いてみた方がええんやないかなぁ……)
メルエッタさんに面会を取り付けてもらおうと決めたところで、扉をノックする音が聞こえた。メルエッタさんが戻ってきたのかと思い、あまり気にせずに扉を開けると、そこに居たのはテオ・カルメンその人だった。
思わず硬直する。
なぜ、いる。
「よ!」
「…………」
「なんだ、本当に体調不良なのか?」
「……えぇ、まあ」
「看病してやるよ」
「え、遠慮します」
「大丈夫だって」
「何が大丈夫なんですかっ」
とはいえ、無理に入ってくるつもりはないらしい。だが、彼には恐らく前科がある。安心は出来ない。
「おまえ、なんか変わったよな。昔よりおとなしくなったっつーかさ」
「そりゃーいつまでも子供じゃないですよ」
貴方より年上ですしね、私。
「でも俺はそういうのも悪くないと思うよ」
「そういうのってどういうのですか」
「その丁寧な言葉使いとかさ、最初会った頃を思い出す。あの頃はわりとすぐにこっちを呼び捨てにして、聖女様ってーのは気位が高いのかねって思ったけどさ。今のキラリはそうじゃねーよな。ずっと丁寧な態度を崩さない。俺、そういう子は大事にするタイプなんだよね」
だから、そんな警戒しなくて手出したりしないから安心してよ――と、カルメン氏は言う。
どういうことだろう。
彼の言葉を聞いていると、昔のキラリ様を軽視しているような印象を受けるんだが……。
「今のキラリは聖女の
そう言うと、頭を撫でられた。
なんだろう、子供扱いされている気がする。
「女性にみだりに触れるのは
対処に困っている私の耳に、そんな声が届いた。
どこかで聞いたような声だなーとその方向を見ると、いつもの騎士服ではない格好をしたラン隊長が立っていた。意外な人物の登場に驚く。
同じように目を見張ったカルメン氏が、それを感じさせないようにいつもの軽口を放つ。
「俺は聖女様の守護騎士なんですけどねぇ」
「貴殿の言う守護とは、女性の私室に押し入ることなのか?」
「滅相もない。体調が
「ならば、早々に立ち去るがよかろう」
「近衛第四師団の隊長様に、我ら守護騎士の任についてとやかく言われる筋合いはないように思うんですが?」
「任について是非を問う気はない。体調が優れないという者の部屋前で問答をすることについて言及しているまでだ」
「……おっしゃる通りで」
もとより言い争いをするつもりもなかったらしいカルメン氏は、肩を竦めて引き下がった。「じゃあな、キラリ」という言葉と共に、ヒラヒラと手を振って去って行く後姿を見送り、私は思わず脱力する。
なんか、本格的に疲れてきた……。だが、その前にもうひとつ問題が残っている。私は対象に向き合った。
「ご迷惑をおかけいたしました」
「……君が謝ることではなかろう」
「ですが、近衛騎士の方に――」
「先ほども言ったが、これは近衛としてではない。私個人として物申したまでのこと」
「個人?」
「
「それはどうも、ありがとうございます」
あんなにも嫌悪している私が相手でも、手を差し伸べてくれるのか。さすが隊長を務めるだけのことはある。任務に個人的な感情は持ち込まない、公私をきちんと分けられる人なのだろう。
(でも、不埒なんて言葉、実際口にする人、初めて見たわ)
そんな時代がかった言葉もなんだか
こうして見ると、テリア少年よりも色素の薄い金髪に、濃い青い瞳という容姿は物語の王子様のようだ。憎悪に満ち満ちた視線が恐くて、今までまともに見たことがなかった。ひょっとしたら、ちゃんと顔を見たのは今日が初めてかもしれない。
「……部屋へ戻っていろ」
「はい?」
「具合が良くないのだろう? テオ・カルメンの例を見ずとも明らかだが、他の守護騎士が来るのではないのか?」
「そ、そうですね」
可能性は大いにある。本日の護衛担当者が一人で居るのが分かれば、すわキラリに何があったのかとばかりに押し掛けてくる様子が目に浮かぶ。想像して震えた。
「部屋に鍵でも掛けておけ」
「でもそうすると、メルエッタさん――いえ、御付きの方が困るのではないかと」
「貴殿は馬鹿なのか? それで己の身に何があれば、咎められるは傍仕えの方だろう」
はっと気づく。たしかにそうかもしれない。使用人なんて存在しない庶民には、どうもその辺りの感覚が鈍い。
しかしながら、どういうことだろう。いつもは顔を見るのも声を聞くのも全力拒否といったオーラを放っているのに、今日のラン隊長は妙に干渉してくる。
考えこんでいる私がよほど重病者に見えたのか、隊長はギロリといつものように睨みをきかせ、私を手で中へとおいやった。閉じられた扉の向こうから「鍵をかけておけ」と高圧的な声がぶつけられる。
なんだ。要するに、余計な揉め事を起こしてほしくないので部屋から出したくない、それだけか。
納得して私は命令通りに施錠する。卓上の灯りを点けて、ヴァディスさんから借りた本を読むことにした。
続編もすこぶる面白かった。有名どころの作品だけはある。
騎士を目指す少年の立身出世物語で、一作目は無事に騎士に登用された所で終わっていたが、続編では実務に就いた後の物語だ。理想と現実に挟まれつつも、日々精進する少年が成人を迎える辺りまでが描かれている。ジャンル的にはスポ根が近い。同年代の仲間と出会い、切磋琢磨競い合っていくのだ。友情あり裏切り展開あり、なかなか盛り沢山である。これは是非、青年編が欲しいところだと思っていたところで、ノックの音がした。
ビクリと肩が跳ねる。誰だろう。
「キラリ様、失礼してよろしいですか?」
「はい、今開けます」
扉の向こうから聞こえたメルエッタさんの声に安堵して、私は扉を開放した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます