セイヤとスズミ(1)

 僕、卯花うのはな清弥せいや八百やお中学に通う二年生である。

 八百市は日本海に通じる八百湾に面する小都市で、人口は三万人ほど。漁業や農業が盛んな街だが、映画館や遊園地もなく交通機関もローカル線が走るだけ。自然は豊かだと思うけど、都会に比べ何もない街だ。

 僕が通っている八百中学は、市内にある唯一の中学校で全校生徒は四百人ほど。昔はもっといたらしいけど、少子化と過疎化のため昔と比べ大幅に減少していた。だけど、通っている子供たちは昔から元気でやんちゃだ。

 だが、僕は学校が嫌いだ。だって、いじめられるから。正直言って神様は何でこんな生き地獄を僕に与えたんだろうか。


 もともと僕は喋るのが苦手で、コミュ力も低いと思っている。性格も内気で子供のころから外で遊ぶよりも一人で家の中でゲームとか、漫画を読んで過ごす方が好きだった。

 必然的に、僕は陰キャラだった。

 しかし、インドアなコンテンツなんて、八百のような田舎にはほとんどないし、子供たちは外で遊びやスポーツで楽しそうにはしゃいでいるのが普通だった。


 僕へのいじめが始まったのは去年の秋からだった。十月のある日のこと、数学の授業中。偶然、隣の席の生徒の消しゴムが床に落ちた。僕は周りを確認して消しゴムを拾い、隣の生徒に渡そうとした。しかし、隣の席の少年はいきなり表情を変えた。


「げ! おまえなんで触ってんだよ! いらねえよ!」

「きみのなんじゃ……」

「ちげえよ! ニキビがうつるんだ! 今後オレに近づくんじゃねえ!」


 その子は机を一メートル離れさせた。周囲のクラスメイトの席はくっついてるのに、僕とその子は離れている。


「おい! こいつに近づくな! ばい菌がうつるぞ!」


 嘘を吐かれた。爪も切ってるし、顔も頭も、身体もきれいに洗っている。まあ、思春期だしニキビは多いのは事実だった。しかし、周囲もその男の子に同調したのか僕の前後、左のクラスメイト達も席を離れさせ始めた。

 これを境に、僕のこれまでの生活は一変した。僕に対する、壮絶ないじめの始まりだった。


 僕はインドア派なので中で遊ぶほうが好きだが、それでも友人と一緒なら外で遊びたいと思うこともあった。特に小学校の夏休み、幼いころからの友人と海に行ったり、川釣りに行ったり、秘密基地を作ったり……。少年時代を思う存分明るく楽しく過ごしてきた。


 だが、いじめを機に事態は一変した。周りから人という人が離れていく。まるで磁石のように反発して、弾かれていく。


 何も悪いことをしてないのに。


 その日からわずか一か月で僕の周りに味方はいなくなった。

 周囲からは無視され、王様ゲームの命令の材料に利用され、僕の目の前で分かるように悪口を吐かれたり、陰口を叩かれたり、近くを通れば避けられたり――


「あ、卯花が来た! キモっ」

「臭いんだよ! お前!」


 教室に入ったら必ずそんな悪口が飛んだ。

 当然のごとく教師だってまともに取り合ってくれない。


「卯花に何か原因があるんじゃないか? それを直すのが先なんじゃないのか?」


 つまり、いじめは放置すると担任教師は宣言したのだ。僕は教師を信用していなかった。

 感想を言うと、地獄だった。学校に行きたくないと思った日だってある。これまでの生活が一転したんだから。まるで、天国から地獄に突き落とされた感じだ。地面にたたきつけられた衝撃で死ぬほど激しい痛みに襲われるけど、本当の痛みはなくても、僕の心は精神的なショックでズタズタになっていった。

 僕は学校で居場所を失った。


 だけど不登校になるなんて、自分が許さなかった。自分にもちっぽけだが、いじめに負けたくないというプライドはあった。だって自分の唯一の味方であるお父さんやお母さんに迷惑をかけたくなかったから。どんなにつらいときも、両親が心の支えになってくれた。


 だから、一年生の間は無理やりでも学校に行った。なるべく人とかかわらないようにした。かかわるたびにいじめられるけど、我慢した。そうするしか……ないから。


 二年生に上がってクラス替えがあったが、僕の立ち位置は基本的に変わっていない。ただ、奇跡的にニキビが治ったので、ばい菌呼ばわりされることはなくなった。


***


 教室に入る時が僕にとっての一番の苦痛だった。戸の前で足がすくんでしまう。背負ってきた鉛が、いよいよ僕を押しつぶそうとする。だけど、何とか力を振り絞って戸を開ける。だけど、戸がなぜかかなり重く感じた。開けるのに力なんていらないのに。

 頑張って戸を開けると、一斉に僕に向けられる視線。好奇の視線、冷たい視線、その他もろもろの不快な視線。

 進級してクラス替えがあっても、一年から同じメンバーの生徒もいる。そして、彼らは僕へのいじめをやめたわけでなかった。当然のように無視されるし、避けられるし、裏で陰口もたたかれている。グループ作りの時はハブられ、給食の時は席を離され、話しかけると逃げられた。

 半年以上もいじめを受け続けて、僕はよく我慢できていると思った。しかし、このままでは自分が壊れるかもしれない。そんな危機感は芽生えていた。


 授業がある時間以外は図書室で過ごしていた。ここはいつもなら人がほとんどいないし、好きな本が読める。僕は読書が大好きで、特に推理ものや冒険ものは時間を忘れるほど読んでいた。読み終わるのは始業や放課後のチャイムに気づいた時だ。ただ、いじめっ子たちが利用しているときは入れない。特にテスト前は利用者が増えるので、休み時間は忙しそうなふりをしつつ放課後はすぐに下校していた。


 周囲を気にしながら、放課後はそそくさと図書室に駆け込んで、気分転換に本を読む。今日読んでいたのはネットで話題になっていた異世界転生もの。僕はこの手の小説が大好きである。主人公の現実世界での境遇が自分と似てたから。そんな主人公が異世界で現実世界での不遇っぷりを晴らすかのごとく、剣と魔法で大活躍するのだ。僕だって今すぐにでもどこかファンタジーの世界にでも行っていじめっ子たちを魔物に見立てて抹殺したい……。

 そんな空想をしながら読むこともあった。それくらいいじめっこを恨んでいたし、今の惨めな自分が悔しかった。 

 僕にとって、小説の主人公は一つのあこがれでもあったのだ。


 しかし、時間を忘れて読書に没頭しているとほかのことは一切耳に入って来なくなる。


「ふーん。異世界ものかあ……。でも熟読中失礼だけど、もう下校時間なんだよねえ」


 肩を誰かに叩かれた。

 僕は一瞬心臓が止まりそうになった。体が硬直してしまい、読んでいた本がテーブルの上に倒れてしまう。

 振り向くと、黒髪を左右で束ねた短いツインテールの女の子が黒くて十センチくらいはある、分厚くて難しそうな本を持って立っている。図書委員のバッジを白いセーラー服の胸ポケットに着けている。


「え!? そ、そんな、時間な、なんですか?」


 あまりの驚きに、声がブツ切りになってしまう。

 そして、目の前にいるのは見たこともない女の子だった。少なくとも、こんな子クラスにはいない。僕と背は同じくらいだけど、三年の先輩かもしれない。なぜか敬語が出た。


「もう六時半だよ? 学校閉まっちゃうし、帰らないと」


 図書室に掲げてあった時計を見ると、その子が言うように長針も短針も「6」を指していた。確か、授業が終わったのが四時ごろだから、もう二時間半も読んでたのか……。

 ふと外を見ると夕日が窓を照らし、グラウンドでは影が身長の何倍にも伸びた野球部やソフトボール部の生徒たちが片づけをしていた。


「あ、わかりました」


 僕は急いで本を戻すと、リュックを背負って外に出ようとする。急いで下校しないと校門が閉められるし、そもそも長居はしたくない。極力、この女の子も含めて他人と話したくなかった。


「ちょっと待って!」


 いきなり女の子に呼び止められる。

 止めるなよ! 帰りたいんだよ!


「なんですか?」


 思わず怪訝な顔を女の子に向ける。

 女の子は申し訳なさそうに頭に右手を当てていた。


「悪いんだけどさあ、ちょっと戸締り手伝ってくれない? すぐに終わるからさ。友達も帰っちゃったし」


 “友達” 。その言葉がなぜか僕にはつらかった。だけど、込み上げる気持ちを抑える。


「わかりました」


 今は “友達” なんて関係ないから。

 校庭側の窓を閉めて鍵をかける。ついていた冷房のスイッチも切る。もう一度ちゃんと施錠がなされているか確認する。


「よし、これでオッケー。手伝ってくれてありがとうね、卯花うのはなくん」


 女の子はにっこり笑った。

 僕は違和感を持った。なんでこの子、僕の名前を知ってるんだ……? 同学年だったとしても、こんな子クラスにはいないし……。


「え、ええ……」


 女の子は顔をしかめた。


「どうしたのよ?」

「え、いや。何で僕のことを……」

「本の貸出ノートにキミの名前があったからよ。キミ、毎日ここに来てるみたいだけど本当に本読むの好きなんだね。図書委員の間じゃちょっとした評判よ?」

「ホントなんですか?」


 女の子はさも当たり前かのように、一つ頷いた。

 おい、評判になってるって、まさかそこから新たな噂がクラスに流れてないだろうな……。

 図書委員のメンツに同じクラスの生徒がいるのでなぜか疑心暗鬼になってしまう。

 そして、女の子は両腕を胸の前で組む。


「そうそう。さっきから気になってたんだけど、キミ、私に敬語使ってるけど一応二年生だからね。クラスは違うけど」

「そ、そうだったんですか……」

「うん。これ見て?」


 彼女はその証拠として、自分の生徒手帳を見せてくれた。確かに、学年は同じ二年だ。


「私は風馬ふうま鈴美すずみ。私も図書館よく使うから、また会うかもしれないね。その時はよろしくね」

「よ、よろしくお願いします……」


 にっこり笑う風馬さんに対し、僕は思わず下を向いてしまう。なぜか顔を引きつった。

 風馬さんは掛け時計を眺めると、


「ま、とりあえず帰ろっか。鍵閉めるから、先出てて?」

「あ、はい……」


 僕は図書室を出た。振り向くと、風馬さんが笑顔でこちらに手を振っている。僕もぎこちなく手を振った。


 帰り道、自転車に乗って田んぼの間を突き抜ける広い道路を走る。カエルの鳴き声と川のせせらぎしか聞こえない、静かな夜。

 そんな中、僕は今日出会った女子生徒、風馬鈴美さんを思い出していた。僕に話しかけてきた人の中ではごくごく普通に接してくれたと思う。だって、大体僕に声をかける人はろくな人がいなかったから。

 この時、僕は彼女をただの同学年の図書委員としか思っていなかった。しかし、すでにあの夏に向けて僕らの運命は動き出していたのかもしれない。

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