08. 長谷川きらりの認識
日々は移ろい、季節が過ぎる。明確な四季があるわけではないけど春夏秋冬は存在し、私が来たのは夏だったけれど、今はもう秋も深まり冬の訪れを待つ時期だ。
日本時間と連動しているのか定かではないが、お盆休み中に来訪し、同じ夏だったことを考えると、大きなずれはないのかもしれない。
この世界における時間経過は、あまり明確じゃない。一時間が六十分で、一日が二十四時間ときっちりと把握している人はほとんどいない。ただ時間を知らせる「時の鐘」と呼ばれる音を聞いて判断しているだけだ。
では、その鐘が何を基準にして時を刻んでいるのかといえば、それもよく知られていない。
知られていないというよりは、疑問に思っていないという方が正しい。
そんなアバウトな――と呆れたが、じゃあ時計がどうやって一秒一秒をきちんと刻んでいるのか知っているのかと問われれば、私も黙るしかない。だって「そういうもの」だから、気にしたこともない。
電池が切れた目覚まし時計の時刻合わせをしようと思えば、時報を聞く。最近なら電波時計だから、受信ボタンを押して置いておけば勝手に時間合わせをしてくれる。なんとも便利になったものだ。
誰かが定めた法則に
正確ではないにしろ、一時間の長さは地球とほぼ同等である。
なぜそんなことが分かるのかといえば、私が腕時計をしているからだ。
今ほど携帯電話が普及していない時代、腕時計は必須アイテムだった為、私もずっと腕時計をつける習慣がある。携帯電話からスマホに変遷した今でも、仕事やお出かけには腕時計をする。ちょっとそこまで――程度なら付けないこともあるんだけど、今回ばかりは身に付けていてよかったと心底思った。
定期的に電池を変えるのが面倒になった為、ソーラー電池式にしたことも幸いし、この時計は未だ止まらずに時を刻んでいる。
おそらく一日は二十四時間換算で動いているが、一ケ月の長さは五十日だ。五十刻みで八
つまり、地球時間とは一年で三十五日の誤差が生じることになるので、こちらの人は私よりも少し年嵩ということになるわけだ。
三十五日――約一ケ月である。積み重なると結構大きいんじゃないのかな。そう考えると、こちらの成人年齢が十六歳というのは、日本の二十歳と大きな開きはないのかもしれない。
今日の付き添い担当はヴァディスさん。本日も緑である。
ルメールさんには魔法を見せてもらっているが、実はヴァディスさんには文字を教えてもらっている。
というのも、私が持ち歩いている小林式文字一覧表を見られてしまったことがキッカケだ。
言葉はわかるのに、文字は読めない。だからこっそり勉強中なのだと告白したところ、簡単な本を貸してくれた。
メルエッタさんに見せたところ、よく知られた騎士物語だという。今までメルエッタさんから借りていたのは、昔話や童話の
さてこの騎士物語。今までよりも対象年齢が少し上がっているようで、文字の大きさも小さくなる。詰め込まれた文字を容易く読み解くレベルには達していないものの、文脈の流れから次の文字はなんとなくわかる。一覧表と照らし合わせる回数が減り、一冊を読み終わる頃には手元になくても読めるようになっていた。
次の担当日までに何度も読み返していた私は、本の返却と共にお礼を言った。王宮図書館の蔵書は専門的な内容が多く、物語はあまり置いてないのだ。私は娯楽に飢えていたらしい。
嬉しそうな私に対し、珍しく――本当に珍しく微笑みを見せたヴァディスさんは、別の一冊を取り出した。
「続編だ」
「続きモノ!?」
「メルエッタ殿から、キラリがとても喜んでいると聞いた。続きを持っていれば貸してあげて欲しい。そう言われた」
さすがメルエッタさん、マジ女神。
「他にも何か読みたいもの、あるか?」
「うう、そう言われてもどんな話が流通してるのかわかんないからなぁ」
「では、これと同じように、ある程度認知度のある作品にしようか」
「そうですね、この世界の傾向が知りたいです。是非お願いします」
「心得た」
嬉しい。どうしよう、この世界に来てこんなにテンションが上がったのはこれが初めてかもしれない。
柔らかく私を見ていたヴァディスさんの纏う空気が、ふと凍る。でもその冷たい雰囲気は私も感じていたので驚きはない。
なんでもない風を装って振り返ると、そこには近衛騎士の姿がある。
第四師団の隊長、名はア・ランフェン。団員からはラン隊長と呼ばれている。スタンさん情報によると、キラリ様が居た五年前は副隊長だった人で、何かしらの交流はあったという。だがそれにしては彼から感じる空気は冷たいので、あまり仲が良かったわけではないんだろう。
「何か御用でしたでしょうか?」
一応問いかけてみたら、ギロリと睨まれた。はっきりいってめちゃくちゃ恐い。前言を撤回する。あまり仲良くないんじゃない。全然まったくこれっぽっちも仲良くない。これはむしろ嫌われているといってもいい。
「ヴァディス殿、客人が来ている。正門へ向かってほしい」
「承知した」
ヴァディスさんはこちらを心配そうに見つめるが、私は笑って手を振った。「図書室に居ます」と告げると頷きを返し、この場を去っていく。ラン隊長もまた同じように見送り、立ち去る様子はない。他に用事でもあるんだろうか。気まずい空気に耐えられないので、私も早々に脱出を図る。触らぬ鬼にたたりなし、だ。
「では、私はこれで失礼します」
「待て」
その鋭い声にビクリと肩が跳ねる。地の底を這うような声って表現があるけれど、それはきっとこういう声なんだろう。
なんだかなぁ、キラリ様が嫌いなのはもうわかったから、関わらないで欲しい。恐いから。
「図書室へ行くと言ったな」
「はい、そうですが」
「何をしに行く」
「何って言われましても、特にこれといった明確な目的があるわけじゃないんですが……」
「ならば、部屋にでも戻っていればいいだろう」
目障りだといわんばかりの態度である。
「おまえは警護対象だ。何かあれば責任はこちらにも来る。迷惑だ。守護騎士を連れて歩き回るのは勝手だが、昔のように余計な手出しはしないでもらえるとありがたいな」
ありがたいと言いつつも、ちっとも嬉しそうな声じゃない。これはどう考えても皮肉だろう。
返す言葉が見つからず黙り込む私が意外だったのか、ラン隊長もまた口を閉じた。
ひょっとして言い過ぎたとでも思ったんだろうかと考えた矢先、彼の口から盛大な舌打ちが漏れ、私はその考えを放棄した。さらに不機嫌を煽っただけだったようです。
「ヴァディスさんに伝えてしまったので、図書室へ向かいます。他の部屋へ出入りは致しませんので、ご了承願います。先ほど何をするのかとお聞きになりましたが、言葉の勉強をしようと思います」
「勉強?」
「ようやく文字が読めるようになったところです。といっても、まだまだ完全とは言い難いんですが。だからこそ、わからない部分をヴァディスさんに教えて頂いているところなんです」
「以前は言葉にも文字にも不自由はしていなかったように思えるが?」
「き、記憶喪失と関係があるのかもしれません。テオルドさんに訊いてみたんですが、よくわからなくて」
「ヴ・テオルド殿にも不明なことがあると? あの人は魔法管理局の長だぞ」
「え!?」
本当に部門長だったのか。
いや、この場合は局長というんだろうか。どちらにせよお偉いさんだ。伊達に一文字を名乗っていない。
「おまえは――」
「キラリ!」
「キラリ様」
三人の声が重なる。振り向くと、テリア少年とルメールさんがやって来るのが見える。
どこから出てきたんだろう。相変わらず神出鬼没な人達だなと考えていると、ラン隊長の唸るような溜息が聞こえてビクリとする。
ちらりと横を見上げると、さらに冷酷な瞳とかち合った。
青い瞳にも色々あるのだなと現実逃避のように思う。テリア少年の瞳は晴れた空のような澄んだ色をしているのに対し、ラン隊長の色はとても深みのある青だ。その濃い青色が
「ランフェン隊長殿、キラリ様に何か御用でしょうか」
ルメールさんが庇うように間に入り、私を背で隠す。同じ背丈のテリア君が私と視線を合わせ「大丈夫だった?」と問いかけた。
何をもってして大丈夫とするかは微妙だけど、精神が擦り減っただけで怪我はしていない。
「平気。ありがとう」
「ならよかった。キラリは僕が守るから安心して」
「大丈夫だって、別に何かされたわけでもないんだし」
「何かしてたらキラリがなんて言おうとアイツのこと許さないけどね」
「……声、大きいよテリア君」
彼はこんな熱血キャラだっただろうか。
そんな失礼なことを本人がまだいる所でのたまうのはちょっとどうかと思うんだけど。
案の定、ラン隊長の空気はさらに不穏となる。
「頼まれても御免だな」
貴殿達と一緒にしないでくれ――と鼻で笑うと、彼は去っていく。凄まじいまでの嫌われようだ。
「キラリ様、お気になさらないで下さい」
「アイツ、昔キラリがここに居た頃からあんな感じだったんだ。意味わかんないよ。せっかくキラリが話しかけてるのに嫌そうな態度取ったりしてさ、何様だっつーの」
「……そうなの?」
「そうだよ。アイツのことは忘れて正解。思い出さなくていいよ。僕のことだけ思い出してくれればそれでいい」
「テリア。自分勝手なことを言うのではありません」
「ルメールだってそうだろ? 自分の事を忘れたままなんて嫌じゃん」
「だからといって、私だけを見て欲しいなどと、思っていても簡単に口にするものではありません」
会話がどんどん不毛な方向へ走っていく。
逃げたい、私もラン隊長みたいに捨て台詞を放ってここから立ち去りたい。
「キラリ、どうした?」
「ヴァディスさん!」
お客さんとやらは帰ったのか、ヴァディスさんが戻ってきた。相変わらず淡々としているが、今の私には後光の差した神様に見えた。
私は彼に走り寄り、ほっと一息つく。
「ヴァディスさん、図書室に行きましょう」
「わかった、行こう」
ヴァディスさんの一瞥で大人しくなった二人を置いて、私はこの戦場を無事離脱したのである。
今日はなんとも濃い一日だった。
図書館へ向かう道すがら、カルメンさんにも遭遇し、相変わらずの調子で声をかけられた。この人は軽薄そうに見えるだけなのか、本当に軽薄なのか、判断に窮する。数刻図書室で過ごした後、昼食の為に一人で部屋に向かっていると、スタンさんと出会った。ここまでくると笑えてくる。
付き添うと言われ、断るのも面倒なので連れだって歩いていると、二階のフロアにてメルエッタさんの姿を発見し、これ幸いとスタンさんから離れて近づくと、壁の死角になっていてわからなかったが誰かと話している最中。その相手はまさかのラン隊長。
午前中のやり取りを思い出して硬直する私と、追いかけてきたスタンさんを見比べて、彼からはまたも不快そうな顔をされる羽目になった。
いつもの倍以上は疲れた気がする。今日はヴィディスさんが担当の日であるにも関わらず、何故全員と出会うのか。脅威のエンカウント率である。
『何かあったのか?』
「なんでもないです。ってかもう、何か何かって今日はそんなことばっかり訊かれて、正直お腹いっぱいです」
『……随分疲れてるようだが、平気か? 今日はもう休んだ方がいいんじゃないのか?』
「別にヴランさんのせいじゃないし、気にしないでください」
『気にするなと言われても……』
「そうですよね、逆に気使うっていうか困るよね、うん、ごめんなさい」
『訊かれたくないなら何も言わないでおく。でも、話すことで心が落ち着くなら、言えばいい』
「…………」
言葉が出ない私に対し、ヴランさんは特に何も言わない。他の誰かが相手ならば沈黙が恐くなるところだけど、ヴランさんだと逆に落ち着くから不思議だ。
「なんか、今日は疲れたんです」
前々から
カルメンさんはちょっかいをかけてくるし、スタンさんの紳士っぷりは今日に限っては逆に追い詰められているような気持ちにさせられた。
誰もかれもがキラリ様を思い描き、私にそれを求めてくる。押し付けてくる。クム・ヴァディス一人だけが、適度な距離を保って接してくれている。彼の内心はわからないけれど、その心遣いがありがたい。
(ほんま、今日のあの人にはめっちゃ癒された気するわ……)
『…………』
しまった。うっかり心の声が漏れた気がする。
ヴランさんの声無き声に、その気配を感じて私は焦った。
「いや、ちょっと色々あってやさぐれそうだったんだけど、その人のおかげでマシだったかなーっていう」
『…………』
「王都に来て知り合った人なんですけどね、こっちのことよくわからないって言ったら、本とか貸してくれて。読んだことないお話ってテンション上がりますよね」
『てんしょん、とは』
「あー、えっと、気分が高まるというか。要するに楽しいことを想像してワクワクするなーって感じです」
『試合の前に気が高ぶるような感覚か』
「あ、そうですね。たぶん、そんな感覚だと思います」
(ヴランさんでも武者震いするんやなぁ。ってか、試合って何の試合やろ?)
『
「え、なんやろ。戦士? 武者って字からすると武士のことなんだろうけど、武士に相当する職種って何になるんだろう。騎士だと綺麗すぎる気もするし、傭兵だと荒っぽい。いやそもそも傭兵なんてジャンルあるんかいな……」
ああ、今猛烈にググりたい。先生ならきっと教えてくれるはず。
元の世界に思いを馳せていると、脳内でヴランさんが笑っているのが聞こえた。どこがツボにはまったんだろう。
『君の言うことはよくわからないことが多いが、どれもこれも楽しいな』
笑われるのは心外だけど、さっきまであった妙な沈黙と空気が払拭されたので良しとしておこう。一日の最後、嫌な空気で終わりたくはない。
ささくれた心はいつの間にか回復し、癒し効果MVPはやっぱりこの定例通信だと痛感した。
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