07. 長谷川きらりの日常

 メルエッタさんに起こされ、身支度を整える。無難な色合いの服は数が少なかった為、守護騎士達には他意がないことを納得してもらい、カラフルドレスを着用している。

 彼らとは常に一緒に行動するわけではない。最初の数日は鉄壁のフォーメーションで歩き回っていたが、徐々に人数が減り、最近の付き添いは、基本一名となっている。

 マンツーマンはひどく緊張を強いると思っていたけど、皆さんわりとよく喋ってくれて、私はほぼ聞き役に徹している状態だ。それだけ「思い出してほしい」という気持ちが強いんだろうと思う。

 爽やかオーラをき散らしているスタンさんは静かな姿勢だけど、瞳は常に真剣だ。無言の圧力を感じる。そして生意気少年テリア君もまた、ひたむきといえば聞こえはいいが、要するに押しが強いというかが強いというか。

 あとの三人は、二人に比べれば大人の対応だ。カルメンさんは軽いノリだし、ヴァディスさんは言葉少なく、ルメールさんは穏やかに。露骨に押し付けることなく見守っていてくれている。

 どちらにせよ、私は申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 だって私は小林文乃なんだから、かつての長谷川きらりの事なんて思い出しようもない。

 テオルドさんは「ウミト殿には申し訳なく。今しばらく御辛抱下さい」を繰り返すだけで、前に進んでいる気がまるでしない。

 私に何を求めているのだろう。女優じゃあるまいし、他人の振りをさも当たり前のように出来るほど神経は太くない。

 日中は守護騎士達の「思い出してほしい」攻撃と、イケメン守護騎士をはべらせている女に対する嫉妬の念が、侍女の一部から矢のように飛んでくる。そんな私を冷たく見つめる一部の近衛騎士、というのが最近の日常風景だ。

 キラリ様というのは崇拝の対象なのだと思っていたけれど、そうではない人も居るのだと思うようになったのは、近衛騎士達のおかげだ。全員がそうではないが、一部からは熱視線ならぬ冷視線を頂いている。

 必要以上に持て囃されるのは心が痛いが、冷たい態度も心が痛い。



「キラリ、今日の午後何してる?」

「図書室でお勉強です」

「えー、僕と遊ぼうよ」

「テリア君は暇なの?」

「キラリの為なら暇を作るよ」

「ってことは、やることがあるんじゃ……」

「キラリの方が大事に決まってるでしょ」

「テリア、キラリ様を困らせるんじゃありませんよ」

「困らせてなんてないよ。ねえ、キラリ?」

 確かに私は困っていない。困っているのはルメールさんだろう。

 本日の護衛はルメールさんだ。彼が担当の日は、魔法に関する薀蓄うんちくを教わっている。

 今日も実践的な魔法を見せてもらう為、人の少ない安全な場所へ移動している途中でテリア君に遭遇した。今日はおまえの担当じゃないだろう――と、私が思うぐらいだから、ルメールさんだってそうだろう。

 王宮というのは広いようで実は狭いのか――単に私が通行できるエリアが限られているのかもしれないが――、今日みたいに担当外の誰かと出会い話しかけられるということは、頻繁にあることだったりもする。会釈するぐらいで後はスルーしてくれても問題ないのに、必ず皆、話しかけてくるのだ。

 別にいいんだけど、そうやって話している姿を誰かに見られると、さっき言ったように侍女の嫉妬攻撃や近衛騎士の冷視線にられるので、そろそろ疲れてきたのも事実なのだ。

 今だってそうだ。テリア君の一見ほがらかな声と態度に足を止めた侍女二人の姿が遠くに見える。声は聞こえないけれど、なにやらこそこそ話しているのは見てとれる。また、少し向こうの大木の影に、どこぞの女の子が隠れて覗いていることにもちゃんと気づいている。そんな場所から覗いてるって、今時漫画でも出てこないよ。

 彼女達のお目当てがどちらなのか知らないけれど、なにあのおばさん調子こいてんじゃねーよ的な心の声を勝手に拾って、私は早くこの場を立ち去りたい一心で口を開く。

「とにかく、今日はルメールさんに魔法を見せてもらうことになってるから、また今度ってことで」

「そうですね、参りましょうキラリ様」

「――ちょ、待ってよ」

「テリア、今度と応せられたのです。控えなさい」

「……ちっ」

 ばっさり切ったルメールさんに対し、テリア君が舌打ちで返す。

 なにそのギスギス感。仲良くしなよ仲間なんだから。




 食事の時間は息抜きタイムだ。当初は守護騎士五人と会食形式だったけど、顔合わせも済んだので一堂に会する必要もなくなった為、私は部屋で食べている。

 最初は食堂的な場所でいいと思っていたんだけど、賓客扱いのキラリ様としては不特定多数が出入りする場所での飲食は好ましくないらしく、かといって守護騎士達とずっと一緒に食べるのも正直疲れるので、一人侘しい食事となった。

 まあ別に一人で食べることに抵抗はない。なにせ一人暮らしだし、外食だって御一人様で平気なタイプだ。ただ、テレビも携帯もタブレット端末もないので、静かすぎて侘しいだけなのだ。

 メルエッタさんもご一緒にどうですか? と声をかけてみたものの、立場上そういうわけにもいかないようなので諦めた。確かにお嬢様と使用人は明確に区分けされるものだろう。私が無理強いしたことでメルエッタさんが叱責されるのは申し訳ない。

 ですよねーと苦笑いで返した私を不憫に思ったのか、午後のおやつタイムは内緒で付き合ってくれることになったのは、嬉しい誤算だった。

 美人ママと優雅なティータイムとはハイソな世界だ。麗しい。私の容姿以外は完璧な美しい世界だ。

 さらに、提供される茶菓子はメルエッタさんのお手製だという。

 てっきり王宮専属のパティシエとかが作っているのかと思っていたが、それは王族やそれに準ずる相手に提供される時に作られるんであって、日常的に作っているわけではないんだとか。王女様とかが居れば話は別なんだろうけど、この国には王子様しか居ないというから、そんなに甘味は必要ないんだろう。


 そんなわけで、貴人は自分の使用人に作らせて食べるのが普通らしい。

 材料費はどうなっているのかと問えば、上納という形で王宮にお金を出しているので、基本的に料理は王宮の料理人が作り、金銭は発生していない。ただ、お菓子というのはイレギュラー枠。食べない人もいるのだから、食べたい人はその分のお金を上乗せして上納することで、食材を使わせて頂いているんだとか。

 それって私の場合、どういう仕組みになっているのかとさらに問えば、国賓なので料理に関しては問題なし。お菓子に関しては、テオルドさんのポケットマネーだという。

「そ、それは心苦しいんですがっ」

「いいんですよ。ウミト様に無理を強いているのはこちらなんですから」

「でも……」

「このように私もご一緒しておりますし、私が食べる分を我が家が賄っていると考えてくださいませ」

「さいですか……」

 この夫婦、やっぱりメルエッタさんの方が強そうだ。

「どうぞお召し上がりください」

「いただきます」

 今日のお菓子はスコーンだ。クリームをつけて頂く。大変美味であるが、日々この調子では太りそうで恐ろしい。王宮中を歩き回っているのはダイエットの為と言えなくもない。

「ウミト様、ご所望の本をお持ちしました。わからないところは訊いてくださいませ」

「ありがとうございます!」

 差し出された本は、幼児用の手習い本。文字を覚える為に用意してもらった教本である。

 対象年齢がアレだが、私の識字把握具合は幼児と大差ないというか、もしかしたら低いかもしれない。文字なのか記号なのか、意味のない汚れなのか、まったく分からないのだ。我ながら残念すぎて泣きたくなる。三十数年生きてきた人間の尊厳を揺るがす事態と言っても過言ではないと思う。

 幸いというかなんというか、この世界の文字は表音文字らしい。それならば、文字の形を覚えればなんとか読めるようになるんじゃないかと思う。頑張れ、私の脳細胞。

 ページをめくって確認する。

 大き目のフォントで文字が並んでいる。ちなみに英語と同じく横書き表記だ。

 書いてある文字を読んでもらい、日本語でいうところの「あ」がどの文字に相当するのか、ひとつひとつ確認していく。別の紙に該当文字を書き、隣に日本語を付記する形式でまとめていくうちに判明する。

 これ、ローマ字読みだわ――と。

 基本となる「あいうえお」の五文字があり、その前にか行のK、さ行のSのように同じ文字が付く。促音・拗音や長音は文字というより記号のような形をしていて、促音は小さな四角形、長音は横線を一本。これはカタカナと同じで分かりやすい。

 ローマ字形式だと認識すれば話は早い。私は小学校辺りで習ったローマ字一覧表のような物を作ることにした。日本人には一番馴染みの深い、五十音表にこの世界の文字を当てはめる、そんな一覧表を。

 枠線を引きマス目を作るとそこに文字を落とし込み始めた私を、メルエッタさんは不思議そうな眼差しで見つめる。

「それは、どういう意味のものでしょう?」

「私の住んでいた国では、基本となる文字は五十音あるんですよ」

「まあ、そんなに?」

「外国の文字を覚える時に、自国の文字と照らし合わせる為に使う表があるんです。単に文字を書き出すより、表にした方が私にとっては分かり易いんですよ、馴染み深いので」

 説明しながら書き込んでいく。濁音に付く文字は枠外に付し、小林式文字一覧表の完成だ。

 ひとまずこれを見ながら、子供向けの絵本にチャレンジしようと思う。

「では、何冊かお持ちしましょう」

「お願いします。……なんか、すみません。子供向けの本とか、わざわざ用意してもらって」

「構いませんよ。うちの子供が昔読んでいた本がまだ残っているんですよ」

「お子さんがいらっしゃったんですね」

「ええ、息子が一人。ウミト様より年上ですよ」

「そ、そんな大きな息子さんがっ」

 驚愕の事実だ。楚々とした素敵レディのメルエッタさんに、三十を超す息子が居るとは。

 そこから家族や年齢の話になった際、更なる事実が私を打ちのめす。

 メルエッタさんは今年で六十歳だった。

 還暦、だと……?

 この世界における暦はわからないけど、日本人の感覚からすればある種の節目とも言うべき年齢。平均寿命の上がっている近年、七十でもまだ若い人は沢山いるけれど、還暦という言葉が持つイメージはどうしても大きい。

(あーでも、私より上の息子が居るってことは、うちの親と同世代でもおかしくはないんか。でもなぁ……)

「息子の下に娘が生まれていれば、ウミト様ぐらいの御年だったかもしれませんね。ですから、こうしてお世話させて頂くのは楽しいものなのですよ」

 恐れ多いことですが――と繋がる言葉を私は否定する。

 だって私は偽物で、偉くもなんともない。何の因果かたまたま此処にいるだけの、ただの一般人なのだ。恐れ多いのはこちらの方だ。

「それは違います。ウミト様は被害を受けた身の上です。だというのに、こちらの都合を押しつけて、そのように振る舞っていただいている。感謝こそすれ、非難するようなことはございません。偉そうにしていればいいんですよ、苦手そうですが」

「……大の苦手です」

「お部屋にいらっしゃる時ぐらいは、お気楽になさってください」

 言われ、私は前から気になっていたことを提案する。

「あの、でしたらひとつお願いが」

「なんでございましょうか」

「様付けは止めていただけると助かります。キラリ様として呼ばれるぶんにはもう「そういうものだ」って思ってますけど、私個人に向けられるとやっぱりちょっと変な感じで」

 テオルドさんにはウミト殿と呼ばれているが、あの人はキラリ様召喚の代表者っぽいし、私に対してあまり気安くもできないと思うので、諦めている。

 だけど、メルエッタさんはそうじゃない。女同士、もっと気楽な関係になりたいのだ。

 そう言うと、少し考え、そして柔らかく笑う。

「わかりました。では、この部屋にいる時、限定ですよ、ウミトさん」

「ありがとうございます」

 どうせならウミトではなくフミノに改めてもらうべきだったかと思ったのは、ティータイムが終了してメルエッタさんが出て行った後のことだった。だが、夫婦間で齟齬が出るのも困りそうなので、まあいいかと思い直す。今更って気もするしね。


 私が名前に対するこだわりがなくなったのは、ヴランさんの存在もきっとあるのだろう。フミノと正しく呼んでくれる人が居ることで、私は束の間「小林文乃」に戻ることが出来るようになった。

 衣裳部屋での通話も日々続いている。基本的に毎日だ。私は暇なので問題ないが、ヴランさんは必ずしも時間があるとは限らないと思う。もっとも、どんな仕事をしているのか知らないのだけれど。

 私の方に言えない事情が多すぎて、だから相手の事もあまり深くはけないでいる。

 年齢すらたずねていないが、なんらかの仕事をしているのだから成人であることは確かだろう。声の調子も落ち着いていて、それなりの年齢なんだろうと思う。ちなみに成人年齢は十六歳だ。

 隠していることがあるのはきっと気づかれている。けれど、それについて言及はしない。彼の興味はあくまで魔法陣だからだと思っていたけれど、言葉を交わすうちにそうではないのかもしれないと思い始めている。

 キラリ様から脱却し、ある程度自分をさらけ出している私と同様に、ヴランさんもまた日常のしがらみから解放されているのではないだろうか。

 本当の名前も知らないし、顔も知らない。居場所も定かではないし、確認方法はないといっていいだろう。

 しかし、だからこそ口に出来る言葉もある。

 王様の耳はロバの耳。

 これは私にとっても彼にとっても、井戸なのだ。

 それに付随し、心の声を必要以上に伝えない方法も、ヴランさんは教えてくれた。

 この世界は思考力がものをいう世界。心を強く持て――という、わかったようなわからないようなアドバイスだったけど。

 心に壁でも作ればいいんだろうか。それならわりと得意である。

 何度か実験に付き合ってもらい、百パーセントとまではいかないが、勝率はわりと上がってきている。要するに、実際に伝えたい言葉と単なる独り言を自分の中できっちりと区別できればいいのだ。

 実行した手段は簡単。伝えるべき言葉は実際に口に出すようにする。それだけだ。知らない人が見れば、一人で喋っている妖しい人だが、黙ってキラリ様の小部屋に来る人は誰も居ないから問題はない。たぶん。

 頭で考えたことを届けたい場合は、そう念じる。強く思う。これは相手に伝えるべき内容である、と。君に届け、と念じるのだ。

 失敗もあるが、結構届いている、と思う。時折くだらないことが伝わってしまったのか、脳内でブランさんが噴き出して笑っている気配がする。固い人だと思っていたが、実は結構笑い上戸だというのが、私の印象だ。


『それは君が面白いからだろう』

 なんとも心外である。


 そんな風に私の日常は過ぎていく。

 ゴールの見えない遥か遠いどこかに向かい、ただただ私は歩んでいく。

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